千本北大路六角
私の名前は千本北大路六角。
私の事を詳細に知りたいという物好きが居るとも思えないが、一応記しておく。身長153センチ、体重39キロ。血液型はA。年齢は十五。性別は女性。髪ならびに瞳は黒。国籍は日本。
こんなところか。
もう少し外見的特徴を上げるならば、後ろで縛った髪が地に着かんばかりに長いというところくらいか。伸ばした理由は、ここで語る必要はあるまい。
私は練師連という名の秘密組織に属している討練師だ。討練師とは別の次元に潜むシレン衆と呼ばれる悪鬼と戦い、討ち滅ぼす者を言う。
今回、練師連本部からの命令で担当地区を異動することになった。異動先は地方都市繰撫市。
ここは私が生まれ育った所だ。といっても、3つか4つまでしか居なかったため、ほとんど記憶に残っていない。
だが、それは問題ではない。重要なのは任務だ。
任務は、繰撫市に出現するシレン衆の迎撃。また、理由はわからないが、私立間藤高校への潜入の二つ。私のような末端の者が任務の真意について訊くことなど許されないし、知る必要もない。
先ほど携帯電話にメールが届いた。未だに操作には慣れないが、指令はこうやって届くのだから、いい加減使いこなせるようにならねばな。
内容はシレン衆の雑兵、シレン獣が繰撫駅に出現したというものだった。
私は潜入先となる間藤高校の下見のため、制服に着替えていたが構わず走る。駅までは遠い。屋根の上を跳ねて直線で進む方が早く着くだろう。故に、屋根から屋根へ疾走する。
目撃されても構わない。例えカメラを構えたとしてもその頃には既に視界外だし、固定カメラにも一瞬にしか写らないからだ。非現実的な事に対して、確たる証拠がない限り、人は勝手に理由を見つけて納得する。
それに最悪の場合は記憶を消すことも出来る。迅速さこそ優先されるのだ。
駅が見えてきた。駅にはなんら変わった様子はない。
目を閉じ、頭の中で扉を開く想像をする。その扉からは純粋なエネルギーが自分に流れ込んでくる。
すなわち縛力の発動。縛力とはこの世界に森羅万象を縛り付ける力。磁力を操ることが出来れば反発も吸着も自在のように、縛力を操ることが出来ればこの世界からの解放も、他の世界への接続も自在となる。
他の世界から炎を引き出せば炎を操れるし、氷を引き出せば氷を操れる。
あくまで理論上は、だ。私にはそこまで自在に操ることは出来ない。せいぜい他の世界からエネルギーの一部を引き出し、肉体の強化をする事くらいしかできない。
或いは、縛力を発動させ、他の世界と接続することによって、本来見えないはずのものを見ることが出来るくらいである。
それが、今何も変わった所のないように見える駅に適用すると――
円筒状に駅前を包む極光がありありと見える。
その極光こそ縛鎖空間。この世界の特定空間を、別の空間に擬似的に再現し、そこに前述の特定空間内に居た対象を引きずり込むものだ。加えて、本来の空間では人が突如消え、騒ぎにならないよう、催眠術に近い効果が周囲にかかる。そのため、人が消えても誰も気にとめることもない。
中で誰が死のうがな。
だが、それは私の誇りにかけてさせん。
「我が傍らに在りしは霊なる剣! 来たれ! 中窪霊戮錬刀!」
愛刀、中窪霊戮錬刀を召喚する。これは持ち主の召喚に応じて出現する刀だ。
そして母様の形見である。私とは切っても切れない、もっとも大切なものだ。
しっかりと握り締め、家屋の屋根から近くのビルの屋上へ飛び移る。ここからならば一足で縛鎖空間の天蓋に飛び乗ることも可能だ。
もちろん、ただ乗っただけでは中には入れない。世界を隔絶されているからだ。常人には見ることも触れることも出来ないし、たとえ出来たとして破壊する方法がない。
しかし、この刀はただの刀ではない。
縛鎖空間とて切り裂く霊剣だ。
私は両足に力を込め、跳ぶ。空中で刀を構え、着地と同時に真下へ突き、縛鎖空間をぶち破る。
眼下には、子どもが適当に粘土をこね回して作ったような巨大な化け物――シレン獣と、それに喰われようとしている男の姿。
何をやっているんだあいつは。なぜ逃げない!
「チッ!」
中窪霊戮錬刀は、設定した呪言に対応する効果を発揮する能力を持つ。
多様な縛力を操れない私でも、この刀があればどんな類の敵にも対応できる。
その力を開放する。
「胎動せし大地、連続なる世界の揺らぎ、砕け散る凍て蕾――切り裂け! 中窪霊戮錬刀!」
私の言葉に合わせ、刀身が細かく振動を始める。
これは振動の能力開放の呪言。
落下に合わせ、そのまま振動する刀をシレン獣に叩き込む。
頭蓋に刀を突き立てられ、わめくシレン獣。暴れて、私を振り落とそうとしてくる。
その程度で振り落とされる私ではない。刀を掴み耐える。
むしろ暴れることよりも叫び声の方が邪魔だ。
「五月蝿い」
刀を深く差し込もうとしたのだが――
視界の端に先程襲われていた男の姿が入った。これ以上シレン獣を暴れさせれば巻き込みかねない位置だ。全く、余計な手間を……。
刀を引き抜き、怪物から攻撃が届かない距離に飛び降りる。
「そこの貴様、何を呆けている。さっさとどけ。邪魔だ」
この言葉で、やっと男が逃げていった。
これでようやく全力で戦える。
刀を構え、シレン獣の正面に突っ込む。シレン獣は触手を伸ばし迎撃を試みるが、無駄だ。剣の一振りで塵と化す。
再生し再び迫る触手を切り払いながら、シレン獣の懐に入る。懐といってもこいつの体は顔面から直接いくつもの手足が生えているという気色の悪い構造だ。すなわち顔の真正面に飛び込んだ格好になる。
「零れ落ちる雫、止まらぬ車輪、澱みなき漣――穿て! 中窪霊戮錬刀!」
水の力を発動、水流が刀に巻きつく。水滴が岩を穿ち貫くように、刀は水の力で突きに特化した威力を得る。
「せあっ!」
上半身をバネのようにしならせ、同時に刀身に強力な回転を加えた必殺の突きを放つ。
触手のガードごと貫き、シレン獣の顔面に突き刺さる。それだけに留まらない。刀の回転が止まっても刀身に巻きついていた水流の回転は止められん。刀身から離れ、相手の体内を回転しながら高速で直進する。
それはさながら弾丸の如く。回転の円はその回転ごとに大きくなり――
「ギャオオオオオオオオーン!」
シレン獣の背を吹き飛ばし、虚空へ抜けた。シレン獣はうめき声を上げ、地に倒れ伏す。
そして、そのまま形を失い、大地に染み込むように消えてゆく。
終いだ。
さて、後は隅で震えている人々の記憶操作だ。
組織から支給されている瓶を懐から取り出す。何も入っていない瓶だが、これから入るからこれで良い。
コルクの栓を抜くと、瓶の中に光の粒子が吸い込まれていく。これは縛鎖空間が粒子になって瓶に吸い込まれているのだ。
縛鎖空間とは単に世界を隔てる極光の壁のことを指すのではない。その極光に囲まれた全てが縛鎖空間なのだ。
つまり、この瓶はこの空間全てを光の粒子に変え、吸収する。
のみならず、この縛鎖空間内で起きたことの記憶も光の粒子となり、瓶に吸収される。
これを縛鎖吸収という。
ただし、縛力の高い素養がある者は意識を他の世界に接続でき、元より縛鎖空間の影響を受けていないため、この効果を受けない。
極希に、縛力の高い素養を持つ者が居り、記憶操作を受け付けないことがあるが、その場合は討練師に迎え入れることになっている。拒否権はない。何故なら戦う術を身に付けなければシレン衆に殺されるだけだからだ。
瓶が満たされるのと同時に、極光の壁も完全消失する。
今回は、縛力の高い素養を持つ者は居なかったようだ。誰も虚ろな目でふらふらと歩いていく。数分もすれば正気に戻るだろう。ここでの出来事を忘れて。
いつも通りだ。
何の問題もなくこの任務は終了……
そのはずだった。
まさか、この後、あのような出会いがあるなどとは――あの男でもあるまいし――予知能力のない私に、わかろうはずがなかった。