王都(パシロン)にて
舞台がグラト国内へ移って新たな登場人物が多数出てきましたので纏めてご紹介します
ジーネラ :グラト国王トロニスの母
トロニス :グラト国王
シルニルネ:トロニスの妻
クスニルス:トロニスの長男
マリピレラ:クスニルスの妻
フェーリネア:クスニルスの娘
レイネルネ:トロニスの長女。スピールの地の領主に嫁いでいる
ルタゴドス:トロニスの次男
セラローサ:ルタゴドスの妻
カルラーネ:ルタゴドスの次女
ローテス :ルタゴドスの三男
(その他)
ジルラス :王不在の間、グラト国の政務を預かる大臣
いずれ、もっとわかりやすい人物相関図でもかけたら良いんですけど
王が出兵した後、グラト国の政務を預かる大臣ジルラスの役割は、王から命じられた遷都を推し進める事だった。彼の目には、新たな都イドランでさえ仮の都。やがては聖都に遷都しグラト国の覇権を世に示す王の夢が見えていた。
ただ、王トロニスの決断とジラルスの努力にも関わらず、王の老母ジーネラは二人に面と向かって、このパシロンで余生を過ごすと宣言してもいた。長年過ごした懐かしい都を離れる事に抵抗を感じる者もいる。王妃シルニルネもその一人だったし、子どもたちにもこのパシロンの美しさを吹聴していた。王妃とその子どもたちも、愛着を感じる旧都パシロンから離れないでいた。
アトラスがグラト国の都パシロンを目指して移動を始めた頃、そのパシロンは様々な理由が重なって大混乱に陥っていた。
人々は戦に出向いた男たちの帰りを待っていた。ある者は母として、別の者は妻として。聖都解放の勝利者として凱旋した王トロニスも、戦後処理に不満を抱いた東の隣国ラルト国が攻め込んで来るや、次男のルタゴドスを連れてその敵を迎え撃って叩き返したが、パシロンにも新たな都イドランにも戻る気配もなく、ルードン河を渡ってルージ国に踏み込んだ。旧都パシロンに残された女たちには、その男たちの意図がつかめず首を傾げて不安を募らせていた。
そして、本国に残っていた長子クスニルスは国内の兵をかき集めて、ルージ国の都パトローサを落とすと豪語して兵を連れてルードン河を渡った。
最初にルードン河を渡った王トロニスからの連絡は途絶えがちで、戦況や安否は推測を交えて想像するしかない。兵士として夫や肉親が戦に加わった女たちの不安も加わって、家族が手柄を立てて凱旋する姿ではなく、戦場で凄惨な死を遂げる姿が思い浮かぶようになってきた。それは王宮にいる女たちも同じだった。
その一方、後から出陣したクスニルスは戦に敗れ、その兵士の多くは戦場に散ったという知らせは、戦場からようやく逃げ延びた僅かな兵士からの信憑性のある体験談としてもたらされていた。しかし、故郷で家族の帰りを待つ女たちは、自分の愛する者だけはその悲惨な運命から逃れているのではないかとの期待にすがっていた。
ただ、クスニルスの敗北を裏付けるようにアトラスがルードン河を越えて攻め入ってきたという知らせも届いて、都の中にも広がっていた。しかし、アトランティスの中原を貫いて流れるルードン河から南の海辺のパシロンまで長い距離がある。人々の間には、悪鬼の軍勢など、豊かになったグラト国のどこかで潰えるだろうという期待もあった。
そんな王都パシロンを激しい地の揺れが襲ったのは昨日の事だった。地の揺れの直後に巨大な波が海岸の港や漁村を飲み込んで、人と家の残骸を沖合へと流し去った。海岸からやや離れたパシロンは波の被害こそ免れたが、この町も民の住む家屋は倒壊して瓦礫になり、神々を祀る神殿は崩れて、中にいた多くの神官や巫女を押しつぶした。王宮を作り上げていた石組みも軋んで歪み、その一部は崩れ落ちた。
パシロンの町ばかりではなく、王宮の中も人が入り乱れて混乱が収まらない。一人の若い女が、そんな騒動を避けるように、丁寧に手入れされた花壇に花々が咲き乱れる傍ら、大きなお腹を労るようにベンチに腰掛けていた。女は不安を収めるように愛おしそうに腹の中の赤児に語りかけていた。
「貴方のお父上は必ずこのグラト国の王になる。いえ、母さんがそうしてあげる」
彼女は王トロニスの次男ルタゴドスの妻セラローサである。今のグラト国には、密かにどろどろと粘るような後継者争いが渦巻いていた。
「セラローサ姉さま」
手を繋いで駆けてきたのは、王ルタゴドスの次女カルラーネと三男ローテスである。 二人は荒い息のままセラローサの前にしゃがみ込むと顔を見合わせて、セルローサのお腹の中の子を論じ合った。
「可愛い素直な男の子だと良いな。ローテスは生意気すぎるもの」
「違うよ。可愛い女の子だ。カルラーネより優しい子だよ」
セラローサは笑顔で二人を分けて言った。
「男の子か女の子。どちらでも良いわ。二人で幸運と美徳の双子に、この子の幸せを祈って頂戴」
幸運と美徳の双子というのは、癒しの女神の子どもで、女性たちの出産に際して生まれた子供に、ラミクは美徳をラミクスは幸運を与えるとされていた。
セラローサが二人に優しい笑顔を向けているのは、この二人が彼女の夫や子どもの王位を脅かす存在ではないからかも知れない。
パシロンの町が壊滅するほど地が揺れた後、繰り返し起きる揺れも小さくなって、地の揺れが日常生活に入り込んだ日常の生活に戻ってきた。
セラローサは二人の頭を撫で、崩れかけた王宮を眺めて、二人の頭を撫で慰めるように言った。
「遷都するという、王のご意志が正しかったのかも知れないわね」
まず、多くの被災者たちに手を差し伸べねばならない。しかし、町を復興するにしても、一度はこの地を離れる必要があるだろう。地の揺れが収まってくれば、気がかりなのは攻め込んできているというアトラス率いるルージ軍だった。
ローテスが言った。
「でも、まずはあの悪鬼を叩き出さなくては。この大地の揺れもきっと悪鬼の仕業だから」
カルラーネは自らの不安を振り払う笑顔で言った。
「大丈夫。お父様やお兄さまたちが何とかしてくださるよ」
子どもたちには周りの大人から聞く戦況がわかりにくい。父と二人目の兄が残虐な悪鬼を討伐するために出兵したと聞かされていた。更に、長兄のクスニルスが悪鬼の巣窟を征伐しに行った。
カルラーネとローテスは大人たちから教えられる内容をそう解釈していた。しかし二人には解決できない疑問が湧いている。
「でも、悪鬼の軍はどこからでも沸いて出るという噂だよ」
ローテスがそう言ったのは、アトラス率いるルージ軍が攻め込んできたという噂の異様さだった。父や二人の兄が悪鬼征伐に出向いているはずだが、その悪鬼がグラト国に姿を見せたというのは、理解しがたい出来事に違いない。
セラローサは功を焦った義兄クスニルスがルージ国へ攻め込んだ後、部隊は全滅して、彼の生死も分からない事を知っていた。そんな不安を煽る事には触れず、彼女は言った。
「さあ。お義母さまの所へ。こんな時こそ家族は一緒にいなくては」
王母ジーネラの居室を始め王族の居室は宮殿の奥の頑丈な壁で囲まれた場所にあって、被害と言えば棚の上の花瓶やテーブルの上の水差しが床に落ちて壊れたぐらいの事だ。 そんな王母の部屋から、王の長男クスニルスの妻マリピレラが嘆く声が響いてきた。彼女の言葉は、王の長男としての夫の気持ちを代弁して言った。
「王は次男のルタゴドス殿だけを贔屓なさる。まるで我が夫など目に入らぬように。我が夫は自分の姿を、ただ父親に見て欲しい。その思いで兵を挙げたのです。この子のために」
彼女の夫は長男であるにも関わらず、王の信頼と寵愛は次男に向いていると嘆いているのである。その嘆きの裏にはグラト国の王位継承を巡る争いがある。
王母ジーネラがマリピレラをなだめる言葉が聞こえた。
「マリピレラ。王の批判は控えよ。今はただ、そなたの愛に誓って、愛の女神にクスニルスの無事を祈るだけです」
長男クスニルスが戦死したという知らせは聞いている。それでもその遺体を目撃したわけではなく、祖母として彼の生存に一縷の望みを抱いている。マリピレラもそんな望みに頼るように言った。
「王母様。私は悔しいのです。私は我が夫の為に何もできない。この娘のために父の安否を確認する事さえ」
そんな会話を、次男ルタゴドスの妻セラローサが入り口のカーテンを開けて部屋にはいる事もためらって、傍らのカルラーネやローデスとともじっと聞いていた。長男クスニルスと次男ルタゴドスの王位継承争いは、その二人の妻の王妃の座を巡るライバル関係を作り出して、部屋に入りづらく、漏れ聞こえる会話を聞いているのにも罪悪感が沸く。
普段ならそのライバルの女性の悲痛な叫びを自らが優位に立った証として捉えたかもしれないセラローサだが、彼女の表情も暗い。王と共に出陣した彼女の夫からの連絡も途絶えていた。戦はこの宮殿の女たちに暗い影で包んでいた。
やがて、王妃シルニルネが大臣ジルラスを伴って現れたのに気づいたセラローサは、背を押されるように明るくカーテンを開けて部屋に足を進めて新たな提案をした。
「ジーネラ様。いまはこのパシロンを離れ、まずはレイネルネ様を頼り、東のスビールの地へと逃れてはいかがでしょう」
レイネルネとは王トロニスの長女で、今はこのパシロンから東へ一日の場所にある領主の妻となっている。肉親だけに、王家の人々にとって最も安心できる避難先だった。
王妃シルニルネも頷いて同意した。彼女も大臣と共にそれを勧めに来た。
「お母さま。それがよろしいかと。今は一刻も早く、あの悪鬼から逃れるのが肝要」
提案に王母ジーネラは頷いた。
「確かにそれが良いでしょう。ただ民はいかがするつもりじゃ」
地の揺れや家の倒壊で混乱する多くの民がいる。その民を捨て置くわけには行かない。大臣ジルラスが言った。
「北からルージ軍が攻め寄せてくると言う噂は民にも広がり、今は東へ逃れる者が大勢居ります」
パシロンから延びる街道は、海辺に沿って南東へ延びて領地カクタスに至る街道、東に延びて孫娘が嫁いだ領地スビールに向かう街道、そしてアトラス率いるルージ軍が進撃してくると言う北に向かう街道がある。
北から悪鬼の軍勢が来る聞いた民の一部は、既に旧都を離れて南東部や東へと逃げ始めている。その動きは民に指示しなくとも広まるだろう。何より大臣ジルラスにとって、民より王族を安全な場所に移したい。
「では輿の準備をさせます故、身支度をお整え下さい」
大臣ジルラスの言葉にマリピレラが憎しみを込めて言った。
「口惜しや。旧都を捨ててアトラスにくれてやるというのか」
「いえ、こうお考え下さい。冥界の神の災厄で旧都は破壊された。旧都を手に入れるつもりでやって来たアトラスは、この町の有様を見て得るものが無くなった事を知って地団駄を踏んで悔しがる事でしょう」
その言葉にマリピレラはほくそ笑んだ。
「なるほど。では、身支度を調えると致しましょう」
そう言って娘フェーリネアに目を移した彼女は、怒りと嫉妬に満ちた表情を浮かべた。大人たちが嘆く中で幼女は訳も分からず狼狽え、救いを求めていた。そんな幼女を安心させるように静かに頭を撫でてやっているのがセラローサだった。許し難いとマリピレラが怒りを増幅させたのは、幼い娘がセラローサに甘える素振りすら見せている事だったろうか。
マリピレラはセラローサの手を激しく払って言った。
「大切な娘よ。貴女の手でさわらないで頂戴」
身分の低さを見下す言い方だった。長男の妻マリピレラは王族にも血筋が連なる貴族の娘だった。一方、長男と王位を争う次男の妻セラローサは、見るべき血筋のない下級貴族の娘だった。マリピレラはそんなセラローサが自分と王妃の座を争う事、そしてその争いが自分に不利に傾いている事に苛立ちを隠せないでいた。
マリピレラが幼い娘を連れて姿を消した後、暗く落ち込んだ気分を変えるようにシルニルネが言った。
「さぁ、急がねば。みんな身支度をなさい」
確かにその通りだった。王の一族をまず東の家族の元に移動させる。その計画が実行に移された頃、その東の地から、僅かに生き残った者たちが逃れてきてその恐怖の体験を触れ回った。
報せを受け取ったジルラスが驚いて尋ねた。
「本当か?スビールへ向かう街道が途絶えたと?」
王族を避難させるはずだった地が、海に飲み込まれて消失したという。




