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ピレナとの出会い

******************************************

「血の繋がりですって? 

 いいえ、家族って言うのは、

  きっと思いを一つにした人たちの事よ」


          ~カティア・ドノバン~

********************************************

 ジョルガスたちは突然に丘の向こうから目の前に出現した集団を眺めた。その数は、女、子ども、老人、全て含めれば五百人ほど。皆、疲れ切った足取りだった。その先頭に女が居て、乳飲み子を抱いた女と子どもを乗せた馬を曳いていた。

 女はもう一度声を張り上げて聞いた。

「私はピレナ。貴方たちは何者?」

 ジョルガスにはその名に記憶があって、アトラスの印象と重なったわけが分かった。彼は答えた。

「オルエデス殿の配下でジョルガスと申します。帰国の船が流され、この地に取り残されて難渋しております」

 さすがに、船を奪い漕ぎ手を人質にするつもりだった事には触れない。ジョルガスの言葉に、ピレナは警戒心を解いて受け入れた。

「行くところがないのね。いいわ。ついてらっしゃい」

 ジョルガスには逆らう理由はなかった。何より、このままでは飢える。ジョルガスは兵を連れて避難民の列の最後尾についた。この小娘について行けば食料を得る事が出来るに違いない。

 森の中の小道を辿りながら、兵士の一人が前方の避難民を眺めて文句を言った。

「もっと、さっさと歩きやがれ。森の悪霊ツツミスに追いつかれちまわぁ」

 背後から災厄が追って来るという。仲間を海に呑まれ、彼ら自身も同じ恐怖を味わった。その災厄や恐怖から逃れたいと思うのは当然だった。別の兵が森の精霊ツツミスのもう一つの伝承に触れた。

「言うな。森の精霊ツツミスに聞かれたら本当になっちまう。黙って奴らの尻を蹴り上げてやりゃいいのさ」

 しかし、避難民たちは年寄りや子どもを庇うように歩みは遅く、その足取りに疲れも感じさせる。ジョルガスが好き勝手に文句を言う兵士どもに言った。

「よさねぇか。あの小娘に聞かれちまう」

 その小娘ピレナは、先頭に立って避難民を導きつつ、時折、列の後方に戻って遅れがちになる者たちを励ましていく。彼女はそうやって他の人々の何倍かの道のりを歩いていた。


 森を抜けると草原があった。ピレナは人々を見回して決断した。

「ここで一休みしていきましょう」

 晴れ上がった空を見上げれば、日は中天にある。しかし人々は食事をする気配がない。ジョルガスは間近にいた中年の女に尋ねた。

「腹は減っていないのか?」

 ジョルガスの言葉に、女は振り返って彼の姿を眺めて笑いながら言った。

「あんたがパンのひとかけらでも持っていれば嬉しいんだけどね」

 腹は減っていても、食料はないという。

「ではどうするのだ?」

「ピレナ様がなんとかしてくださる。あんたも腹が減っているのかい?」

 女の問いにジョルガスは腹立たしそうに首を振って答えた。

「そんなこたぁ、どうでもいいやな」

 兵士としての誇りとともに将としての堅苦しい言葉づかいも失せ、今のジョルガスは、甲冑を身につけていなければ、安酒場の親父と変わりがない。しかし、食料の当ては確認しておかねばならない。

 多くの避難民の中でも、ピレナの姿はすぐに見つかった。そこかしこに座り込んで休息を取る者たちの間を回って、老人の体を労り、乳飲み子を抱えた女を励まし、子どもたちに冗談を飛ばして笑わせていた。

 ジョルガスはそんなピレナに歩み寄って尋ねた。

「ピレナ様。食料は」

 ピレナは疲れた表情に笑顔を浮かべて肩をすくめて見せた。

「届ける者たちが、道に迷っているのでしょう」

 食料はないという。しかし、都の人々が食料を届けるために最善の努力をしている事を疑う様子はない。

 彼女の目的地のコレノスの町は、足が達者な行商人が早朝に荷を担いで都を発てば、夜にはたどり着けるという距離だった。街道は大きな荷馬車がすれ違える幅があり、普通なら道に迷うことはあり得ない。しかし、地が揺れる都度に街道は地割れで寸断されて回り道をしている。彼女は回り道を選ぶ都度、どちらに進んだかの目印を残してきた。しかし彼女自身が今の街道の状態を知っている。大地は揺さぶられ、潰され、引き裂かれ、一部は海に変わった。食料を満載した荷車などの移動は無理だろう。


 ピレナは自分の顔をまじまじと見つめるジョルガスに首を傾げた。

「どうしたの?」

「いや。なんでもねぇ」

 そう言いながら彼は考えていた。

(年の頃なら、十六か七のはず)

 歳の割に大人びて見えるのは、責任感と疲労を背負ったせいだろうか。そんな彼女の表情が突然に明るく輝いた。その視線の先に森を抜けてきた乗馬姿の役人たちが居た。彼らも、やっと探し当てた人物に安堵の声を上げた。

「ピレナ様ぁ」

 ジョルガスは考えた。彼女が避難民をここで休息させていたのは、彼らの到着を信じていたと言う事だろうか。ただ、その数は三人の役人と三頭の馬。食料を運んできた者たちは、避難民をざっと眺めて、自分たちが運んできた食料に比べて、あまりにその数が多い事に驚いているようにみえた。

 ピレナは役人たちの苦労をねぎらいながらも命じた。

「ありがとう。では、悪いけれど、すぐに戻って、こちらの様子を後続の人たちに知らせて頂戴」

 役人たちもその言葉に納得して頷いた。ピレナたちはずいぶん回り道をしながらここまで来た。ここまでの地割れや土砂崩れで寸断された状況を、後から来る者たちに伝えてやれば、少しは楽にこれるだろう。役人たちは手際よく荷を下ろして去った。


 輸送人たちが馬の背の両側に振り分けてきた袋は合わせて六つ。中には干肉と干しイチジクが入っていた。彼女は干し肉が入っていた袋の一つをジョルガスに渡して言った。

「これは貴方たちで食べなさい」

 思いも掛けない申し出にジョルガスはその袋を取り落とした。傍らにいた兵士たちはジョルガスの命令も待たず喚声を上げてその干し肉の袋に群がった。その姿に統制はなくもはや軍隊とは言えまい。ジョルガスは分け前にありつく間もなく袋は空になった。

 ピレナはそんな光景に興味はなく草原に散らばった避難民たちに叫んだ。

「さぁ、集まって。列を作って並びなさい。女子どもが先よ」

 数人の女たちが配給役を申し出た。その女たちの一人にはジョルガスも記憶がある。先ほど食料の事で話をした女である。手のひらほどの大きさの干し肉一枚か、干しイチジクが一個。それが彼らに提供された食事だった。

 ピレナは列に並ぶ人々に声を掛けて歩いていた。

「食べたらすぐに出発するわよ」

 女たちが列を作って並ぶ避難民たちに配給を終わる前に、ジョルガスたちは与えられた干し肉を食い尽くしていた。一日ぶりに腹に入れた干し肉は空腹を満たすどころか食欲を刺激して腹が鳴った。

 そんな音を聞きつけたわけでもないだろうが、さっきの女がジョルガスに笑いながら声を掛けてきた。

「まだ腹が減っているようだね。食べな、私の分だ」

「いや。いけねぇ。それはアンタの分だ」

 空腹を感じている。しかし、妙な誇りが邪魔して厚意を拒絶した。そんな会話をする女とジョルガスに、通りかかったピレナが言った。

「厚意は受けなさいな。そうすれば、人と人は繋がれる」

 ジョルガスは朧気ながら繋がれるという意味を理解した。素直に厚意を受けるが、本当に繋がりを作るためには自分もまた厚意を返さねばならない事を。

 彼の手に干しイチジクが一つ。配下の兵と分ける事もできず、ジョルガスはイチジクをむさぼり食い、指についた欠片まで舐め取った。ピレナはジョルガスが厚意を受け入れた事に微笑んで立ち去った。彼女は避難民たちの世話で忙しい。ここに立ち止まっているわけにもいかないのだろう。

 ただ、ジョルガスは、この中年女が見ず知らずの人間に、自分の食料を与える理由が分からない。

「しかし、どうして。俺なんかに?」

 首を傾げる彼に、女はこともなげに言った。

「ピレナ様が食べておられないのに、私が食べるわけにいくもんかね」

 ジョルガスは当たり前の事に愕然とした。五百名近い避難民がおり、食料が全ての者に行き渡らないのは当然だった。ピレナは食料を口にしていない。

「そんな……」

 彼がそう呟いて眺めたピレナは、人々の間を回って出発の準備を命じていた

「さぁ、頑張って。回り道をしたけれど、コレノスまであと十ゲリア(約8km)ほど。夕暮れにはたどり着けるわよ」

 ジョルガスが気づいてみれば、配下の兵士たちもまた不思議な者でも眺めるようにピレナを眺めていた。今の彼らには、未だこの少女が理解できない。


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