帰宅路ランデブー
「……小山内さん、マジでこのまま帰んの?」
「はいっ。天里君に、何かあるといけないのでっ」
小山内さんが張り切って、俺と繋いだ手を振る。
理由は説明されたけど、正直疑念が深まるばかり。
いわく、俺の目の隈が取れないのは良くないモノに憑かれているせいである。
そして、小山内さんは先程の地震を、悪霊が起こした怪奇現象だと断定している。
与太話を総括して解決案を導き出せば、俺に取り憑いている何某は『青春に恋出来なかった未練の妄念』であるらしく、その撃退には恐らく身体的な接触が有効であると、下駄箱でのハプニングを収めた際に小山内さんは確信を得たらしい。
つまりは青春的なイベントを起こせば、悪霊は満足して成仏するであろう、と。
わけわからん。
一から十まで嘘八百で、当の小山内さんだけがその設定を前提にして事を進めている。
どこか爛々と宝くじでも当てた帰りみたいにニコニコと歩く彼女に手を引かれながら、家並みに挟まれた帰路を辿る。同じ町内に住む俺達の道は当然同じで、行く先が時折夕食の香りを漂わせる。
小山内さんの理屈は理解出来ずとも、小さな手と触れ合っているのは事実で、自分の掌が汗ばみやしないか気が気でない状態が続く。
夕日に染められた女子の夏服と、眼鏡を掛けた楽し気な横顔が常時視界に入るから、歩調だって普段通りに行かない。俺昨日までどんな風に帰ってたっけ? と記憶が曖昧になる程度には、混乱をきたすシチュエーションだった。
車が二台分通れる程度の道幅の端っこ、電線の作る影の下で、小山内さんが沈黙を破く。
「なんだか、凄く久し振りな気がします。……天里君と、こうして帰るの」
「……実際、そうだし。小学校の……低学年以来?」
未だに頭が追い付かないけど、彼女が言ってくれたことは、俺にとっても共感できるものだった。
例えば男女でグループが分かれる前は、こんな風に登下校したりして。
女子と絡むのが恥ずかしいとか、そんな羞恥心が生まれる頃には、すっぱりと関係は薄くなって。
家が近くとも、物語にありがちな隣同士とかじゃなくて、偶々、属するコミュニティが似ていただけの人。お互いにそういう相手だから、あまり引き摺るものでもないと思っていたけれど。
「ちょっと、嬉しいです。また話せて」
頭を前に傾けてはにかんで、短い黒髪が目の端で揺れる。人を疑うことを知らないというか、思い込みの激しい印象が拭えないけど、それだけに小山内さんが見せる表情も、嘘がない心からの笑顔に見えた。
「……うん、俺も。知り合い、小山内さんくらいしかいないし、あのクラス」
小学、中学から馴染みの仲も学校にはいるけれど、見事なくらいクラスがバラけて、俺のこんな顔のせいもあって忌避されている。貼られたレッテルを覆すのは、難しい。
だから、こうして小山内さんと一緒に帰ってること自体は、心から喜んでいいことの筈で。
凝った噂を流した誰かには、感謝してもいいのかもしれないと、都合良く思い直す。
「……明日も、一緒に帰りませんか? 天里君さえよければ、昔みたいに」
「明日も? 俺は、いいけど……それってさ、まだ心配してるわけ? ポルターガイスト的なの」
嬉しい申し出なのに、その動機が根本的な誤解から生じているものであることを、今一度確認する。
小山内さんは鞄を持った方の手が空いていればすぐにでも眼鏡をくいっとしだしそうな真面目な顔で、優等生風な見た目とはかけ離れたことを言う。
「まだ、疑いが晴れた訳ではないのでっ」
「そんな呪われて見えますか俺……」
「毎日、机から消しゴム落としてます」
「ただの不注意」
「テスト中にシャー芯切れてました」
「準備不足。なんで知ってんの?」
「……今朝、黒猫に横切られてました」
「ずっと後ろ歩いてたんすか……小山内さん」
「今日は、偶々……」
藪を突いたら蛇が出た、な心境。
よく目が合うとは思っていたけど、想像以上に見られていた。
あと不運が地味目で、自分から嘆き難い。シャー芯が切れたテストは捨てた。
左手に折れる道が見えてきたところで、電柱の側で立ち止まり、溜息を一つ。
同じく歩みを止めたちょっと危ない女の子を、俺は説得する。
「小山内さんが鵜呑みにしてることは、全部周りが盛っただけで、俺が運悪そうに見えるのとは何の関係もないからっ。……どうしたら、納得出来そう?」
あくまでも善意で俺に近付いてきてくれたことからも、真っ向からの否定はし難い。
傷付けない方向で、やんわりと治めたかった。
小山内さんは考える素振りで間を空けて、俯きがちに細々と、
「それは……その……天里君が、元気に学校来てくれたら」
そんな、俺には勿体ないくらいのことを言うから、やっぱり強く出られない。
結局は彼女の優しさに応えるのが一番なのだと、自分を改める。
「……じゃあ、今日は夜更かししないどく」
「そうして下さい。是非」
俺の了承が一番の収穫であったかの様に、小山内さんが破顔する。
眼鏡越しでも、その瞳は丸っこくて、やっぱり幼い。
そんな彼女を守らなきゃと、遠い昔の自分も手を引いていたのかもしれない。
思い出せないけど、その頃みたく意識せずにいられたら楽なのにって思いながら、俺は彼女の手を引いて、左手に折れる。
「天里君? 家、真っ直ぐじゃ」
「……小山内さん、先送ってからで。もう暗いし」
「……ありがとうございます」
夕日が落ちかけて、空はすっかり、夜の訪れを告げる薄い青に領域を広げている。
そんな景色の下で、小山内さんの肩が、さっきよりもちょっとだけ近く感じられた。