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オルエデスの恐れ

 様々に襲い来る災厄で、不安に駆られているのはルージ国の重臣や民衆たちだけではなかった。都の郊外に指定された駐屯地で、オルエデスが引き連れてきた兵士たちにも不安が広まっている。そしてその不安を抑えるべき指揮官たちが動揺していた。

 ジョルガスは彼自身が百の兵を指揮しつつ、他に百名づつの兵を率いる中隊長四人を束ねている。その四人の中隊長がジョルガスの前に顔を揃えていた。

「それでどうする?」

 中隊長の一人が問い、ジョルガスが聞き返した。

「どうするとは?」

「兵がルージ国で乱暴狼藉を働いたばかりか、その民や衛兵を殺したとなれば、我らが王の叱責も受けよう」

 二人目の中隊長が言った。

「叱責や降格だけなら未だ良い。我らが王は甥のアトラス王の手前、我らを処刑する事もあり得よう」

 三人目の中隊長が言った。

「何よりも問題はオルエデス殿。あることないこと吹聴し、自らの失態の責任を我らに被せるのは必定」

「では逃げるか?」

 四人目の中隊長が仲間を見回して口にした問いにジョルガスは決断を下した。

「ここはルージ国。逃げるとすればヴェスター国に戻ってからだ」

「しかし、何も持たずに帰るのは拙い」

「では何か頂いていくか」

 町の商家を襲って金目の物を奪っていこうかと言う事である。彼らは戦の折りにそうやって宝石や銀細工や若い女まで奪ってきた。追い詰めれた状況で会話が進むにつれて、まるで盗賊たちの会話になる。ジョルガスは苦々しげに言った。

「もう、よせ。飽き飽きした」

 彼は考えていた。

(俺は仕える主に恵まれていない)

 彼はそう考えながら、ルージ国王アトラスの姿を思い浮かべていた。ジョルガスは聖都シリャード包囲戦の時に、一度、アトラスを見かけた事がある。左腕がないという特徴ばかりではなく、身に纏う風格で、その人物が若きルージ国王だと分かった。

 彼にとって印象的だったのは、付き従う兵に規律があり、兵を率いる将には王に仕える誇りが感じられたことだろう。その光景を羨ましいとは思わなかったが、自らの姿と重ねて嫉妬に似た腹立たしさを感じたのを覚えていた。


 一方、都の中心では、ヴェスター国王子オルエデスとそのお目付役のバイラスが、ルージ王の館に到着以来、館の一角に部屋を与えられて五日目になる。しかし未だ来訪の目的を達していない。焦りを見せたバイラスがオルエデスに言った。

「私がおいさめしたとおり、兵を連れてきたのは失敗でしたな」

「いや。兵が居るからこそ、ルージの者どもも私に一目置いているのだ」

 兵の存在で我が身を権威づけようという。バイラスはそんなオルエデスを哀れに思った。

「もっと謙虚になりなされ」

 バイラスはレイトスの養子になる以前のオルエデスを知っている。利発な好青年という印象だったし、その印象があればこそレイトスも彼を養子にした。しかし、やがて国を背負う重圧はオルエデスを変えた。見栄で養父のご機嫌を取ろうとして、養父を失望させる事を繰り返している。

 今はピレナを連れ帰ると言う任務に自信満々だったオルエデスも、彼女から拒絶され続けて脈がない事ぐらいはわかる。彼はバイラスに言った。

「とりあえず、婆ぁはさておいても、娘の方を船に乗せてしまう事だ」

 娘の方というのは言うまでもなくピレナの事である。大臣クイグリフスは、リネとピレナを船で聖都シリャードのアトラスの元へ送り届けるつもりらしい。その前に何か理由を付けてオルエデスの軍船に乗せてしまえばいい。行く先は聖都シリャードではなくヴェスター国だ。もっと大きな災厄と混乱が起きれば、二人を連れ出すのも容易になる。

 神々がオルエデスの願いをかなえたわけでは無いだろうが、低く腹に響く轟音と体が揺れるのとどちらがが先だったろう

 家具が倒れるほどの大きな衝撃は、ルージ島の災厄がオルエデス自身にも降りかかってきたような気がする。

 オルエデスは唐突に言った。

「帰ろう。また日を改めて来ればいい」

「では、兵にも帰国の命令を伝えますぞ。明後日には移動の準備が整い、二日後には港から帰国の途につけましょう」

 今のルージ国は災厄で混乱し、ピレナを后として嫁がせる話どころではないだろう。出直すのが良いというのがバイラスの判断だった。しかし、恐怖に駆られたオルエデスは不満を言った。

「二日後だと? いや、兵の事はジョルガスに任せてある。私はすぐに出立し、我が父に事の顛末をご報告せねば」

「報告は私がいたします。見たまま報告するようにとのレイトス様のご命令です」

 オルエデスのバイラスに対する嫌悪感が殺意に変わったのはこの時だったのかもしれない。もし、バイラスが今までの状況を王に伝えれば、オルエデスの世継ぎとしての立場も危うい。

(殺そう……)

 オルエデスがそう短く思った瞬間には、幾種類ものバイラスの死の光景を思い浮かべていた。自分で手を下すのが確実で良い。ただし、オルエデスが養父レイトスがお目付役として付けたバイラスを殺したと分かるのも拙い。この場でバイラスの死体は残せない。殺すなら帰国の船の上。バイラスの死体は海に捨てて事故死にすればいい。

(あのババアめ。さっさと戻ってこい)

 オルエデスはリネの顔を思い浮かべてそう考えた。あの女はヴェスター国行きに乗り気だった。リネが兄のレイトス王を頼ってヴェスター国へ行くと言えば反対できる者は居ない。ピレナは母の身を案じて母と同行するだろう。オルエデスはリネを彼の船に乗せる事だけを考えればいいはずだった。

 オルエデスは一人ほくそ笑みながら考えた。

(私ほどの知恵者が他にいるだろうか?)

 オルエデスに自信が蘇りつつあるのだが、一方ではその心を揺さぶって臆病者にしようとするように、時折小さく地が揺れ続けていた。

「リネ様がお戻りになったようですぞ」

 館の入り口が慌ただしくなった気配に気づいたバイラスが言い、オルエデスが答えた。

「おおっ。そうか。早速、我が軍船にお連れせねば」

 彼がそう言いながら足早に歩き始めた時、そのままこの館を立ち去って港に向かおうと決めていた。ただ、滑稽な事に、災厄への恐怖に心が満たされて、剣を身につける事すら忘れていた。

 リネは参拝の帰りに地の揺れに遭遇したらしい。倒壊した家々、恐怖で逃げまどう人々の姿など、彼女が館に戻るまでに目撃した光景を誰に聞かせるともなく叫ぶように語っていた。オルエデスとバイラスはその声を頼りに広間に来た。二人の姿を見つけたリネは彼女の決心を語った。

「オルエデス殿。我が兄に伝えておくれ。十四の歳で嫁いで以来、我が身はルージ国のもの。我が心はリダル様のものじゃ。この地を離れるわけには行かぬと」

「しかし、先ほどまでは……」

 リネを説得する間もなく、一人の兵士が駆け込んできて、フェイサスに何かを告げた。フェイサスが驚く様子に、リネが問うた。

「いかがしたのじゃ」

 答えようとしたフェイサスを、クイグリフスが無言で制した。緊急の事態らしいが、この場に居るオルエデスに聞かれては拙い内容だと困る。しかし、フェイサスはオルエデスにも関わりがあると言った。

「オルエデス殿にも聞いていただかねば。西の港が高い波に飲まれ、桟橋に繋留していた船が全て沈没したと」

「我らの軍船もか? 三十隻もだぞ」

 帰国の手段が無くなったのかと問うオルエデスに、フェイサスは小さく頷いてその状況を語った。

「入り江の岬で人の背丈ほどの波が人を飲み込んだかと思うと、波が桟橋に届く頃には波頭は船のマストの高さを超えて、全てを飲み込んだと」

「港へ行くぞ。自分の目で確認せねば、信じられぬ」

 オルエデスがそう言ったのももっともだったし、フェイサスも状況を自分の目で確認せねばならないと考えた。ただ、オルエデスは馬に乗れない。徒歩で港まで行けば到着は夜中になるだろう。

 フェイサスは提案した。

「では馬車を準備いたしましょう。急げば夕方までには港に着けましょう」

「急げ。急げ。私は早く帰国せねばならない」

 驚きと恐怖に取り憑かれたオルエデスは、今や我が身の安全を図るために帰国する事しか考えていなかった。


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