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アトラスの衝撃

第百話。アトラスが遭遇するアトランティスの大地です

挿絵(By みてみん)

アトラスが気づかない、いや、気づかないふりをしているうちに、アトランティスの大地は東西から海に沈み始めています。

 グラト国は、先の聖都シリャード解放の戦でシュレーブ国に踏み込んだばかりか、不足する物資を略奪暴行で奪い民の恨みと憎しみを買った。その後、併合した旧シュレーブ国のいくつもの領地に、新たな領主と治安維持のための百名ばかりの兵士を送り込んで治めようとした。

 その派遣された兵士たちも、クスニルスにかき集められてルードン河を渡ってマリドラス率いるルージ軍騎馬隊と戦って生き残って戻った者も少ない。派遣された領主は身を守る兵士もないまま、新たな支配者に恨みと憎しみを抱く民に囲まれて過ごしていた。


 アトラス率いるルージ軍が最初に踏み込んだグラト国は、そんな併合された土地だった。闇からわき出る数千の兵と、アトラスは吹聴させた。悪鬼ストカルの化身としての異名は憎しみと共にアトランティス全土に轟き渡っていた。

 グラト国から派遣された新たな領主は、家族と僅かな家来を連れて逃走した。アトラスはそんな領主の逃走を追わせなかった。逃げた者たちは味方の元にたどり着いて、アトラスの恐ろしさを吹聴して回るだろう。元シュレーブ国の地域で、領地を捨てて逃げ去る領主が増えれば、アトラスにとって都合が良い。

 

 アトラスはそんな土地で通過する村や町のおさに、後方から物資を運んでくる者たちへの便宜を払うよう命じながら進んで行った。

 ある村を通った折、村長が進み出てアトラスにたずねた。

「エリュティア様はお元気でおられましょうや」

 エリュティアが宮殿の中で伏せっている事が多く、旅の商人たちからもたらされるエリュティアに関わる情報が少ない。シュレーブ国が敗戦によって分割され、グラト国に編入された今でも、エリュティアは消滅したシュレーブ王家の象徴として人々の敬意を集めていた。

 そして、その村長の質問はアトラスが通過する村や町でも、村長や民から繰り返され、民がエリュティアに寄せる敬愛の大きさがアトラスたちの心に刻まれた。

 この辺りの人々には、アトラスはルージ国王ではなく、エリュティアの夫として認識されているようにみえた。考えてみれば、同じシュレーブ国だった地域の中でも、この辺りはルージ軍による戦火を免れた地域だった。蔑まれ、憎まれてきたアトラスだが、この辺りの人々の感情はそれほど悪くはない。


(さっきまでは、村でさえ豪奢な雰囲気がしたのに)

 アトラスたちはそんな意識で旧シュレーブ国だった領地を抜けたことを悟った。アトランティスの中原に覇を誇ったシュレーブ国の華美な雰囲気は田舎の村にも伝わっていた。しかし、彼等が新たにたどり着いたルゲンの町は、安っぽい虚飾をぬぐい去って、田舎ながら活気のある商人の町だった。

 この辺りはもともとグラト国の領地で、シュレーブ国との境にある町として交易の中継地だった場所である。

 町の人々を眺めた護衛のアドナが、臭いでもかぎ取ったように言った。

「敵意がある」

 確かに、アトラスたちの姿を見つけた男たちは物陰に身を隠し、若い女は幼子の手を曳いて家の中に駆け込んだ。彼等にとってアトラスは残忍な侵略者だった。

 アトラスは敵意など慣れっこだと言わんばかりに肩をすくめて見せた。

「いよいよ、敵地に入ったと言うことさ」

 

 アトラスは人々の嫌悪の視線の中、グラト国と西の元ゲルト国との間に横たわる山岳地帯を右に眺めながら南下した。

 兵を率いてアトランティス各地を転戦したアトラスはアトランティスの大地の地形を自分の足で歩き、目で眺め、風や土の臭いで記憶していた。アトラスたちの進路の右にそびえる山岳地帯は、グラト国と今はグラト国に併合された元ゲルト国を遮っている。この山岳地帯は更に南の海岸近くの町トステル近くまで、グラト国と旧ゲルト国を遮って続く。目には見えないが山岳地帯の向こうには旧ゲルト国の大地が広がっている。

 古い国境の町トステルから更に南を進めば、シャウルの町を経由してアトラスが目指すグラト国の都パシロンに至る。トステルの町から西へ延びる街道を行けば、旧ゲルト国の領地である。この時のアトラスはそう考えていた。


 日は西に傾いているはずだが、分厚い雲に遮られて見えず、その雲を吹き流す風も無い。アトラスたちは初夏の熱気が籠もる大地を、重い甲冑を身につけて汗にまみれて歩いた。

「暑さや寒さは、兵と共に味わえ」

 そんな父の遺訓を守るように、アトラスは馬にも乗らず、歩兵部隊の先頭を歩いていた。やがて小雨が降ってきた。汗の臭いと甲冑の内に籠もった熱さを洗い流す心地よい雨も、やがては前方の視界も遮る豪雨になった。

 アトラスはこの街道の傍らの草地を今夜の宿営場所と定めて、全軍に布告した。天幕を張り、火を熾して夕食の準備で慌ただしくなった中、馬に曳かせた荷車とともに移動する旅の商人姿の者たちが五人ばかり現れた。

「頼んだぞ」

 アトラスがかけた短い言葉に、男たちは頷いて、視界の外へ消えた。豪雨と夜の闇に紛れながら、更に南にあるトステルの町から西の旧ゲルト国へと向かう。

 

 旧ゲルト国の王ハッシュラスは、その統治の末期に重臣や各地の領主の粛正と虐殺を繰り返して民心を失った。統治の実務を任せる事が出来る人材に困って、混乱する中で見いだされて大臣の役に就いたのがルドカルという男だった。どろどろと粘るような権力欲を感じさせない透明感のある男で、グラト国にとってもフローイ国にとってもゲルト国を治めるのに都合の良い手先になる人物だった。

 ゲルト国を東西に分割された後、グラト国トロニスは、ルドカルに東半分の統治を任せた。ゲルト国は広くとも貧しい国で、多くの領主に分割統治させる手間は省きたかったし、統治者に対する民の恨みはハッシュラスが背負って死んだ。民の反乱を恐れる必要はない。グラト国王トロニスは、その地でルドカルが兵を養う事を禁じてはいたが、反乱を抑えるためのグラト軍も派遣はしていない。

 トロニスが評価したとおりの男で、ルドカルは任された土地を見事に運営し、民に不満も与えていないという。ただし、そんな情報がルージ国のアトラスに伝わってきたのは、冬の終わり頃だった。

 ルドカルがグラト国王トロニスから統治を任された土地とルージ国を結んだ巡礼道は、地の揺れで起きた崖崩れで閉ざされ、アトラスがその今の状況を知る機会はない。


 アトラスが送り出した商人姿の男たちはルドカルへの使者である。ルドカルが治める地を一つの国として認める。次のアトランティス議会で、共にアトランティスの安寧を語ろうという条件で、ルージ国とグラト国の戦では中立を保つようにとの提案を携えている。


 明くる朝、雨は止んでいたが、地平線から覗いた太陽は、霧で輝きを失っていた。アトラスは騎馬隊の一隊に前方の偵察を命じると共に、準備の整った部隊に出発を命じた。夕刻にはトステルの町の北に到着する。右手にそびえる山岳地帯も途切れて西へ続く街道もある。

「順調すぎます」

 戦いらしい戦いのないまま、グラト国の奥地に踏み込んだ事をスタラススはそんな言葉で評した。

「しかし、ここは敵地。何が起きるかわからない」

 油断は禁物だと言うアドナに、アトラスは今の状況を解き明かして見せた。

「我らの兵力は都のパシロンへ伝わっているだろう。ただ、今の敵には我らに抗う兵力はなく、慌てて兵になりそうな者たちをパシロンに集めているところだろう。都を戦場にしたく無ければ、彼等は都の北のシュウル辺りに兵を進めて我らと戦おうとする。我らの戦はその時だ。しかし、油断はするまい」

「トロニス殿はもう我らの動きに気づいたでしょうか」

 スタラススの疑問にアトラスが答えた。

「グラト国は混乱し、逃げ出した領主たちは、国外にいるトロニスに伝令も出すこともせず、王都パシロンへと我らの侵入を伝える。王都パシロンから伝令を発し、今頃はトロニス殿もその回りくどい知らせで我らが国境を越えた事を知った頃だろう」

「では、我が国に侵入したトロニス殿は軍をこちらに向けるのでは?」

「いや、トロニス殿に伝わっているのは、我らが国境を侵したと言う事だけ。まだ我らの意図には気づいているまいよ。パシロンにいる者たちが、我らルージ軍が南下を続ける様子から、我らがグラト国の都パシロンを脅かす意図に気づいて間があるまい。トロニス殿がルージ軍が我らの意図を知って腰を抜かすのは、知らせが届く数日後だ」

「それは、見物してみたい」

 アドナが笑顔を浮かべてそう言い、スタラススも笑顔で言った。

「王よ霧と同時に我らの不安も消えていくようです」

「なるほど」

 アトラスは振り返って、視界が晴れてルージ軍の隊列の後方まで眺める事が出来るのに気づいた。そして再び視線を前方に転じた時、彼はその光景に異変を感じ取って呟いた。

「まさか」

 朝の時間帯に吹く海風が霧を吹き流してもいた。アトラスたちはその光景に絶句した。海の香りの気配すらした。右にそびえていた山岳地帯が途切れて西に海が見えた。アトラスは思わず太陽を仰ぎ眺めて、進むべき方向を確認したほどだった。彼は即座に行軍を停止させた。

 間もなく前方の様子を探るために出した騎馬兵の一人が戻ってきて詳細を告げた。

「西に山が続いていると聞き及んでおりましたが、山は途切れ、西には海が広がって見えます」

 報告に嘘偽りはない。事実、アトラスたちの西の目前には視界を遮ってきた山岳地帯は途切れ、その先に水面が広がっていた。それは向こう岸が見えないほど広大な海面。大地は強引に引きちぎられたように新しい海岸線が形成され、その縁に立って下を眺めれば、人の背の高さほど下に、打ち付ける白波が見える。物見の兵はこんな光景が南の方角に沿って続いているという。

「危ない」

 地の揺れをいち早く察したアドナが、アトラスの右腕を曳いた。脆くなった海岸の大地の端が、今また少し海に沈んだ。

「いったい、ゲルト国はどうなったのだ?」

 アトラスはそう呟いていた。彼の記憶では、この辺りは広大なアトランティス大陸の大地の内陸部。そして、今は海に変わって失われた大地には、数え切れない人々が生きていたはずだった。


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