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王宮の亀裂

(剣を交わす戦は終わった。後は高ぶって乱れた人心を収め、国に秩序を取り戻すだけ)

 アトラスはそう考えていた。戦に加わった者たちには労いの言葉をかけ、後の褒美を約束して故郷に帰した。王都パトローサは元の落ち着きを取り戻しかけているように見える。

 しかし、聖都シリャード解放の後、国内の体制を整える間もなく、次の戦に明け暮れた。アトラスにはアトランティス中原のこの地が、ルージ国でありながら、母国だという感慨はない。


 しかし、王として、この地を治め、元の安寧を取り戻さねばならない。彼は王宮の広間に、主だった者たちを集めた。この大地が周囲から削られ続けている。その対応について重臣たちの意見を纏めておかねばならない。

 アトラスは集まった者たちを見回して言った。

「国内の安寧は大事だが、その安寧も周囲の国々が災厄に見舞われる事で乱されている。我らはどうすべきか。そなたたちの存念を聞きたい」

 アトラスの言葉に大神官長ゴルロースが進み出て言った。

「このシュレーブ国はいにしえより、真理の女神ルミリアのご加護に恵まれた大地。海に沈むなど、馬鹿げた災厄に見舞われる事などありましょうや」

 ゴルロースの言葉は、アトラスを苦笑いさせた。

「もし、シュレーブ国が神々に守られる場所なら、他国に踏みにじられる事など無かったであろうよ。今、ここはルージ国である。それでも災厄に見舞われる事はないと?」

 アトラスには大神官の言葉に苛立ちがあって皮肉な物言いになった。アトランティスの大地が各地で沈みかけて、人々の心が不安と恐怖に染められている。その状況はこの王宮のあるパトローサにも伝わっているはずだ。しかし、その不都合な事実にひたすら目をつむろうとする人々がいる。

 しかし、ゴルロースは言葉にこそ出さなかったが、表情に不快感を隠さず考えていた。

(何という驕慢きょうまんな王だ。噂通りか)

 大神官はこの王は神々に対する反逆者の噂がある事を思い起こした。よりにもよって、最も聖なる場所、聖都シリャードの神殿で、神の使いたる神帝スーインを前に神を謗る暴言を吐いたという。

 気まずい沈黙を打ち破るように大臣ライトラスが言った。

「まずは、この季節に異例ではありますが、各地の領主を招集し、領地安堵の儀を執り行うのが肝要かと」

 各地から領主を呼び寄せて、王としてその領地の統治を任せるとのお墨付きを与えるのと同時に、領主に忠誠を誓わせるという。手続きとして必要かも知れないが、アトラスは首を傾げた。

「しかし、収穫期に兵を動員させ、ようやく故郷に戻したばかりだ。領地で為すべき事も多かろう。忠誠が必要なら、私は領主たちの忠誠を信じていると伝えさせよ。」

豊かに実った小麦を収穫する一番忙しい季節に、農村から多くの男手を戦に狩り出した。それぞれの領地の民は困窮しているだろう。

 ライトラスの息子ジグリラスが別の提案で父の意見をアトラスに受け入れさせようとした。

「しかし、領地安堵の儀以外に、領主たちと共に婚礼の儀も執り行わなくては」

「婚礼の儀だって?」

「その通り。アトラス様とエリュティア様が結ばれた後、領主にも民にもお披露目をしておりません。先代のジソー様とアルネア様の婚礼の折りには、音曲隊を含めた二ゲリア(約1.6km)もの行列を仕立てて、民と共に祝ったものです」

 アトラスとエリュティアが聖都シリャードの真理の女神ルミリアの神殿で、結婚の誓いを交わして結ばれたのは、春の女神トライネの門が開いている頃だった。今や季節は移り、夏の女神ルチララが門を閉じ始め、秋の女神リルシネの息吹が大地を吹き渡り始めている。

 アトラスは呆れたように言った。

「無用にせよ。私とエリュティアは既に真理の女神ルミリアの前で結ばれた身」

 アトラスは重臣たちから各種の儀礼がすらすら出てくる事に呆れ腹立たしさを感じた。アトラスとエリュティアが結ばれた事を知らぬ者はこの国に居ないだろう。しかし、それを改めて周知し王の権威を高めるために儀式をすると言う。

「しかし、儀礼こそ国を纏める根本でありますぞ」

 ライトラスの言葉にアトラスは反論した。

「それは、この地がシュレーブ国だったときのこと。今はルージ国。王は私である。下らぬ儀礼など無用に」

 父親のリダル譲りでアトラスの言葉が短い。アトラスにしてみれば、実を重んじ虚飾など排除したいと言ったつもりだが、家臣たちは自分たちを纏め上げていた儀礼が下らないと、王に拒絶されたような気分だった。

 アトラスもまた、彼を支えてくれると信じていた重臣たちと、考えに隔たりがある事を感じ取っていた。

(何とかせねば……)

 アトラスがそう思ったのは重臣たちも同じだったかも知れない。ただ、互いの思いの溝は簡単に埋まらない。

 アトラスは散会を命じ、重臣たちは一礼して広間を立ち去った。気まずい雰囲気を察してアトラスに声をかけようとしたテウススやスタラスス、レクナルスたちにアトラスは言った。

「いや。そなたたちも気にせずとも良い」

 その三人は、アトラスが心を許せる友と言っても言い存在だった。しかし、今のアトラスはその三人とも距離を置こうとしているように見えた。こんな場合でも、アドナはアトラスの心など斟酌しんしゃくせず、護衛としてアトラスの傍らに居ようとする。そのアドナも今は黙って広間を出て行くアトラスを見送っていた。奴隷上がりで教養はない。しかし、アトラスと共に各地を転戦して各地の情勢に通じていた。

 彼女の見たところ、アトラスが率いるルージ軍と剣を交えようとする他国はもはや無い。アトラスによって戦火に見舞われた町の人々の中に、アトラスを恨む者たちも居たが、今はエリュティアの夫としてその気配も薄らいだ。重臣たちも、アトラスと意見が異なる事はあってもアトラスを害する気配はない。

 彼女は小さく呟いていた。

「私の役割は……」

 アトラスの命を守るというのが、彼女が自身に課した役割だった。その役割も終え、アトラスの元を離れる時が来たのかも知れない。


 そんなアトラスは、毎日この時間は庭園の東屋で、侍女のユリスラナと共に過ごすエリュティアのもとに姿を見せた。

 そのエリュティアが手の平に乗せて不思議そうに眺めている物がある。アトラスはその形で、彼がエリュティアに与えたお守りの真珠だと理解した。月の女神のリカケル・テスと名付けられた形にふさわしく、涙を想像させる水滴の形をした真珠だった。

 アトラスは尋ねた。

「何か不思議な事でも?」

「この真珠、いただいた時にはもっと輝いていたのに。月の光を反射するほどに」

 優美な輝きを持った真珠も手入れや保管が悪ければ、その表面の輝きは失われる。ただ、この真珠の場合は、エリュティアが肌身離さず身につけ続けていたからだろう。

 アトラスは首を傾げたエリュティアの手の平からその真珠をつまみ上げて、種明かしでもするように言った。

「ルージ国では『輝きが移る』と言う」

「移る?」

「輝きの精霊が、持ち主の邪悪な心を察して逃げ去ったか、持ち主の心の清らかさを気に入って、真珠ではなく持ち主の心に乗り移って輝かせるようになったか、どちらかだ」

「邪悪と清らかさ、私の場合は、どちらでしょう」

 愛があれば、清らかな妻だと言うだろう。エリュティアはそれを期待してアトラスの顔を眺めて微笑んだ。ただ、アトラスはその真珠の記憶を辿たどって言った。

「妹のピレナは勝ち気な女だったが、心は澄んでいた。そのピレナが、その真珠を眺めて『こんなに大切にしているのに、私を輝かせない』と嘆いていた。輝きの精霊も気まぐれなのかも知れぬ」

「そうか。これはピレナ様の遺品ですね」

「いや。海に沈んだルージ島の全ての人々が残した遺品かも知れない。その名、『月の女神の真珠リカケル・テス』の名のいわれを?」

「この真珠にふさわしい素敵な名だと思います」

「もともと、この真珠を見つけたのはリルネアという漁村に住む少女だ。病に倒れた母が回復しない事を嘆いて、泣きながら月夜の浜辺を歩いていた時に、月の光に輝くそれを見つけたらしい。月の女神のご加護かと考えて、真珠に母の回復を祈ったらしい」

「その真珠がどうしてピレナ様の手に?」

「そんな頃、ピレナがリルネアの母の病を聞いて、都の薬師を呼んで治療をさせた。リルネアの母は回復し、願いが成就した後のお礼にピレナに真珠を引き継いだ」

 アトラスはそう言って、つまみ上げていた真珠をエリュティアの手に戻した。エリュティアは真珠に込められた記憶に微笑んだ。

「この真珠が、偶然にリルネアとピレナを出会わせたのでしょうか?」

 エリュティアは本来は出会うはずのない身分の者を引き合わせたのかという。アトラスはピレナの人柄の記憶に微笑んで言った。

「いや、二人の出会いは偶然でもない。ピレナは馬での遠乗りの途中、その村に立ち寄って、村の女たちと一緒に網を曳く事もあったらしい」

「ピレナ様が漁師の網を引いたのですか?」

「ああっ、女たちが男に混じって働くのは珍しい事ではない。ただし、王族の女ではピレナぐらいのものだ」

 苦笑いを浮かべたアトラスの言葉に、エリュティアはどう問い返すべきか困った。エリュティアが尋ねたのは、一国の王女が漁民の女に混じって仕事をしたのかと言う事である。アトラスはその点、意に介する気配はない。

(そう言えば……)

 彼女の記憶の中に、彼女と旅をしたゴダルグの領主の息子エルグレス兄弟が、村人たちと共に麦の束を背負うと言ったのを思いだした。そして、デルタスが言い残した事。

「我が民と共に過ごします」

 その意味が、この時のエリュティアの心に染みて分かった。しかし、彼女も僅かだが輝きの精に文句がある。

「でも、今の私は輝きの精に守られているようには思えません。輝きの精は私を見放して逃げてしまったのでしょうか」

 アトラスは少し考えて言った。

「ふと思ったのだ。ひょっとしたら、輝きの精はそなたではなく、お腹の男の子が気に入って守っているのではないか」

「男の子? 女の子かも知れないのに」

「いやっ。きっと男の子だ間違いない。名前ももう決めてある」

「どんな名を?」

「今は、未だ秘密だ」

 アトラスは悪戯っぽく笑って、秘密は守ると言わんばかりに足早に去った。


 エリュティアは、傍らにいたユリスラナと見つめ合ってくすくす笑った。剛胆な王という視線を受けるアトラスが、一人で一生懸命に息子の名を選ぶのに悩む姿を想像すると微笑ましい

 ユリスラナはふと思った

(エキュの奴。ちゃんと名前を考えてくれてるのかしら)

 彼女は未だエキュネウス以外の人物に、自分が身籠もった事を告白できずにいる。


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