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運命の分岐点

 都の外れの駐屯地にいたヴェスター軍のジョルガスは、港の状況を伝え聞くや否や、兵を集結させて出発した。町の娼家などに入り込んで部隊に戻る暇もなかった兵など、そのまま放置して出発するほどの素早さだった。

 彼は夜を徹して兵を行軍させた。文句を言う兵は居なかった。母国へ帰る事を望まぬ者は居なかったし、軍船のほとんどが沈んだという噂を聞けば、残った船に乗らねばここに取り残されるという恐怖も湧いた。

 行軍の先頭にいたジョルガスに中隊長の一人ルソラスがそっと近づいて、兵に漏れ聞こえぬように囁いた。

「船を奪って逃げる件、どうされるつもりか?」

「逃げねばなるまい。しかし、まずは状況を確認してからだ」

 彼らにとって勇壮な艦隊が港ごと消失したなど、信じがたい話だった。ただ更に食い下がろうとするルソラスにジョルガスが言った。

「わかっている。逃げるにはそなたの力も借りねばならぬ」

 船で逃走するためにはその扱いに長けた者が要る。ルソラスは海軍に属して船を操っていた経験がある。他の者は捨て去っても、ルソラスを残す事は出来ない。しかし、ルソラスの表情にはジョルガスへの不信感が伺えた。


 彼らがオルエデスの元にたどり着いたのは、日が高く昇ってからの事だった。ジョルガスたち指揮官も五百の兵も、目の前の光景に驚きながらも、町の残骸や僅かに生き残った人々が嘆く姿を見れば、これが事実だと受け入れざるを得なかった。

 道ばたで家や家族を失って嘆く女がいた。ジョルガスは腰に着けていた携行食が入った袋を投げ与えて言った

「女よ、食え。干しイチジクだ。間もなくフェイサス様が手配した役人たちが食料や天幕を運んでくる」

 彼の言葉は嘘ではなかった。彼らが都を発つころ、真夜中だというのに役人たちは被災地に運ぶ物資の準備に慌ただしく働いていた。この人々は目に見えなくとも他の人々と繋がっている。

(しかし……)

 オルエデスが視線を転じた先にオルエデスの姿があった。オルエデスは彼らの姿を見つけるや否や、陸に打ち上げられた廃船を指さして命じた。

「あの船を修理し、海辺へ運ぶのだ」

「しかし、兵は夜通し歩き続けて疲れております。まずは一時の休息と食事を与えねば」

 彼の求めをオルエデスは即座に拒絶した。

「待ってはおれぬぞ。災厄はすぐそこに迫っておる。話している間にこの地も海に沈むかも知れぬ。大きな波が押し寄せて、我らを海の底へ引きずり込むかも知れぬ」

 オルエデスの叫びは大きく悲鳴のようで、兵士たちの不安や恐怖を煽るのに充分だった。

(この方はこういう方なのだ)

 兵士の心を平静に保とうとする指揮官の責任感も、兵士を故郷に帰す義務感もない。


 ジョルガスは他にも陸に打ち上げられている軍船がないか探索させる名目で、船の修理に当たらせる百名の兵を除いて数十人づつに分けて周囲の捜索を命じた。オルエデスの目の届かないところで適当に休息を取るだろう。

 船腹の穴は二カ所。幸いにしてそのまま海に浮かべても浸水の恐れの少ない甲板付近だった。五十人の兵を修理に当たらせ、残りの五十人は休息を取らせる。しばらくして休息を交代させればいい。捜索に出た兵が戻る頃には修理も終わっているだろう。

 兵士を周囲の探索に出したが、彼の目の前にある船が陸に残されていたのは奇跡に近い。おそらく兵士を帰還させる船はこれだけ。乗せられる兵の数は無理をしても五十から七十。兵士の大半は残して帰る事になる。


 探索に出た兵士たちは何も見つける事も出来ずに戻ってきた。ジョルガスはその兵士たちに、船から水辺へと丸太を横に敷き詰めさせた。修理の終わった船をこの丸太の上を滑らせながら海に運ぶ。修理は昼を待たずに終わり、兵士たちは人数に物を言わせて船の舷側を支え、船首に繋いだロープを曳き、夕刻を待たずに船を波に浮かべる事に成功した。ただ、陽は落ちかけていて出港すればすぐに夜になる。対岸のヴェスター国との間の海は潮が速く岩礁も多い。よほど熟練した船乗りでなければ、夜の航行は避けるのが安全だった。

 もし、オルエデスに一片の責任感でもあったとしたら、やっと海に浮かべた帆柱もない船を背景に兵士たちを集めて訓示した事だろうか。それさえ、オルエデスが兵士たちを捨てる言い訳でしかない。

「三日だ。三日だけ、ここで待つがよい。私は明日の朝から急ぎ国に戻って、お前たちが帰国する船を手配して戻る」

 オルエデスは三日で戻ると言うが、船旅だけでも往復で五日や六日はかかる。新たな軍船を利用するためには、今の状況を都にいる王レイトスに奏上し許可を得ねばならない。手続きを経て兵士を運ぶ船が戻るには、早くとも二十日近くはかかるだろう。天候が悪化し海が荒れれば日程はその倍。それまでにこの国の新たな災厄が彼らを襲うだろう。

(待っては居られない。今夜、船を奪うか)

 彼はそう考えて周囲を見回したが、操船を任せるつもりのルソラスの姿がなかった。


 そのルソラスは訓示を終えたオルエデスにそっと近づいて囁くように言った。

「オルエデス様。お命が危のうございます」

 命という言葉にオルエデスはピクリと反応した。

「私の命を狙う不届き者がいるというのか?」

「オルエデス様から船を奪って、この危険な国に置き去りにしようとする者たちがおります」

 そんな囁きをオルエデスは信じた。この国にいれば帰れなくなると言うのは彼自身が感じ取っていた。彼は無表情だが油断を怠らない口調で尋ねた。

「それでいかがする?」

「私は昔は海軍に居りました。潮の流れを読む事も岩礁の位置を見る事も出来ます。私の配下の兵にも元は船乗りだった者が二十ばかりおります。船を漕がせるには充分。幸い、今は満月。月の光でヴェスターまで安全にお連れする事が出来ます」

「そうか。そうしよう。しかし私はその前にする事がある。何、時間はかからぬ」

「では、私は手配を整えておくといたしましょう」


 日が暮れて満月が夜空に姿を見せた。夜露を避ける建物はなく、兵士たちは持参した毛布にくるまって、そこかしこの焚き火のそばで横になっていた。地が小さく揺れ続けていて、地面から体に伝わる揺れは、兵士の熟睡を妨げていた。

 月明かりの中、潮の流れに乗って船は岸から離れた。岸からやや距離を置いて、一斉に櫂が海面を叩く音が響き始めた。船が出航する気配に気づいた兵士が驚き慌ててジョルガスに伝えたが、もはや遅すぎた。

 夜明けと共に海辺に残された者たちを確認すれば、兵を率いて来たオルエデスの姿と中隊長ルソラスとその配下の兵二十名ばかりの姿がなかった。浜辺にバイラスの死体が見つかった。争った跡はなく、背後から突然に斬りつけられて絶命している様子だった。オルエデスが邪魔者を片づけていったことが知れた。

 ジョルガスはこの状況で考えを巡らせていた。 

(この国の大臣にかけあって、帰国の船を出させるか)

(いやダメだ。それが出来るぐらいならオルエデスがかけ合っているだろう)

(帰国の船を出す余裕がなければ、奪うまで)

 今は彼がアトランティス本土に戻る事が大事で、兵士などどうでも良い。しかし、兵士は使い道がある。ルージ島の西の浜辺に沿って、いくつかの漁村やルージ海軍の軍船の係留地がある。そこを襲って船を奪い、漕ぎ手を人質にして海を渡る。戦闘になれば兵士は死ぬだろうが、減った方が都合が良い。どうせ全ての兵を対岸に渡すほどの船を手に入れるのは難しい。

 彼は残された兵士たちに向かって叫んだ。

「いいか。お前たち。生き延びたければ俺に続け。こんな所からは船を奪っておさらばするぞ」

 兵士たちにとって絶望の中の僅かな希望に歓声が沸いた。浜辺に沿って行軍すれば昼過ぎには漁村にたどり着ける。そこで食料と船を奪う。

 しかし、ジョルガスはその場にたどり着く事は出来なかった。村に向かう街道は海へ呑まれ、その先には海面が広がっているだけだった。

 地が大きく小さく繰り返す揺れと高まる不安の中、船を奪うために海岸縁を南下し続けた。彼は内陸から流れる川の河口で飲み水が得られたのを幸い、そこを一夜の宿泊地に定めた。携行してきた食料は食い尽くし、空腹をごまかそうとして飲んだ水は潮の味がした。海の潮が満ちれば、川に海水が混じる場所だった。

 夜半、ジョルガスを目覚めさせたのは、不安を死の恐怖に変えるほどの地の揺れだった。闇夜にあふれかえる兵士たちの悲鳴も、大地が裂ける音と共に消えた。空の月明かりが変わらず大地を照らしていたが、大地の上でジョルガスの兵士たちを照らしていた十数の焚き火の大半が消えていた。

 立ち上がる勇気も湧かず、四つんばいで這って行くと、指が急峻な崖の段差を捉え、目には月の光に照らされた波が見えた。ジョルガスが寝ていた場所から、人の背丈で二人分。僅かな距離が、ジョルガスと兵士たちの運命を隔てた。

 夜が明けてみれば、海岸線に沿って大小いくつもの地割れが生じているのが分かった。もっとも海辺に近く生じた地割れは、もはや地割れではなく、海面まで人の背丈二人分の高さの崖だった。

 恐怖で逃げまどい散り散りになった兵士たちが、孤独感を避けるためにジョルガスの元に集まり始めたが、集まった生き残りは僅か五十ばかり。兵の大半は崩れ去った大地と共に海に呑まれ、激しい潮に流され去ったようだった。

 もはや、彼らは戦意を失い、軍隊と呼べる存在でもない。その証拠に、周囲の状況の変化にも気づかないまま、見事な奇襲でも受けたように、見知らぬ人々の集団と遭遇した。人々の先頭で馬の手綱を曳いていた人物が声を掛けてきた。

「貴方たちは何者なの?」

 その人物の姿に、ジョルガスはこの地にいるはずのない人物の姿を重ねていた。

(アトラス王か……)

 明らかに年若い女性で、アトラスではない。しかし、彼女の表情の中、過酷な状況の中で神々を恨む気配もなく、人として運命を切り開こうとするアトラスに繋がる意志がかいまみえた。


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