民とともに
アトラスは会議室に大臣ライトラスを始め、宮殿の主だった者たちを集めた。エリュティアも会議に加わる事を望んだ。円卓の上座にはアトラスとエリュティアが並んで座り、十数人の重臣たちが円卓を囲んで座った。こうしている間にも火災はの残り火はくすぶり続け、人々をあざ笑っているようだった。
この席に姿のないスタラススとレクナルスはそんな町の状況を調べさせに遣わしている。近習の中でアトラスの元に残ったテウススは、アトラスとエリュティアの背後を守るように壁際に立ったまま、会議室全体を見回していた。
郊外の駐屯地の兵士たちには避難民の救出や誘導を命じてある。今のアトラスに出来る事はそれしかなかった。元々の住民に加えて、災厄から逃れてきた流民他とも加えて、この王都には七千か八千の民が生きていただろう。
今の王宮の敷地に迎え入れた避難民は一千に満たない。この時点でアトラスたちが救えたのはたったそれだけである。
アトラスはため息を抑え、主だった者たちの顔を眺めて、出来るだけ希望を込めて言った。
「まずは家を失った者たちを収容する場所を提供し、その者たちに食糧を与えながら復興を手伝ってもらおう」
「では、この王宮に迎え入れるので?」
大臣ライトラスの問いにアトラスは即座に構想を語った。
「いや。もっと広い場所がいい。王都の北西の外れはどうだ。荒れ地だが、森の泉から流れる川がある。水場があり、この王宮の食料庫から食糧を運ばせれば、しばらくは耐える事が出来よう」
重臣たちが忘れていた事だが、確かに王が語る地形がある。遠い島国生まれの王だが、今では誰よりこの大地の地形を知っていた。
エリュティアが言った。
「怪我や火傷で苦しむ者たちも多いはず。薬や包帯、薬師の手配もぬかりなく行いましょう。必要ならば、私が侍女たちを連れて怪我人の介護に参りましょう」
重臣たちが考え、実行していかなくてはならない事が、王と王妃の口からすらすらと指示となって流れた。アトラスは実戦を重ねて地形に気を配る癖が付いていたし、エリュティアは長い聖都包囲戦の中で負傷者や流行病の病人の介護の経験があった。
重臣たちにとって彼等が仕える主は頼りになる。そう感じた時、重臣たちにも絶望の中で希望が湧いてくるようだった。
町の視察に出ていたスタラススとレクナルスが戻って告げた。火災の炎はなんとか収まって来たという。王宮や神殿など石組みの建物が焦げて残っているだけ。王都は燃え尽きた。
アトラスが立ち上がって言った。
「では、後の事はそなたたちに任せた。私が王宮に避難した民を導いて行こう」
王宮にいる民と共に、移動しながら見つけた被災者を収容しつつ目的の荒れ地まで誘導するという。
「いえ、私が……」
エリュティアはそこまで言って、いつの間にか背後に歩み寄ってそっと肩に手を掛けたテウススに気づいた。テウススは振り返ったエリュティアに、肩に触れた非礼に軽く頭を垂れて謝罪し、微笑んで首を横に振って見せた。
エリュティアはテウススの意図を察した。今は、アトラスに任せる時だった。
アトラスは王宮に収容した民を眺めた。男、女、老人、子ども様々な者たちが不安げに王を眺めた。中にはあからさまにロッデルススの名を呟いて、神官たちなら頼れるのにと不満を漏らす者も居た。
アトラスはそんな者たちに語りかけた。
「そなたたちは、既に戦で焼けた王都を再建したではないか。今度はもっと立派な町を作ろう。その為には、郊外にそなたたちが住むところを用意させる。まずはそこへ移動せよ」
アトラスの言葉に一人の老婆が不安げに尋ねた。
「この王都を捨てるのですか?」
彼女がその人生と共に長く住んだ町を離れたくはないというのだろう。多くの者たちがアトラスに反感を滲ませ、彼女に賛同するように頷きあっていた。
アトラスはそんな民の心を否定するように首を横に振って言った。
「いや、違う。まずは瓦礫を片付け、亡くなった者たちを葬る。その後、新たな土地に新たな町を築くのだ。そなたたちの手で」
アトラスの言葉に、民の中でもひときわ体格のいい男が、背景の町を振り返るように元気なく言った。
「この有様をみて、もう、誰にも、そんな元気など残ってはいませんや」
アトラスはそんな言葉に耳を傾ける気はないと言わんばかりに声を張り上げた。
「さぁ。行くぞ」
そのかけ声で民はゆるゆると歩き始めた。しかし、それはアトラスを信じてついていくというわけではなかった。本来は弱った民を補佐する目的で同行させた兵士たちに追い立てられてやむなく足を運んでいる。そんな様子は自分の意志を持たない捕虜か奴隷の集団のようだった。
希望を失った者たちはアトラスが連れている者たちだけではない。彼等が歩く道すがら焼け残った我が家に戻って絶望で泣いている者たちも多い。アトラスたちはそんな人々を一人、また一人と吸収しながら 膨れあがっていった。アトラスは馬に乗って集団の前から後ろまで、行ったり来たり繰り返して民に声をかけ続けていた。
「元気を出せ。我等は生きて居るではないか。未だやり直せる」
そんな言葉も絶望した民の心に響く事はなく、むしろ黙っていてくれと言う不快感が民の表情に浮かび始めていた。
そんな不満をまず漏らしたのは、王宮で元気など残っていないと放言した体格の良い男だった。
「王は神々のように我等を見下ろして話しをされる。でも、俺たちは人間だ。冥界の神に抗う術などねぇ。ただ逃げ回るだけだ。貴方とは違うんだ」
「私はただの人間だ。そなたたちと同じ。私の願いを運命の神に伝える術もなく、冥界の神に抗う力もない」
力のなさを認めるアトスに一人の老人が尋ねた。
「では、王は我等を救う事など出来ぬと言う事ですか?」
「神々は自ら出来ぬ事を、私に求めるだろうか? 私は人として出来る事はする。それだけだ」
アトラスの言葉に別の若い女が尋ねた
「神々はそれでご満足されるのですか」
「神々とは見守る者。何も裁かず、なにも見返りは求めぬ。私はそう信じている」
民の集団の中、もう誰が声を挙げたのか分からない。誰かの声が問うた。
「では、王を頼れず、神にも頼れない、人は何に頼ればいいのです?」
「自分自身を頼り、隣人を信じて頼れ。私もそうしている」
「では、神はどうなのです? 人と神は、どう関わっているのでしょう?」
「私がアトラスとしての生を全うし、静寂の混沌で神々に相まみえた時、『私はただの人間だが、精一杯、限りある命を生きたぞ』と胸を張って自慢したいのだ。むろん神々から見れば、その程度の事は取るに足りないだろう。しかし、神々は母が子どもの自慢話でも聞くように、微笑んで聞いてくださる。私が神々を喜ばせる事が出来るとしたらそれくらいのものだ」
民は王と言葉を交わしながら感心していた。人々にとって王がこれほど身近な存在だと感じた事はなかった。旧シュレーブ国民の彼等にとって国王と言えば未だにジソー王の印象があり、民と隔絶した高貴な存在だった。しかし、今、彼等に君臨する王は全く違うらしい。
(これが、ルージ国の王なのか)
未だ良く理解できないものの、民はそう考えて納得するしかなかった。一方、近習のスタラススやレクナルスは、普段は無口なアトラスの雄弁さに驚いていた。
アトラスの立場で見れば、民に声を掛けざるを得ない立場になった。しかし、こちらかに言葉をかければ、感情が乗った民の言葉が返ってきた。それは彼を悪鬼と憎み蔑んで拒絶してきた民の感情だった。アトラスはそれが民の不満であったとしても心が通う心地よさに酔ったのかもしれない。
郊外に近づくにつれて家々もまばらになった。中央に井戸がある倉庫街の広場を抜けると町の外である。聖都への巡礼者や行商人は、この広場で開かれる露店市で携行品を買い求めて旅立つ。王都に税を運んできた者たちは、ここで農産物や海産物を役人に引き渡す。ここにはそんな商人や役人が様々に使う倉庫が立ち並んでいた。
そんな石組みの倉庫も、中にあったものを押しつぶすように倒壊していた。その傍らで倒壊しているのは倉庫番が住む小屋だろうか。
歳は二歳か、三歳。幼い少女が赤児を抱いて崩れ残った倉庫の石組みの壁に向き合って何か叫んでいた。この地の揺れと火災の中で親とはぐれた幼子に違いない。
アトラスはスタラススとレクナルスに目配せをした。大地の揺れは断続的に続いていて少女が向き合う壁が崩れたら、幼い彼女の体は潰されてしまうに違いない。
スタラススたちは良く察して、少女に駆け寄って彼女が向き合った瓦礫から引き離して連れて戻った。
アトラスに文句を言い続けている体格の良い男が、その少女の一家を知っていた。
「それは倉庫番夫婦の娘と赤児でさあ」
この時、大地が揺れていくつかある倉庫の倒壊が更に進んで、もはや原形を留めないほどになった。少女が驚いて再び瓦礫に駆け寄った。
「お父さん。お母さん」
その叫びでアトラスたちは状況を察した。住んでいた小屋から頑丈そうに見えた石組みの倉庫の中に避難したものの、その倉庫でさえ倒壊する気配を察知して子どもを逃がした。夫婦は逃げ遅れて瓦礫に埋もれたと言う事だろう。可哀想だが、今回の王都が被った被害の中で、愛する人と死に別れた者など数えきれない。
しかし、アトラスはふと気づいて瓦礫に駆け寄って耳を澄ませ、手を振って静かにせよと命じた。
「女の声がする。まだ生きているようだ」
振り返って言ったアトラスの言葉に、率いられていた民は複雑な表情で状況を見回した。瓦礫をかき分けて中に入れそうな隙間がある。しかし、そこに入ろうとすれば、少女が向き合っていた手前の瓦礫を取りのぞかねばならない。微妙な釣り合いを取っている瓦礫の一部に手を掛けただけでも全体が崩れそうな気配がある。崩れれば中に入ろうとする者は潰されてしまうだろう。仮に中に入る事が出来ても、次に地の揺れが起きれば崩れて中にいる者を押しつぶす。
振り返ったアトラスは民の姿が目に入った。王都を壊滅させる大地の揺れと大火災からようやく生き延びた人々には、諦めの表情しかなかった。民に瓦礫の中の夫婦を助け出せと命じるのは無理だった。彼は再び瓦礫と向き合った。
人々はアトラスの意図を知って息を飲んだ。スタラススとレクナルスはそろって声を挙げた。
「王よ。私が行きます」
「お前たちは、その子を離すな」
少女に瓦礫の中に入ってこられては、事態はもっと難しくなるという。アトラスはそれだけ言って手前の瓦礫をそっと取り除いて、中腰になればくぐり抜けられる隙間からその奥へと姿を消した。
民はいつ崩れ落ちるか分からない瓦礫から身を守るために距離を置いていたが、皆立ち止まって成り行きを見守っていた。息詰まる時間が過ぎた。やがて女を背に乗せたアトラスが這うように姿を見せた。
喚声や拍手の僅かな振動でさえ、瓦礫を崩れさせるのではないかと感じられる中、人々は歓声を上げそうになる口元を抑えて安堵のため息をつく事しかできなかった。
アトラスは瓦礫の隙間から這い出しながら言った。
「父親の方は死んでいた。母親の方は地下室への階段を転げ落ちて怪我をしていたが、命は無事だ」
この時、再び大地が揺れた。太い柱が倒れて、アトラスと女をつぶしかけた時、太い腕が力強く柱を支えた。アトラスに文句を言い続けていた男だった。更に民の中から数人の男が駆け寄ってきて、アトラスに代わって女を背負って瓦礫から離れた。
アトラスの助け出された女は、広場の井戸の側に運ばれて、別の女たちの手当を受けていた。彼女は駆け寄ってきた少女とその腕の中の赤児を抱きしめて、愛する者が生きていた喜びに涙を浮かべた。ふと、少女は母親の胸から顔を上げて何かを探す素振りをした。人々は察した。彼女は父親の姿を探し求めているのだろう。
アトラスが少女の前に片膝をついて向き合った。その光景を眺めた人々は、王が少女にお前の母を助けてやったと語るのだろうと想像した。しかし、違った。アトラスは両腕を広げて赤児と少女と母親を一緒くたに抱きしめて謝罪した。
「すまなかったな。そなたたちの父親を救ってやる事は出来なかった」
「お父さんは? お父さんはどうなったの?」
そう問う少女の頭を母親は胸に強く抱きしめて、自らの悲しみの涙を抑えた。アトラスは負傷で歩くのが困難な母親を、子どもたちと共に馬に乗せてその手綱を曳いた。レクナルスとスタラススもアトラスを真似て、疲れた老婆や子どもたちを馬に乗せた。やや離れて眺めれば、アトラスや近習たちは民と呼吸まで合わせるように溶け込んでいた。
北の森からクセノフォンが十数名の仲間と共にやってきた。目の前に未だに燻って立ち上る煙が見える。王都が大きな被害を被ったことは間違いがない。そんな王都から兵士たちに護衛された民の集団がやって来るのが見えた。被災者の集団だろうという想像が付いた。
一刻も早く王都の宮殿でアトラスと面会せねばならないと考えた時、そのアトラスの声が響いた。
「おおっ。クセノフォン。そなたたちは無事であったか」
クセノフォンがその声の方向を確認してみれば、民に溶け込んで母子を乗せた馬の轡を曳く馬方がアトラスだった。彼は慌てて駆け寄って報告した。
「幸いにして、倒壊した家も僅か。残りも修理すればなんとか元の生活が取り戻せるかと」
「それは良かった」
「しかし、この王都の酷い有様……」
「そなたたちの手助けも頼まねばならない」
「なんなりとお申し付け下さい」
アトラスは声を張り上げて民に語りかけた。
「皆、聞いたか。ギリシャ人たちが、我等の町の復興に協力してくれるぞ」
その言葉を噛みしめる一瞬の間を置いて、民の中から歓声が沸きあがって広がった。それは全てを失った絶望の中で再び生き続ける事が出来るという希望だった。大人たちの歓声に誘われた子どもたちも、希望を取り戻した大人たちに自分もまた喜んで喚声を上げていた。
「おっ、おぉぉぉぉぉぉぉぉ」
ふと眺めれば民の歓声に煽られたクセノフォンが、わき上がる感情を表現する言葉もなく、拳を天に突き上げて、わき上がる希望を吐き出していた。釣られて他のギリシャ人たちも喚声を上げた。何故、この絶望の中で喜びが湧くのか考えても理由が分からない。ただ、この状況の一部であると言う事が心地良い。
そこには、アトランティス人とギリシャ人を隔てる壁は崩れ去っていた。
アトラスは笑顔で言った。
「いや。それだけではないぞ」
「と申しますと?」
「王宮の邪魔な壁は崩れた。町の瓦礫を片付ければ、船の道が出来る。あの船を王都の外へ出す事が出来るぞ」
ギリシャ人たちにとって、消えていた希望の光が再び灯った。




