ロッデルススの野望
立ち去りつつあるルゲンドロス夫婦だったが、騒ぎに好奇心をそそられた人々が立ち止まって、残されたデンタルスと神官たちの成り行きを眺めていた。
デンタルスは一人の神官に向かって、怒りを込めた声を張り上げて言った。
「神官が幼子を生け贄にするなど……」
そんな言葉に神官たちはピクリと反応するのを眺めてから、彼は立ち止まった民に視線を移した。民衆は騒動に巻き込まれるのを恐れるように視線を合わせる者が居ない。更に別の神官に視線を転じて、大声で神官を煽る言葉を続けた。
「神殿の中で幼子を冥界の神に捧げる儀式をしているなど」
民衆に聞こえるほどの大声の後、声を神官だけに聞こえる大きさに変えて言葉を続けた。
「そんなはずがあるはずはございません。」
周囲の人々に最初の二言、幼子を生け贄にと言う言葉と、冥界の神に捧げるというショッキングな内容だけが伝わるだろうし、神官たちは彼の言葉を否定しにくい。
神官たちはデンタルスが叫んだ言葉で、自分たちが民衆の注目を浴びている事に気づいた。
特に、その中心にいたロッデルススは苛立ちを隠していない。その苛立ちを煽るように、デンタルスはルゲンドロス夫婦の方を向いて再び声を張り上げた。
「神々は幼子の犠牲など望むまい。神々に仕える者たちが、」
デンタルスの叫びを遮るようにロッデルススは神官に命じた。
「ええいっ、五月蠅い。さっさと追い払え」
ここは神官が支配する都市国家だった。彼等にしてみれば都合の悪い言葉を吹聴する者を捕らえて神殿に連行し、人知れず処分する事も可能だった。しかし、デンタルスは追い払われただけだった。さすがに多くの民の目がある場所で強引な事をすれば、かえって民の疑惑を招くのを避けたということか。
デンタルスは目的を果たした。彼が発した言葉に、神官たち、とりわけ、その頂点にいるロッデルススが敏感に反応したのは、噂に当てはまる不都合な事実があるからに違いない。それが確認できればもう神官たちに用はなかった。
「では、私はさっきの夫婦に、神々のご威光をしっかり教える事に致しましょう」
彼はそう叫ぶように言って神官たちに背を向けて足早に去った。
デンタルスは、一つ、迂闊な事を思い起こした。夫婦に王の館に行けと命じたが、ただの民が舘を訪れたとしても、追い返されて行方が分からなくなっているかも知れない。
(私の名を伝えておくべきだったか)
しかし、館に着いてみれば、夫婦は舘の管理者ハントスに保護されて、舘の一室にいた。デンタルスの顔を見たハントスが言った。
「そなたなら、この聖都にも明るい。男から様子を聞いて、お前かも知れぬと思っていた」
王の館を行く先に指示したなら、王に仕える者。今の時期に、王の出先機関とも言える舘の管理者に連絡もなく、王に仕える者が聖都を訪れるとしたら、神官どもの様子を探る事。そんな任務に適任な者を思い起こせば、デンタルスの名が浮かんだという。
ただ、デンタルスが意外だったのは、ハントスが既に夫婦の事を知っていた事だった。ハントスはその訳を語った。
「王都のライトラス殿から、ルゲンドロスという者の妻子が聖都にいるから、ラオネリネという女とルルレナという娘を捜せと伝えてきた」
「見つかったのか?」
「女は見つかったと知らせたが、娘は見つからなかった。女によれば神官に連れ去られたとも言うが、それを目撃した者は無く、確認する術がない。神殿に使いを出して尋ねたが、そんな子どもなど知らぬと……」
「そう言う事だったか」
デンタルスが相づちを打つようにそう言い、眉を顰めて言葉を継いだ。
「しかし、更に気がかりなのは、神殿で子どもを生け贄にしているという噂だ」
「噂は聞いている。ただ、神官どもから直接に聞いた話ではない。まだ秋だった頃、神官たちが何か壮麗な儀式を執り行ったと。その後、うち続いた災厄がしばらく止んだ。神官どもは自分たちの特別な儀式が功を奏したのだと吹聴しておったよ。ひょっとすれば、その折りに……」
「あの夫婦の子どもを生け贄にする儀式をしたと?」
「いや。子どもを生け贄にしたとしても、その子かどうか分からぬ。流行病や戦に巻き込まれて親を失った子供がたくさん居ってな。父母のどちらかが生きている場合はともかく、父母の両方を失った子供、あるいは片親を亡くしてこの聖都に来たもののその親を失ってしまった者。そう言う子どもを神官たちが保護し、空き家になっていた蛮族の兵舎に住まわせているとか」
「とすると、収容されているのは両親ともにいない子どもたちか」
二人がそんな会話をしている部屋に、ルゲンドロス夫婦が飛び込んでくる勢いで入ってきた。
妻のラオネリネが言った。
「でも、うちの子はこの私がいるのに居なくなったんです。神官が私の子を無理に連れ去ったのを見た者も居ります」
夫のルゲンドロスも言った。
「うちの子を返してくれと何度も頼んだんですが、その都度追い払われるだけ」
もし、この場に既に死んだアドナがいれば、ルゲンドロスの事情を察しただろう。彼は妻が聖都に行ったとしても帰ってこないと首を傾げた。その妻ラオネリネは、戦火を逃れて聖都に避難したものの、その地の解放後に娘ルルレナが行方不明になって、一人で王都に戻る事は出来なかった
この女はずっと聖都で子どもの行方を探し求めていたと言う事である。その切なく一途な視線を受け止めていると、ハントスにもデンタルスにも、彼女を捨て置く事も出来ない。
そして、シュレーブ国王に長く仕えたハントスは神殿の仕来りにも詳しい。記録に残っているだけの昔だが、シュレーブ国では幼子の命を神に捧げる儀式があったという。彼は口には出さなかったが、シュレーブ国で大神官長を勤めたロッデルススにはその禁じられた儀式について記憶にあるだろうと考えていた。幼子を生け贄にすると言うのも荒唐無稽な噂だと思えない。
同じ頃、神殿の中ではロッデルススの不機嫌そうな怒鳴り声が響いていた。
「ええいっ。王都のゴルロースは何をしておる。未だあの若造に振り回されておるのか」
彼があの若造というのはルージ国王アトラスの事である。振り回されているというのは、アトラスが廃止した神々の祝福税の廃止のことだろうか。彼は自分の言葉に苛立ちと不満を爆発させて言った。
「このままでは、埒があかぬ。そうだ、あの小娘、エリュティアなら未だ話しは通じるだろう。エリュティアに働きかけて税を納めるようにさせるのだ。早速ゴルロースに使いを出せ」
彼がシュレーブ国で大神官長を勤めていたのは五年以上も前の事。彼はその頃の世の中染まらぬ無垢なだけのイメージをエリュティアに持っていた。あの世間知らずの小娘をそそのかせば王妃の権限を持って税を復活する事も出来るのではないかという。
ロッデルススが焦りを見せるのは、聖都の神官組織を維持する経済基盤が崩れているからである。アトランティス全土から集まっていた潤沢な蓄えも、傲慢な神官たちの浪費ですり減って行くのみで、あと一年もすれば底をつく。
神帝を頂点にしてアトランティス九カ国を従えていた頃は、各国からの供出金が届けられていた。しかし、その九カ国も相争い、聖都に送る供出金どころではなくなった。ただ、この争いの元は六神司院の最高神官たちだが、ロッデルススはその責任を背負うつもりはない。
聖都と敵対した国が勝利者となって戦は終わった。勝利者にとってみれば、仕えて税を納める相手はアトランティスを統べる神帝だが、その神帝も亡くなっていて、税など納める相手がない。
さらにその国々も滅んで今やルージ国と名を変えた旧シュレーブ国だけになった。民から得た神々の祝福税を王都の大神官長ゴルロースの元に集め、ゴルロースから聖都の神官組織に納めさせる手はずも、ルージ国の神々の祝福税の廃止と共に潰えた。
ただ、ロッデルススにとって好都合な状況もある。二年ばかり前まで、六神司院の組織が機能していた頃、その権限は六人の最高神官に分散していた。しかし、今、神官組織を束ねるのはロッデルススただ一人。ロッデルススは神の代理人としての権限を一人で背負っている。全てはロッデルススの思うがまま。
聖都は彼の支配下にあり、何をしても彼を咎める事が出来る者は居ない。たとえ人を生け贄にする残忍な儀式を執り行ったとしても。ただし、その聖都から一歩踏み出せば、悪鬼アトラスが治める地。
聖都に集う神官たちの価値観で判断すれば、聖都の基盤を崩したアトラスはまさしく神に対する反逆者だった。いまも神々を柱とする社会の仕組みを破壊しようとしている。
ロッデルススは考え続けていた。反逆者を打ち倒す神々の使徒は自分しか居ないのではないか。聖都に集めた僧兵集団は、彼を頂点にした神々の先兵。アトランティスの大地が災厄に見舞われているのは、その悪鬼のせいに違いない。
アトランティスを救うには、悪鬼を除くしかない。悪鬼を除けば、海に沈んだアトランティスの大地は神々の思し召しによって復活する。その立役者は他の誰でもない。この自分だ。
ロッデルススの心の中で、そんな想像が膨らんでいたのは、彼の神々への忠誠心のせいだろうか。それとも彼の心に潜んでいた野望を、冥界の神が煽って居たのだろうか。この時の大地の揺れも彼の心の欲望に火を付けた。
彼はそんな揺れの中でも冷静に考えていた。彼の元にいる僧兵は五百を超える。しかもそれは神々に命を捧げる事を苦にしない精強な兵士たちである。
一方、聖都のあるリマルダの地に兵は居らず、災厄が迫って混乱する中戦を決意して兵を集めるのも容易ではないだろう。領主リシアスはまだ子どもで、家臣や領民の信頼も薄いに違いない。そして、集める兵の数などせいぜいに二百か多くとも三百以下。しかも戦闘経験もなく命を惜しむ民。
ロッデルススには、肥沃なリマルダの地が簡単に手に入りそうにも思える。そして、リマルダとその民を支配下に入れる事が出来れば……




