ロッデルスス登場
リマルダの地から祝いの世継ぎ誕生の祝いに使わされた使者は、名をデンタルスという。彼と祝いの品を乗せた荷車を曳いてきた者たちの帰路は二つ。
王都を東西に貫く街道を東へ行けば、リマルダ領主の舘がある町に到着する。もう一つは王都の南、ルードン河の川辺の港から川を下って聖都を経由して領主の元へ帰る方法だった。
「私は聖都に立ち寄ってから戻る故、領主様にはそうお伝えしてくれ」
彼は部下にそう言って、来た時と同様に陸路を帰らせた。彼自身はルードン河の川辺に至る道を歩き始めた。
(聖都の様子、特に神官どもの様子を見ておかねば)
それがデンタルスの判断だった。人を遣わして調べるのではなく、自分の肌で聖都の様相を感じ取っておきたい。
ルードン河の港にたどり着いた彼は、その光景に立ちすくんで思った。
(まるで、時が止まったようではないか)
アトランティスの人々にとって、大地を東西に貫いて流れるルードン河は、彼等の大地の象徴で、時に静かに、時に荒々しく流れる様は、時と共に流れる彼等の人生の象徴でもあった。
デンタルスの目の前では、その大河の流れが止まったのかと思われるほど澱んでいた。その理由を考えれば当然で、上流で豊かで清らかな水がわき出す水源から始まって、いくつかの支流の流れが加わって大河となって東の海に注ぐ。そんなルードン河の姿も過去の物。
ルードン河の西、豊かな水がわき出していた水源も今は海に沈んでいた、そしてルードン河に注いでいたいくつかの支流も大地と共に沈み、今は川とは名ばかりで、アトランティスに残った大地の西と東の海を繋ぐ水路のような物だった。川としての流れはほとんど無くなって東西の海の満ち引きの時に僅かな流れが起きるという。
彼は聖都に荷を運ぶ商人の船に同乗した。大河の流れに任せて川を下る船旅のはずだったが、船の舳先に繋いだロープを曳いて歩く人足たちのかけ声が川岸から響いていた。
同乗した商人が肩をすくめて言った。
「ご存じかも知れませんが、昔は一晩で聖都まで、一気に下ったもんですがねぇ。いまは時間がかかりすぎていけねぇ」
ルードン河に流れがあった時代は、船は夜通し河を下って明くる日の早朝には聖都の岸に到着していたらしい。
今は船を曳く人足たちの休息が必要となる。この日の夕刻は聖都との中間にある港町に停泊。彼が聖都に着いたのは明くる日の夕刻に近い頃だった。
デンタルスは荷物の積み卸しで忙しく働く人足たちを残して船を下りた。目の前に聖都を囲む城壁が立ちふさがるようにそびえて見えた。ただ聖都を守る頑丈な城壁があちこちで崩れて見えた。
既に二年近い前になる。聖都を包囲したアトラスたちは、地の揺れで崩れた城壁から攻め込んで、一夜にしてその地を解放した。その崩れて攻め込んだという場所が何処だったのだろうと探さねばならないほど、今の城壁はあちらこちらで崩れ落ちていた。おそらくはうち続く地の揺れの都度、そこかしこと崩れ落ち、修復する者も居ないまま放置されているのだろうか。
城壁の外は、今はルージ国に属するリマルダの地。城壁の中は神官たちが支配する聖都である。彼は南の城門をくぐって聖都の中へ入ったが、城門は開かれたまま。見上げれば、大地の揺れで扉を支える柱が歪んでいた。もはや開け閉めする事も出来ないのだろう。
聖都の中に一歩踏み込んでいけば、貧民窟と呼ばれるようになった区画に入る。三つの環状の水路の一番外で、元は商人たちが荷車に商品を積み卸ししたり、その為の倉庫がある区画だった。しかし、戦乱を逃れた人々が聖都になだれ込んで、今の掘っ立て小屋が並ぶ光景を作った。戦は終わって城門は開かれたが、帰る場所のない人々も多い。その理由を問えば、人の数だけ理由があるだろう。
ただ、こんな貧しい場所が放置されている理由は二つ。この都市国家を統治する神官たちには、民を救う能力がないのか、民の幸福を考えるつもりが無いのかどちらだろう。
聖都解放の直後、ここを終の棲家と決めて留まった者たちが再建を始めていたという。うち続いた地の揺れが町を破壊し続け、人々の心は挫けて、壊れた家屋を修理する気も失せた。人々は希望を失って日々生きる事だけを目的に生きているように見える。
神々が集うと言われた聖都を囲む城壁もあちらこちらで崩れて、町の中から外が見えるほど。町の内側にも城壁を補修しようとする者は居ない。
それどころか、崩れた瓦礫をあさって、形の整った煉瓦を探す者がおり、その煉瓦を荷車に積む者が居る。鎚の音に気づいて見上げれば城壁を鎚で叩いて崩している者が居た。まるで森から樹を切り出すような調子だった。
以前なら、聖域を守る城壁を壊すなど、役人や僧兵に見つかれば厳重に罰せられる行為だが、今は取り締まる者も居ない。
デンタルスが煉瓦を荷車に積む男に尋ねた。
「何をしているのだ?」
「市に売りに行くんでさあ」
「市に?」
デンタルスの問いに、男は邪魔くさそうに掘っ立て小屋を指さした。売り物にならない歪な形の煉瓦が積み上げられて掘っ立て小屋の壁を支えたり、屋根代わりの布が風で飛ばされるのを防ぐ抑えに使われている。形の良い物は市で大商人たちの邸宅の建物の補修用に利用できると言う事だろうか。人々が命を繋ぐ為に見つけた新たな仕事と言えた。
ただ、彼は意外な思いで首を傾げた。貧民窟に住む者たちは自ら望んで来た訳ではなく、戦火を逃れて来た者たちのはずだった。戦が終わると同時に貧民窟を去る者も多かったと聞いている。しかし、デンタルスが目にした貧民窟には、人がひしめいていた。ひょっとすれば戦の最中でもこれほどの人はいなかったのではないだろうか。
多くの人々がどこから来たのかと首を傾げながら一つ目の水路を渡ると、そこは市場があり、本来の聖都の民の居住区だった。ただ、そこに溢れる賑やかさは、喧嘩騒ぎや憎しみの籠もった怒鳴り声。家々の隙間に入れば、強盗の犠牲者の死体が転がっていても不思議ではない雰囲気を漂わせていた。この地は神官たちが支配する町で、僧兵たちが治安維持を勤めていたはずだが、その僧兵の姿がない。
更にもう一つ橋を渡って中心に近い区画に入れば、そこにはアトランティス議会が開かれている時の王の宿泊場所となる邸宅や、大商人の住まいが建ち並んでいるが、その王たちも亡くなり国は滅び、国の残骸のように王の邸宅が残っていた。僅かに機能しているのはシュレーブ国王の舘が、今はルージ国王の舘として聖都と本国の連絡役を果たしているだけである。
彼はこの区画でようやく僧兵の姿を見つけた。その数も多い。
「まるで戦でも始めるようではないか」
僧兵たちが盛んに出入りしているのは、既に滅んだゲルト国ラルト国王の舘に違いない。文句を言う者も居なくなったのを幸い、その舘を我が物にしたという所だろう。その数は多く、数百人に及ぶかも知れない。しかも彼等は本来の神官が持つ謙虚さなどみじんもなく、兵士の荒々しさを隠そうとしていない。
聖都を囲む城壁の内側に同心円状にある三つの水路。その最後の水路にかかる橋を渡れば、この町でもとりわけ神聖なエリアとされる神殿や神官たちが住まう宿舎が建ち並ぶ。二年に一度、各国の王が集ったアトランティス議会はもはや形だけ。そこに集うとすれば王も国ももはやルージ国とその王だけになっていた。
その橋のたもとに僧兵が詰める小屋がある。もともと人々の往来を監視する小屋など無く、中央の神殿に参る巡礼者のために誰でも自由に渡れたはずだ。
今は小屋の僧兵たちが男女の巡礼者を追い払っていた。
「帰れっ、帰れっ。ここはお前たちの来るところではない」
「お願いでございます。私たちの子どもを返して下さい」
「子どもだと? そんなもの我らの知るところではない。帰れっ」
女が僧兵にすがりついて悲壮な声で言った。
「お願いでございます。子どもを」
「ええいっ、邪魔だ」
僧兵が女を突き飛ばし、地面に倒れた女に男は庇うように寄り添って言った。
「私たちは子どもを返して欲しいだけなんだ」
この時、豪華な法衣を纏って下級神官の集団を連れた男が現れた。
「この騒ぎ。どうしたのだ?」
「ロッデルスス様」
僧兵が口にした名で、巡礼の男女と、その光景を眺めていたデンタルスは姿を見せた神官の正体を知った。最高神官亡き今、この聖都で神官を束ねる男である。
巡礼の男が懇願した。
「ロッデルスス様。間違いでございます。我が娘には、この通り父も母もおります。どうか、哀れと思し召して私たちに返してください」
男に寄り添いながら女も懇願した。
「ロッデルスス様。私の子をどうか神々の生け贄になどなさらないで」
事情は良く飲み込めないが、意外な言葉に驚いたデンタルスは心の中で呟いた。
(生け贄だと?)
生け贄という不都合な言葉に敏感に反応して怒りを見せたロッデルススが僧兵に命じた。
「ええいっ、この痴れ者たちを追い払え。いや、殺してもかまわぬ。さっさと目の届かぬ所へ」
デンタルスはその命令を実行しようとした僧兵たちを押しとどめるように叫んで巡礼者に駆け寄った。
「お待ち下さい。巡礼の者を殺すなど、神々のご威光にも傷が付きましょう。ここは私がこの不躾な者どもを連れ帰りましょう。平穏の女神に誓って。どうかお怒りをお鎮め下さい」
そして、巡礼者には囁くような小声で言い聞かせた。
「ここは私に任せよ。お前たちはルージ国王の館へ行け。きっと運命が開けよう」
彼は初対面の夫婦を巡礼者と勘違いした。しかしこの場にアトラスが居れば状況を理解しただろう。男は王都から妻と子を求めて聖都に来たルゲンドロス。女は彼の妻だった。そして二人の愛する子は橋を渡った先にいる。
ルージ国王と聞いたルゲンドロスは納得し、妻を連れてその場を去った。




