2.神への捧げ物
ルシェの家は女性が一人暮らしをしているには少し違和感を感じる程、ゆったりした広さがあった。
寝室の布団に寝かされたティエラの隣では、ライラがそっと手拭いで額の汗を拭いてやっていた。
水桶や清潔な手拭いはルシェが用意してくれ、部屋の隅ではライムが身を休めている。
レモナにはここまでティエラを運んでくれた礼を言って、元居た場所へと送り返してやった。
静まり返った空間に、熱に魘されるティエラの声だけが聴こえる。乱麻に励まされたはずのライラの表情は、少し翳りがあった。
すると、そっと襖が開かれた。顔を覗かせたのはルシェだった。
「ライラさん、乱麻が来ましたよ」
ルシェと共にやって来た乱麻の手には、澄んだ水の入った瓶があった。
「その水……」
「ティエラを治すのに必要な素材だ」
そう言って、ライラの隣に座る乱麻。二人の向かい側にルシェも腰を落ち着ける。
コップ一杯分程度の水が入った便を置き、乱麻は言う。
「これは里の奥地の湧き水だ」
「この湧き水をどうするの?」
「この湧き水はただの水とは訳が違う。ティエラを治す特効薬──御神酒を作る貴重な材料の一つなんだ」
「おみき……?」
聞き慣れない単語にライラは首を傾げる。
「元はこの里で年に一度、神に捧げる為の奇妙な酒なんだが……役目を遂げずにいた者を死の淵から呼び戻す、唯一のアイテムになる。それがこれから俺達が作ろうとしている御神酒。月影の里に来た理由だ」
「へぇ……って、俺達って? アナタがそれを作るんじゃないの?」
「もう一つ必要な材料があるんだが、俺が持っている分だけでは足りなくてな。アンタのオーブを分けてもらいたい」
「御神酒には、月の雫とも呼ばれる里の湧き水と、私達が集めるオーブ……ヤマトでは魂とも呼ぶのだけれど、その二つが必要なのですよ」
乱麻が受け取ってきた瓶は、湧き水の持つ特殊な魔力を留める力がある。
そこに溜めた湧き水に、魔物から集めたオーブを漬け込むことで御神酒となるのだ。
しかし、それには一つ二つのオーブではとても足りない。乱麻は異空間からオーブを入れた袋を召喚した。
「この中にはざっと五十個程のオーブがある」
「ご、五十個!? それでもまだ足りないっていうの!?」
「ああ。質が良いのを揃えているはずだが、それでも足りん。ライラ、アンタのは?」
ライラも慌てて袋を取り出し、中身を確認した。
「うーん……十五、ぐらい?」
「あらあら」
「……狩ってこい、今すぐに」
「わ、わかってるわよ! こんぐらいじゃ足りなさそうだなって思ってたわよー!」
「俺もオーブ狩りに行ってくるから、ルシェにはティエラの面倒を任せたい。良いか?」
「ええ、勿論ですとも」
紅葉のような赤い髪を揺らしながら、ルシェは微笑と共に頷いた。
「じゃあ、ライムちゃんもルシェさんにお願いします! ずっと移動ばっかりで疲れてると思うし」
「はい、一緒にお待ちしています」
そうして、二人は里周辺の魔物を全て狩り尽くした。
袋に入り切らなかったオーブは、ポーション等を入れた道具袋に詰め込んだ。
ライラは魔力が尽きる寸前まで魔法を放ち続け、ルシェの家に戻って来た時には疲労困憊といった様相を呈していた。
暗い谷底の里は、すっかり真夜中の闇に包み込まれている。
「も、もうダメぇ~……!」
玄関に倒れ込むライラに気付いたルシェとライムが、彼女を労った。
すると、その背後で小さく笑う者が居た。
「ふっ、そんなになるまでよくやったものだな」
「そ、その声は……乱麻?」
「ほら立て。肩を貸してやる」
少し遅れて戻ってきた乱麻の手を借り、全員でティエラが待つ寝室へと向かう。
そして、二人が集めたオーブを全て風呂敷に出した。その中から一つ、青いオーブに乱麻が手を伸ばす。
「このオーブを、こうして湧き水に浸してやる。すると……」
そっと水に沈んでいきながら、オーブがゆっくりと溶け込んだではないか。
その光景にライラは目を見開いた。
「お、オーブが溶けた!?」
「オーブが殻ごと溶け込む。これを一つずつ繰り返していけば、御神酒が完成する。これだけ集めれば足りるはずだ」
「御神酒さえ完成出来れば、ティエラはもう大丈夫なのよね? それなら早く終わらせちゃいましょ!」
残りのオーブは全てライラが投入していった。十個、二十個と溶かしていく内に、少しずつ湧き水に変化が生まれ始めた。
赤、青、黄、緑、白──様々なオーブが溶け出した末、いよいよ完成した御神酒は光の加減で多彩な色を見せる神秘の水となったのだ。
期待を胸に、ライラはティエラの上体を起こした。
「御神酒を飲ませれば、朝には彼女の体調は元通りになるはずだ」
「これ、他の入れ物に入れて飲ませてあげても良いの? 流石に瓶から直接って……後で里長さんに返すんでしょ? 大事なものみたいだし」
「銀製品なら、短時間は御神酒の効力を損なわずにいられるはずですよ」
「ねえ乱麻、銀の吸い飲み持ってない?」
「吸い飲み?」
「急須のような形の、注ぎ口が長いものですよ」
「……あ、ああ。銀の吸い飲みだな。それならあるぞ」
乱麻は異空間に送った品物の中から、該当する物を思い浮かべた。
それと同時に、何故昨日の晩その道具を使おうと思い付かなかったのかと、自分に呆れてしまった。
──これからはもっと、自分の持ち物を把握せねばな……




