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破滅の始まり

「オルエデス殿。お気になさらずに。すぐに呼び戻して参ります故」

 リネは来客の機嫌を取る笑顔でそう言った後、不機嫌な表情を大臣に向けた。

「クイグリフスよ。すぐさまピレナを呼び戻すのじゃ。どうせ、いつもの岬の高台へ行ったのであろう」

「かしこまりました。さっそくにも迎えを遣わしましょう」

 クイグリフスは頷いて、従者に手際よく指示してピレナの後を追わせた。そして、改めてオルエデスと向き合った。この館にはオルエデスが引き連れてきた兵士を収容する場所がない。その兵士たちを休ませる場所について相談せねばならない。しかし、オルエデスは一人惚けたように呟いていた。

「臆病者だと? この私が……」

 生まれてこの方、面と向かってその存在まで否定されたのは初めてだったのだろうか。クイグリフスは目を覚まさせるように彼の名を呼んで言った。

「オルエデス殿。兵は都の郊外に宿泊の場所と供宴の準備をさせております」

 オルエデスはほとんど考える間もなく賛同した。

「おおっ。この狭い館では兵を休める事もかなわぬな。ではジョルガスよ、兵は任せる」

「では、ロフテス、ジョルガス殿を案内し、兵を駐屯地へ」

 クイグリフスは都の警備責任者にそう命じ、警備責任者ロフテスは頷いて命令を受けた。

「御意」

 二人が交わした視線に不信感が露わだった。二人は同じ事を考えていた。

(まるで山賊の集団ではないか)

 同じ甲冑や槍を装備しているだけで、オルエデスが率いてきた兵士たちには規律が感じられない。

 オルエデスのお目付役の立場で同行してきたバイラスには、兵を郊外に移すという判断はほっと安堵する反面、彼が監視すべき対象が二つに分かれてしまったという不都合が生じていた。バイラスはオルエデスを監視せねばならぬと決めてジョルガスに言った。

「ジョルガスよ。ここは戦場ではないと心得よ」

「くどいわ。知れた事よ」

 ジョルガスは荒っぽく承知したという。しかし、その視線は彼が護衛すべき王子の方向ではなく、リネの傍らに控える侍女たちを嫌らしく舐め回すように眺めていたし、兵たちは勝手気ままな雑談に興じていた。


 クイグリフスやロフテスが、オルエデス配下の兵に山賊の印象を抱いたのも無理はない。アトランティス本土で聖都シリャードを攻めた折り、占領した各地で民への略奪や暴行が横行し、それを制止できなかったオルエデスは、兵の士気を鼓舞するためと称してその暴力行為を容認してきた。

 占領地の多くは戦の後でヴェスター国に併合されたが、住民たちがヴェスター国に抱く恨みは深く、治めにくい土地になった。オルエデスには養父を失望させているという自覚があり、養父も何かの口実があればオルエデスとの養子縁組を解消し、血縁関係の深いアトラスに国を譲るのではないかという噂さえある。

 それだけに今のオルエデスはピレナを連れ帰り、国王の跡継ぎの身分を固めたい。リネはそんなオルエデスを宴会の準備が整った広間へと案内した。


 クイグリフスの合図で広間に音曲が流れ始め、勇者の入場を歓迎する歌が響いた。リネは広間の奥にしつらえた一段高い貴賓席にオルエデスとバイラスを導いた。重臣たちが宴席の場に入場しつつ名を名乗り、オルエデスへの歓迎の言葉を叫んだ。

 侍女たちがカップにワインを注ぎ、テーブルには焼きたての炙り肉や、熱いスープが運ばれてきた。カーテンの影から踊り子たちが現れて、歓迎の舞を披露し始めた。貴賓席は四つ。中央にオルエデスとリネが並んで座った。オルエデスから少し離れて彼の隣にバイラスが席に着き、リネの隣の席は空席だった。

 バイラスは密かに考えた。おそらくはあの空席にはリネが座る予定だったのだろう。中央にはオルエデスとピレナが仲良く並んで座って、家臣たちに二人の婚礼を印象づけるつもりだったに違いない。しかし、ピレナは館を立ち去って帰ってくる気配がなかった。

 しかし、オルエデスは、ワインではなく自分一人のための歓迎会の雰囲気に酔っていて機嫌が良い。踊り子たちの見事な集団舞踊ではなく、嫌らしい目つきでお気に入りの踊り子を捜し求めていた。

 リネが作り笑顔で問うた。

「オルエデス殿。もてなしは気に入っていただけたかな?」

「満足しておりますよ。ただ、この場にピレナ殿が居られぬのは物足りのうございますな」

「迎えを使わしております故、すぐに戻って参りましょう」

「私も早くピレナ殿をヴェスター国にお招きして、歓迎と婚礼の宴を開きたいものです」

 会話は、予め互いに謀ったように、オルエデスとピレナの結婚の話題へと向いていく。大臣のクイグリフスは宴には加わらず、リネの命令を即座に実行できるよう彼女の斜め後方に控えていた。盗み聞きといえば聞こえは悪いが、ピレナとオルエデスの会話から事の成り行きを知るのに都合が良い場所だった。

 リネが言った。

「これで我がルージ国も安泰と言うもの。さっそくアトラスにも伝えてやらねば」

 漏れ聞こえた言葉でクイグリフスはリネに哀れさを感じた。普段は誇り高く振る舞うリネが息子のような年齢の隣国の王子に卑屈に振る舞っている。彼女はこの三年間の戦乱で夫のリダルを失い、息子のアトラスも海を隔てたアトランティス本土で生死を賭けた戦いを続けた。島国に取り残された彼女は、自分の身とこの国の安寧に不安を抱き続けていたに違いない。


 この時、足下がふらつくほど床が揺れ、テーブルの上の皿がかたかたと鳴り、ワイン壺は倒れて床の敷物をワインで赤く濡らした。

 しかし、そんな揺れも、この数年間の間にアトランティスの人々にとって日常の一部になっていた。人々は地が揺れる都度、それが大きくなっていくという気配に気づきながらも、何事もなかったかのように振る舞って不安を押さえ込んだ。。

 ただ揺れが収まったかに思えた時、耳に聞こえる音とも肌に感じる振動ともつかぬ感覚が宴会の人々を包んだ。慣れない現象に首を傾げるオルエデスにクイグリフスが言った

「キシリラ山が火を吹き上げたのでありましょう」

「なるほど。」

 バイラスは頷いた。ルージ島に到着する時に船上でキシリラ山の噴煙を眺め、その轟音を肌で感じた経験を思い出した。

 フェイサスが駆けつけて来客の安全を確認して言った。

「ご心配はございませぬ。都からは離れております故、キシリラ山が石を降らしてもここまでは届きませぬ。火の岩が流れ出すような事態になれば、配下の者どもがすぐに知らせて参ります」

 リネが客人の不安を振り払うように言った。

「おおっ。この音も、キシギル山が宴に祝いの太鼓を打ち、キシリラ山が足を踏みならしながら祝いの舞を舞っているのであろう。オルエデス殿とピレナの婚礼を祝っているに違いない」

「それはいい。私がピレナ殿を妻に迎えるのにふさわしい神々の歓迎だ」

 リネとオルエデスの会話にクイグリフスとフェイサスは不快そうに顔を見合わせた。今やこの二人の間では、本人のピレナや王アトラスの意向さえ無視して話が進んでいる。しかし、クイグリフスたちも準備の良い男たちで、状況はスクナ板にしたためた。連絡を送る事を聞きつけたピレナも兄に文句の一つも言いたかったのだろうか、彼女の兄に宛てたスクナ板と合わせてアトランティス本土にいるアトラスへと送った。報告は五日もあれば届くだろう。しかし、状況が加速するように進展している事は改めて報告せねばなるまい。


 ただ、そんな宴会の時も長く続けば飽きが来る。陽が西に傾きかけた頃、オルエデスはもてなしにも飽きて欠伸をして、リネにもう何度尋ねたか分からぬ問いを繰り返した。

「ピレナ殿のお姿が、まだ見えぬが」

「あの娘も頑固故、突然の婚礼、しかも相手がヴェスター国の勇者オルエデス殿と聞いて嬉しさに混乱しているのでしょう。今頃は一人、オルエデス殿へ心も開き、先の無礼な振る舞いにも謝罪したいと考えているに違いない。間もなく従者が連れ戻して来ます故、どうか寛大な心で受け入れてやっていただけますよう」

「頑固というなら私の方が上回る。この私がピレナ殿を従順な妻へと変えて差し上げましょう」

「それは頼もしい事じゃ」


 オルエデスとリネがそんな言葉を交わしている時、馬蹄の音が接近したかと思うと、部屋の入り口に若い女が姿を見せた。

 リネはその名を呼んだ。

「ピレナ。戻ってきたのだね。早くオルエデス殿にも挨拶と謝罪を」

 オルエデスは席を立ち上がり、宴会の広間に駆け込んできたピレナの前に立ちふさがるように両腕を広げ、彼女を抱きしめようと待ちかまえて言った。

「おおっ。麗しきピレナ様。私のために戻っていただいたとは光栄です」

 そんなオルエデスにピレナは激しく言った。

「邪魔よ。どいて」

 彼女はそう口にしたばかりではなく、邪魔者を突き飛ばして周囲を眺めて叫んだ。

「クイグリフス。フェイサス。二人は何処?」

 ピレナの叫びに、クイグリフスが進み出て言った。

「姫さま。私はここにおります」

「フェイサスは?」

「今、兵が何やら異変があると知らせてきましたので、席を外しております」

「異変ですって? きっとヤルージ島の事よ」

「いかがしたのです?」

 そんな会話をしている内に、気むずかしい表情をしたフェイサスが戻ってきた。

「岸で軍船の整備をしていた兵から、なにやら潮の流れが変わったと伝えて参りました」

 フェイサスが告げた言葉にピレナが応じた。

「きっとそれよ。岬の上から見たの。キシギル山が火を噴いた後、大地が揺れて、大きな波がヤルージ島を包んだの」

 彼女は岬の高台から眺めた光景をそんな言葉で伝えた。それはアトランティスの本格的な破滅の始まりだった。


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