吸血君と奇妙な事件 前編
「お早う、奈々ちゃん!また血ィ飲ませて!!」
開口一番のこれに、皆が啞然呆然とした顔が見え、奈々は心の中で絶叫した。慌てて皆の誤解を解こうと彼の前に進み出て、「ああ、小日向君ったらまた蚊に血吸われちゃったの!!興味深い話だし廊下で聞かせてよ!!!」と大きな声で叫ぶと、彼を押して廊下へと出る。
「ちょっと、何言ってんの?」
「え、だってほら、昨日血飲ませてくれたじゃん!」
「モラルと一般常識を考えろ吸血野郎!!!」
もうこの際口の悪さとかどうでもいい。奈々はありったけの大声を出してそう言った。小日向君が「せめて君付けしてよお。」とか訳のわからない所でツッコんでくるので、取り敢えず一旦吸血君と呼ぶ。
「取り敢えず、吸血君、もし昨日私にしたことを他の人にバラしたら許さないからね!!」
「え、昨日したことって、もしかしてキ...。」
「言ったら殺すから!!!」
「...お願いにゃんって言ったら許す。」
変態だ。変態が此処にいる。心底気持ち悪い眼差しで彼を見つめ、「最低。」と吐いたが、彼は知らんふりして「じゃないと言いふらしちゃうもーん。」と意気揚々として言った。
もしここで言いふらされたら、奈々としては友達にからかわれたり噂されるという嫌な点尽くしが贈呈されることになるし、元々小日向君は言いふらしてもイケメンだから許される。これだから差別社会は、と文句を思いながら、奈々は覚悟を決めて口を開いた。
「お...ね...。」
「なぁに、聞こえなあーい。」
「おッ、お願いにゃん!!」
丁度その時扉が開いて、皆が奈々の声をしっかりと聞いたのはお約束である。
***
「いやあ、まさか奈々があんなこと言うとは思わなかったわあ〜。」
昼ご飯の時間、美琴ちゃんが怪しげな雑誌を机に広げながらそう呟く。奈々は心身ともに乱されつつも、自分のアイデンティティは保とうと、「人間誰しもその先は予想できない。」と格言めいた言葉を言ったが、皆はそんなことお構いなしに話していた。
「あの鈍感で勉強っ娘の奈々ちゃんにもついに春が来るとは、誰も予想できなかったでしょうね〜。」
「違うって!!!」
あの後、奈々は思いっ切り反論しようと首がもげそうな程首を振り続けたが、その努力も虚しく吸血君が「奈々ちゃんじゃあまた後で血吸わせてね。」と言ったことで更に疑惑は深まった。生徒間では、「大原意外と積極的説」と「小日向カニバリズム説」が浮上しており、奈々としては後者を激しく推しているのだが、彼等の間で好まれているのは前者の方らしい。
不幸中の幸いか、キスについてはまだ話してはないのでそこまで爆薬ではないが、それでも何時もそういう類の話に飢えている思春期男子女子共への効果は抜群だ。何せ、血を飲んで、語尾ににゃんを付ける仲だ、かなりディープな方だと誤解されていることだろう。
「...。」
「お、国語の教科書なんて開いちゃって真面目だねえ。じゃあこの恋の歌をどうぞ...あっ!」
紗代ちゃんが教科書に恋短歌を落書きしようとする前に、奈々はペンを取ると其処に【見せばやな 雄島のあまの袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず】と書いてみせた。皆がぽかんとする中、「失恋の歌だから!」と補足を入れる。
「やっぱり違うのかあ...。やっと恋話できるって思ったのに。」
「あったりまえじゃん!!あんなデリカシーない奴嫌いだし!」
周りのガッカリとした顔を見ながら、人生において一番最悪だった昼ご飯が終わった。
奈々は初めて、からかわれる側の気持ちを予期せぬ形で体験したのであった。
***
「奈々ちゃ〜ん...また血飲ませてよぉ...。」
「あげるかバァカ!!」
放課後の教室、幼子のように駄々をこねて血を欲している小日向君を見て、奈々は淑女にはあるまじき口調でそう叫んだ。
「大体昨日あげたから良いんじゃん。しかも、唯でさえ噂されてるんだから。」
「違うんだよぉ...。飲んだらまた欲しくなるんだよ...。」
「躾のなってない犬なの?」
「正確には人肉を食べた虎みたいな感じです。」
キリッと言い放つ顔は心底憎らしい。でも、テストは学年上位なだけあって例え話は中々上手い、と感心してしまった。人肉を一回食べた虎は、味をしめてもう1回食べたくなるという話だ、つまり彼が言いたいのはそういうことだろう。
「嫌だ、だって飲み方いっつもああやって口接触すんでしょ?恥ずかしいし無理。トマトジュースでも啜っといて。」
「...もし飲ませてくれないのなら、奈々ちゃんの名前をノートに書いて自殺する。」
今までかつて、これ程までに身を挺して脅した人はいただろうか。奈々は1秒の間に沢山のことを考えた。受験失敗、犯罪者の一員、追い詰めた人、と不吉な言葉ばかり思い浮かぶ。プラマイで考えた結果、結局奈々が損することしかどうやらないようだ。
「...飲んでも良いけど、今日の朝みたいに言うんならやだ。」
「じゃあ気をつけるね!」
輝かしい顔でそう彼は言って、早く飲ませろ、とばかりに此方を期待の眼差しで見つめた。奈々はやっぱり嫌だ、と思う。幾ら何でも、口接触はしなくても飲む方法はあるのではないだろうか...。
「やん、そんなに僕がイケメンだからってこっちを見ないで。」
「...。」
ゴスッ、と無言で彼の頭を叩くと、奈々は幾らか満足した顔を見せた。昨日いきなりキスされた仕返し、これで出来た、と清々する。
「そんな顔しないでよ。奈々ちゃんだって気持ち良さそうにしてたじゃん、昨日。」
「その点については、痛すぎてエンドルフィンが出ていた説を推奨する。」
「エンドルフィンの分泌の理由についてはまだあまり根拠が出ていないので、正確には分からない。」
...流石言い返しが一回り違う。大体の人は奈々のその口調を聞いただけで逃げるような人達ばかりなのに、彼の場合はそれに更に返すような人だった。それも、2倍も3倍も利子山盛りにして。
「ねえ、まあ早く血を飲ませてよ。」
そう言うと、彼は奈々の腕を優しく掴んだ。「眼、閉じといて。」と彼の片方の手で奈々の眼を覆うと、もう片方の手で奈々の顎を上げる。
「奈々ちゃ〜ん!まだ居る〜?」
...デジャブというものだろうか。ガラッ、と開いた扉の音には妙に親近感があった。
***
「いやぁ、ごめんね、お二人が仲良い所。邪魔しちゃったね〜。」
「まあ、今回なら許すよ。」
「アンタは何様だ。」
ゴスッ、とまた頭を打つとこの腹ただしい吸血君は、大袈裟に「痛い!!頭割れる!!!」と叫んだ。大丈夫、頭部は其処までやわではないので、そんなことぐらいで外傷が出来る事なんて全く無い。甚だ以って馬鹿馬鹿しい上に、そんなことでお友達である美琴ちゃんに引かれる身にも少しはなって欲しいものだ、と奈々は思う。
「あはは、まあどっちでも良いよぉ。それよりもね、この記事見て見て!」
「...奇麗華連続失血死事件?」
なんて変な名前だろうか、と奈々は首を傾げながら思う。奇麗とか、華とかが、連続失血死事件の名前になるとはおかしいのでは、と奈々は思って、美琴ちゃんに「本当に、連続失血死事件なの?」と訪ねた。美琴ちゃんが元気良く頷いて、説明を始める。
「見つかったときにはね、何か被害者の首と手首に切り傷とか穴とかがあったんだって。それで、不審に思った警察が調べると、体重が約1/3程減っていることが分かったの。しかも、臓器とかは抜き取られた痕はなかったんだよ。」
首には太い頸動脈があり、手首の血管は外からも見えやすい為、比較的狙いを定めて切りやすい。しかも、血は体重の凡そ1/3程の重さがある。ふむ、連続失血死というのもよく分かる。
でも、何故そんなことを?
はっきり言って、切り傷だけで血が1/3も流れるとは思い難いし、そうでなくとも血を全て取るだなんてそんな芸当、吸引器とかでも使わない限り出来ない。更に、そう仮定するならば、もっと問題点が出てくる。
吸引器を使うのなら、何故其処までして血を欲しいか、という話になってくる。ただ単に残酷に見せようとしたからか、それとも、或いは...。奈々は顔を上げて、吸血君のことを見た。真面目そうに考えているこの少年は、実は血を飲むのが好きな少年だったりする。つまり、只の嗜好として、という輩もいるかもしれない訳だ。
...というか、それだったら犯人は眼の前にいる人しか居なくないか?
疑いの眼をかけながら、奈々は美琴ちゃんに「でも、何でそんな名前なの?」と聞いた。奇麗、とかが事件の名前になるだなんて、間抜けな野郎が付けたとしか思いようがない。
「それがねえ、何かその被害者の死体の上に、毎回お花が置いてあるんだって。種類は別腹だけど、毎回とても綺麗な花なの。でも、そんな事件なんて稀でしょ?だから、奇麗華連続失血死事件。」
成程、一応由来があるらしい。
相変わらず疑いの眼を一人に注いでいると、奈々はその人物と眼があった。
***
美琴ちゃんが去って行った後、奈々は自習に集中し始めた。隣の席に座っている吸血君のことなど眼にもくれず、只々脇目も振らずに勉強を徹底する。
「ねえ、奈々ちゃーん!!」
「...うん。」
「あのさー!!」
「...うん。」
「一緒にあの事件解決しない?」
「...うん。」
うん?
お隣に座っている吸血君は、いたずらっ子な顔で、「言動取ーれた。」と言って微笑んだ。




