2.繋いだ未来
ライラと別れた後、ティエラは昼食の時間まで剣術の稽古に励んだ。
模擬戦の相手は男騎士だったが、師匠であり白狼騎士団団長でもあるアビラの弟子にかかれば、男相手でも一本取ることは容易かった。
見学していた騎士達から拍手を貰い、相手の騎士と礼を交わして木陰で休む。少し日差しから遮られただけでも、昂ぶった気持ちと心音が自然と落ち着いていった。
全力を出した訳ではないが、あの高名な【白狼姫】と一戦交えたいと名乗りを上げた二十人前後との連戦ともなると、流石に疲労を感じてしまう。
「お疲れ様です、ティエラ様。お見事な剣技、この目にしかと焼き付けさせていただきました!」
声を掛けてきたのは、フェリヴィアの部下のネリアだった。
ティエラの戦いぶりによほど興奮したのか、彼女の声は弾んでいた。
「宜しければお水をどうぞ! あれだけの模擬戦の後でしたら、喉が渇いていらっしゃるでしょう?」
「ありがとう、ネリア。いただくわ」
皮の水筒に入った水を受け取ると、さっきまでハキハキと喋っていたネリアが急に黙ってしまった。
──あ、あら? 私、また何か変な事を言ってしまったのかしら……
「……ええと、大丈夫?」
「え、あ、あの、もしかして今ティエラ様……私の名前をっ!?」
「もしかして私、あなたの名前を間違えて覚えてしまっていたかしら?」
「い、いえ! 合っております! ネリアで間違いありません!!」
首を痛めないかと心配になる速度で横に振るネリア。
周りの騎士達も、何をしているのかと不思議そうな顔で二人を見ている。
「実はその……私のような者の名を、ティエラ様に覚えていただいていたとは思っておりませんでした。ですので、先程私の名前を呼んでいただいた時、とても感激してしまって、一瞬放心状態になってしまいました」
「フェリヴィアの大切な部下なのでしょう? そんなあなたの名前を、私が覚えていない方が不思議だわ」
ティエラは小さく手招きをして、ネリアは素直に従って、二人で木陰に入った。
「何故自分のことをそんなことを言うの?」
「その、ですね……」
ネリアは頬を掻きながら、控え目な声量で語り出した。
「……ティエラ様ももうご存知かと思いますが、私の剣技は紅薔薇騎士の中で最底辺と言っても過言ではありません。こんな私が今のように剣術の稽古に励むようになったのは、フェリヴィア副団長が切っ掛けだったんです」
ティエラは曖昧な笑みを浮かべると、彼女を傷付けない言葉を頭の中から探した。
──最底辺とまではいかないけれど、あまり強い騎士だとは言えないでしょうね……
この半月、宿舎に居る騎士達の相手は一通り済ませていた。
そんなティエラの目から見ても、ネリア本人が自覚しているような腕前だと判断出来た。
「……まだあなたには伸び代があると思うわ。それにしても、何故ネリアは騎士団に入団を?」
「元々私は、治癒術士として入団していました。剣を振るうのとは無縁の、酷い怪我や消えかけた命と向き合う、責任のあるお仕事でした」
温和で明るい印象を受けるネリアなら、ぴったりの仕事だっただろう。
回復魔法は「誰かの為に」という他者への奉仕の精神が、より魔法の効力を増すと言われている。
「そんな優しいあなたが、何故術士から騎士になろうと……? 」
「……何度目かの戦地への派遣の際、フェリヴィア副団長が深手を負った時のことです。副団長が救護テントに運び込まれた時、既にあの方は危険な状態でした」
当時、治癒術士が不足していた紅薔薇騎士団のヒーラーは二人だけ。その内の一人がネリアだった。
もう一人のヒーラーは、長時間の治療により魔力が底を尽きかけていた。
この状況下で、フェリヴィアを救えるのはネリアだけ──その事実だけでもプレッシャーが掛かるというのに、まだまだ術士として未熟なネリアがあの【氷結の薔薇】を救えるのか。
彼女がここで死ねば、この地域は敵軍によって制圧されてしまうだろう。この窮地を突破出来る貴重な戦力を──そして何より、一つの命を失わせる訳にはいかなかったのだ。
『頼むネリア……俺にはもう、彼女を救えるだけの魔力が、残っていないんだ……!』
『で、でも私っ、こんなに酷い治療は初めてで……!』
診察台に寝かされたフェリヴィアの腹部からは、絶えず壊れた鎧の隙間からじわじわと血が溢れ出している。
──一刻も早く治療をしなきゃ……! でも、私なんかの実力じゃ、こんな酷い傷治せっこない……! だけど……
震える手で杖を握るも、こうして迷っている内に、フェリヴィアからどんどん血の気が失われていく。
「……リ……ぁ……」
蚊の鳴くような声で、微かに紡がれる言葉。
「……ネリ、ア……」
「フェリヴィア様っ!」
嫌な汗で濡れた美しい顔は苦痛に歪み、閉ざされた瞼はこのまま開かれることはないかもしれない。
ネリアは慌ててフェリヴィアの口元へ顔を寄せ、その声に耳を傾けるのに集中した。
『貴女の……日々の努力を、信じて……』
『……っ!』
ネリアが毎日のように魔法の腕を磨いていたことを、フェリヴィアは知っていたのだ。
真夜中まで回復魔法の練習を重ね、ネリアの部屋はその優しい治癒の光は、まるで小さな蛍のように何度も灯っていた。
その蛍光が窓から零れてくるのを、フェリヴィアは何度も目撃していた。
だからこそネリアの努力が並外れたものであり、その努力の成果を発揮するのは今この瞬間なのだと確信しての言葉だったのだ。
『……治療を、開始します!』
そう言い放ち、ネリア覚悟を決めた。




