3.琥珀の瞳にうつるもの
執務室前を警備していた男騎士二人をネリアと交代させると、左腕にぴっとりと纏わり付いていたフェリヴィアはティエラを解放した。
これから重大な話をしに行くというのに、主の前でその妹とベタベタすべきではないと判断してくれたらしい。
蕩けきった顔を引き締めて、フェリヴィアが扉をノックする。
「フェリヴィア副騎士団長です。お客様をお連れしました」
扉の向こうから「入れ」という返事がして、その声が間違いなく兄であると感じたティエラは心から安堵した。
様々な資料や書類が乱雑に置かれた机の奥に、積み重なった書類に判を押すロディオスが目に入った。
──お怪我はなさそうだわ。良かった……
寄宿舎の前でライラから話を聞いてから、この目で兄の無事を確かめるまで気が気でなかったティエラ。
フェリヴィアに並ぶ溺愛振りを見せていたロディオスなら頭に血がのぼり、単身で嶺禅国に乗り込みそうだと危惧していたからだった。
「ようやく書類が片付いてきたところだ。フェリヴィアが案内したということは、王都からの使者か? 話とは──」
「お顔を上げてみて下さいな、ロディオス様」
作業の手を止めて素直に顔を上げたロディオス。
フェリヴィアに目を向けた後、すっと隣の少女に視線を移す。
そのまま硬直すること数十秒、もう一度フェリヴィアの顔を見上げたロディオスが一言。
「……これは、何という幸福な夢なのだろうか?」
「あらやだ、夢なんかじゃありません。あなた様の愛する……あたし達が愛して愛して堪らない、ティエラですわ」
「ティエ……ラ……?」
目を見開き、口を開け、手にしていた印鑑を書類の上にコトン、と落としたロディオス。
重要な書類だろうに、変な箇所に汚れが出来てしまったことにも気が付かないでいる。
呼吸が浅くなり、ティエラの頭の天辺から爪先まで視線を上下させながら、ロディオスはふらりと椅子から立ち上がった。
フェリヴィアの時と同じ、もしかしたらそれ以上の驚きを示していた。
それを感じたティエラは、自分がどれだけ他の人々に心配をかけ、悲しませてしまったのだろうかと悔やんだ。
ダンギクからの縁談を断らなければ、こんな思いをさせずに済んだかもしれない──後悔先に立たずとはまさにこのことを言うのだろう。
「お兄様……っ!」
──それでも私は今、こうしてここで息をしている……生きている!
口を開閉させるばかりで、上手く言葉が出て来ないロディオス。
そんな主を見て、フェリヴィアはティエラに優しく笑んだ。ロディオスの胸に飛び込んでおやり、とでも言いたげな笑みだ。
彼女の慈母のような優しさと、目の前に立つ兄との再会の歓喜に心が打ち震える。
どれだけ厳しい訓練にも、一言も愚痴を零さず耐えてきたティエラ。そんな彼女の記憶に残る唯一の涙といえば、死神に敗れたあの夜の、憎悪に満ち、復讐を固く誓った一筋の涙だけだった。
そんな気高い姫騎士の瞳が再び潤みを帯びている。
ティエラは居ても立ってもいられず、机を回り込んでそのまま抱き付いた。
ティエラを抱き留めた反動で、互いの紫と赤の髪が揺れた。
「おにい……さまっ……!」
「……っ、ティエラ……ああ、お前がこの腕の中に居る……! これが夢ではないというのなら、天の祝福に他ならないだろう!」
「こうして……またお兄様やフェリヴィアに会えて、私っ……!」
鼻の奥がツンとして、歪んだ視界の端から雫が溢れ出して止まらない。
「……私を……っ、受け入れてくれて、ありがとう……!!」
嗚咽混じりに伝えたその言葉は、ロディオスとフェリヴィアを、至高の安堵と幸福感で満たしていった。
その夜、ティエラとライラには紅薔薇騎士団の宿舎の一室を与えられた。
先に宿屋で休んでいたライラを呼び寄せ、ティエラの友達だからと、特別に彼女も宿舎に滞在出来るようロディオスが取り計らってくれたのだ。
何故ここにシエルが居ないのか。それはティエラがライラを迎えに行った際、彼とは宿屋で別れることになったからだった。
ひとまず彼はこの街で入れそうなギルドを探すらしい。シエルからここまで送り届けてもらった感謝の言葉を貰い、二人は寄宿舎にやって来た。
騎士の一人に食堂へと案内され、ロディオスとフェリヴィアが待つ夕食の席へと向かう。
ティエラの隣にはライラが座った。そしてテーブルの向かい側では、ロディオスとフェリヴィアが心から喜びを露わにした、生き生きとした笑顔を浮かべていた。
「え、えっと……ろ、ロディオス王子の妹さん……? アナタが? アナタがあの、ティエラ王女なの?」
「ええ。その……ライラにはきちんと話しておくべきだったと反省しているわ。あなたは大切な友人だというのに、こんな重要な話を秘密にしてしまってごめんなさい……」
テーブルに料理が並ぶ前に、ティエラはライラに素性を打ち明けることにした。
ロディオスとティエラが実の兄妹であること。
そしてフェリヴィアが姉のように可愛がってくれる存在なのだということを。
「あの有名な女性騎士の【氷結の薔薇】が、ティエラのお姉さんポジションだったなんて……! ビックリしすぎて、さっき覚えたばかりの呪文が吹っ飛んじゃいそうだわ……」
超がつく程の有名人、【氷結の薔薇】ことフェリヴィアととても親しい間柄。
その主君【烈火の琥珀】の異名をとるロディオス王子が身内に居て、気の合うスラ友だと思っていたその少女が、暗殺されたはずの【白狼姫】とも呼ばれるティエラだった。
ライラはあまりの緊張と驚きとで、テーブルに着いてこの話を出されてからずっとライムをもにゅもにゅと握ったり潰したりと落ち着かないでいる。
「スライムを使役する女の子なんて珍しいですわね、ロディオス様」
「ああ。是非とも我が紅薔薇騎士団に招き入れたい程の優秀さを感じるな」
「でもこの子はティエラのお友達ですから、入れるなら白狼騎士団の方になるんじゃないかしら?」
「そうなったら、ティエラ以外で初めての白狼の姫騎士ということになるな! ティエラも戦場でより心強い仲間を得られるだろう」
「あ、あの……私、騎士に志願するつもりは……」
「あらあら、あたし達で勝手に盛り上がってしまったわね。ごめんなさいね、ライラちゃん」
「い、いえ! そんな、私の方こそ……!」
「そう緊張するな……とは、無理な話かもしれんが……。ティエラに出来た、初めての同年代の友人だ。私や妹は王族ではあるが、周囲の目を気にせず済む場では、どうか気楽に接してほしい」
「は、はい……」
ライラにもみくちゃにされ、最早原形を留めていないライムが困り顔で笑い──そんな表情に見えるだけかもしれないが──、些細な会話を交えながら食事が始まった。




