家族の和解
グラト国を襲った災厄を、一連の流れで捉えるなら、旧都の東の地が、大きな地の揺れに見舞われて大地が海に没した。その余波として発生した巨大な波が旧都の南の沿岸部を襲い、更に旧都の家屋の多くを倒壊させて、人々を下敷きにした。更に地の揺れは北のトステルの町まで伝わって、ゲルト国の避難民とアトラスたちが感じた地の揺れとなった。
脱出するつもりだった東への道が途絶えたばかりか、王母ジーネラにとって愛する孫娘レイネルネとその家族の消息が途絶えた。
今の彼女にとって大事な事は、王家の血筋を存続させる事だった。その為には、この都にいる子どもやその妻や孫を王都から逃がして、アトラスの手に渡してはならない。しかし、その脱出路にアトラスが立ちふさがる形でいる。
ジーネラは決断して言った。
「私はアトラスに下ります」
アトラスに降伏し、自らの身柄をアトラスに預けるという。大臣ジルラスは、彼女の決意に気づいた。彼は密かに王家の者の人数分、商人とその家族が身につける衣装を準備するように命じられていた。ただし、ジーネラの分を除いて。
ジーネラは自分を囮にしてアトラスの注意を引きつけ、その隙に家族を避難民たちにまぎれこませて逃がす。そして、彼女が無意識に握った短剣は、家族の脱出を見届けた後、アトラスの人質になる事を避けて自分の命を断つつもりだろうか。
彼女は命じた。
「宮殿の蔵を開けて、食糧は全て民に分け与えよ。あの悪鬼にくれてやる旧都には、何も残さぬように」
宝物の多くは既に新都に運ばれているが、食糧の備蓄が蔵に残っている。それをアトラスに渡すのは惜しいということだ。
マリピレラが首を傾げて言った。
「しかし、アトラスが応じるでしょうか」
「私が使者として出向きます。王の母となればアトラスも無視は出来まい」
王母を庇うように王妃シルニルネが言った。
「では、私が代わりに参ります。失礼ながら王母様より、王の后の方をアトラスも手厚く遇するでしょう」
「いや。そなたたちは大事な身。しなければならぬ事があります」
「しなければならない事?」
「王の血筋を絶やさぬように引き継ぐこと。その為には、そなたたちは敵に捕らわれてはならない」
「何かお考えが?」
「そなたたちは、避難する民に紛れ、旧都から逃れて王の元へ行くのです」
セラローサは、身籠もった子どもだけは守りたいと言わんばかりにそっと腹を撫でていた。幼いカルラーネとローテスは、そんなセラローサに寄り添って赤ちゃんを守るつもりで居た。
マリピレラは、そんなセラローサを忌々(いまいま)しげに眺めて言った。
「身重の者はどうするのです? 逃げるには足手まとい」
彼女が次男の妻セラローサに向ける憎しみは高じて、敵のアトラスに向ける憎しみを上回っていたかも知れない。
ジーネラは首を横に振った。
「いいえ。逆です。民の家族を装うのに、妊婦がいれば悪鬼どもの目も緩むでしょう。家族は離ればなれにならぬように、セラローサと子どもたちは荷車に乗せ、商人姿の者に荷車を曳かせましょう」
彼女は手際よく指示して侍従たちにその準備をさせた。ただ、マリピレラの誇りは民の衣装を身につける事を受け入れなかった。ジーネラは仕方なく、彼女に侍女を装わせて侍らせるしかなかった。マリピレラは手にした短剣をそっと懐にしまった。夫から妻を守る愛の証として受け取った短剣で、今の彼女の心の拠り所になる。
王都から出て、北からやって来るアトラスを出迎えるというのは、王母ジーネラの判断だった。彼女は混乱し破壊された町の中で、惨めに降伏するのは避けたかった。町から街道を出て、北に一ゲリア(約八百メートル)ほど離れ、街道沿いにいくつかの家が点在するだけの名も無き集落がある。彼女はそこでルージ軍がやって来るのを待っていた。
後方には避難民たちが列を成して続いていて、ジーネラがルージ軍の了承を取り付け次第、彼女はアトラスと共に旧都戻ってルージ軍による占領を見届ける。避難民たちはそのまま街道沿いに北に避難させる手はずである。そうしている間にも、彼女たちの足下では地が何度か揺れた。
街道の北に、馬上からこちらを窺う男たちの姿があった。ルージ軍が物見や通信に馬を使う事は良く知られている。アトラスが前方の状況を探らせている物見に違いない。彼女は侍従を遣わして彼等を呼び寄せて用件を伝えた。
やがて、彼女たちの前にルージ軍部隊が見えてきた。片腕の武将がその先頭にいて、ジーネラを驚かせた。もしも、ジーネラが背後の避難民の中に、弓を持った兵士を伏せさせていて、号令と共に敵の先頭に矢を降り注がせたら、アトラスを簡単に討ち取る事も出来るかも知れない。
アトラスはそんな危険も気にかける様子はなく、部隊に行軍停止を命じると、身の回りの者、数人を伴っただけの身軽な姿で歩み寄ってきた。
「そなたがトロニス殿のご母堂か」
アトラスの言葉に、ジーネラは恭しく一礼して言った。
「この身をアトラス殿お預け、民と町の安寧をお願いに参りました」
「敵に下ると言うか。ご母堂以外のご家族はご無事か?」
グラト国王の一族の身柄を押さえに来た者の当然の質問で、ジーネラの答えも想定通りだった。
「パシロンに残っていたのは私のみ。他の者は既に遷都したイドランへ移り住んでいます」
「左様か。ご無事で良かった」
素直な笑顔だった。
(なんと間抜けな男か)
ジーネラはアトラスにそんな印象を抱いた。母親かと問うて、そのとおりだという返事を確認もせず、疑いもせず受け入れてしまう男。家族はと問うて、ここにはいないと返事を受けて、そのまま素直に受け入れる男。
ジーネラは改めて自分の身分を証明する腕輪をアトラスに差し出した。しかし、アトラスは受け取りを拒否して言った。
「こんな品は不用。この品でご母堂の身分を証明する事は無理だろう。そなたは私をルージ国のアトラスと認めた。私もそなたをグラト国王トロニス殿のご母堂と認めて話しをするしあるまい」
アトラスの言うとおり、腕輪にグラト王家の紋が入っていても、腕輪を所持している事で身分が証明されるわけではない。
張り詰めていた雰囲気が少し和らいだ瞬間、ジーネラの傍らにいたマリピレラが懐の短刀に手を伸ばしていた。彼女にしてみれば夫クスニルスの仇が、警戒心もなく目の前にいるという状況だった。
ただ、実戦をくぐってきたアドナは、女の不審な動きを見逃さず行動を起こした。アトラスはアドナの動きに眉を顰めて言った。
「乱暴は止めよ」
アトラスがそう言った時、アドナがマリピレラから奪い取った短刀を掲げて見せたためにマリピネラとアドナの意図が知れた。王の暗殺未遂か。そういう状況に周囲の雰囲気は一瞬にして凍り付いた。
この時、ジーネラの後方で荷車の毛布の上に身を横たえていたセラローサが、マリピレラ駆け寄った。彼女はマリピレラの頬を平手打ちして叫ぶように言った。
「ルサネラ。何と言う事を。あれほど短刀など持ち歩くなと言うたに」
そしてマリピレナにだけに聞こえる押し殺した声で言い聞かせた。
「貴女は商人の妻の次女ルサネラよ。幼子を残して死んではいけない」
セラローサが即興で演じる商家の女主人、その侍女ルサネラを装って、王殺しの疑惑から逃れなさいと言う事である。
セラローサはアトラスと向き直って、地に伏すように頭を地につけて言った。
「アトラス様。召使いのこのような失態、お詫びの言葉もございませぬ。でも、この者もあの幼子の母。母が殺されればあの娘も嘆きます。どうか私に免じて、命だけはお救い下さいますよう」
セラローサが懇願している間に、アドナは奪った短剣をアトラスに渡していた。その束にあるのはグラト国王家の紋。その短剣を所有するのは、ただの商家の召使いではない。そして、その女を地に伏して命がけで庇う女もただ者ではあるまい。
しかし、アトラスはそれに気づかぬふりをして言った。
「女よ。立つがいい。私はトロニス殿のご母堂と話し合いに来た。この場で血を流すつもりはない」
そして、アトラスはいつの間にかセラローサの前に立ちふさがって彼女を守ろうとしているカルラーネとローテスの健気な姿を眺めて微笑んだ。
セラローサは慌てて立ち上がり、右腕でカルラーネとローテスを抱くように、左腕でマリピレラの手を曳いて荷車に戻った。目の前の荷車には怯える娘の姿があった。思わずかき抱いた幼い娘の体が柔らかく生命感がつたわってきた。状況に戸惑い放心状態にあったマリピレラはこの時ようやく事の次第に気づいた。セラローサの機転がなければ、自分はこの娘を二度と抱く事は出来なかったかも知れない。
彼女は一粒の涙を流して呟いた。
「セラローサの言うとおり。私が間違っていたわ」
セラローサは、そんなマリピレラを支えるように、彼女の肩を柔らかく抱いた。
次回更新は、本日の17時頃の予定です。




