5. 対称的な珈琲
次の日、私は昨日の祐介の提案通り上司と距離を縮める作戦を考えていた。
私の上司である、村山部長は温厚で口数が少ないものの、全体をよく見て、時には怒ったり、アドバイスをしたりと、仕事に熱心な人だ。
部長の趣味なんて想像もできない。
んー、村山部長って50歳半ば位?だったら、ゴルフとか?よく見るやつ。いやいや、あの村山部長がゴルフって!それはないか。だったら、……うーん、読書とか?まだ、そっちの方が合ってる気もするが……。ダメだ、わかんない。
そんなことを頭の中でぐるぐると、まるでソフトクリームみたいに考えていた。
***
いくら考えても見当もつかず、私は会社に着いてしまった。
自分のデスクに腰を下ろし、また考えた。
まず、部長に話しかけないと……、なんて話しかけよう。何をきっかけにすればいいんだ……?
「咲希っ!」
突然の呼びかけに、体をビクッとさせて振り返る。そこには由美がいた。
「由美か……」
「『由美か』じゃないでしょ!おはよ、咲希。もう、さっきから呼んでるのに気づかないんだもん。どうかしたの?」
由美が私の顔を覗き込む。
「な、何よ…、大丈夫。何も無いよ。」
何か見透かされそうで怖かったから顔を逸らした。
「……?そう?何も無いならいいんだけどね、また何かあったら言いなさいよ?っし、今日も頑張ろ!」
手をひらひらさせながら由美は背中を向けた。
「うん、頑張ろう!」
そう由美の背中に言った。
そうだ、ここは会社だ。仕事に集中しなくちゃ。
私はまたまっさらな企画書とペンを取り出し頭を悩ませるのだった。
しばらくして、私の隣の席で仕事をしている川端先輩に声をかけられる。
私、あまり得意じゃないんだよね、この先輩。
「ねぇ、咲希ちゃん?ちょっとした資料、明後日までにまとめてきてくれない?
私が明明後日の会議に使いたいな~って思ってる資料なんだよね。手伝ってくれる?」
「あ、はい!大丈夫ですよ。」
私は笑顔で応える。
すると、先輩の手には思ったよりも分厚い資料があった。
私は思わず質問する。
「えっ、私がまとめる資料ってこれですか?」
指をさして言うと先輩は当然だという顔をこちらに向けた。
「あ、もしかして出来なさそう?困ったなぁ。これ、一人じゃ出来そうにないなぁ。」
「川端先輩、私がやりますよ。」
なるべく笑顔になるよう努めた。
「ほんと?ありがとね!咲希ちゃん、いつも助かっちゃうなぁ。」
先輩はニコニコしながら資料の説明をする。
……そう、いつも先輩の手助けしてますよね、私。
先輩から分厚い資料を受け取る。ため息を飲み込んで、また企画書と向かい合った。
人は集中しようと決めた時に限って邪魔が入る。
川端先輩がまた私にちょっかいをかけてきた。
「ん~?どれどれ~?企画書は進んでるかなぁ。」
そう言って、企画書を覗き込んできた。
驚いた顔をした先輩の目には何も書かれていない企画書が映っていた。
その後口角を上げて
「あれ?まだ出来てなかったの?」
と言う。
すみませんと言おうと息を吸ったところで先輩がまた口を開く。
「咲希ちゃんまだ21でしょ?だったら、もっと斬新なアイディアで村山部長びっくりさせてみれば?
ちなみに、会社のヒット商品の企画担当したの私なんだ~。……咲希ちゃんももっと頑張りなよ~?」
危ない、先輩に暴言浴びせるところだった……。
ギリギリ声帯まで辿り着かなかったのが救いだった。
「も、もっと……頑張ってみますね。あはは……」
力なく笑ってペンを持つ。
その後いくら考えても、川端先輩の言葉たちが頭から離れなかった。
考えては頭をよぎり、その度にペンを手放した。
隣から、先輩の鼻歌が聞こえてくる。
……なんだ、余裕あるんじゃん。やっぱり川端先輩はそういう人ですよね。
何故か、先輩の机に置いてある珈琲はとても苦い味がするような気がした。
***
企画書を3分の1位程書き進めたところで、村山部長に見せることにした。
どこから駄目なのか知りたかったからだ。
部長の前に立つと部長の方から声をかけてきた。
「お。もう出来たの?」
珈琲を飲んでニヤリとした。
「い、いえ……。すみません。部長、今お時間よろしいですか。」
「あぁ、どうしたんだ?」
そう言って微笑んだ顔は本当に優しい人なんだなと思わせるような顔だった。
あ、そんな事を考えている場合じゃなかった。
「あの……、企画書、途中まで書いたんですけど、方向性はこれでいいですか?」
企画書を差し出すと、部長は受け取りサッと読んでまた私に返した。
本当にあれで読んだのだろうか。
なんと返されるのか表情では読み取れず怖かった。思わず下を向く。
ビクビクしている私の耳に一番最初に滑り込んできたのは部長のため息だった。
正直、この状況で一番聞きたくなかった。
ゆっくりと口を開く部長に気が付かなかった。
「小林さん、顔を上げなさい。人と話す時は俯いてはいけないよ。」
返事をする前に顔を上げた。後から返事も追いついた。
「はいっ、すみません。」
「それで、その企画書の事だけど、そのアイディアを否定するつもりは毛頭ないんだが、……うーん、違うアイディアもないか?」
「他の……アイディア……ですか?……頑張ってみます。」
また1から考え直しか、とうなだれて戻ろうとした時、私はあることを思い出した。
それは、昨日祐介と話したあの事だった。
「部長、これとは全然関係ないんですけど、……あのー」
しまった、どう聞くか決まってなかった。
「どうしたんだ?なに、そんなに躊躇うな。」
やはり、村山部長は優しい人だ。
私は心置き無く話し始めた。
「ありがとうございます。あの……、村山部長は趣味とかありますか?」
部長はきょとんとした。
「趣味か……」
難しい質問をしてしまったようだ。
「すみません、少し気になっただけなんです。突然言われても困りますよね。
また、企画考えて……」
そこまで言いかけて部長が右手を上げ、わたしの発言にストップをかける。
私は素直に口をつぐんだ。
「趣味と言っちゃあなんだけど、私は昔から……そうだなぁ、思い返せば学生時代から……」
少し溜めて私と視線を合わせる。
「珈琲が好きなんだ。」
ニコッとして珈琲に口をつける。
驚きの余り、声が出なかった。
「趣味とはまた違うような気がするが、私は珈琲を作る時のあの時間が好きなんだ。」
柔らかく目を細めて話すその姿に私はつい見とれてしまった。
「小林さんは何か趣味あるのかい?」
その質問で我に返る。
え?私の?……私には何がある?
「趣味……、……私、趣味ありません。」
きっぱりとそう言った。
「そうか。小林さんは何故、私に趣味なんて聞いたんだい?」
「えっ、えっと……」
なんて言えばいいの?私が色々な理由を考えていると部長が先に言う。
「ま、いいんだ、そんなこと。さ、仕事だ仕事!」
「は、はいっ!」
私は今日一番のニュースを胸に仕事を始めた。
早く帰って祐介に報告しなくちゃ!
去り際に部長がまた珈琲を飲んだ。
川端先輩とは違い、部長の珈琲なら飲んでみたいと思った。
***
勢いよく家のドアを開けると同時に部屋中に私の声が響き渡る。
「たっだいま~~っ!」
小走りで祐介の元へ行く。
「おぉ、咲希おかえり。随分と機嫌がいいんだな。」
「そうなの!今日はビックニュースがあるんだ!!」
私はニコニコして祐介の前に立つ。
「それは気になるなぁ。ご飯にするから手、洗っておいで。」
「はーい!」
先生の言うことに元気に返事をする小学生の様な声で答える。
子ども扱いは気になるけど今はそれどころじゃなかった。