4.愛するが故に
ほんの少しだけライラが著名人らとの親交を深めた、次の日のこと。
ティエラは朝から執務室に呼び出されていた。
机に肘をついて両手を組んだロディオスの傍らには、昨夜とは一変して真剣な面持ちのフェリヴィアが立っていた。
「……お前を王都には行かせてやれない」
「何故ですかお兄様! 私の無事をお父様とお母様に直接お伝えしたいのです!」
ロディオスとはこの街で再会出来たが、ティエラは王都の両親や白狼騎士達にも会いたかった。
しかし、ロディオスはその意見を厳しい口調で咎めたのだ。納得のいかないティエラは、眉根を寄せて兄に訴える。
「私はもう一年も前に死んだと世間に周知されています。名を変え身分を隠し、少し変装をすれば敵国に私が生存していた事実が知られることはありません!」
「子供の発想だな」
短い言葉を叩き付けるロディオス。
ディエラは一瞬表情を強張らせたが、すぐに負けじと言い返した。
「……っ、そうかもしれません。ですが──」
「──やってみなければわからない、と? それこそ甘い考えだぞ、ティエラ」
発言を見透かされたティエラは口を噤む。
対してロディオスは、これ以上反論される前に決着をつけてしまおうと、ここぞとばかりに言葉を浴びせた。
「十年以上も続く戦時中……それも、お前の事件を切っ掛けに嶺禅まで加わった大戦の最中。もしもお前のことが広く知れたらどうなると思う? 恥ずかしい限りだが、王国内には反乱組織やスパイが潜り込んでいる。そんな連中が、嶺禅にお前の情報を流したら……あの男は、再びお前の命を狙ってくるだろう」
「で、ですから私は、そういった輩に気付かれぬよう……!」
「嶺禅国は魔法が発達した大国の一つなのだぞ? お前の魔力──我が王家特有の魔力を感知されれば、変装など何の意味も持たん。お前が行こうとしている王都ともなれば、このイリータよりも危険な輩が潜んでいることだろう。だからこそ、そんな場所にお前を行かせる訳にはいかないんだ」
ロディオスの言葉には、事態への危機感と妹を心配する優しさが込められていた。
フェリヴィアも同意見だとばかりに、暗い面持ちで頷いている。
──それじゃあ私は、この戦争が終わるまでどうしろと言うの……?
「貴女を保護してくれたライラちゃんにも、貴女の正体は黙っていてほしいとお願いしてあるわ」
「お前が父上やアビラ達に顔を見せてやりたいという気持ちは、私達も痛い程理解している。その件に関しては、密書という形で王都の主要な人物達に伝えるつもりだ」
「密書……ですか」
「ええ。貴女が無事を報せたい人達に宛てた手紙を、こっそり届けてあげる。本当に申し訳ないことだけれど、王都行きはそれで我慢してもらいたいの」
「嶺禅ダンギクという男は、どこまでも容赦が無い。まるで鬼……悪魔のような男なんだ。紅薔薇の団員達も、嶺禅との戦いでその多くが命を散らしてしまった……。近々増援が来る予定だが、あの国はとにかく恐ろしい相手なんだ」
椅子から立ち上がったロディオスは、そのまま近付きティエラの右肩に手を置いた。
ティエラが顔を向けると、悲痛な表情を浮かべたロディオスが言う。
「……わかってくれティエラ。私達はもう二度と、お前を失いたくないんだ」
交り合った視線と、肩に触れた兄の大きな手の震え。
ティエラが消えたこの一年間、どれだけの苦しみに耐えてきたのだろう。改めて彼の顔によく目をやれば、少しやつれているように見える。
紅薔薇騎士団とロディオスは、戦線を押し留める為にイリータ街に派遣されたのだとライラは言っていた。
追い返すのではなく、戦線を維持させる。それは即ち、敵を食い止めるだけで精一杯だということを意味している。
妹を殺された恨み、憎しみ、怒り……そして埋めようのない深い悲しみ。
それらを抱えながらロディオスとフェリヴィアはこの一年、最前線で剣を振るってきたのだ。
「……フェリヴィア」
「はい、ロディオス様」
「後は任せたぞ」
「存じておりますわ」
苦しげに小さく笑みを向け、ロディオスは執務室を去った。
やけに静かな空間で、パタンと閉じられた扉の音がティエラの耳に残った。
「さて……貴女にはもう一つ話しておかなければならないわね。今さっき、ロディオス様にも任されてしまったことだし……」
さあ、とすぐ側の来客用のソファに座るようフェリヴィアに手で促される。
ティエラに向かい合う形でソファに腰掛けたフェリヴィアは、一度手櫛で髪を軽く撫でると、その艶やかな唇を開いた。
「貴女のこれからのことなのだけれど……」
「このままここで軟禁生活、という訳ではなさそうね」
「ええ、まあ……」
この街は国境に近い。
北東に進めばサンキーノ王国が、海を挟んで東にはミア公国、南には嶺禅国がある。陸からも、いつかは海からも攻められる危険がある街に、いつまでもティエラを置いていては危険だ。
ロディオスとの会話から、ティエラはそれに気付いていた。
「イリータも危険、王都も危険となったら、私はどこに軟禁されれば良いのかしら?」
「軟禁なんて言葉を使いたくないわ」
「でも、実際そうなるのよね? この戦争は、私のせいで被害と敵勢力が拡大してしまった。だからこそ、私にはこの話を断る権利なんて無いの」
「ティエラ……」
──ただし、軟禁先から逃げ出さないとは約束出来ないけれどね。
本心を隠して、大人しく二人の出した結論を受け入れる素振りを見せたティエラ。
しかし、彼女の予想を大きく覆す言葉がフェリヴィアの口から飛び出した。
「……実はね、貴女を養子に出そうと思っているの」




