第1審 年齢差師弟のある日の日乗
「閻魔王様、おはようございます」
地蔵菩薩は水色の髪を持つ少女を見つめ、声をかけた。
「ああ、おはようございます」
寝ぼけ眼をこする少女、閻魔王はうんと伸びをする。
二人はひとつ屋根の下に暮らしている。それが十王と十戒名の関係であり、義務であるのだ。
十戒名とは、十王の直属の部下であり、次期十王である。十王の本地を基にした名前を十王から貰い、十王一人につきひとり仕える。地蔵菩薩もその一人であり、閻魔王の十戒名として毎日を過ごしている。ちなみに地蔵菩薩というのは自分の名前であると同時に職業名でもあるので、十王に昇進し閻魔王になれば、その名前は捨てることになる。同様に、閻魔王などの名前も職業名と同義である。
そんな地蔵菩薩は、閻魔王のことが大好きすぎて仕方がない。それはもう、まるで気が狂ったかのように。
「先ほど朝ごはんを作ったので、一緒に食べましょう。味噌汁に蒟蒻入れてありますよ」
「蒟蒻!? ありがとうございます!」
蒟蒻が入っているという事実だけでぱあっと顔を明るくする閻魔王に、可愛いなあと思いつつ、それがばれないようにあわてて顔をそらし閻魔王の先を行く。
「あ、待ってください。髪の毛がぼさぼさで……」
「梳かしてあげますよ」
「自分でできますよ……」
呆れつつ、自分専用の櫛を手に取る。見た目は20にも満たない少女だが、彼女はなんだかんだ500年以上は生きている。それが十王という生き物だからだ。
500年に一度、十戒名認定試験が行われ、それに合格したものは1000年の寿命を得る。不慮の事故がない限りは死なない。病気もしない。即死するような怪我をすれば死にいたるが、体力や自然治癒力も常人の比ではなくなる。そして、十戒名になってから500年たったときに、愛する師と別れを告げ自らが十王となるのだ。
だから、彼女も子ども扱いされるには年をとりすぎていて。
「ごめんなさい。俺より年下なんで」
「あなたは獄卒ですからね……」
地蔵菩薩は、それを上回っていた。
彼の額から生える二本の、水晶のように美しい角がそれを物語っている。
彼は、獄卒と人間のハーフ。獄卒の特徴を色濃く受け継ぎ、殺しても死なない、十王達よりも強い体を持っていた。自分の好きな年で見た目の成長を止めているため、彼の身体の年齢は今18だ。実年齢は、閻魔王よりも600歳ほど年上である。
「髪も整えましたし、いきましょう」
「そうですね」
年齢差が大きい師弟は、無駄に広い支給された家の階段を下りて、リビングに向かった。
地蔵菩薩は頬杖をつきながら、ニコニコとわらって閻魔王が咀嚼する様子を見ていた。はやく食べ終わりすぎてしまったのだ。すでに自分の皿も片付けてしまっていて、やることはただ愛しい人の顔を見ることだけだった。
「……じろじろ見られていると食べにくいのですが」
「閻魔王様のことはずっと見ていたいので」
「本当私のこと好きですね……まあ、良いことなんですけど」
そう言ってまた味噌汁をすすり、ごくんと飲み込む。地蔵菩薩にとっては、いつも当たり前のように閻魔王がしている行動を見るだけで、これ以上ない幸福だった。彼は彼女を愛しすぎているのだ。
勿論閻魔王もそれは自覚している。そこまで鈍くはない。
だけれども、彼女はそれに反応しない。彼女にとっては、それが部下を想う愛なのだ。
「ご馳走様でした」
皿を片付けようと立ち上がると、地蔵菩薩もあわてて立ち上がった。
「俺が運びますよ。閻魔王様、昨日はお仕事でお疲れだったんですから少しでも休んで……」
「いや運ぶくらいできますって。そんな対したことじゃ」
「俺は部下ですよ? 好きにこき使っていいんです。ね、」
有無を言わせず勝手に閻魔王の皿を運び、洗う。この時期の水は冷たい。閻魔王様にこんな苦行のようなことをさせるわけにはいくまいと、手伝いに来ないうちに急いで丁寧に洗った。
「そっちだって、たまの休みだというのに……」
十王の仕事は、一週間に一度、水曜日にまとめて行われる。
衆生……生きとし生けるもの全ての悪行、善行を全て理解し、裁かなければならないのだから、精神的にも肉体的にも相当の重労働なのだ。昔はそれを連日やっていたものだから、精神を病んでしまうものが現れ、それから一週間に一度、時の流れをいじって一日で全てを終わらせてしまうことに決めたのだ。
十戒名の仕事は基本的に雑務であり、精神がやられることはまずない。もうひとつ、いざというときのための稽古があるが、それで精神がやられた事例はない。そのため、十戒名は時間をいじらずにほぼ毎日仕事をしなければならないのだ。といっても地獄の役人は沢山いるので、やることは他に比べれば少ないが。
それでも、十王に比べれば多い。
だというのに家事すらも自分より多くこなす地蔵菩薩を、閻魔王は少し心配していた。
「いつもいつも家事をやってくれますが、あなたはそれでいいんですか? ストレスたまったりとか」
「しませんよ」
ついでに、と台所の掃除をしながら地蔵菩薩は答える。
「俺がやりたくてやってるんです。閻魔王様の仕事は激務ですし、心配ですから」
「でもあなたも仕事で疲れているんじゃ」
「閻魔王様にお会いできれば大体のストレスは飛ぶんで大丈夫です。体力もかなりありますし、俺」
はぁ、と半ば呆れてため息を吐けば、地蔵菩薩は不思議そうな顔をした。
「……馬鹿ですね、ほんと」
腰をあげて、地蔵菩薩のいる方へ歩いていく。
「うわっ、」
閻魔王様が軽く服をひっぱれば、地蔵菩薩の重心は大きく後ろへ傾いて、倒れそうになった。あわてて体勢を直す。
「ど、どうしたんです」
「地蔵、休みなさい。上司命令です」
「え」
地蔵菩薩が手に持っていた雑巾を、シンクに投げ入れる。あとで洗えばいいだろう。
「ほら手洗って。今日は休んでください。私だって昔は地蔵菩薩だったんですから、わかるんですよ、どれだけ大変か。だから、今日は私と一緒に休みなさい」
「閻魔王様の命令なら、何でもききますけど……」
「よし決まり」
閻魔王は、地蔵菩薩に手を洗わせて、そのまま二階の寝室に連れて行った。ここは共同で使っている。部屋は有り余っているのだが、なんだか流れでそのまま一緒の部屋で寝ることになったのだ。
自分のベッドに寝転がり、ただまったりする。地蔵菩薩にも隣に来るよう促した。
「あ、そうだ。マッサージしてあげますよ。あの稽古、全身が痛くなるでしょう」
「俺は獄卒なんである程度は平気ですけど……まあ、ちょっと背中が痛いですね」
「背中? 背中なんですね……私は、背中あまり痛くなりませんでしたね」
「背筋って普段使わないから……」
閻魔王は、と地蔵菩薩の背中に跨りゆっくりとマッサージを始めた。この上ないと思わされるほどの幸福感に、地蔵菩薩はゆっくりと全身を任せる。
「……ありがとうございます」
地蔵菩薩は呟いた。
愛しい閻魔王様と二人きりで、他に邪魔するものは何もない。閻魔王様が俺だけを見てくれて、俺をわざわざマッサージしてくれている。背中に乗る重みが、閻魔王様が実際にここにいるのだと証明している。閻魔王様と何気ない日常を過ごすだけで、生まれてきてよかったといつも思うけれど、今日のこれは別格で。
「俺、今日は特に幸せです……」
閻魔王はそれを聞いて、呆れたように。
「まったく、本当に私が好きなんですから」
主人公級のキャラ二人の性格をわかりやすくするためだけの話。