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■プロローグ

 扉を開けると、そこは埃臭い雑居ビルの一室だった。

ついて(・・・)ますね」

 野々原三佳(ののはらみか)は、三佳の姿を見るや琥珀色と淡いブルーのオッドアイ(虹彩異色症)を妖艶に細めてそう言った目の前の男性にぽかんと口を開け、

「おめでとうございます、採用です」

「え? ……え?」

 にっこり。その恐ろしく綺麗な顔から放たれる至高の微笑みと、まるで泉が湧き出るような穏やかに澄んだ声色に空気が掠れた音しか出せなかった。

「何かご不満でも?」

「いえいえいえいえ滅相もございません!」

「そう。なら、よかった」

 三佳の反応が芳しくなかったのだろう、その人は不安げに眉根を下げるが、はっと我に返った三佳がブンブンと勢いよく首を振ったので、ほっとしたようにまた微笑む。

 穏やかな声と、目を逸らしたくなるほど美しいがどうしたって見てしまう、見目麗しいその顔。三佳は失礼を承知でぽーっとその人を見てしまいながらも、頭の片隅では、これは新種の就職詐欺なのではないかと思った。そんな詐欺は聞いたことがないが、志望動機や自己アピールもなしに即採用されてしまったのだから、疑ってしまうのも無理はない。

 だって三佳は、大学卒業間近となった三月でも、くたびれたリクルートスーツと底が擦り減った黒のパンプスを履いているほどの、就職難民だった。

 軽く百社は受けた就職面接は、気持ちいいくらいに全滅。それどころか、生活費の足しにとはじめたバイト先にはことごとくブラックリスト行きの迷惑な客や強盗が入り、即クビとなること二十数回。そして店長の誰もが口を揃えたように言うのだ。

 ――野々原さんが来る前は、一度もこんなことはなかったのにねぇ……。

 それは私が疫病神だと言いたいんですか。私だって毎度毎度、お店に迷惑をかけたいわけじゃないんです。でも、しょうがないじゃないですか。来ちゃうんですから!

 二十数回、同じようなことを言われるたび、三佳は喉元まで出かかるその台詞をなんとか飲み下し、失意の中、短い間でしたがお世話になりました、を繰り返した。

 そうして今に至る。

 どうして自分ばかりが不幸な目に遭うのかはわからない。けれど人並みには幸せになりたい。思えば昔から三佳の周りでは災難や不運が絶えなかったが、そのおかげで何度踏まれてもしぶとくへこたれない精神力だけは人並み以上に鍛えられた。人並み〝以上〟ではなく〝人並み〟が三佳の目指すところではあるが、ちょっとやそっとのことではビクともしない根性だけは、自分の最大かつ唯一のアピールポイントである。

 しかしこれは、ちょっとやそっとのことだ。だって、百社受けて落ちまくり、バイトもろくに続かなかったのに、なぜ即採用となったのだろうか。

「あ、あのぅ、本当に私を雇って頂けるのでしょうか……?」

 だから逆に三佳は疑い深くなってしまうのだ。

 不幸は根性では相殺されない。涙ぐましい執念の結果、念願叶って新社会人として初出勤の日を迎えられたはいいものの、いざ会社に行ってみれば会社もろとも忽然と消えていた――なんてことがあれば、さすがの三佳も軽く首吊りくらい考える。

「野々原三佳さん」

 と、澄んだ泉の声が三佳の名前を呼んだ。

「は、はいっ」

 おそらく手元に三佳の履歴書があるのだろう。初めて名前を呼ばれて胸の中がドクドクと脈打っているが、反射的にピシッと姿勢を正して前を見る。

 こんなにも見目麗しい男性に名前を呼ばれれば、誰だってドキドキのひとつやふたつ、するに決まっている。まして相手は三佳の姿を見て即採用を決めた太っ腹すぎる人だ。疑わしい気持ちはまだ捨てきれていないが、その恩に報いたい思いも確かにある。

 直立不動というよりは、カチコチに固まったと表現したほうが正しい三佳の姿にクスリと笑い声を漏らすと、その人は三佳にはもったいない言葉をかける。

「僕はあなたのような逸材をずっと探し求めていたんですよ。ふふ、こう見えてかなり浮かれちゃっているんです。あなた以外にこの仕事が務まる人はいません。どうかこの『早坂ハウスクリーニング』に就職してはもらえませんか。お願いです」

 そしてなぜか恍惚とした表情を浮かべながらも、恭しく頭を下げたのだった。

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