共に北へ
ジーネラが事を収めるようにアトラスに言った。
「何という粗忽。申し訳けござ……」
アトラスはジーネラに最後まで言わせず口を開いた。
「私は盟友と信じたトロニス殿と、思いもかけず戦をする羽目になった。攻め入ってこられたクスニルス殿との戦いで、私は師とも仰ぐマリドラスと、兄弟とも考えていたラヌガンを奪われ、憎しみを抱いてここまで来た」
憎しみという言葉に、ジーネラたちは自分たちの運命を察するように表情を曇らせた。アトラスは言葉を続けた。
「しかし、ふと考えたのだ。憎しみ以外に生きる術がない物だろうか。そなたたちにも問いたい。家族を殺された憎しみを消す事など出来まい。しかし憎しみを克服したその先にある安寧を考える事は出来ぬのか」
「アトラス様。その憎しみは私一人に背負わせてくださいませ」
ジーネラは自分の命で憎しみの連鎖を終わらせたいと言った。しかし、アトラスは彼女の懇願を拒絶して首を横に振った。
「私は人質など要求しては居らぬ。私の戦は、既に終わった」
「終わったとは?」
不思議そうに首を傾げたジーネラにアトラスが言った。
「今朝方、我が国のリマルダの地でトロニス殿と戦っているラクナルより、使者が遣わされてきた」
アトラスたちルージ軍は情報の伝達をする使者は馬で移動する。その分、グラト軍より早い。そして、その途中に情報の伝達を妨害する勢力もない。ジーネラたちは、やがて知る事になる家族の情勢を、アトラスの口から聞く事になった。
「故郷の危機を聞くや、トロニス殿は兵を故郷に戻そうとされた。しかし、それを阻むのはルードン河」
この状況を見守るだけの避難民の中、荷車の上にいる者たちは、アトラスが語る状況を一言も聞き逃すまいと耳を澄ませていた。
アトラスは言葉を続けた。
「王は背後の守りを固めながら、ルタゴドス殿を渡河させた。しかし兵の半分が渡河して、北岸のグラト軍が半減するのを待って、ラクナルは逃げ場のないトロニス殿に総攻撃をかけた。父王がルージ軍に包囲されたと知るや、ルタゴドス殿も兵を返して、王と共に戦って戦死された」
その言葉に、ジーネラや荷車の上の者たちが嗚咽の声を抑え、涙を流していた。
「兵の多くは王と王子を守って死んだ。お二人が兵に慕われていた証拠だろう。感服する。お二人の死の後、数百の兵が投降したのみ」
その言葉に、思わずマリピレラが反応して口を開きかけたのを制して、ジーネラが代弁して言った。
「遺体は……。王や王子の遺体は?」
王の一族として最も気になる事だが、マリピレラがそんな質問をすれば、彼女が王家に深く関わる者だと露見する。アトラスはそんな配慮を気にもとめず、ありのままを語った。
「兵の遺体はルードン河の川辺に埋葬したと聞いている。王と王子の遺体もそこに。もし、ご母堂か后殿が望むなら、ご遺体は掘り起こして荼毘に付し、遺骨をお渡ししよう。しかし、戦場の習い。亡くなった勇者は、兵と共に埋葬される事を望むやも知れぬ」
王の一族は戦場から届く僅かな情報も心の中で否定していたが、その一縷の生存の望みも断たれた。ジーネラは支えを失ったようによろめきかけたが、気丈に心を落ち着かせアトラスと向き合った。
アトラスは言葉を締めくくった。
「私は、その最後を伝えるために来た」
アトラスは用件は全て終わったと言いたげに言葉を終えたが、手にした短剣にふと気づいて言葉を継いだ。
「そうだ。この大切な短剣はお返ししておこう。今は、亡くなられた方の形見の品となるかもしれぬ」
短剣はアドナの手を介してジーネラの手に渡った。マリピレラから奪った短剣を返すと称してジーネラに渡すというのは、マリピレラが王の一族の一人だと察しているからだろう。ジーネラは民に紛れ込ませて王族を逃がそうとしていた企みを、アトラスは全て見破っている事を知った。しかし、もしもアトラスにこのグラト国の領土への野望があるなら、王の一族を一網打尽にしてしまう絶好の機会だが彼はそれを望んでいないように見えた。
「講和にはどんな代償が必要です?」
ジーネラは講和するための、アトラスの条件が聞きたいと言った。見方によっては滑稽な言葉だったろうか。グラト国は王とその指揮下の兵の大半を失い、世継ぎの王子二人も戦死した。攻め込んできたルージ軍の完勝といえる。
そして、彼女たちは過去に勝利者の立場で、戦に負けた国をどう扱うかを経験していた。西のゲルト国はフローイ国と分割して手に入れた。シュレーブ国は戦に勝利した四カ国で手に入れた。
戦費をまかなう重税、物資の不足を補う略奪、不足する兵や労役をまかなう村人の徴募など、グラト国が占領地で行った圧政は、占領地各地で起きた小規模な反乱の数々で聞き知っている。
彼女たちは、今度は敗戦国としての運命を受け入れねばならないはずだった。しかし、ジーネラは講和がしたいという。既に敗戦が決まった国の虫の良い提案だが、アトラスはから改めて気づいたように言った。
「代償? そうだな。先の聖都解放で、グラト国がシュレーブ国から得た領地。その帰属を領主と民に任せたい。有り体に言えば、元領主と民は、我が妻エリュティアへの帰属を望んでいる」
グラト国に併合されて、その圧政に苦しむ元シュレーブ国の民は、今は消滅したシュレーブ国の王家の生き残りのエリュティアを懐かしんでいるのは事実だった。
幼いローテスが進み出て、怒りを込めて言った。
「なんだかんだ言っても、我が国から領地を奪うのが目的であろう」
一人の人間として、アトラスは幼いローテスと向き合った。
「領地を奪う? それは王の野心と自尊心。些細な事かもしれぬ。トロニス殿は我がルージ国の混乱に付け込んで、領土を奪いに来られた。王にとって大事な事も、安寧を望む民の家族から見ればどうだろう」
やや間をおいて彼は言葉を続けた。
「そなたにとって、良き父、良き兄であったろう。しかし、民にとってどうか? 戦によってどれ程の数の男たちが戦場に倒れ、故郷でその帰りを待つ家族が悲しんだか。今のそなたは自身でそれを味わっている。今のそなたにそれを背負う覚悟があるか」
アトラス自身はローテスに語りかけつつ、自分の乱れた心の中を整理していた。エリュティアが民から慕われているのは彼女が民と共に生きているから。兵たちが迷いの多い自分に付き従うのは、アトラスの父リダルが息子に伝えた、飢えや渇き、寒さや暑さは、兵と共に味わえという生き方。今のアトラスは考えていた。
(神々の賞賛ために生きるのではない。民と共に生きればいい)
アトラスはため息をつくような面持ちで経験を語った。
「私は最初の戦で左腕を失って、この姿になった。失ったものを嘆き、奪った者を憎んだ。しかし、時も過ぎ、今はこの失った腕の代償に得たものの価値の大きさに、恐れおののいている」
失った腕の代償に、多くの人々の人生に接し、人として学んだものは多すぎて荷が重いという。アトラスはそこまで言ってジーネラに視線を転じた。
「ご母堂よ、民の命と苦しみを背負う覚悟のある者を、次の王にするが良い」
この時、神々による何かの警告か、冥界の神が愚かな人々をあざ笑う声か、判断のつかぬものが地を揺らして、人々の心をアトラスの言葉と共に揺さぶった。
(こういうお人だったのか)
アトラスの背後にいたエキュネウスやクセノフォンたちギリシャ人も、アトラスの哀しげな心に言葉で触れたのは初めてだった。
「いつか、再び、聖都で集う日を待っている」
そう言って背を向けたアトラスの背にジーネラが声をかけた。
「今しばらくお待ち下さい」
「何か?」
振り返ったアトラスに、ジーネラが正直に今の立場を語った。
「王都は、地の揺れと大きな波の被害を受けて、今の私どもは北の安全な地に移るより他ございませぬ。今しばらく、アトラス様と共に歩ませてくださいませ」
ジーネラと避難民にとって、他の街道は閉ざされて向かうとすれば北だけ。進む方向は同じだという。ただ、そこにアトラス共に生きる決意だという意を含めたようにも思える。
アトラスは微笑んで言った。
「好きにするが良い」
彼は率いる兵にパトローサへの帰還を命じ、もう振り返る事はなかった。
民と共に生きると考えたアトラスと、そのアトラスと共に同じ方向に歩もうとしたジーネラ。しかし、アトランティスの人々に残された時は短く、破滅の日が一年後に迫っている事に気づく者は居なかった。




