王と神官
大神官長ゴルロースが知らせを携えてきたのは、宮殿の小間使いが宮殿の中のランプに火を灯して回る頃だった。窓から入る陽の光が赤い。普通なら広間で重臣たちと共に知らせを聞くところだが、今日のゴルロースは神妙な面持ちで人払いを申し出た。携えてきた知らせは人に漏れてはならない内容であるらしい。
アトラスは求めに応じて、彼を居室に招き入れた。ゴルロースは周囲に人の気配がない事を注意深く確認すると、話し始めた。
「ロッデルスス殿が、神々の怒りを収めてみせると」
「その儀式で神々の怒りが収まり、大地が海に呑まれる事が無くなるなら、それも重畳」
アトラスの言葉に、ゴルロースは表情を曇らせて言った。
「それが、子どもたちを生け贄にするとか。既に僧兵たちがリデントースに留まる者たちから子どもたちを奪い、その数は五十に及ぶとの事です」
「ロッデルススは、まだ子どもを生け贄にする悪巧みを捨てていなかったのか」
「頑固で古くさい男ですから」
その言葉にアトラスは席を蹴るように勢いよく立ち上がった。ロッデルススの元に向かうつもりだと察したゴルロースが言葉を継いだ。
「いや。王よ、お待ち下さい」
「なんだ」
思わず興奮して声を荒げたアトラスにゴルロースは冷静に言った。
「ロッデルススと正面切って対立するのは望ましくないと」
「しかし、話し合いが通用する相手ではなかろう」
「いや。ロッデルスス殿の儀式が成功するとお思いで?」
「無駄だろうよ。そもそも神々が人間を滅ぼそうとしているなどと歪んだ考えを持っているからそんな事を考えるのだ」
「その無駄をさせてはいかが」
「無駄をさせる?」
「ロッデルスス殿と対立しその儀式を妨害すれば、民の批判の目にさらされるのはアトラス様。しかし、民を救うと豪語したロッデルスス殿の儀式が失敗し、しかも数多くの子どもたちが犠牲にしたとなれば、民の批判はロッデルススに向く。その後、そのロッデルススを討ち果たせば民の賞賛はアトラス様のもの」
ロッデルススが多くの子どもたちの命を犠牲にすれば、犠牲者の両親は彼に反感を越えた憎しみを抱き、その周囲の者たちは犠牲にされた子どもやその両親に同情を寄せる。その機会を待ってロッデルススを討ち果たせばいいという。
アトラスはその推測が間違ってはいないと頷きつつ、言葉ではきっぱり否定した。
「ゴルロースよ。そなたが言うのは政とその謀略の話しだ。私は武人だ。そのような話しは聞き入れぬぞ。その儀式はいつ執り行われるのだ?」
ゴルロースは提案を拒絶される事も想定して、このタイミングで報告に来た。
「早ければ明日の夕刻。遅くとも明後日には執り行われるかと」
アトラスが兵を集めようとしても、王都の復興のために、各地に少人数でばらまかれている。まずは兵士を集めて武装させて出発したとしても、リデントースに着く頃には兵は疲れ切り、儀式も終わっている可能性が高い。アトラスもリデントースに派兵するのを諦めざるを得ないだろう。
しかしアトラスは頭の中で戦の算段をして決意を込めて断言した。
「我等には騎馬兵がいる。彼等なら儀式に間に合うだろう」
「しかし、ロッデルススに精強な僧兵が五百人はおりますぞ」
度重なる戦でアトラス指揮下の騎馬兵など百五十に過ぎない。ロッデルススの手先と戦って子どもを救うには兵が足りない。
アトラスは苦笑いするように言った。
「そこは何とかせざるを得まい。ゴルロースよ。神々はこういう時のためにいるのではないのか?」
アトラスが残した澄んだ笑顔にゴルロースは驚いていた。
「いったい、信仰とは? 神々とは?」
大神官長も勤めたロッデルススは、人々に降りかかる災いが神々が人々に向けた憎しみだと説き、神々に抗う悪鬼とさえ蔑まれたアトラスは、自分たちに降りかかる災いを神のせいにはしない。王と神官、どちらが神を信じているといえるのか。彼はアトラスの背を見送りながら。自分が報告を遅らせた浅はかさを恥じた。
アトラスは即座に脚をギリシャ人たちの方に向けた。ギリシャ人たちの作業に馬を貸してやると言ったが今はその余裕がなくなった。
王宮を出てすぐ、アトラスはギリシャ人たちがこの日の作業終えて寛いでいる場に足を運んで先ほどの密談の内容を素直に語った。
「すまんな、クセノフォンとギリシャ人たち。今しばらく馬を貸してやる事は出来なくなった」
アトラスの言葉は素直にギリシャ人たちの心に響いた。それ以上に、アトラスと共に戦い続けたギリシャ人にはアトラスが冗談半分のように語る内容が、どれ程、危険な状況になるかは知っていた。
アトラスはそれだけ言うと引き連れてきたレクナルスとスタラススに三頭づつの馬を曳かせて王宮に戻って言った。王宮では既にテウススが騎馬兵たちに声を掛けて出発の準備を整えているだろう。
アトラスを見送ったクセノフォンは仲間に命じた。
「我々は、森の村に戻るぞ」
「船は諦めるのですか?」
首を傾げるマカリオスにクセノフォンが断言した。
「今はそれどころではない」
一方、その王都の北西部、ロッデルススが居るリデントース神殿も混乱の最中にある。儀式を行うために生け贄の子どもたちをかき集めた。その家族が子どもたちを返せと抗議に押し寄せている。
「ええいっ、神の御心も知らぬ愚民どもめ。儀式の邪魔をさせるな。僧兵たちに暴徒どもを追い散らせと伝えよ。一人や二人、見せしめに殺してもかまわぬ」
多くの者たちを犠牲にしても、アトランティスの復活が成功すれば、犠牲を遙かに上回る賞賛が得られると考えている。
側近の一人が遠慮がちに尋ねた。
「本当に我等の祈りが神々に届くのでしょうか」
「届く。今から三十年近く前の事。巨大な地の揺れに襲われ海辺の村が海に呑まれ、イドポワの門も崩れて閉じられた」
イドポワの門というのは、今は海に沈んだ北のヴェスター国とシュレーブ国を結ぶ隘路の出口で、両側に切り立った崖があり、その様子はアトランティスの人々にとって揺るぎないものとして語り継がれていた。そんな地形すら崩し去る揺れだったということである。ただその隘路はなんとか再び開通し、その後、イドポワの門の戦いでアトラスの父リダルの戦死する場所になった
「あの折りは、私の先代の大神官長が、災厄の気配を悟るや否や即座に神々への鎮魂の儀式を執り行ったため、その後の事なきを得た。しかし、今はうち続く災厄を見ても、誰も神々への鎮魂の儀式を行おうとはせぬ。私は違うぞ。私の力でこの災厄を食い止めアトランティスの大地を取り戻してみせる」
彼は自分の言葉に酔っていた。自分が先頭に立って儀式を執り行えば祈りは届き、災厄が収まるだけではない。海に沈んだ大地もそこに住んでいた民と共に蘇る。自分は救国の英雄としてアトランティスの歴史に語り継がれる。彼は覚悟を求めるように配下の神官たちを見回して言った。
「しかし、その為には、我等も多くの血を流す覚悟が必要だ。」
「それが子どもたちというわけですか」
一人の神官の言葉にロッデルススは重々しく頷いた。
「そのとおり。何事にも汚されておらぬ無垢な魂。神々は何にも増して喜ばれるであろう」
今のこの神殿にロッデルススに異論を唱える者は居ない。すべてはロッデルススの思惑通りに進む。しかし、子どもを生け贄にすると言う事に罪悪感を感じる者たちもいる。そんな神官の一人が期待感を隠して言った。
「しかし、また、あのテウススとか申す男によって、王の邪魔が入らぬでしょうか」
「儀式は明日の夕刻。王都からここまで一日半はかかろう。王が儀式を知った時には既に終わっておるわい」
「しかし、先般のテウススの兵の動き、想像も付かぬほど早うございました。しかも、アトラス率いる兵と言えば、闇の中から突然に沸いて出るとも申します」
そんな言葉に、ロッデルススは少し考えて命じた。
「そうか。我等の僧兵は何人おる?」
「ざっと六百を少し上回るほど」
「では百をリデントースの治安維持に残し、残りは僧兵長に命じて街道の入り口に布陣させよ。ただ王の兵を見つけても積極的に打って出る必要はない。明日の夕刻の儀式が終わるまで時間稼ぎをし、明後日の夜明けと共にリデントース神殿に戻れとな」
ロッデルススの命令は即座に僧兵長グリドスに伝えられた。僧兵として、武器で神官たちを守る立場にある。ただ、武器を持たない民が起こした暴動を鎮圧した事はあっても、兵士として他国の兵士と武器を交えた経験はない。
しかし、戦の経験はなくとも任務を遂行する気で居る。それが彼等が僧兵としての責務を通じて神に仕える方法だった。
王都から東に延びる街道上、早朝に王都を発てば夕刻には到着するという位置に、ミツネルという小さな集落があり、その集落で森の中へと北に消える道を辿れば、夜更けにはリデントース神殿に至る。集落とは言え疎らに家があるだけで、見晴らしは良い。背後の森は深く、人が入れば方向感官を失って迷い、その木々は密で馬は通れない。リデントースに至るには人の背丈の倍ほどの幅の道を辿る他ない。
つまり、グリドスはこの道の出入り口とも言える場所に柵を作って、僧兵を留めておけばアトラスの行方を妨害する事が出来る。更に兵の一部。投石兵を森の中の街道に沿って伏せさせている。アトラスがリデントースに向うとなればその森の小道を通る。投石機で森の中から一斉に石を投げてもいい。
「アトラス王は兵をよこすでしょうか」
一人の僧兵の問いに、グリドスは断言した。
「来るだろうよ。ここは奴の国だ。我等に勝手気ままに振る舞われたのではたまらんだろうよ」
ただし、アトラスが儀式が執り行なわれる事を知る術がないとも考えている。神殿の周辺の家々から生け贄の子どもたちを集めたのは、昨日のこと。大騒ぎになったが、まだ王都のアトラスの耳には届いては居まい。
アトラスたちが騎馬隊の装備を調えて王都を発った頃、グリドスたちは暑苦しい天幕の中で眠りに就いた。
明くる日の早朝、馬蹄の音が近づいてきた事に気づいて西の方向を眺めた時、朝日の向かうように駆けてくる騎馬兵が見えてきた。その先頭にいる左腕のない武将がアトラスに違いなかった。
「なんとも、素早い事だ」
グレドスは配下の僧兵たちを動揺させないようにそんな冗談を言って、一人、柵の前に立ちふさがった。
アトラスは行く手を遮られているのに気づいて馬を止めた。立ちふさがった男の背後に頑丈な柵がある。人が通れる扉はあっても馬は通れない。
アトラスはテウススに騎馬隊を任せてその場に留めて、スタラススを伴って百歩ばかり先の男の前に馬を進めた。
この後の主導権を握ろうとしたグレドスが先に口を開いた。
「片腕の武人。アトラス様とお見受けいたします。何か我等にご用でしょうか?」
「そなたらの指導者が、良からぬ企みを持っていると聞いて、確かめに来た」
「良からぬ企みですと」
「そなたらが聖都でも試みようとした儀式、今また繰り返そうとしているのではないか」
時間稼ぎをしようとするグレドスがとぼけて言った。
「王は何か邪推されているのではありますまいか? 我等はロッデルスス様の配下として神々に仕える者であります」
「王に見聞されてまずい事がないと言うなら、その柵を撤去せよ。通らせてもらう。ここは私の国だ。私の民の安全を確認するのに、邪魔されるいわれはない」
一見、無駄な会話で時間を費やしている間にも、互いの状況を探り合っている。アトラスの見るところ、柵を守る僧兵は、四、五百。柵は人の背丈ほども高さがあり頑丈で、柵を除去せねばアトラスたちの騎馬兵は通れないが、それをしようとすればまずは僧兵たちのと戦闘が避けられない。
僧兵長クリドスの立場で見れば、アトラスの騎馬隊は街道の広けた場所に並んでその数を数える事が出来る。ざっと百五十。クリドスが率いる僧兵は互角以上の有利な戦いが出来るだろう。また機を見て退却を装ってリデントースに続く小道に誘い込み、そこに伏せている投石部隊に攻撃させても良い。彼には勝利までの道筋が見えていた。
クリドスはアトラスを挑発するような口調で言った。
「いや。お待ち下さい。ここがアトラス様の国だと仰るなら、神々の目から見ればここは神々の大地。神官たちに広く自治が許される土地であります。アトラス様は神々のご威光に逆らわれるおつもりか」
無駄な会話で時間稼ぎをしようとするグリドスにつきあう気はなく、アトラスは戦闘も決意して最後に言い放った。
「このアトラスが悪鬼と言う事も良く知っていよう。通さぬと言うならそなたらを切り捨てて通るのみ」
アトラスはそれだけ言い置いて、馬首を飜してテウススの元へ戻った。その傍らスタラススが尋ねた。
「どうします? 歩兵たちが合流するのを待ってはいかが」
スタラススも若いとはいえ実戦経験は豊富で、このまま戦闘に突入すれば不利な状況になるということは分かる。馬で突撃しても柵を破る事は難しい。敵は投石機をこれ見よがしに見せつけていた。柵の前で立ち往生していれば、柵の向こうから石で攻撃するぞという脅しである。百五十の騎馬隊など、一度の攻撃で壊滅するだろう。
アトラスもそれは承知だろうが、決断した。
「それでは儀式に間に合わぬ。柵に火をかけるぞ」




