生きる意味
物語は十日ばかり遡る。王都で王と神官の権力争いが始まり、大神官長ゴルロースが壮麗な儀式を執り行おうとしている頃。王都を離れたアドナはシュレーブの地の西部を北から南へ流れてルードン河に捧ぐレクサ川の東岸にいた。
彼女はレクサ川の畔で戦死した者たちの埋葬場所を見つけて、そこを終の棲家にしようと、テントを張った。自分のために一つ、付き添ってきたもののテントなど張った事のない男ルゲンドロスの為に二つめを。
男はアドナが張ったテントの粗末さには明らかに不満げだった。アドナは呆れたように言った。
「私についてくる気なら文句を言うんじゃないよ。この辺りにはご立派な宿屋なんて無いんだからね」
二人は王都から、街道沿いの宿場町の宿で夜を明かしてここまで来た。三年前には、この辺りにも街道沿いの宿場町や小さな村が点在していた。しかし、ルージ軍とフローイ軍が攻め込んで、旧シュレーブ国内は戦場となった。当時の王ジソーは攻め込んできた敵を足止めするため、このレクサ川の地形を利用し、近くにあって敵に利用されそうな町や村の住人は追い払い、その家々は焼き払った。井戸に岩を投げ込んで埋めた。戦が終わった後、そこは住人が戻っても生活できない場所に変わった
この辺りはそういう土地だった。川の浅瀬に橋がかけられている。時々、この地を通るは旅の商人が行き来する姿を見る事が出来た。しかし、ここを通りかかった人たちの何人が、この地で激しい戦があり、数多くの戦死者が埋葬されている事を覚えているだろうか。戦死者たちへの記憶が薄れれば、彼等がこの世界に存在したという証拠が消えてしまう。人の命の価値。アドナは何となくそんな事を感じていた。
人の価値という点で、アドナはルゲンドロスに賞賛の言葉をかけた。
「全く。器用な男だな」
テントに不満げな様子をしていたルゲンドロスは、ここに来るまでの途中にあった廃村から廃材と、うち捨てられた大工道具を探し当て、うち捨てられた荷車に積んで数日かけて戻った。彼が振るう小気味良い金槌の音と共に、人が住めるほどの大きさの小屋の原型ができあがっている。
金槌の音に混じってルゲンドロスの声が響いた。
「ああっ。俺は元は大工でした」
その声に過去の平和な記憶に浸る心地よさがある。アドナが首を傾げた。
「その大工がどうして、神官たちの手先をしていたのだ?」
「三年前。まさか王都が戦場になるなんて、誰も考えてやしなかった」
やや思い出に浸る間をおいて、彼は返事を続けた。
「王都の北にある町で神殿の修復があって、仲間と一緒に手伝いに出かけたんでさあ」
三年前と言えばアドナにも心当たりがある。彼女はルージ軍の一員として王都に攻め込んだ。
「その間に都が戦場になったと?」
アドナの問いにルゲンドロスは頷いて言った。
「帰ってみれば、家のあった場所は焼け野原。焼け跡を探し当てたが、妻や娘の死体すら探し当てられないほどだった」
「それは哀しい事だね」
「嘆いているところを神官に拾われて、食事は与えてやるから神殿の修復を手伝えと言われて」
「なるほど。それ以来、神官たちの下で、雑用をいいつけられて働いていたんだね」
男の言葉にため息をついたアドナにも共通する空しさかもしれない。彼女はこの場所でいつになるか分からない最後の時まで生きるという目的しかない。半年先か、一年先か、それとも明日、突然に訪れるのか、不安と疑問に空しさに苛まれる。
男は生真面目で退屈な事も嫌いな性分らしく、暇を見つけては小屋の補修をし、冬のために薪割りをして小屋の側に積み上げていった。
「アンタのしている事が役に立てば良いんだけどねぇ」
もしも、この地が災厄に見舞われて海に沈むなら、ルゲンドロスがしている事など何の意味もないという。しかし、ルゲンドロスは陽気に言い放った。
「真面目に働いていれば何か良い事もありまさぁ」
彼はそう言いながら考えていた。
(アドナさん。アンタに命を救われてから、そんな気がするんです)
そんな会話をしていると、想い出しように地が揺れた。王都でアトラスたちが二度の小さな地震と感じた地の揺れも、ここでは、大きく、小さく変化しながら続く地の揺れだった。やがて地の揺れが耳で聞こえて感じるほど、立っている事も出来ず尻餅をついたが、その滑稽な姿のまま大地の上で揺られ続けた。
ただ、その時が終わってみれば、あっけ無いほどの静けさが訪れた。恐る恐る耳を済ませてみれば、風になぶられる木々の葉ずれの音が静かに響いていた。しかし、その木々の幾本かは太い根を地面に露出して倒れていた。
地が轟音を立てて揺れたのが信じられない静けさの中に、アドナはその揺れの証拠の残骸を眺めてため息をついた。
「せっかく建ててもらったのにな」
ルゲンドロスがこつこつと建てた小屋の柱は倒れて、元の形を留めていない。しかし、彼は人としての誇りを込めて言った。
「壊れたら建て直せばいい。大工の腕を見せる機会が増えたと思えば良いんでさぁ」
そんな前向きな言葉にアドナは感心して、彼女もそんな生き方を真似たいと思った。
「それじゃあ、私は獲物を捕りに行って、狩人の腕を見せる機会が出来たと考えよう」
食糧を確保してくると言うアドナの言葉に、ルゲンドロスは微笑みながらも、新たな提案をした。
「その前に、あの橋を修理してやりたいんで、手伝っていただけませんか」
彼の言葉にアドナは感心した。彼には大工の腕以外に、目の前の光景を眺めて何を先にすべきかという判断力もある。
夏に浅瀬を選んで歩けば、大人なら徒歩で渡る事も出来るかも知れないが、冬を間近に控えた今は、凍えて徒歩で渡るのは難しいだろう。人々がこの大地で生きるために橋は必要不可欠だった。
他の誰かのために生きるのは気分が良い。二人は笑顔で橋の修復を始めた。橋は大きく壊れているように見えるが、幸い太い橋脚はしっかり立っているようだ。壊れて川面に落ちて流れた横板を補い、亀裂の入った部分を補強すれば、二人でも修復できるというのがこの腕の良い大工の見立てだった。
ルゲンドロスの見立て通り、橋の修復が終わったのは二日目。テントの傍らでアドナは修理の終わった橋を眺めて満足げに言った。
「意外に簡単なものだな」
「いい師匠が付いていればね」
ルゲンドロスは彼女の満足感を壊さないようにそう言った。元通りというほどではないが、親が子どもの手を曳いて渡るのに不安を感じる事はないだろう。その功績の大半はアドナという素人を使いこなしたルゲンドロスの手腕といえた。二人の背後にあった小屋の残骸は綺麗さっぱり片付いて、橋の一部になり、それもかなわなかった小さな木ぎれは薪になって、二人の顔を照らす焚き火の灯りに変わった。
気づいてみれば、夜が更けて焚き火の明かりが彼女たちを照らしていた。鍋では湯に塩漬けの干し肉と野草を放り込んだスープが煮えていた。
ルゲンドロスは干しイチジクを囓りながら夜空を指さした。
「あれが」
男が指さす方向をアドナも理解した。秋も深まり次の季節に変わろうとする頃、夜空にひときわ輝き始める三つの星。
アドナはその星の名を呼んだ。
「チッチネの三つ星」
「いや。チッチナというのだ」
ルゲンドロスは頑固に訂正した。広大なアトランティスの中で、各地の呼び名に少し違いがある。ただ伝承は同じ。幼い子どもが父と母を結びつける家族の象徴の伝承を持つ星々だった。
アドナは男の目ににじむ涙に気づかないふりをしながら尋ねた。
「奥さんや子どもの事を考えていたのかい?」
そんな質問をしながら、彼女は質問をした理由が分からない。彼女は心の中で自分自身に首を傾げていた。男は言葉を続けた。
「俺があの日、妻や娘の側にいてやれたら……、死なずにすんだのかも知れない。二人を死なせたのは、王都を離れた俺の責任だ」
彼は視線をアドナ向けて尋ねた。
「こんな俺に、生きている価値があるんだろうか」
アドナは気づいた。男が小屋を建て、橋の修理に没頭する。それは全て彼が妻や娘を失った悲しさを忘れるため。そして、彼女自身が知りたかったのは、この無学だが純粋な人間の何処に、見知らぬ誰かのために尽くす善意があるのかと言う事だったろうか。それを悟ったアドナは言った。
「アンタは誰かのために橋を修理した。それがアンタが生きている意味じゃないのかい」
「気まぐれに橋を修理した……。それだけが俺の命の価値なのかい」
晴れ上がって雲一つ無い夜空に輝く星々が、それぞれが一つの命の証だというようにアドナたちを包んでいた。
二人がそんな会話をした明くる日、薄汚れた身なりの人々が姿を見せて橋を渡り始めた。旅の商人にしては身なりはみすぼらしく、泣き顔の子どもの手を曳く男や乳飲み子を抱く女、怪我人を支えて歩く男。まるで、どこかで新たな戦でもあって逃げてきた避難民のようにも思える。
「どこから来たんだ」
ルゲンドロスの言葉に一人の男が答えた。
「ずっと西から……、東へと逃げる度に災厄に追われた」
「どこへ行くつもりだい?」
アドナの問いに、乳飲み子を抱いた女が力なく地面に座り込んですすり泣いて言った。
「逃げても逃げても災厄が追ってくるの。もう逃げるのにも疲れたわ」
アトランティスの大地は人々を内陸へと追い立てるように海に沈み続けている。




