3.悲しみを呑んだ海
あれはまだ、ライラが七歳の頃。
当時ライラの母は既に他界しており、彼女は父と二人で生活していた。
父は魔物ハンターチームの一員として生計を立てており、ライラもそんな父に憧れを抱くようになっていた。
「ねえパパ。どうしてパパはママとケッコンしたの?」
依頼も無い休日のある日、親子二人、自宅でのんびりと過ごしていると、ライラはふとこんな質問をした。
子供というものは、気になったことは何でも親に聞こうとしたがる。好奇心の塊だ。
父は妻との出会いを脳裏に甦らせ、穏やかさと寂しさを交えた声で言う。
「そうだなぁ……。前にも話したと思うけど、パパとママは違う国の人だって言っただろう?」
「うん! えっと、パパはヤマトの国の人で、ママはこっちの国の人なんでしょ?」
「そうだよ。ちゃんと覚えてたな。偉いぞー!」
そうして頭を撫でてやれば、ライラははにかんだ笑みを浮かべる。
「……ママはな、俺が昔助けてあげた時に、俺に一目惚れしたんだそうだ」
「ひとめぼれ? ひとめぼれってどういうこと?」
「うーんとね……その人と会ってすぐに、相手を好きになっちゃうことなんだ。パパが偶然こっちにお仕事で来た時に、ママを乗せた馬車が魔物に襲われててな。それを急いで助けたら、ママが俺の格好良さにときめいちゃったんだよ!」
「ときめいちゃったのね! わたしもわかる! だってパパすごくかっこいいんだもん!」
「そんな風に俺をおだてたって、今日のおやつのパンケーキにフルーツのトッピング増やしちゃうだけだぞー?」
「きゃー! パパイケメン! 天才マモノハンターさまー!!」
「おいおい、褒め過ぎだぞぉー?」
母を亡くしても、ライラは気丈に振舞っていた。父は今でも母を想っているのに、自分が泣いてばかりいたら父を苦しめてしまうと思ってのことだった。
母はレデュエータ王国の孤児院で育ち、父はヤマト大陸からハヴィダット大陸へと移り住んだ為、簡単には親戚の手助けは得られない。
それでも、父のハンター仲間や近所の人々との繋がりがあるので、父が不在中はその中の誰かが面倒を見てくれていた。
翌日ライラが目を覚ますと、父は出掛ける準備をしていた。
目覚めたばかりだったが、朝の挨拶だけは欠かさないようにとベッドから起き上がる。
「おはようパパ……今日はお仕事なの?」
「ああ、おはようライラ。今度の仕事はちょっと長くなるよ」
丁寧に磨かれた鎧と剣で身を固め、父は荷物を確認していた。
寝起きのライラはとろんとした目付きで、そんな父の背中を見守っている。
「お隣のラゼリーさんがご飯を作ってくれるそうだから、お礼をちゃんと言うんだぞ?」
「うん」
「明日から一人で朝起きられるか? 学校に遅刻しないようにな。今日は休みだから良かったが……」
「ちゃんとおきれるように、がんばるっ」
「よーし、偉い偉いっ!」
昨日のようにライラの頭を撫でる。その手は金属に覆われ、互いの体温が伝わらない。
それが少し寂しくもあるが、これこそが母とライラが好きな、戦う父の姿である。
父はしっかりとライラの目を見て言う。
「……いつも出掛ける前に言ってるけど、覚えてるか? もし、パパがずっと帰って来なかったら……」
「パパのおへやのつくえの、いちばん上のひきだしをあける!」
「そうだ。ちゃんと覚えてたな。……よし、それじゃあパパ、そろそろお仕事に行ってくるよ。ちゃんと良い子で待ってるんだぞ?」
「はーい! おみやげ楽しみにしてるね!」
「ああ、わかってるよ! じゃあな、ライラ」
「いってらっしゃーい!」
「──おい、大丈夫か!」
〈一陣の風〉のメンバーと双子達が、ティエラとライラの元へ駆け付けた。
「さっきの揺れ、魔物?」
「お嬢様、お怪我はされておりませんか?」
「大丈夫よマリシャ。それより──」
ティエラが再び海面に視線をやると、そこから大きな頭と長い首が伸びてきた。
びっしりと白い鱗が並んだその身体は、見るからに硬質な印象を受ける。蛇のようなその魔物は、鋭い眼光をティエラ達に向けていた。
「──あの魔物、普通の魔物とはまるで雰囲気が違うわね」
「今にも僕達を食い殺したそうな、殺気に満ちた眼をしておりますなぁ」
「レイ、俺達は明らかに獲物として見られてるだろう。そんな呑気な事言ってる場合じゃないぞ」
「おやおや、怒られてしまいましたな」
──あの魔物……あれは……
白い龍のようなその魔物に、ライラは直感した。
「あいつは……!」
「ライラ、あの魔物を知っているの?」
「知ってるも何も、あの魔物は──わたしのパパを殺したドラゴンよ!!」
怒りの叫びを上げたライラは、抱いていたライムをティエラに押し付けた。
彼女の様子に戸惑うティエラを置いて、ライラは龍の目の前に立った。
『──ライラちゃんのお父さんの話、聞いた?』
『ええ、海で魔物に襲われたって……』
『今の時期、春海を渡る為とはいえねぇ……。あそこの旦那さん、魔物ハンターだから船の護衛をしてたんでしょう?』
『そうよ。それで突然、白い魔物に襲われて……船は沈没。まだ誰の遺体も見付かってないんですって』
『もうかなり経つわよね? 遺体が見付からないってことは、もう魔物に……』
──今でもはっきり覚えてる。あの日の朝を最後に、パパは帰って来なかった。
『奥さんだけじゃなく、まさかこんなに突然旦那さんまで亡くなるだなんてねぇ……』
『あの子の引き取り手は居るのかしら?』
『親戚なんて見たこともないわよね』
『大丈夫なのかしらね、ライラちゃん……』
──あのドラゴンが、わたしとパパを引き裂いた。わたしが世界で一番倒さなきゃいけない魔物……!
ライラは遥か頭上にて咆哮する龍を睨み、生唾を呑み込んだ。




