下駄箱ハプニング
「……あのさ、俺なんか待って、ずっと教室残ってたの?」
あれから戸締りを終えて、下駄箱の前。肩に並んで立つ小山内さんに、話を切り出す。
一緒の下校を了承したはいいものの、ここに来るまで会話は一切生まれなかった。
彼女の真意は未だ読み取れず、頭一つ分は下の目線にいる背の低い彼女を、横目に見る。
「はい。……やっぱ、引きますかね、こういうの」
元々が小動物を連想させる推定150センチ未満の小山内さんが怯えた様に縮こまると、こちらの方が申し訳なくなる。
「引いてない、けど。ちょっと、驚いたっていうか、……えっと、理由があるんでしょ、何か。……罰ゲーム的な?」
作為すら感じるこの状況に、悪い連想ばかりする。そう考えた方が心構えも出来たし、近付く機会を窺っていた張本人が向こうから話し掛けてくれるなんて、クラスの悪評を一身に背負っている俺には都合が良過ぎる気がしてならない。
そんな俺の疑心暗鬼を吹き飛ばす様に、小山内さんはくすりと笑んだ。
「ふふっ、ないですよ。どこかで誰かが動画に撮ってたりもしません。心配性ですね、天里君は」
右手にぶら提げた通学鞄を膝より下に、空いた左手で口元を隠す。
そうして腕を身体の前に動かすと、小山内さんの上半身の幼くない一点に、嫌でも目を吸い寄せられる。
真っ白な制服の下張り出したタピオカチャレンジ余裕で実践可能な一部分から視線を逸らし、真正面の下駄箱を正視する。
「……だったら尚更、君とここにいる理由が分からなくなるんだけど。俺が隣歩いてると、小山内さんまで、悪目立ちしそうだし」
夕暮れを迎え閑散とした校舎の中とはいえ、一人にでも見つかればあっという間に拡散される。
そんな確信がある。
皆消化出来る話に飢えていて、案外その代替は何でもいいのだ。
その標的が俺個人だけならまだしも、小山内さんまで巻き込んだらバツが悪い。
「天里君は、クラスの人達になんて言われてるか、ご存知ですか?」
俺の懸念に踏み込む様に、彼女が話題を切り替えた。
「不良?」
即座に口をつくのが物悲しい。
逆にそれだけ、周囲との関りを諦めているから、自分と切り離せて答えられたのかもしれない。
小山内さんは身体ごと俺の方を向いて、一歩詰め寄る。
「それより、もっと酷いです。……天里君のこと、悪霊に取り憑かれてるとか言うんですよ、あの人達。
思春期に恋出来なかった未練の生まれ変わりだー、とか、言いたい放題で……」
真剣な面持ちの彼女が、肩を寄せればすぐぶつかってしまいそうな程近くにいる。
自分のことのように目を伏せて、他人事でなく気落ちして、俺もその内容には呆れたけど、妙に嬉しかった。自分以外の人間に、悩んで貰えたことが。
……まぁ、鏡を見た俺本人がぎょっとするレベルだから、昨今の自分の不健康面には目に余るものがある。それを指して悪霊だのなんだの言われても、身から出た錆としか言い様がない。
「そんなバリエーション増えてんの……。まぁ、飽きるでしょ、その内」
直接言わずに面白がってるだけなら被害は少ない。
皆の関心が夏休みの予定に移った頃には、波風立てないモブに昇格……出来るといいな。
寧ろ知らない方が良かったんじゃないかという情報から更に、小山内さんは追及する。
「……それで、実際はどうなんでしょう?」
「? どうって?」
鬼気迫る表情で彼女は俺を見上げ、生唾を飲んで問いを重ねる。
「……本当に、よくないモノを感じるせいで、肩が重かったり寝付けなかったりとか、するんでしょうか? 天里君は?」
悪人相の俺から目を逸らすこともせず、心底心配しているのだと伝わった。
けど、面白さを優先に脚色された噂話を真に受けた彼女との、温度差は開くばかりで。
「いや、俺がこういう顔なのは、ただ夜更かししてるせいだから。……小山内さん、好きなの? そういう、オカルト的なの」
小山内さんが休憩時間に読んでいる本は、視界に入る範囲ではその手のジャンルが多い。
現実と虚構の境目に立つ様に、彼女の言葉は迷いがちで。
「いえ、あんまり具体的だったんで、居ても立っても居られなくて、こうしてお声掛けを……」
「わざわざそんなことの真偽を確かめる為に待ってたんすか……」
「……一応、知らない仲でもないので」
自身の取り越し苦労に恥じ入った様に俯いて、彼女が俺に話し掛けた訳を語る。
そうは言っても、今となっては本当に顔見知りレベルだ。
異性を意識していなかった頃の交友関係なんて何時の間にか途切れて、俺は今の小山内さんをよく知らないし、逆も然り。
ただ、古い記憶から浮かび上がるイメージとしては、公園の木に登る俺を、下から泣き出しそうに見上げる彼女の姿が、朧気に残っている。そんな子が今になって助けを差し伸べようとしてくれたんだから、その事実だけで、充分な気がした。
「……一応、ありがと。全部、小山内さんが気苦労背負う様なことじゃないから」
顔を向けられず控えめに感謝を伝える。永らく人に関わっていない分、優しさが痛いくらい染み入る。
いい加減日が落ちる前に帰ろうと、目線の高さの下駄箱を開く。
さっきまで、与太話をしていたせいだろうか。
手に取ろうとしたシューズが、何かの怪奇現象を示唆する様に、震えていた。
「これ……」
足元からも伝わる微振動。下駄箱の前にある傘立てに取り残された数本も、皆一様に揺れている。
容易に立っていられることからも、大した震度ではないだろう。収まるまでじっとしていようと目の前に手を掛けると、横で小山内さんが急に、
「天里君っ、ポルターガイスト的なあれでしょうか!? これは!?」
明後日の方角に食い付いた。驚きとも怯えとも似つかない瞳は好奇に輝いていて、未知の昆虫を見つけた少年さながらだった。
「いや地震! てか小山内さん、やっぱそういうの好きなんじゃ――」
言い切る暇もなかった。
地震が急に激しくなったのかと錯覚する衝撃。
手を伸ばしたままの身体の正面に、小山内さんが回り込んで、ぎゅっと俺の脇から下を、抱き締めた。
「収まり、ましたね……」
揺れが止まって暫く、まだ身体は触れ合っている。
前述した通り、小山内さんは一部全く幼くない。
俺の胸板の形にふくよかな胸を圧し潰して、彼女はズレた眼鏡からはみ出た上目遣いであどけない顔を上げる。
現在進行形で貼り付く彼女は一切の羞恥も働かせず、抱き締める手も緩める気配はない。
地震が止んでも、俺の心音は止まらないのに。
「うん、地震がね……。あの、この体勢は一体どういう……」
「……ホントに天里君に悪いモノが憑いてたら、……こうすれば、未練も晴れるかなと」
宣言通り、思春期の妄念(という設定)の俺を宥める様に、柔らかな感触を更に押し付ける。
無垢な瞳はまだ与太話の可能性を捨てきれていないようで、物理的な現象を悪霊のせいにする彼女。
昇降口に差す夕陽から伸びる俺達の影は重なって、脈拍は早くなる一方で。
小山内さんは、顔を隠す様に俺を更にぎゅっとして、
「もう少し、このままでいいでしょうか。
……念のため」
除霊の一環として、どこか甘えた風にそう言った。
「…………それで、気が済むのなら」
精一杯顔を逸らして答えるけど、柔らかさと間近な異性の匂いに五感は奪われている。
小さい頃なら、これに近いスキンシップもあったかもしれないけど、今は思い出せそうもない。
献身的(?)な行動から顔を逸らしていると、小山内さんが俺の胸元で笑みを漏らす。
「……えへ」
堪え切れなかったようなその声に、やっぱり困惑するしかないけれど、分かったことが一つ。
小山内さんの距離感は、幼いままだ。