対立と分裂
夜が更けて行く中、大臣ライトラスが戻ってこないと称したシーデラスが疲れ切った様子で戻ってきて告げた。
「人の波に飲み込まれ、戻れぬまま神殿の敷地の中へ。更に門も内側から閉ざされて、帰るに帰れませなんだ」
「それで、どうして戻れたのだ?」
「儀式に飽き、人混みに危険を察した民の一部が、勝手に門を開け放ったようでした。脱出した民に混じってようやく戻れた次第です」
ライトラスは慌ててアトラスを始め宮殿の主だった男たちを会議室に集めた。広間ではなく、話しが外に漏れにくい部屋を選んだところに深刻な雰囲気がうかがえる。アトラスたちを前に、シーデラスが報告を始めた。
彼が綴る言葉で現場の光景を想像すれば、儀式は盛り上がりも見せず、途絶える事もない。神官の呪文の詠唱の中、単調に続いていた。神官たちの立場で考えれば、休む事は出来なかったろう。家畜の一頭を神に捧げ終わったかと思うと、その死体を祭壇の下へと運び、次の家畜を曳いてくる。その重労働は体力のない神官には拷問だったに違いない。
ただ、祈りを捧げる神が次から次へ変わっても、眺めている者から見れば儀式の流れは単調だった。単調さは退屈に変わって、この場の敬虔な雰囲気は薄れた。押し合いへし合いの不快感は苛立ちに変わって怒鳴り声が響き始めた。
祭壇の上で犠牲になる牛や豚や山羊の悲鳴は、柵の中の仲間の家畜に届いて、柵の中の家畜も自分の運命を悟って騒ぎ始めた。
人々の喧嘩が始まった。暴れる人々に、ゴルロースたちが通ってきた通路の柵の一部が倒されたかと思うと、神官たちには支えきれなくなった。柵は神官たちと共に倒れ、なだれ込んできた人々に踏みつぶされた。神官や民の中て悲鳴を上げた者のは未だ良かった。運の悪い者たちは押しつぶされて息が吸えず悲鳴を上げる事も出来ない有様だった。
家畜たちを囲んでいた柵もまた、外にいた群衆と、中で暴れていた家畜たちによって壊れた。牛や豚に蹴られ押し倒される者の悲鳴が響き渡った
シーデラスが目撃したのはそこまでだったが、おそらくはその騒ぎは収まるどころか拡大して夜明けまで続いただろう。
この夜、神官たちに血まみれの重労働が待っていた。儀式で神に捧げた家畜十数頭の死体を片付け、壊れた柵から逃げ出した数十頭の家畜を追って、修理した柵に戻したが、勝手に門を開けて脱出した民と共に外に逃げた家畜も多い。
家畜が彷徨う敷地の中で、負傷して痛みに呻きながらも歩いている者は追い出して帰らせた。歩く気力もない者は、神殿の壁や塀にもたれかからせて休息させた。水を求める者も居たが、神官たちには水を運んでやる余力もなかった。
そして神殿の敷地内に倒れ伏して身動きしない者が居る。それが死体だと気づいた後は邪悪で汚れた物であるかのように避けて通った。彼等はそうやって、儀式の後片付けに眠れぬ夜を過ごした。
しかし、眠れぬ夜を過ごしたのは、他にもいる。負傷者の介護に当たっていたエリュティアたちだけではなかった。神殿の儀式を眺めにいって帰らぬ家族を待つ者がちも多い。王都の家々の明かりが消えることなく朝まで灯っていた。
多くの負傷者が王宮に収容されたという噂は、家々に広まっていた。夜が明けて、帰らぬ家族の消息を求めて、町中に人々が姿を見せ始めた。王宮の門は開け放たれ、家族を捜す者たちを受け入れていた。
再会を果たして喜ぶ家族ばかりではない。並べられた死体の中に家族の姿を見つめて泣き崩れる者たちもいる。王宮の中で怪我人を世話をする者にとって辛い光景だった。
そんな中、一人の男が、一人の若い女性を見つけてその名を呟いた。
「エリュティア様が……」
侍女たちに混じって怪我人の手当の合間にため息と共に気力を振り絞っているのはエリュティアに間違いなさそうだった。肌寒い風が吹く時期だが額の汗を拭っていたのは、彼女が長い時間重労働していた証だろう。
見回してみれば、エリュティアは怪我人の介抱をする者たちの一人に過ぎない。他の王宮勤めの女や侍従や衛兵もまた、表情に疲労感を漂わせていた。
男は傍らを通りかかった侍女が重そうに下げたバケツを奪い取り、侍女に代わって水を運び始めた。男のそんな行為を理解した民が、一人、また一人と負傷者の介抱の手伝いに加わり始めた。男たちは水を運び、食堂で湯を沸かすための薪も運んだ。女たちは侍女や薬師を手伝って負傷者に寄り添い始めた。負傷の軽い者は傍らのベッドの重傷者に水を飲ませてやり、子どもの負傷者には静かに歌を歌って聞かせたりした。不安感の中に、支えられ支え合う小さな安堵感と信頼感が生まれ始めたいるのかも知れない。
同じ頃、ルミリア神殿では、衣服はもちろん、衣服から露出した手や顔まで、家畜の血で真っ赤に染めた神官たちが、後片付けも終わりかけて疲れた体を休めていると、神殿の奥から小綺麗な法衣に着替えた大神官長が現れた。
片付け残った十数体の死体を眺めた大神官長が、汚らわしい物でも眺めるように命じた。
「アレはなんだ。神殿が汚れるではないか。敷地の外へ運び出せ」
「運び出した後は?」
「捨て置けば仲間が引き取りに来るだろう」
今の大神官長ゴルロースの頭の中は、儀式の後にどのように有利に事を運ぶかという事だけだった。自分が執り行った儀式に参列した民が途中で減った事や家畜が逃げ出した騒動は神官たちに功を奏した。神々に捧げると称した家畜は十頭を少し越えるに過ぎなかった。しかし、ゴルロースは祈りは神に充分通じたと称して儀式の完全な終了を宣言すればいい。
本来は播種祈りの日に行われる豊穣の女神の祭典のはずだった。ただ、その祭典目当てで集まる人々を利用して、ゴルロースは大地が海に沈むという災厄を避けるための儀式に変質させた。その一環として豊穣の女神にも祈りも済ませたと言い訳をしている。
例年は街道の両脇で陽気な売り声を上げる露店も、今年は怒号とともに人の流れに踏みつぶされた。祭りは盛り上がらず、人々に笑顔はなかった。神々へ祈りを届ける儀式もさんざんだった。
しかし、儀式から数日が経過したが、人々は一連の騒動の結果に悲嘆に暮れる中も、地の揺れは収まったかに見える。
ゴルロースはさんざんだった儀式をごまかすように、神官の息のかかった男たちに王都の様々な場所で大神官長ゴルーロスの功績を吹聴させた。
そんな酒場に響く会話あった。一人の男が半ば酔いの回った表情で杯を掲げ、酒場の中に響き渡る声で言った。
「我らの為に、大神官長ゴルロース様が祈りを捧げ、その祈りが神々に通じた」
別の男が応じるように、周囲に油断なく視線を巡らしながら叫んだ。
「大神官長ゴルロース様のおかげで、災厄は遠ざかった」
同時にアトラスへの中傷を合わせて広める事も忘れていない。
「しかし、油断してはならぬ。まだこの国には災厄をもたらす神々への反逆児がいるぞ」
男たちは名前こそ出さないが、この国の人々は、反逆児と言えばアトラスのイメージを思い浮かべる事は知っている。
「反逆児は大神官長ゴルロース様の儀式に出席も出来ず、我らを救う気概もないようだぞ」
そんな会話が、王都の人溜まりで繰り返されていった。
やがて、善良そうな表情の神官たちが王都の中を回ってその様子をつぶさに眺め、人々の会話にもそれと知られず耳を傾けて聞き取っていた。
王都の中の様子を探れと命じられた神官たちは、大神官長の歓心を買う報告に終始した。
「人々は大神官長に賞賛の声を挙げておりました」
「アトラス殿への失望と怨嗟の声が広がっている様子。あのような王がいれば災厄は再び訪れるのではないかと」
「しかし、それも、大神官長がおられる限り、大丈夫。神々の威光は大神官長ゴルロース様と共にあると」
報告を聞けば大神官長ゴルロースの企みは大成功を収め、人々は大神官長の権威を受け入れ、王の権威は失墜したように思える。大神官長ゴルロースは上機嫌で言った。
「これであの若造も、我らを蔑ろにすれば、痛い目に遭う事を悟ったであろうよ」
更に数日、地の揺れを感じない日が続いた。神官たちは、この国の民に自分たちの権威を民に思い知らせたと有頂天だった。
自信が傲慢さに代わってわき上がる真理の女神神殿に、リマルダの地にある十二の神殿の神官長たちから使いが着いた。
領主から神々の祝福税の廃止を言い渡されたばかりか、神殿か所有していた広大な土地も、神職たちが食べる作物を自給自足する畑を除いて全て没収されて領主の管理下に入った。農民たちは領主の力を背景に神々の祝福税の納税を拒否しているという。
「小賢しい若造め」
王の権力と神々を背景にする神殿勢力が本格的にぶつかり合い始めた。ほんの僅かな心の平穏の間にも、次の大きな災厄が牙を剥こうと口を開けかけていた。




