1.その剣は誰が為に
その夜、ティエラは城に戻った。
騎士団の寄宿舎よりも城の方が警備が厳重だからと、彼女の身を心配する兄が戻って来るよう勧めたからだった。
彼女としては、寄宿舎で騎士達と共に死神を仕留めるつもりでいたのだが。
「安心しろ、ティエラ」
「お兄様……」
父親譲りの重厚な赤色の髪を持つ青年──第一王子のロディオスが、ティエラの部屋へやって来た。
「私は何がなんでも、お前を守ってみせよう。大切な妹の命を死神なんぞに奪わせはしない」
ロディオスを含め、ティエラの家族は皆彼女をとても大切に扱っている。
だからこそ彼らは死神を城で迎え討つよう提案した。万が一ティエラがダンギクの縁談を受け入れると言ったとしても、猛反対していたことだろう。
国の為に何度も剣を振るっているロディオス自身も、ティエラと同じように死神と一戦交える覚悟を決めていたのだ。
「ですがお兄様! それでは、お兄様の命まで危険にさらすことになってしまいます。死神は──」
「──邪魔者には容赦しない。わかっているさ」
ついさっき侍女が淹れた紅茶のティーカップを置いて、ティエラは俯いた。
「本当に死神がお前の命を狙っているというのなら、私は黙ってなどいられない。もし私達が逆の立場にあったとしても、お前は私を守ろうと剣を取ったに違いない。家族というのは、そういうものだからだ」
「それは……確かにそうですが……」
「父上も母上も、可愛い娘をこんな形で失いたくなんてないさ。死神を捕らえ、依頼主を斬り捨ててやる」
ロディオスの声には、海のような雄大な愛情と、ダンギクと死神への激しい怒りの色が滲んでいた。
「持てる力を総動員させ、お前に手出しさせないよう、徹底して叩き潰す。……だから、笑って朝日を迎えよう。ティエラ」
「……はい、お兄様」
優しく頭を撫で、ロディオスは口元を緩めた。
すぐにロディオスは城の警備に穴が無いかの確認に向かう為、部屋を出た。
すると、入れ違いでマリシャとリリシャの双子がやって来た。
「何か変わったことは?」
「今のところ変わりはありません。ティエラ様のご命令通り、城下にはアビラ騎士団長より日没後の外出禁止令が出されました。もう間も無く、ロディオス様率いる紅薔薇騎士団との最終調整を済まされる頃合いかと……」
この双子は、普段はティエラの侍女として働いているが、諜報員としての活動もしている。
見た目は普通の若い侍女だが、姉のマリシャの魔法と、妹のリリシャの接近攻撃。そして何より、敵国へのスパイ活動の成功率の高さが評価されている。
王家に反発する組織に潜入した時には、あっという間に組織に馴染み、幹部から入手した貴重な情報を持ち帰った。彼女達双子の姉妹によって、ティエラ達白狼騎士団が敵組織を壊滅させるに至ったのである。
そして家族を除けば、双子はティエラが最も信頼する人物でもあった。
「お城の警備は、ロディオスさまとアビラ騎士団長が万全の布陣を敷いています。わたしとマリシャは、このままティエラさまのお部屋の警備を続けますねっ」
「ええ、ありがとう」
──このまま、何事もなく終わるのが一番なのだけれど。
「あっ、お紅茶冷めちゃってますよね? 今、新しいのを淹れ直してきますね!」
「いいえ、大丈夫よ」
「それではティーセットをお下げ致します。リリシャ、ティエラ様を頼んだわよ」
「はいっ、姉さん!」
突然、部屋の明かりが消えた。
リリシャが小さく悲鳴を上げる。
魔力を込めたランプが消えるのは、魔力切れか、ランプそのものの寿命が来たか。そのどちらかが原因だ。
「きゅ、急に消えるなんてびっくりしちゃいましたぁ!」
「すぐに魔力を注ぎます」
「ええ、お願い」
城で使っているランプは、それ一つだけで充分に部屋を明るく照らせる、高品質のものだ。
マリシャは慣れた様子で、天井に吊るされたランプに魔力を送る。
「……妙ですね。確かに魔力を注いでいるはずなのですが、反応がありません」
「それは不思議なことですね、姉さん」
やけに部屋が真っ暗に感じたティエラは、窓の外を見た。
──これは、まさか……!
この部屋の窓からは、庭師が丹念に育てた薔薇園が見渡せる。
広い薔薇園は、幼い頃は母とよく散歩をした記憶がある。今夜はそこにも多くの騎士を配置していたはずなのに、見下ろすそこには何も見えない。
よく目を凝らすと、慌て蠢く黒い影が行き交う姿と、狼狽えたような声と怒声が混じった男達の声がいくつも聞こえていた。
「松明の明かりが見えない……。それだけじゃない。街の明かりが、全部消えている……!」
どんな力を使ったのかわからないが、城も城下も暗闇に包まれてしまった。
異変を知ったマリシャが、赤い石がついたピアスに触れた。
「……何者かが夜陰に乗じ、城内へ侵入。既に負傷者が出ているようです」
「やはりこれは死神の仕業だったのね……」
「てぃ、ティエラさまは、わたしたちがお守りしますからー!」
「どうやらティエラ様の現在地が知られているようです。迷うことなくこちらへ向かっています。如何なさいますか?」
振り返るマリシャと、ファイティングポーズをとるリリシャ。
いよいよ死神が現れたとあれば、城の騎士もティエラの騎士団も、何としてでも奴を止めようとするだろう。
「……一階から移動……二階のアビラ騎士団長の号令が聞こえました。やはり、そう容易く捕らえられる相手ではないようですね。何人、何十人もの悲鳴や断末魔が……」
──このままでは、無闇に皆の命を散らしてしまうだけではないの……?
「侵入者、二階を突破。三階にてロディオス様率いる部隊と戦闘を開始したようです」
「お兄様っ……」
──私一人の為だけに、こんなにも多くの犠牲を出して良いはずがないじゃない!
「マリシャ! リリシャ! 手を貸して!」
ティエラは腰の剣を抜き、部屋を飛び出した。
「ティエラ様!?」
「ま、待ってくださーい!」
駆け出したティエラを追いかけ、双子も廊下を駆け抜けて行く。
「お兄様を援護する! ただ守られているだけだなんて、そんなの……耐えられないわ!」
「お言葉ですがティエラ様! この戦いは、姫様をお守りする為のもの! ロディオス様の援護でしたら、わたしとリリシャにお任せを──」
「──それじゃ駄目なのよ! 死神の狙いは私なの! それなのに、お兄様やアビラ、他の騎士達を犠牲にしては駄目なのよ……!」
「ティエラさま……」
赤い絨毯が敷き詰められた大階段を降りれば、そこには倒れた騎士達と、剣を振るうロディオス。
そして宵闇のようなローブを纏い、鎌を持った男──死神と戦っていた。
「お兄様っ!」
「ティエラ!? 何故ここに来た! 早く逃げるんだ!」
「嫌です! 私も戦います!」
果敢に死神に斬りかかるティエラ。
しかし、その一撃は難なくかわされてしまった。
「申し訳ございません、ロディオス様」
「わたしたちもティエラさまと一緒に戦うことになっちゃいました!」
ティエラと双子の言葉に、ロディオスは小さく溜め息をついた。
「……命を賭して、ティエラを守れ。良いな?」
「もちろんですっ!」
「やれます」
「ティエラ、お前も油断はするなよ。この男……武術も魔術もかなりの使い手だ」
「はい、お兄様」
ティエラを映す死神の瞳が、不気味にゆらりと、紫色に光った。