人の調和
この日の朝、王都の人々は、闇の中で大地の揺れで目を覚ました。うち続く地の揺れに慣れきった人々にさえ、恐怖を感じさせる激しい揺れだった。この世界の理を知らない赤児でさえ、母の愛情に満ちた柔らかな腕の中であやされる感覚と、冷酷に体を揺さぶる地の揺れの冷酷さに、その違いを感じ取って泣き叫んだ。
この頃になると、人々はうち続く大地の揺れが、破滅の足音だと確信を持ち始めていた。小さな揺れも大きな揺れも、どこかの地が海に沈んだ知らせ。間もなく沈んだ土地でほんの僅かに生き残った幸運な者たちが、着の身着のままの流民として王都に姿を見せて、その時の恐怖を伝える。
そんな中、ロッデルスス一団の勢いは増しつつ王都に接近し神官勢力と王権の衝突の危機は迫っていた。
夜明けを迎えた王都では、この国の神殿や神官を束ねる王都の中央神殿で、大神官長ゴルロースはロッデルススが発した使者との面会が始まっていた。
「何だと。もう一度、言えっ」
ゴルロースは怒鳴るような口調でそう言いながら、自分の権威を配下の神官たちに示すために、面会の場に広間を選んだ事を後悔した。ロッデルススとの使者との会話は居並ぶ下級神官や巫女たちにまで筒抜けだが、今更、場所を変える事も出来ない。
使者はロッデルススの権威が乗り移ったかのような尊大な態度で言った。
「神の啓示を受けたロッデルスス様が、この地、この神殿で、民に神の教えを説くとのことであります」
「それは、私に王都の神殿を明け渡せということか」
怒りを見せた大神官長ゴルロースに、使者は平然と言った。
「明け渡すというのではございませぬ。神官として神に近しい者が頂点となって神職に就く者たちを統率し、民を導くのが当然の事と考えますがいかが?」
「ロッデルスス殿が、私より神に近しいと?」
「ロッデルスス様が聖都を脱出して危険を逃れよという神の啓示を受け導いてくださいました。その結果、我等ロッデルスス様に付き従う聖職者は命を長らえております。このような神の啓示を受ける方が、神に近しいというのは当然の事」
使者の言葉に、ゴルロースは皮肉で答えた。
「私は民を救う者が、神に近しいと思うのだがどうか?」
ロッデルススが聖都にいた民は救わず見捨てた。もし、それが神の啓示だ主張するなら、もはや神官として人を導く事など出来まいと言う事である。使者はそんな皮肉を無視して言った。
「ゴルロース様には、ロッデルスス様の手足として重用する事を約束してやると」
「私を手足のようにこき使うだと。ロッデルスス殿は、なにを考えておられるのだ」
「私など未熟者には分からぬ事です」
「未だ間があろう。準備を整えて、こちらからロッデルスス様に使いを出すと伝えよ」
ゴルロースはそんな時間稼ぎの返答を与えて使者をを追い返した。
ゴルロースは複雑な思いで考えていた。
(シュレーブ国の時代の記憶が入り交じって、何やら大きな勘違いをされているのでは)
聖都が、神帝を頂点としてアトランティス九カ国の上に君臨したのは事実だし、神帝の諮問機関として六人の最高神官からなる六神司院が存在した。しかし、それは聖都の下に各国が平和に平等に集うという政治の仕組みにすぎない。
聖都の神官組織が、各国の神官組織の上位に位置して命令を下すという事はないはずだった。ロッデルススが聖都の神官の指導者なら、ゴルロースは旧シュレーブ国から連なるルージ国の神官組織の指導者だった。
対等であるはずの者から命令される不快感ではなく、誰より祭祀に明るいロッデルススが、まるでそれを忘れたかのように振る舞うのに違和感を感じていた。正常な人としてその心情を読み解きがたい。
しばらく時が過ぎた。王宮では、アトラスが帰還を果たしたテウススを謁見の間で出迎えていた。聖都の神官の横暴から民を守るために、彼を聖都を監視できる位置に派遣していた。しかし、聖都が失われ、ロッデルススの集団が王都に接近している状況なら、王都に呼び戻して王都から監視を続けさせようという判断だった。
剣を抜くことなく、敵か味方かも知れぬ相手から民を守る。その精神的な重圧はテウススだからこそ耐える事が出来たのだろう。重臣たちの前で彼の苦労をねぎらってやらねばならない。同時に、密室ではなく重臣たちが集う場で、共にロッデルススに関わる状況を聞く。
アトラスは王座から立ち上がり、テウススに進み寄ってその手を握って笑顔を浮かべた。
「ご苦労だった」
「いや。リシアス殿とその母御こそ、功労者でしょう。特に母御のレスリナ様はリシアス殿の代理としてロッデルススに面会し、民に危害を与えぬよう交渉もなさいました。私などにとうてい出来ない事です」
リマルダの地の幼い領主とその母は、その領地で生きる民を守るために手を尽くした。テウススがリマルダの地を騎馬隊を率いて縦横に駆けめぐる事が出来たのも、その二人の支援があったからである。アトラスはその功労者の姿を探すように辺りを見回した。
「リシアスの姿が無いようだが」
「共に王宮に参ってご報告をと誘ったのですが、自分にはまだマリルダに留まって民の世話をしなければならないのだと」
テウススはリマルダの幼い領主の生真面目さを愛でる表情で言い、アトラスも同じ笑顔で応じた。
「父親のガルラナス譲りの頑固者の小さな領主様だな」
彼が王宮に顔を見せていれば、エリュティアの良い話し相手になってくれたかも知れない。しかし、謁見の間に笑顔が見られたのはこの時まで。
ロッデルスス一行の動向を直に眺めてきたテウスス自身の言葉は、報告を記載したスクナ板百枚以上の現実味でその様相を伝えた。
「では、村人は無理に連れ去られたわけではないのだな」
大臣ライトラスの疑問にテウススが答えた。
「神官たちが村人たちを強引に連れ去っていたのなら、私もリシアス殿もそれを許しませぬ。しかし、神官どもについて行こうとする村人たちを制止しようとする我等が、村人たちから無信心者と罵声を浴びせられる始末です」
「そうか。神官どもめ。不安に付け込んで、民を操ってあるのか」
「一番やっかいな相手ですな。何か仕掛けねばならないが、それをすればこちらが悪者になる」
大臣ライトラスの言葉にアトラスが応じた。
「はっきりとわかったことがある。奴らが王都に入ってくれば、その混乱は収拾が付かない」
「さすれば、いかがされるおつもりで」
「私は武人だ。敵陣に真っ正面から切り込み、敵の前衛を打ち破り、本陣に突入して敵将を討ち取る。私にはそれ以外の方法は知らない」
「では、いよいよ血を流す争いになるのですか」
「奴の目的が何であるにせよ、その目的を我等に伏せているのは、奴らが我に敵対も辞さぬと言う事であろう」
アトラスが哀しげにそう言った時、一人の侍従が足早に謁見室に入ってきて、アトラスに来訪者の名を告げた。アトラスは即座に命じた。
「すぐにここへ呼べ」
大神官長ゴルロースが久々に王宮に姿を見せたという。この国の神官を統率する立場であると同時に、神職の立場から王に進言するために、王宮には大臣同様に彼の執務室があるのだが、ここの所、中央神殿に引きこもって姿を見せていない。
アトラスは姿を見せたゴルロースに冷たく言い放った。
「ゴルロース、久しいな。今日は何用だ?」
「何用かとは、情けなや。本来ならば、私もここに列席し、意見を述べるべき立場でありましょう」
「わかった。何かあるなら言え」
「今朝方、王都の中央神殿にロッデルスス殿からの使者が参りました」
大神官長ゴルロースが言及したのはアトラスたちが今、最も気がかりな人物だった。
「その使者の用件は?」
「自分が祭祀を執り行う故、私には大神官長の座を譲れと」
「譲って欲しいというなら譲ってやればどうか」
アトラスの冗談に、大神官長ゴルロースは生真面目に答えた。
「気がかりな事が一つ。ロッデルスス殿はシュレーブ国歴代の大神官長の中でも、最も聡明で祭礼や神殿の仕来りについて詳しいお方。その方がまるでその作法を忘れてしまったかのような申し出。困惑しております」
ゴルロースが困惑する様子に、テウススが思いだしたように口を開いた。
「そう言えば、レスリナ様も……」
「何かあったのか」
「ロッデルススと面会した折りに、良く知っているはずのガルラナス殿の事を忘れていたり、話しが空回りしたり、意図的に話題を逸らしているのかと勘ぐるほどだったとか」
「しかし、そうではなかったと?」
「ロッデルススがロッデルススではない、何か異様な雰囲気だったそうです」
「どういう事でしょう」
ジグリラスの疑問にアトラスも首を傾げた。
「わからぬ」
そう言ったアトラスに、大神官長ゴルロースは提案した。
「では、私が出向いて、ロッデルスス殿の意図を確かめて参りましょう」
「どうする」
「帰れと申しても帰る場所はありますまい。さすれば、リデントースに留めてはいかがかと」
「リデントース?」
アトラスの疑問に大臣ライトラスが答えた。
「王都から北東へ半日。昔はシューレーブの地の神官を統率する中央神殿があり、民の信仰の中心でもありました」
歴代のシュレーブ国王が支配地を広げて、現在の王都を築くとき、王の権威の中心であると同時に信仰の中心地にしようと、当時はリデントースという町にあった神殿をこの地に移して王権と信仰が両立する町にとして発展した。
リデントースは街道から離れ、信仰のみに支えられる町であったが故に、今は訪れる者もなく、寂れた町には残された神殿を管理するだけの十数人の神官が居るだけ。
ただし、元はシュレーブ国の信仰の中心都市で会った名残はあり、聖都の神官や巫女を収容し生活させる建物はある。
アトラスはそんな事情を聞きながら頷いていた。不都合な存在を一カ所に留めておけるのは都合が良い
ただその前に確認しておきたい。
「ゴルロースよ。そなたにとって不都合な事もあろう。何故そのような申し出を?」
黙っておけば有利になるに違いない内容をどうして反目するアトラスに伝えたのかと言う。アトラスの問いに、ゴルロースは正直に言い放った。
「アトラス様と私は、時に反目する関係です」
王を前にあまりに正直な物言いに驚きを見せたアトラスに、ゴルロースは密かにほくそ笑んだ。これで、この王もエリュティアに驚かされた自分と同じ気分を味わったに違いない。
ゴルロースは笑いながら言葉を続けた。
「エリュティア様の素直さは最強です。それは神の純真さにも通じるかと。そのエリュティア様が、私事の感情と、この大地の上で生きる者たち全てのことは分けて考えなさいと諭してくださいました」
アトラスは思わぬ回答に拍子抜けしたように肩をすくめて言った。
「分かった。では、この後の事、そなたに任せよう」
「御意」
頷くゴルロースに、アトラスは目つきを鋭くして決意を語った。
「ただし、私が悪鬼だと言う事も伝えておいてくれ。私は必要だと思えば、剣を抜く事も辞さぬ」
アトラスの言葉に頷いて、ゴルロースは一礼して謁見室から立ち去った。即座にロッデルススの所へ出向きたいと言う事だろう。
その後ろ姿を眺めたジグリラスが尋ねた。
「あれで良いのですか」
「良いかとは?」
「ゴルロースに任せる事。彼はロッデルススに重用されて大神官長になった男。恩義を感じているでしょう」
スタラススもジグリラスに同意して言った。
「その通り、信用して良いものかどうか。再考された方が……」
「我等に協力するふりをしながらロッデルススに通じているのやもしれませぬ」
アトラスが見渡したところ、この広間に集う主だった者たち全てが、頷いてい二人の発言に同意しているように見えた。
アトラスという人物は大胆という印象の反面、その精細な感性で様々な状況を図りながら判断を下してきた。その慎重さが今までのアトラスの運命を切り開いてきたと言える。しかし、この時のアトラスはただの思いつきのように気楽に決断を下したように見える。
この広間に集う重臣たちの首を傾げる雰囲気には、彼の決断の理由を説明せねばならない気になる。
「私もエリュティアの素直さに学ぼうと思ったのだ。あの偏屈なゴルロースさえ学んだのだ。神の御利益もあるぞ。エリュティアの素直さが一番だ」
アトラスはそう言って笑い飛ばして誤魔化した。誤魔化すしかない。今のアトラスに自分の心情をしっかり説明する事は出来なかった。ただ、ぼんやりと暖かな希望を感じ取りながら呟いていた。
(静寂の混沌か)
アトランティス人の心の拠り所で、万物は死んでその世界の調和の一部に戻るという。しかし、アトラスは残念な思いも抱いていた。
(人々の名も消える)
この世界で懸命に生きた人々の人生も、生きた証すら残さず融けて拡散して消える。
(私たちがここで懸命に生きた証を残したい)
そう考えた時、エリュティアの姿が、一つの可能性のようにも思えた。
(この世界で、例え敵同士であったとしても人と人が思いを一つにするものがあれば、世界の調和をなすことも、できるのではないだろうか)
僅かな希望だが、アトラスたちに残された命の時間は短い。




