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命の価値

 リマルダの地に続いて、他の各地の神殿からも、領主によって神々の祝福税の禁止の布告がされたという知らせが届き始めて、この国の神殿を束ねるゴルロースがいる中央神殿は混乱に見舞われてていた。

 そして、祭りの喧噪で通達が遅れていたと言わんばかりに、ゴルロースがいる中央神殿にも、王の命令を記したスクナ板が届けられた。同時に町の広場に、王の布告を伝える立て札が設置された。文字が読めぬ多くの者のために、役人が立て札の横でその内容を読み上げていた。

 広場に集まった人々は何事かと役人が伝える言葉に耳を傾けていた。

「ルージ国王アトラス様の布告は次の三つである」

「一つ、神殿の徴税権はこれを廃止する。お前たちは、神官の要求に応じて税を納める必要はないと言う事である」

 そんな言葉に、もともと神官たちの横暴に不満を抱いていた人々が喜びの喚声を上げた。役人の言葉は続いた。

「二つ、信者の神々への喜捨は妨げるものではない。ただし、喜捨する者はこれを役人に収めよ。役人が認めた物は神殿へと渡し、そうでない物は本人かその家族へ返却する」

 人々は当然の事だと頷き合っていた。役人の説明は続いていた。

「三つ、この布告に従わぬ者は罪に問われる。布告に従わぬ金品のやりとりは、王の名の下に没収する」

 三つ目の言葉に人々は、顔を見合わせて、王がこの布告に本気だと納得し合った。人々の間に緊張も走った。王と大神官長の対立が深まっていく気配がある。


 ゴルロースの元に届けられたスクナ板には、更に神殿と王権の関わりについても記載されていた。

 神官たちはゴルロースの顔色を窺うように口々に王を批判した。

「あの若造め。我らから土地や宝物まで奪うだと」

 神々に祈り捧げるのに土地も豪奢な建物も、神殿の宝物庫に蓄えた財貨も不要だと書かれている。不要なものは順次没収するという。

「いかが致しましょう」

 一人の年老いた神官の問いにゴルロースは答えた。

「行く。あの若造の所へ出向いて、神々の威光を教えてやらねばならない」

 今ならアトラスも神々の威光にひれ伏すしかあるまいと考えている。事実、彼の儀式の後、災厄はぴたりと止んでいた。

「ではその準備を」

「そうだな。私が出向くという先ぶれの使者をだせ」

 彼は、まず大神官長が王宮を訪問するという知らせを伝えろと言う。若い神官が首を傾げて言った。

「いつ、王宮を訪問されるおつもりで?」

「その点には触れずに、若造にわしがいつ来るかと、イライラさせながら待たせておけ」

 そう言ってほくそ笑んだゴルロースに釣られるように、神殿の中に神官たちの笑いが広がった。ゴルロースは命じた。

「まずは湯浴みで身を清める。秩序のルデミススの香油を用意しておけ」

 秩序のルデミススの香油を体に塗って、あたかもその神の化身として振る舞おうとするようだった。

 彼は思いつくまま命令を続けた。

「儂の湯浴みの間に、真理の女神ルミリアの冠、癒しの女神リカケーの法衣、審判のテツリスの腕輪と契約のルードスの足輪を用意しておけ。法衣には の香を炊き込めておくように。そうだ、ルージ国の者には海神リムラスのマントを着用してゆくのが良かろう」

 ゴルロースは様々な神の権威をまとって行くという。ただ、権威を纏うほど人の存在が薄れる。今のアトランティスの神官たちを象徴するようだった。

 ゴルロースの命令は即座に実行されて、王宮に大神官長の訪問を告げる使者が出された。しかし、ゴルロースが神殿の中から姿を見せ、移動のための輿に乗ったのは、太陽が中天を過ぎ西に傾きかける頃だった。


 王宮に着いたゴルロースは、大人物を演出するように大仰に輿を降りた。豪華なマントは分厚く、彼の背後の左右に二人の若い神官が居てその端を引きずらないように支えていた。

 豪華な装飾を施した足輪は、彼の足を飾るばかりではなく、踏み出す一歩ごとに重そうだった。真理の女神ルミリアの紋を刻んだ錫杖を持っている腕も、腕輪の重さを支えるのに辛そうにさえ見えた。錫杖を握る指にも大きな宝石をはめ込んだ指輪が太陽の光を受けて輝いていた。


 分厚い衣類と行動を制限する重いアクセサリー、そして間もなく冬だという季節が信じられないほどの暖かな日差しに、彼の体は火照り、額にかいた汗が流れた。視界を遮るフードを脱いでみると、晩秋の風が吹き渡っていて、虚飾が取り払われた心を撫でた。

(心地よい)

 自然界の事象が素直に心に響いたのは何年ぶりだろう。広がった視界の片隅に十数人の女たちの集団が見えた。彼女たちの衣類は様々で町の女たちだろうと推測が着く。彼は王宮に祭りの負傷者を数多く収容したのは聞き知っている。

 女たちの明るい表情は、祭りから十日以上を経て怪我が癒えた者も多いと言う事か。粗末な身なりだが、彼女たちの笑顔は透き通るようで陰りがなかった。そんな笑顔に若い頃の記憶が蘇った。

 彼が未だ若い神官見習いだった頃、名前すら知られない田舎の神殿で、先輩の神官に町への買い出しを命じられる事があった。神殿から一歩出れば戒律臭さも消えて心が解放される。町の娘たちが若い神官に向ける視線は好意を越えて尊敬が混じっていて、若いゴルロースは気恥ずかしさの反面、若い巫女にもない戒律に縛られない素直な視線が心地よかった。


 当時はロッデルススという男が国の大神官長を勤めていた時期だった。その大神官長が地方の神殿を回っていた時に、ゴルロースはその大神官長の目にとまって、いつしか王都パトローサのルミリア神殿に身を置く身分になった。ゴルロースはロッデルススの傍らで神に捧げる詠唱の儀式だけではなく、神殿を経営し纏め上げる手法も学んだ。そのロッデルススは、アトランティス九カ国を纏め上げる聖都シリャード六神司院ロゲルスリンに仕えることになったとき、ゴルロースをこの国の大神官長の座につけた。

 ゴルロースにとってロッデルススは、信仰の師匠であり、神殿の運営の教師であり、彼を見いだして今の地位に引き上げた大恩人でもあった。


 僅かながら懐かしい思い出に浸っていたゴルロースは、女たちの中にひときわ身長の高い女を見つけてそれがエリュティアの侍女だった事に気づいた。そしてその傍らにいる女の正体に気づいて、眉を顰める思いで考えた。

(アレが、この国の王妃か?)

 女たちの中に見つけたエリュティアの質素な衣装は民に混じっても違和感がない。目だつ事と言えば、周囲の女たちがお腹の大きさが目だってきたエリュティアを労る様子だけだった。

 権威で人の価値を計る今のゴルロースには、エリュティアの衣装や民に労られる姿が、この国の権威を失墜させているようにも思える。

 こちらから声をかけて呼び止めるには大神官長としての沽券こけんにかかわる。ゴルロースは、彼に気づいて会釈したエリュティアたちを無視するよう王宮に向かった。


 王宮の入り口には近習と共にアトラスの姿があった。

(若造め。わしの到着を待っておったか)

 そう考えて不遜な笑みを浮かべたゴルロースに、アトラスは馬を撫でる手を止めて気さくな笑顔で声をかけた。

「おおっ。ゴルロース。息災であったか。病と聞いて心配していた」

 アトラスの気さくな言葉と、気さくな姿。ゴルロースは思った。

(これが王と言えるのか)

 彼は今は亡きシュレーブ国王ジソーにも長く仕えた。馬の世話など下僕の仕事に過ぎない。王がそんな仕事をするなど、国の権威を失墜させる。アトラスは、一瞬、沈黙したゴルロースに、この光景を説明する言葉を付け加えた。

「町の様子を見て回らねばならないと考えていた」

 乗っていく馬の準備をしていたという。ゴルロースは言い訳するように言った。

「おかげさまで。癒しの女神ナナエラネのご加護もあり、この通り回復しました」

「それは良かった。しかし、大神官長が病に倒れるとは、神々のご加護に見放されていたと言う事か」

 アトラスは素直な笑顔で皮肉ともつかぬ事を言いながら、ゴルロースを広間へと導いて行った。そこでは彼の到着を待っていたと言わんばかりに、ライトラスを始め宮殿の主だった者が集まっていた。

 まるで罠に飛び込んでしまった獲物の気分だった。ただ、アトラスは一段高い王座についてゴルロースを見下す事を避けるように、広間の両側に重臣たちが居並ぶ中でゴルロースと立ったまま向き合った。

 ゴルロースは言った。

「我ら神官の努力によって神々の怒りも解け申した」

「なるほど。地の揺れは収まっているように思える」

 王が神官の功績を認めたと思えた瞬間、ゴルロースは王宮に来た目的を語った。

「王におかれましては、各地の神殿の徴税権を廃止するとかいう愚行。取り消していただきたい」

 そう言いながら、彼は周囲の重臣を眺め回して脅しの文句を付け加えた。

「さもなければ、再び神の怒りが降り注ぐ事になりましょう」

 アトラスは、そんな脅しを気にかける素振りもなく小首をひねって答えた。

「それはおかしい。我は神々に逆らうような事はしておらぬ」

 アトラスの言葉に、ゴルロースは怒りと不満を隠さずに言い放った。

「王と小役人が神の領域に踏み込んで荒らしたのですぞ」

 ゴルロースの言葉に大臣ライトラスが口を挟んだ。

「ゴルロース殿は中央神殿の運営に気を取られて気づかなかったのでありましょう。しかし、各地の神官どもの酷い有様、既に我々の調べは進んでおります」

 各地の神官たちの腐敗の状況にゴルロースが気づかなかったのだろうという。もちろんそんなはずはない事は承知の上で、この国の神官の頂点に君臨する彼に逃げ道を用意して、王と大神官長の破滅的な対立を避けようとした。ゴルロースが受け入れれば対立は解消する。しかし、当然のことながら、彼はそんな言葉を受け入れず尋ね返した。

「さて、何の事やら。しかし、神々への侮辱なら、例えライトラス殿であろうと許されぬ事」

 ゴルロースの返答に、アトラスは調べの内容を非難と共に語った。

「各地の神官たちは神々の祝福税とやらを取り立てて、神々に捧げたというのか。神々がそのようなものを受け取るものか。神殿は貧しい農民たちから土地を奪い、土地を失った農民を奴隷のように使っているとか。神々の名を貶める行為ではないか。私はそんな神々を貶める行為を防いだだけ。忠実に神々に仕える事はあっても、神々に逆らう事などあるまい」

「しかし、我ら神官は、神々の言葉を民に伝え、我々の言葉を神々に伝える大事な責任を背負っているのですぞ。それをないがしろにするなど許される事ではありますまい」

「その重要な責任を果たすために、徴税など無用な仕事から解き放ってやったのだ」


 そんな会話を交わしているうちに大地が揺れた。久しぶりに感じた地の揺れだが、既に慣れきった程度の揺れでしかなく、アトラスはすぐに気を取り直して言った。

「はて、ゴルロース。そなたの祈りは神々に届いてはいなかった。これは 誰に対する怒りであろうな。この大地を戦乱に巻き込んだ私か それとも神々への供物をかすめとってきたそなたたち神官か」

「それはもちろん神々の権威を侵そうとする王の行為」

 そんなゴルロースの言葉からやや間をおいて、二度目の揺れが起きた。しつこく続く揺れに広間に集う者たちは苛立ちと不快感を感じて眉を顰めた。


 そして、そんな地の揺れが収まるかと思われた時、一瞬、広間に集う人々の体が浮いた。そんな激しい揺れが起きはじめた。頑丈な石組みの壁が軋み、天井から歪んで軋み合う石から生じる砂埃が振るほどの激しさだった。宮殿内に男たちの驚きの声と女たちの悲鳴が満ちた。

 アトラスは片膝をついて体を支えながら、四つんばいになっている者たちの中に大臣の顔を探し当てて命じた。

「ライトラスよ。そなたたちは王宮の様子を調べ、収容した怪我人も含めて王宮にいる者の安否を確認すると同時に、宮殿の被害も調べよ」

 そして、傍らにいた近習に視線を転じて命じた。

「スタラススとレクナルス。そなたたちは私と共に。王都パトローサの様子を見に行くぞ」

 近習の一人には別の命令を与えた。

「テウスス。そなたは兵舎に行き、指揮官たちに兵に招集をかけるよう命じておけ」

 町に被害が出ているなら、兵士たちを招集して事に当たらねばならない。アトラスは更に視線を転じて言った。

「ゴルロースよ。今のこの有様だ。そなたとの無駄話もこれまで。そなたも神殿に戻って大神官長としてする事があろう」

 そして、自分自身への疑問であるかのように言葉を付け加えた。

「人は生きて何かを残す。だから人の命に価値かあるのではないのか」

 アトラスはそれだけ言い残して広間から姿を消した。揺れは断続的に続いてはいたが、今は立ち上がって歩く事も出来るほど。重臣たちも次々に立ち上がって課せられた責任を果たすために駆け去った。

 広間には豪華な衣装を身に纏った大神官長ゴルロースと二人の付き人だけが残されていた。

 ゴルロースは人生を吐き出すようなため息をついて、アトラスの言葉を自らの人生と重ねて考えた。

「人の命の価値だと? 儂も老いたか……」

 地が大きく揺れる最中に、アトラスは矢継ぎ早に何をするか考え続けていた。それは他の誰かのために。自分を飾る重い衣装もなく、ただその一点のためだけに彼等の心は軽やかだった。

 ゴルロースはふと自分自身を振り返った。信仰によって人々を救いたいと考えていた若かりし頃、彼の心は軽やかだったのかもしれない。しかし、今の彼の心を縛る、贅沢な法衣と、重い金の腕輪と足輪。

 ゴルロースはうつむいて沈黙を保ったまま、エリュティアとアトラスの質素な身なりに、自らの贅沢さを恥じた。ただ、今は未だ、それを捨て去る勇気が湧かない。

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