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滅亡への混乱と希望への光

いつものごとく、

アトランティス人の言葉の会話は、「…………」

ギリシャ語の会話は、【…………】で表現してます。


聖都シリャード、アトランティス人の信仰の中心地が消滅した。エリュティアはそんな知らせを伴って神殿に赴いた。

 訪問を告げる先触れの使者を出して、相手にそれ相応のもてなしの準備をさせたり、高貴な女性が屈強な男が担ぐ輿に乗って移動するのが、旧シュレーブ国の通例だった。しかし彼女は侍女二人を伴っただけで、神殿までの道のりを自らの足で歩いた。今は伝える内容の深刻さを民に広げないよう、侍女とともに地味な衣装を身に纏い、深くフードをかぶって身分を隠している。


 エリュティアの突然の訪問は神殿の神官たちを驚かせた。とりわけ、訪問を知った大神官長ゴルロースの驚きは大きい。

「何、エリュティア様だと?」

 何かの用があってきたに違いないが、その目的に心当たりがない。他に聞かれてはまずい話しかも知れない。ゴルロースは彼女を神殿の奥まった部屋に案内するように命じた。

 ゴルロースは部屋で人払いを命じ、案内されてきたエリュティアもそれを悟って、二人の侍女に部屋の外で待つように命じた。部屋の内と外が分厚いカーテンで仕切られた密室になって、小さなテーブルを挟んだ二人の会話が始まった。

 エリュティアの言葉は分厚いカーテンに吸い込まれるように外に届きはしなかったが、ゴルロースの驚きの声は壁に反射して、カーテン越しに漏れだすほど。

聖都シリャードが海に没したと?」

 ゴルロースたち神官にとって、彼等の信仰の中心が崩れ落ちたと言う事である。伝えたのがエリュティアでなければ、彼等にとって受け入れがたい出来事だったろう。

 エリュティアは驚きで立ち上がったゴルロースが心を落ち着けて再び椅子に座るのを待って、眉を顰めてその経緯を語った。

「先ほど、リマルダにいるテウスス殿が現場を確認して早馬で知らせてきました。繰り返す地の揺れで倒壊の進んでいた聖都シリャードが、新たな揺れで崩れて瓦礫になったばかりか、残っていた者たちと共に海に沈んだと。今は南に海原が広がるだけで、そこに続く街道が無ければ、聖都シリャードがあった事も分からないほど、完全に消え去っていたと。聖都シリャードの中にあったシュレーブ王の館のハントス殿たちの消息も途絶えました」

「ハントス殿も、聖都シリャードと共に海に沈んだと?」

 ゴルロースの言葉にエリュティアは沈痛な面持ちで頷いた。

「おそらくはその通りかと……」

 エリュティアの返答に、ゴルロースはロッデルススたち神官はどうなったのだろうという当然の質問をしなかった。エリュティアは困惑するような表情を浮かべただけで、その疑問を口にしなかった。

 ゴルロースは話題を変えた。

「何故、アトラス様がエリュティア様にそのような知らせを私たちに伝えさせたのですか?」

 聖都シリャードが海に沈んだなどと言う重要な情報を真っ先に掴むとすれば、王であるアトラスに違いない。ゴルロースに伏せておいて、彼が知らないうちに中の事を進めて、その次に起きる神官たちの混乱に付け込んで有利に事を運ぶ事も出来たはずだが、それをしなかった。その理由が分からないでいる。

 エリュティアは素直な笑みを浮かべて言った。

「我が夫は、ゴルロース殿と敵対する関係。でもこれはこの大地に生きる者全てに関わる問題でしょう」

 素直で生真面目な物言いに、ゴルロースは苦笑いをしてその関係を否定せずに尋ねた。

「だから、私にもすぐに知らせたと?」

 エリュティアはうなづいて、幼い娘が父におねだりでもするような素直な笑顔で言った。

「出来れば、この知らせの見返りを」

「見返りですと?」

「ロッデルスス殿が神職にある者を連れ、民を巻き込みながら西へと向かっているとか。何を意図しているのやら、ご存じなら教えていただけませんか?」

 聖都シリャードが海に沈んだと聞いた時、ゴルロースは彼が気に掛けるべき人物の消息を尋ねなかった。つまり、聖都シリャードが海に沈む前にロッデルススがそこを離れたことを知っているということである。

 言い逃れも出来ず口ごもりかけるゴルロースにエリュティアは言葉を継いだ。

「我が夫は民の心の平穏を守るためなら戦いも辞さぬ覚悟です。何かの誤解があってロッデルスス様との争いになり、民が巻き込まれては大変です。我が夫はそれを心配しています」

聖都シリャードの外に布教活動を広げるつもりだという知らせは受けておりますが、その後の事までは……」

 彼の言葉に、何か隠しているのではないかと疑う様子もなく、彼女は素直に言った。

「そうですか。では、これからもお互いに民のため力を尽くせるように勤めましょう」

 彼女はそれだけ言い終えて立ち上がって一礼すると、ゴルロースの挨拶も待たず部屋を去って行った。


(面白いお人だ)

 ゴルロースはエリュティアの後ろ姿を眺めてそう考えていた。彼はアトラスと密かに敵対する間柄で、アトラスに隠しておかなければならない事柄もある。しかし、エリュティアと言葉を交わしていると、彼女にだけは隠し事をしてはならないという気にさせる。


 恩を売ろうとしないエリュティアに対して、ロッデルススはゴルロースに過去の恩返しを彼にちらつかせて求めてきた。活動を聖都シリャードの外に広げるので配慮するようにと、命令にも近い内容の通達だった。

 ゴルロースは長くロッデルススに仕えてその野心的な性格をよく知っていた。旧シュレーブ国の大神官長の地位をゴルロースに譲り、アトランティス全土の神殿組織を統轄する聖都シリャードへと仕事の場を移した。しかし、そこは最高神官ロゲル・スゲラと呼ばれる六人の神官が取り仕切る世界だった。シュレーブ国の大神官長という経歴も認められないまま、下級神官同様に扱われたロッデルススは、その苛立ちで野望を歪んだ方向にこじらせてしまったのだろうとも想像していた。

 今のゴルロースにはロッデルススの歪んだ野望が読めない。彼は小さく呟いた。

「しかし、ロッデルスス殿は、何をお考えになっているのやら」


 数日後。そのロッデルススたちの様子は、日々、テウススやリマルダ領主から早馬で王都パトローサアトラスの下へと伝えられて来た。

 この日は王宮の会議室で大臣の息子ジグリラスが、その報告の内容に吐き捨てるように言った。

「腐れ神官どもが。下着を身につける事も忘れたか」

 ロッデルススたちの集団は人数もふくれて、各地の村で宿泊する事もかなわず、荷車に幾張りものテントを積み、それを毎夜の宿舎として民にも提供しながら移動を続けているという。そんな集団の中、毎夜、神官や巫女が酒に溺れ、性が乱れて、神官が災厄から救う功徳を与えると称して村の女を抱いたり、巫女が裸体で男をあさったりする光景が繰り広げられているという。

 もともと、聖都シリャードとルードン河を挟んで南にあった集落がマグニトラと呼ばれる歓楽街で、渡し船に乗る神官たちが娼婦を買いに行くというのは公然の秘密だった。そう言う下地のあった神官たちが、聖都シリャードという枠から解き放たれて本能を露わにしているのではないか、というのが重臣たちの見立てだった。

 ただ、アトラスの見立ては少し違った。

「神官たちですら、いや、神職にある者だからこそ。神の加護を失った事に気づいて、災厄の恐怖におののき、一時の快楽に溺れているのではあるまいか」

 神に仕える者が神の支えを失って混乱を深めているのでは無いかという。彼等の行動の規範だった信仰も失って、死の恐怖からの逃げ場に酒や一時の快楽を求めているという。

 ライトラスが言った。

「とすれば、ロッデルススの統率力も落ちて居ると言う事でしょうか?」

 本来は民を導くべき神職にある者たちが酒と快楽に溺れ、統率者足るロッデルススにはそれを正す能力もないということか。

 その言葉に、アトラスは武人としての見解を語った。

「いや。奴の策略やも知れぬ」

「策略ですと?」

「私たち武人は、大事な戦の前に兵にはたらふく食べさせ、時に酒を飲ませる事もある。そうやって兵の士気を鼓舞しているのだ」

「アトラス王の兵に食べ物が、ロッデルススには神官に女を与えようと言う事になるのでしょうか?」

「ふと、そう感じただけだ。違うかも知れぬ。真実はロッデルスス心の中にのみある」

 アトラスはそう言って肩をすくめて見せた。聖都シリャード六神司院ロゲル・スリンに支配されていた時は、六人の最高神官ロゲル・スゲラの思惑が欲望と絡み合って動きが読みにくかった。しかし、今の集団はロッデルスス一人の意志で動くなら、その動きも読みやすい。

 王の傍らにいたスタラススは、アトラスがちらりと見せた切ない表情を見逃さなかった。アトラスは悪鬼ストカルと憎まれ蔑まれながら戦い抜いて、ようやく平和を手に入れた。しかし再びその運命に立ち戻る決意を固めたのだろうか。そしてアトラスという人間は、自分の手を汚さず他人の手を汚す事はしない。手を汚す時は自らの手を汚す。ロッデルススと争いが避けられぬとなれば、アトラス自身が手を下し、その罪を背負うに違いない。

 スタラススが声を掛ける間もなく、アトラスは言葉を継いだ。

「ロッデルススは、神の化身を偽って、私を悪鬼ストカルとして憎しみの対象にしようとするだろう。民の不満は私に向く。そうやって私を貶めて、民から偽りの権威を得ようとするだろう」

 大地が海に沈むあらがいきれない混乱の中で、民の信頼を失うアトラスは心の安寧をもたらす事は難しくなる。

 大臣ライトラスが重々しく尋ねた。

「では、我等はどうすればいいとお考えで?」

 アトラスは確信を込めて言った。

「我々にも、民にも、エリュティアが居る。彼女に寄せる民の信頼は濁りのない本物だ。決して揺らがぬ」

 この時、彼等の足下を振るわせて地が揺れた、彼等の無力さをあざ笑う冥界のエトンが腹を抱えて笑っているようにも思えた。この時にも、大地のどこかが海に沈んだのかも知れない。

 しかし、アトラスたちは漠然とした不安は抱いていても、予想される死の恐怖は、未だに感じては居ない。死に向き合う勇気があるというわけではないだろう。その内に神々の救いの手が差し伸べられて、冥界のエトンの災厄から救われるに違いないという根拠のない希望にすがる者も多い。しかし、アトラスはロッデルススの動向と彼に付き従う民の事で心を満たして恐怖を追い払っている。命を賭けた幾多の戦場をくぐって死と向き合ってきたが、運命を通して自らの命の終焉しゅうえんと向き合うのは、今しばらく先の事になる。


 アトラスが目の前の問題で心を満たしているなら、宮殿の警護の一部を任されたエキュネウスは、宝物庫の前の軍船の光景で心を満たす日々が続いていた。

 今のエキュネウスは、アトラスたちが宮殿の中で感じた揺れを、軍船を眺めながら感じていた。地の揺れがまるで大海の上で波に翻弄される船上のような感覚がした。倒れそうになる体を、地の上で軋む船体に手を当てて支えながらも、じっと軍船を見上げていた。大地の揺れが収まるかどうかと言う時に、声を掛ける者が居た。

【その船に乗りたいのか?】

 突然に故郷の言葉で問われ、エキュネウスも同じ言葉で答えた。

【ああっ。地面でなく、水に浮かんでいればな】

 そう答えて振り返ってみれば、見慣れたマカリオスの傍らに、老境に達した男が居た。苦難をくぐり抜けた人生で深いしわが刻まれた顔という印象以外に興味はない。それはお互い様のようで、名乗りもせず、出自も明かさなかった。男は視線を軍船に移してため息を突くように言った。

【海に浮かべても、使えぬだろうよ】

【どうして? 櫂はそろい、帆柱もしっかり立っている】

【よく見るがいい。帆布は朽ちかけ、柱を支えるロープも千切れかけている】

【では、この船は形だけ。もはや使えぬと言うことか】

【かなり、手直しする必要があると言う事だ】

【ますます、帰国は遠のいた】

 苦笑いするエキュネウスにマカリオスが言った

【やはり、アンタにはその度胸はなかったと言う事か】

【そう思われても仕方がない。しかし、私はこの地で我が命より大事な人を見つけた】

【それが、故郷を捨ててここに留まる言い訳ということか?】

【マカリオスよ。大きな船だと驚いていたが、海の広さに比べれば、こんな船は川船と代わりがない。私はただ一隻で海を渡る危険を知っている。愛する者をその危険にさらす事ができるものか。お前は自分の無謀な冒険のために、デルフィネを死の危険にさらしても平気なのか】

【それほど危険なのか?】

 最初に彼に声をかけた男がエキュネウスに賛同して言った

【危険だな】

 男の短い言葉に、体験に裏付けられた重みがあった。

【詳しそうだな】

 エキュネウスの短い問いに男は短い答えて応じた。

【船乗りだった】

【船乗りだって?】

【ああっ。昔、アトランティス兵隊に捕まって、仲間と一緒に送られてきた】

 不思議ではあるまい。アトランティスの軍は占領下のギリシャ人たちを奴隷としてアトランティスに送った。その中には農民や商人だった者もいれば、船乗りだった者もいる。

(ひょっとしたら……)

 エキュネウスは心の底から湧いてくる希望を慎重に抑えた。船を操る者が居ないから帰れないという理由が大きく崩れ始めた。

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