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階段ヒーリング


 学校で人気のない所を探しせば、足は自ずと屋上に向く。

 古今東西学生の穴場と名高いそのスポットは、ウチの学校に限って物語の様な運命力が働くこともなく、特別開放されてたりはしない。

 ので、屋上に繋がる階段に、俺と小山内さんは肩を並べて座っている。

 真ん中をやや空けて腰を下ろすのは、上り出しの二段目といったところ。

 小山内さんは小ぶりな弁当と、これまた小さなステンレスの水筒を脇に。

 俺の方は、出遅れた購買で運よく生き残っていたメロンパンを片手に一つ携えて、琥珀色の中身を半分残したペットボトルを、一段下に置いている。

 

「いいとこ、見つけちゃいましたね」

 

 小山内さんが膝を抱え、身を丸めるようにしてコテンと顔を倒し俺を見る。

 頭の形に沿った三つ編みの分、昨日よりも晒された耳が、抜けたところのある彼女の隙を更に強調する。体育座りで眠る手前みたいに腕を組んで、細めた目だけをこちらに覗かせてくる彼女は、秘密基地に着いて気を緩めた、幼さの一端を仄かに漂わせていた。

 ……胸が溢れそうなくらい折り曲げた膝に潰されてて、その凶器を前に思考力が下がるのを恐れ、俺は無理矢理レモンティーに目を遣って、乾ききった喉に流し込む。


「……ん、まぁ。俺、偶にここ来るし。先客とかは、まだ見たことない、かな」


 教室に居場所がない分他に生息域を見出すのが習性になりつつあったので、ここもそんな逃避先の一つだったりする。まさか誰かを連れてくることになるとは思いもしなかったし、今の小山内さんを盗み見れば、昨日と同様のシチュエーションながらも、役者の変貌のせいか妙に落ち着かない。

 

「……どうかしました?」


 案の定、ぎこちなさが気取られる。

 俺と彼女が足を残す階段の踊り場は薄暗く、目前の窓から差し込む陽射しだけが心許ない光源だ。しかしそれだけのスポットライトでも、目に見えない些末な粒子でさえも光照らす空間の中、塗り立ての絵画の如く瑞々しい瞳の黒が俺の一挙一動を確認してくるのだから、心の置き所は未だ見つからない。

 ここが俺にとって憩いの場であるという前提も、隣に小山内さんがいると崩れ去る。なまじ彼女から昨夜ほっぺにキ……ペナルティを喰らっただけに、平静でいろと言うのが、無茶な話で。


「そのさ……俺も訊いていい? 小山内さんが、なんでそんなに変わったのか」


 事前に頭では無難に振ろうと考えていたのに、順序を知らず核心に飛び込む。

 もう問い掛けてしまったから、菓子パンを片手に袋を破いて答えを待つ。

 小山内さんは窓の形が作る陽の下で、一旦膝に顔を埋めて、それから赤くなった頬を引き上げて、自信のない素振りで耳回りの髪を撫でつけると、途切れた言葉を口にする。


「あの……今なら、昨日までよりは……女の子に、見えますか?」


 言って、彼女は背筋を伸ばして、膝の上に手を揃える。

 気恥ずかしそうに伏せられた瞼をなぞる睫毛が陽の輝きを含む。写真に切り取られた様に息を潜めた横顔は、その鼻頭から顎の舳先までもが優美な線を引いている。

 朱に染まった愛らしい顔に嵌め込まれたその瞳が自身を映したのだとしても、彼女の心の在り方はまだ、昨日までの自分に閉じ籠ったままなんだろう。


 パンを齧ろうと口を開けたまま、阿呆の様に俺の視線は彼女に奪われる。

 

 小山内友梨は“きれいなひと”だと、彼女だけが気付いていない。


 昔のままの距離感で、もう一度話すことが出来たなら、それで十分だと思っていた。

 

 きっと、そういう訳にもいかなくて。俺も彼女も、十五歳で。


 “意識したくない”という自意識そのものが、これ以上なく意識している証左だと、心はとっくに気付いているのに、彼女の秘めた部分に驚かされたその他大勢にはなるのは嫌で、口は勝手に見栄を張る。


「……一応、眼鏡してた時から……可愛いかったかと……」


 予てからの気持ちを吐き出せば、今度は俺が隠れたくなる番で、食事の手は一向に進まない。

 小山内さんは両頬に手を当て、飛びっきり胸が詰まったような間を空けて、訥々と零す。


「……今日たくさん、クラスの人達が、同じこと言ってくれましたけど……天里君の言葉が、一番嬉しいです」


 真っ赤な耳を隠す勢いで、小山内さんがまた丸まる。

 似た者同士の反応だったから、喋り直すのも一苦労で。

 

「……教室戻ったら、悪目立ちするかな、また」


「……その時は、一緒に困りましょうね」


「それ、何も解決になってないから」


 前向きなのか後ろ向きなのか分からない小山内さんの発言に、二人して笑う。

 どちらからともなく昼食に手を付けて、漸く時間が動き出す。

 窓の向こうを見遣る様に正面を向いたままだけど、自分の逃げ場所だったここで、誰かが隣にいる実感を、穏やかな気持ちで受け入れる。

 もそもそと齧るメロンパンが半分も欠けた頃、小山内さんが箸を休めて沈黙を破く。


「天里君、それだけですか?」


「ん。今日全然残ってなかったから。いつもはもうちょっと収穫あるんだけど……今日はツイてなかったっぽい」


「ツイてない、ですか……。天里君が言うと、心配になります」


「……もしかしてまだ続いてんの? 俺の呪われ設定?」


「実際、まだ目の隈も取れてませんし……」


 美少女に変身したインパクトで忘れがちだったけど、元霊感少女にしてオカルトオタク(推定)の小山内さんが抱く、疑惑の根っこは深い。別に俺は四六時中肩の重さを覚えてたりはしないし、思い当たる所と言えばソシャゲで星5が出ないことくらいだ。リセマラで朝とかザラだよね、うん。


「ただの睡眠不足なんだけど、納得しませんか、やっぱ……」


「その眠れない理由が、気になるんです」


 決して呪われてなんかいないと、胸を張って言い切るべきなのに。

 あんまり真摯な目で見つめられたから、隠し事は出来なくて。

 

「…………明日、小山内さんとまた話せるかなって、考えてたら、夜更けに……」


 目を隠すように前髪を弄る。

 

 ……小学生か俺は。


 現役小学生の方から一緒にするなと言い返されかねない心情に、小山内さんは同調して、お箸を持った方の手で口元を隠す。


「……わたしもです。全然眠れなかったから、こんなに髪、弄っちゃいました」


 同じ居た堪れなさの滲んだ視線を見合わせて、そっくりのタイミングで軽く吹き出す。

 小山内さんがおかずの多彩な色とりどりの弁当から、だし巻き卵を一つ箸で摘まみ上げる。


「一口、どうですか? 午後も授業は長いので、良かったら」


「いや、こんな日くらい偶にはあるし。寧ろ、お金使わなくて運良かった、みたいな?」


「天里君がツイてなかった分は、私が補いますから」


「……じゃ、一口だけ」


 こういう時、俺が押しに弱いのか、小山内さんの押しが強いのか。

 当然の様に箸を持ち上げて、彼女がだし巻きを俺の口に運ぶ。

 

「……」


 唇を開くというその行為に躊躇する俺の隣で、小山内さんは楽し気に顔を綻ばせている。

 

 俺がツイてるのかツイてないのかは、ともかくとして。


 ……俺はこの子に、取り憑かれているのかもしれない。そう思える程度には、自分が駄目にされているのを自覚して、全幅の信頼を寄せた眼差しを裏切らないよう、決意して口を開く。

 

 そうして、一口で飲み込もうとした時だった。



「やっほ。ちょっとお邪魔だったかな? 今は?」



 尻尾の様なサイドテールを揺らして、踊り場を踏む少女が一人。


 後ろ手を組んで窓を背に立つ彼女は、影に塗られても際立った美貌を浮かび上がらせる。

 ボリュームのある黒髪を陽に透かせて、スカートの下からスラリと伸びた脚や、腰や手に至るまで細身の彼女の、それでいて華奢な印象を抱かせない切れ長の目が、整った顔の上、線のように浮かんでいる。


「美凪……さん?」


 ここで会うには、あまりにも似つかわしくない名前を、俺は声に出して確かめる。


 クラスのマドンナ、美凪未沙は微笑みを傾け、自分のペースで話し出す。


「教室みぃんな貴方達の話で持ち切りだよ? ちょっと飽きたから、抜けて出てきちゃった。

 ここ、私も混ざっていい?」


 言うが早いが、俺達という先客の間に座り込み、美凪さんは小山内さんに身を寄せる。


「ねぇ、小山内さん。私さ、貴女と仲良くなりたいんだけど。

 いいかな? ……いいよね?」

 

 遠慮している様で、実際は獲物を締め上げる蛇の様ですらある狡猾さを傍目にしながら、俺は蚊帳の外でパンを頬張る。


 目下、クラスの美少女ツートップが、俺の隣に並んでいるという驚天動地の事態なのに――だし巻き卵を食べられなかったという口惜しさが、メロンパンの甘味を帳消しにしていた。


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