1.二人だけの
さざめく波の音が、次第に彼を覚醒へと促した。
「ん……」
乱麻の目に飛び込んだのは、満点の星空だった。
──何故、波の音が……?
「ここは……海辺、か」
身体を起こし、周囲を見渡す。
すると、少し離れた所にライラの姿を発見した。
──呼吸はしている。あの様子だと、俺が海に飛び込んだ後、船が破壊されたようだったな。残りのメンバーの安否も気になるが……
「起きろ」
乱麻の服もライラの服も、ある程度は乾いていた。すっかり夜になっていることから、あの白龍に襲われてから随分時間が経過しているのは間違いない。
彼ら〈一陣の風〉には、貴族の姫を桜樹まで送り届ける依頼の完了期限が迫っている。
彼女を迎える宴の予定日に間に合わないとなれば、大手ギルドの看板に泥を塗ることになってしまう。
乱麻は早くレイや依頼人達と合流せねばと考えながらも、頭ではまた別のことを思い返していた。
「う、うぅん……」
「早く起きるんだ。もう夜だぞ」
「夜ならまだ寝てて良いじゃない……」
──コイツ、寝ぼけていやがる……
砂浜に寝そべっているというのに、満足そうな顔で再び夢の世界へ飛び込むつもりの少女を睨み乱麻は言う。
「……覚えていないのなら、俺が思い出させてやろう。俺達が乗っていた船は沈められた。アンタが父親の仇だと言う、白龍によってだ」
白龍と口にした途端、ライラは飛び起きた。
「ドラゴン! そうよ、わたしあのドラゴンを倒そうとして、それから……!」
「こうやって怒りを焚き付けないと起きられないのか?」
「う、うるさいわね! ……ライムちゃんや、他のみんなは?」
「さあな。俺達のようにこの近辺に流されたか、もっと遠くに打ち上げられたのかもわからん」
「あ……ティエラが、わたしを庇ってくれて……あの後、アンタが先に飛び込んで、船が壊されて……それからわたしたち、海に溺れてしまったのね」
状況を整理していく内に落ち着いたライラに、ひとまず安心した乱麻。
「早く、みんなを探さなきゃ……!」
近くに人の気配はまるで無い。
──これはこれで、ある意味都合が良い。互いの、な……
「ライラ……だったな。他の連中を探しながらで良い。アンタには訊いておきたいことがあるんだが」
「別に良いけど……」
手を差し出してライラを立ち上がらせ、二人は夜の砂浜を歩き出す。
海水で髪や肌がベタついて気持ちが悪いが、今はそんなことよりも気になっていたことが乱麻にはあったのだ。
「わたしに訊きたい話って?」
「アンタが召喚していたあの杖、どこで手に入れた?」
白龍との戦いでライラが手にした白銀の杖。何故あの杖を彼女が所持しているのかが疑問だったのだ。
「あの杖は……元々は、わたしのおばあちゃんの物だったらしいわ。パパが故郷を旅立つ時に、譲ってもらったみたい」
「アンタの父親の出身は?」
「ヤマトの紫魂国──そこの深い森の奥にある、小さな村だそうよ。ママはハヴィダットの人だけどね」
「紫魂の……」
──まさかライラは、あの人の……?
「話ってそれだけ?」
「……いや、もう一つある」
疑惑が確信に変わりつつあるが、深く考える時間をライラは与えてくれないらしい。乱麻は次の質問に移った。
「アンタはあの少女が海に落ちた時、彼女をティエラと呼んでいたな」
二人は立ち止まり、ライラの表情が凍り付く。
「ティエラといえば、一年前王城襲撃事件で死神に殺害された姫騎士の王女の名と一致する。彼女の正体は、その亡くなったはずの王女なのか?」
聞き逃しはしなかった。ライラは、あのフードを被った少女をティエラと呼んでいた。
「どうなんだ? 彼女は、本物のティエラ王女なのか……?」
「そ、それは……」
「……その反応、真実だと受け取るぞ」
立ち止まったままのライラを置いて、乱麻は歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
ライラが叫び、再び足を止めた乱麻。
振り返れば、ライラは不信感を露わにした目で乱麻を睨んでいた。
「アンタ、あの子をどうするつもりなの!? ティエラに手を出すつもりなら、まずはわたしを倒してからにしなさい!」
「そんなつもりはない。むしろその逆だ」
「逆って……どういうことよ」
一見冷静に振舞っているが、乱麻は内心焦り動揺していた。
「ティエラとはどれ程の付き合いだ」
「……半月と、ちょっとだけど」
「まずいな」
「な、何がまずいっていうのよ! ちゃんと説明しなさいよ!」
一度小さめの深呼吸をして、乱麻は言った。
「早く彼女を救わなければ、数日中に──ティエラは死ぬ」
彼が発した言葉の意味。
それをライラが理解するのに、そう時間は掛からなかった。
「……もしかして、あの伝承は本当だったの?」
思わずライラの声が震えた。
「あの子が死ぬって、それってやっぱり──」
「──やはり、アンタも俺と同じだったんだな」
「……乱麻も、そうだったのね。わたしなんて、全然気が付かなかった」
──経験の差か、年齢の差か……それとも性質が異なるせいなのか。こんな事に気付いても、胸の痛みが増すだけだというのにな……
足元の砂を睨みながら、乱麻は思った。
「あの事を知っているなら話が早い。今はとにかく、ティエラを探すぞ」
「……ええ」
再び歩き出した二人。
しかし、その足取りは先程よりもずっと重かった。




