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神と人と

 王の館の北によく手入れされた庭園がある。リネが心を静める場所だった。リネとピレナが国外に避難する事を聞きつけたオルエデスが、そこに踏み込んできて言った。

「ちょうど良いではありませぬか。リネ様とピレナ様は、我が軍船で我がヴェスター国へお招きいたしましょう」

 ルージ国にとっての大きな災厄を、ちょうど良いと表現するオルエデスの無神経さにリネを取り巻く侍女たちが眉を顰めた。しかし、リネは侍女たちの表情のわけにも気づかず言った。

「オルエデス殿。それは頼もしい事じゃ。ピレナとともにヴェスター国へ参ろうぞ」

「お二人のお姿を見れば我が父レイトスもさぞかし喜ぶことでしょう」

 オルエデスにとって、ピレナを連れ帰って后にすれば旅の目的は果たしたようなものだった。ただ、リネのお付きの侍女の一人がその政治的な胡散臭さに気づいて話題を逸らした。

「リネ様。神々に詣でるのでは?」

 庭園から少し北へ行くと真理の女神ルミリアの神殿に続く参道がある。リネは参拝に行く途中通りかかった庭園で足を止めて思い出にふけっていたのだった。

「その通りであった。何か供物を捧げねば。」

 リネは今日の予定を思い出したとき、まるで彼女の行動を督促するように地が揺れた。心乱れる今のリネには、そんな小さな地の揺れさえ、気分を変えるのに充分だった。彼女はオルエデスとの会話も忘れたように侍女に言った。

「早く、早く行かねば平穏の女神ルミルネのご不興を買う。何をしている? 早く神殿へ詣でる準備をせよ」

「用意は整っております」

 その侍女の言葉をオルエデスは舌打ちしたくなる思いで聞いた。平穏の女神ルミルネの参拝は男女が別々に行うのが通例だった。彼は同行できず、ヴェスター国へ招くという話の続きは、リネが参拝を終えて戻って来てからになる。

 庭園にいた彼女の姿を見つけた大臣クイグリフスが急ぎ足でやって来て言った。

「リネ様。お話がございます」

「後にしておくれ。今は平穏の女神ルミルネ海神リムラス、そして大地のアナラスに、このルージ国の事、祈念しに参らねばならなぬ」

「では、お戻りになられた後に」

 緊急の情報だが、今のリネに伝えても事態が好転するわけではなかった。それに既に避難するという意志は確認してあって、クイグリフスがすべき事は、リネとピレナを安全な土地へ移す事である。本来なら王アトラスの許可を求めねばならないが、危険が目前に迫っている気配の中でその時間の余裕はない。

 

 クイグリフスたち都の重臣たちの元へ、ルージ島各地の領主から状況を記したスクナ板が届けられつつある。記載されていた内容を読めば、異変はこのルージ島の南を襲った巨大な波だけではなかった。都では足下がふらつく程度の大地の揺れも、ルージ島北部では建物が倒壊して住民を潰し、街道を巨大な地割れで寸断した。キシリラ山の火口から吐き出された灰色の雲は、その通り道にあるものを焼き尽くしながら、北の斜面を流れ下り、麓にあった三つの村を飲み込んで住民を焼き殺した。

 大地も人もあらゆるところで、ねじ曲げられ、引き裂かれ、巨大な炎に包まれて悲鳴を上げていた。


 母のリネと入れ違いに、ピレナが館に戻ってきた。侍従からその知らせを受けたクイグリフスは、彼女を広間に向かい廊下で彼女を出迎えた。これからの予定を知らせておかねばならない。

「ピレナ様。港に船の準備が整っております。五日目には聖都シリャードでアトラス様とお会い出来ましょう」

「止めたわ。私は愛に生きると決めたの」

 彼女はルージ島を離れる気は無くしたと言う事と、その理由を語った。言葉の短さは父のリダル譲り、気まぐれな気性は母のリネ譲りだった。決意は固く容易に変えない頑固さは兄のアトラスに似ている。彼女はその気性で、彼女に連なる人々と繋がっていた。クイグリフスはこの場で説得するのは止めた。彼女が兄のアトラスと似ているとすれば、彼女が冷静さを取り戻した時に理を説けば受け入れるだろう。

 ピレナは周囲を見回して問うた。

「母は何処?」

「神殿で神々に祈りを捧げておられます」

 そんな会話をしている二人を見つけたオルエデスが割り込んだ。

「ピレナ様。今度こそ私と共にヴェスター国へ。歓迎いたしますぞ」

 そう言ったオルエデスは、運の悪い事にピレナの前に立ちふさがる位置にいた。

「いつも邪魔な人ね。さっさとお家にお帰りなさい」

 彼女の言葉より早く、オルエデスは突き飛ばされて床に転がっていた。二度目だが彼は自分の身に起きた事が信じられないように、ピレナが姿を消すのを見送った。馬蹄の音が遠ざかっていった。


 都の北に真理の女神ルミリアを祀る大きな神殿があり、その西と東に接するように真理の女神ルミリアの弟に当たる大地のアナラスと海のリムラスの小さな神殿がある。太陽に象徴される真理の女神ルミリアの妹で月に象徴される癒しの女神リカケーの神殿はその北に配置されている。南にはそんな神々の神殿へと続く長い参道があり、参道の両側に様々な神々の祠がある。ルージ国の人々は、真理の女神ルミリアを参拝した後、帰り道に自分の願い事を司る神の祠に立ち寄るのが通例だった。

 ピレナは、馬を降りて手綱を曳きながら、参道に母の姿を探し求めて歩いた。母の姿は参道の突き当たり、海のリムラスの神殿の中にあった。リネは海のリムラスに供物を捧げ、神官たちに祈りの文句を唱えさせていた。

 神殿の中、祈りの詠唱を切り裂いてピレナの声が響いた。

「お母さま。神々にお願いしても無駄よ」

 ピレナの言葉に神官たちが詠唱を止めて振り向いた。神官長が怒りの表情を見せて言った。

「ピレナさま。神々の前で何という事を言われるのです」

「神々は人々に崇拝など求めては居ないわ」

「なんと大それた思い上がりか。神々がお怒りになり、例えピレナ様と言えど、厳しく罰せられますぞ」

「神々は人々を罰したりはしないわ。だって、神々も人間も、全ては静寂の混沌ヒュリシアンの一部なんだもの」

「神々の威光をないがしろにされるのか」

「違うわ。素直に自分であればいい。それだけで神々は微笑んで人を見守ってくれる。私は人として一生懸命に生きたいだけ。私が神々を喜ばせるのはそれしかできないから」

 相手が誰であれ、ピレナが言いたい放題言う性格は、子どもの頃から変わっていない。神官長はピレナの解釈に異論を唱える事はできずに黙りこくった。母のリネは神官長に祈りを続けるよう命じて、祈りの邪魔をする娘を連れ帰る事に決めた。


 母と娘は館へと参道を歩いた。ピレナの話題は自然にアワガン村の出来事に触れる。リネは静かに尋ねた。

「愛する人の側から離れない。あの女はそう申したのか」

 母の言葉にピレナは頷いた。

「愛する人と、心が繋がっているからと」

 ピレナの言葉にリネは静かに考えて言った。

「まったく。あの女にはいつも教えられる」

 神々に祈った時より、心の落ち着きを取り戻していた。静かに記憶を辿れば、夫の記憶が微笑ましく思い起こされる。戦場では牙狼と称されて敵に恐怖を与え、味方はその厳格さで畏怖させたリダルだが、幼い息子を抱き上げた時の柔和な笑顔は、家臣たちの密かな語りぐさだった。

 しかし、リネの記憶はややずれていた。赤子が生まれた後ではなく、彼女が身籠もっている時だった。日に数回は彼女の居室を訪れるリダルの幼子のように落ち着かない様子をなだめた。彼はまだ彼女の腹の中にいる赤子を、アトラスと名付けたいのだと妻の許可を求めた。愛に満ちた夫の視線は妻のリネに向けられていた。リダルが先にフェリムネに生ませたロユラスではなく、アトラスを跡継ぎと決めたのもこの頃だったのだろう。

 厳格な王の微笑ましい姿は、リネが次の子を出産した時も同じだった。リダルは長男を命名したのは自分だから、次の子の名はリネに任せると言った。リネは出産した赤子にピレナと名付けた。彼女の生まれ故郷の高山で美しい大輪の花を付ける花の名を取った。良い思いつきだとリダルは妻の機転を家臣に褒めた。

 ルージ王家代々の質実剛健な気風で簡素だった王の館の南に、大きな庭園が造られたのは、リダルが王になってからだった。リダルは半ば仕上がった庭園の東屋にリネを招いて、仕上げは彼女の好みに合わせるようにと言った。海の向こうから嫁いできた妻が故郷をしのべるようにと言う配慮だったらしい。彼女はその夫の配慮に、敢えて庭園の門は作らず、門の位置の右にエーネルと呼ばれる男性の人格を持つ精霊が宿るとされる幹の太い樹木を植えさせた。左にはイララと呼ばれる女性の人格を持つ精霊が宿るとされる幹は細いが枝を広く茂らせる樹木を選んだ。左右不釣り合いにも見えた光景も、リダルとリネの夫婦を象徴するようだった。年月を経た今はイララが枝を広げてエーネルに寄り添うように見えて美しく調和するようになった。

 リネは自分自身に言い聞かせるように呟いた。

「確かに、私もあの方の思いを背負わねばならぬ」


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