ピレナの涙
明け方、身震いするほどの肌寒さが、秋の終わりが間近だと告げていた。町へ行った若者たちだけが戻ってきた
ピレナが質問を投げかけるのも待てずに、ジョルガスが聞いた
「それでストイロスはいつ助けをよこすと?」
青年の一人はうつむいて首を横に振り、ピレナに向き直って言った。
「誰も来ません」
「どういうことなの?」
驚くピレナに、青年が答えた。
「生き残った者たちによれば、二日前に町は壊滅し、ストイロス様はご家族と共に地の底に引きずり込まれたと」
青年たちの表現は未熟だが、真摯に語る中に恐怖感が籠もっているし、ピレナたち自身が経験した出来事を重ね合わせて考えれば、凄惨な光景だったのだろうと想像がつく。
別の若者は言った。
「生き残った者たちの家も倒壊し、地割れで北部と遮断された事に気づいて、動けぬ者を町に残して南へ避難したと」
三人目の若者が言葉を継いだ。
「何か役に立つ物をと考えて探しましたが見つかったのはのはこのロープだけ」
彼らは破壊された町をかけずり回ってロープの束を背負って持ち帰った。裂け目にロープを張りそれに捉まって女や老人や子どもを渡らせようと考えたらしい。しかし、避難民たちを眺めればロープに捉まって渡れる体力のある者も少ない。
ピレナは尋ねた。
「私たちに出来る事は?」
コレノスの町がそんな状態なら、生き残ってやる者たちを救ってやらねばならない。しかし、疲れきった避難民たちの表情を見れば、ピレナはこの人々すら救えない。
気落ちしかけたピレナに、ジョルガスが言った。
「では、まず我らにお任せください」
「どうするの?」
ジョルガスはいくつもある倒木の中の二本を指さして兵士に命じた。
「アレとコレ。枝を払って並べて橋にするぞ」
「しかし、斧がありません」
上官は枝を払えと簡単に言うが、指示された木の幹は大人が抱えるほどで、その幹から伸びる枝は手首ほどの太さがある。手でへし折るのも無理だろう。ジョルガスは言った。
「お前が腰からぶら下げてるのは何だ?」
斧がなければ剣で切れという。兵士たちも納得した。むろん、木を切る道具ではなく、剣を力一杯枝に振りおろしてもなかなか切れない。しかし、人を殺める道具が人を生かすための道具に変わった。
昨日は薪や食料集めでお客さん扱いだった兵士たちも、今は彼らが主役だった。兵士たちは手伝おうとする人々を笑顔で追い払って言った。
「邪魔だ。俺たちに任せておきな」
長剣を力任せに振るために側に人がいると危険だった。人々は兵士たちの手際よさを褒めて頼もしげに見守るにとどめたが、もともと兵士たちにとって、一夜の陣を囲む柵や見張り台作りや、川に馬車を通すための橋作りなど経験済みだった。
振りおろす都度、剣の刃こぼれが増える。誰かのために生きる。兵士たちは剣の刃こぼれの多さを自慢するように剣を振るい、汗をかきながらも仕事をやり終えた。
休む間もなく、木に若者たちが持ち帰ったロープをかけて割れ目まで引きずって行く。さすがに兵士たちだけでは手に余る。
ピレナが笑顔で言った。
「さぁ、私たちも手伝うわよ」
さっきは手伝いを拒んだ兵士たちも、今度は断らなかった。二本の木を運ぶ作業で皆が一体になる心地よさがあった。彼らは枝と根を払った木の幹を転がしたりロープを駆けて曳いたりしながら地面の裂け目へと運んで橋にした。腰の高さにロープを渡し、欄干の代わりにした。このロープに捉まりながら丸太を渡る。前後を支えてやれば年寄りや子どもでも渡れるだろう。
女や子どもや老人に手を貸しながら、全ての避難民が橋を渡りきったのは、日が中天に差し掛かる頃だった。昼食の時間だが、彼らは食料がない。
ピレナが避難民たちに語り聞かせるように叫んだ。
「さぁ。コレノスの町までもうすぐよ。あそこで食料を探して、南へ向かいましょう」
日が西に傾いて赤く変わリかける頃、ピレナはこの日の早朝に青年たちから聞かされていた状況を眺めて絶句した。この辺りはルージ島の中央部で山も近い内陸のはずだった。しかし、真新しい海岸の向こうに海が見える。
運良く海に引きずり込まれなかった家々も、激しい地の揺れに破壊されて無事なものがない。
避難民が南へ逃げ出したと聞いていたが、ピレナたちが町に姿を見せると、原形を留めない残骸と言っていい家々から、人々が次々に這いだして来た。その数は怪我人や老人、乳飲み子を抱えた女など、合わせれば百人に及ぶ。この町から避難する人々から取り残された人々だった。ピレナたちが弱い者たちを必死で守りながら連れてきたのに比べれば、仲間や家族を捨てるなど何という冷酷さだろう。
ピレナは人々にやや怒りを込めて聞いた。
「元気な者たちは、貴方たちを見捨てて逃げたのね」
一人の老女がピレナの誤解だと言った。
「いいえ。違うのです。私たちがここに残していってくれと」
「何故、そんな事を?」
興奮したピレナの声が大きくなった。自然に、気持ちを分かって欲しいという老女の声も大きくなる。
「私たちがついて行けば足手まといになります。迷惑になるだけじゃない。あの人たちを危険にさらす事にもなるのです」
その言葉に、町に残っていた人々は頷いていた。同じ言葉はピレナが連れてきた避難民たちにも広まり、彼らは互いに顔を見合わせた。足手まといで、仲間を危険に晒してきたと言われれば心当たりもある。
ピレナはそんな避難民たちの心情を理解する事も出来ないまま、振り返って言った。
「でも、私は貴方たちを見捨てたりはしない」
そう言いながらも、疲れ切った避難民の様子を見る彼女の心にも、不安とわだかまりがある。
(私はこの疲れたきった人たちを引っ張り回しているだけ?)
人々に安全な場所に付けていくと約束を繰り返しながら、今の彼女にはそれが出来ないでいる。そんなピレナにジョルガスは別の話題を投げかけて気分を逸らした。
「ピレナ様。まずは壊れた家の屋根を取り除き、食料を探して集めましょう。寝る場所も確保せねばなりません」
「その通りだわ」
兵士たちはこういう夜営の手際が良かった。破壊され住民たちが残して去った毛布や食料を探し出し、毛布や布を使って風よけのテントを設営した。その夜、人々は焚き火を囲んで久しぶりに温かい食事にありついた。
ピレナはいつものように焚き火を回って人々を励ます気力も沸かず、人々から離れて一人夜空を見上げていた。しかし、その背後に人々の視線を感じても居た。人々が彼女に言いたい事が想像できた。
(ただの小娘が人々を救うですって? 辛い思いをさせているだけ……)
夜空の混沌の裂け目の輝きは、既に冬の位置にあって、欠け始めた月の輝きをかき消すほど明るい。この世界はあの輝きから始まったという。その輝きがピレナには涙で潤んで見えた。
解説
混沌の裂け目:現代の私たちが「天の川」の呼んでいるものです。アトランティスの人々は全ての調和からなる静寂の混沌からこの世界が生まれたときの名残と考えています。よろしければ第一部52話「アトランティスの神話」をご覧下さい。




