「二丁目の田中さん&モア」
この短編集は、「二丁目の田中さん」と「朧神」で構成しています。
真面目と趣味の世界で出来ていますので、覚悟してください!
「二丁目の田中さん&モア」 結城 遊
① 「二丁目の田中さん」
「田中さんと僕」
「卒業式」、それは華のない我々のような人々でも心弾む行事だ。しかし、今年は違うのだ…。僕が密かに憧れを抱いている、二丁目の田中さんも旅立ってしまうので。
僕と田中さんは縁も所縁もないので、「もう会えなくなって寂しいわ。」とか、
「もしよかったら、連絡先交換してくれない?」とか、とにかく喋りかけてくれるようなことも無い。
校内で人気の田中さんは、1こ上の先輩で入学式の時、緊張していた僕の様子に気付いてくれたただ1人の優しい人なのだ。時間軸は少し前に戻る…。
時間軸:過去
「理想と現実」
高校生になったらこんな人と仲良くしたいなと妄想していた理想を完璧に網羅している女神に見えた。入学式を終え、教室に行く途中もずっと幸せに浸っていた。傍から見たら、気持ち悪かっただろう。幸せとは、こういう事なのか?
「担任の仁木 弘樹だ。お前らは俺の所有物だ、人間と思うな。分かったか?」
教室がひそひそ声に包まれる。仁木は確認を促すように大声で怒鳴り散らした。
「分かったかって言ってんのが聞こえないのか、普通分かったら返事するだろう?
返事しろ、返事!!」
「はい…。」みんなビビッている。肌で感じる雰囲気が、冷たく凍り付いているように動かない。
「声が小さい、もう一回!」
「はいっ!」一人遅れたが僕も含めて大声を張り上げた。
「声が小さい、もう一回!」さらに張り切り始めた仁木が、全力の返事を強要してきた。
「はぁぁいっ!」なんで、僕は新学期早々こんなことを?疑問とは裏腹に、体は反応をしていた。
そんなこんなで、仁木が担任を務める1年C組(通称 軍隊教室)は鬼教官仁木の下、
日々訓練を積んでいた。成績が良い者、運動神経が良い者、どちらでもない者、3グループに分類され、個々の能力を伸ばすプログラムが組まれていった。前者2グループは、達成目標も結果も目にみえて分かるが、最後の第3グループは霧がかかったように分かりづらかった。特に目標も無く、勉強も運動も得意ではない、いわば普通かそれ以下の人間は、
原点に立ち帰って、得意不得意を見極める事から始めた。仁木は、月に一回、二者面談の予定を組み、各々の全体像を掴み着実にデータ化し、それに見合う得意分野を見つけていった。というか、アドバイスしてくれた。一見良い先生かと思うかもしれない、実際保護者からの評判は上々で、1・2グループの生徒の受けも良い。しかし、待ってくれ、
僕らは民主主義が通用する自由な日本に生まれ、小中と謳歌してきた我々に、「進路」
「将来」という足枷をつけ、厳しく非難しているだけではないか?僕らの青春はまだ終わっちゃいないはずだ、田中さん観察(ストーカーではないよ!)をしながら、悶々と考えていた。
「僕は美野 栄子、女子だぞ」
田中さんが休んだ、田中さんがサッカーをしている彼氏とデートに行った翌日のことだった。女子の噂に聞き耳を立てていると田中さん情報が、9割を占めている。やはり、美しい彼女に嫉妬しているのだろう。僕の女を見る目は間違っていなかった!と誇らしげにうなずくと、女子の目線がこちらに向いている気がした。
「お~い、美野~。俺一人じゃ抱えきれないよさすがに。」
今日の日直は須賀君と一緒だったことを思い出す。僕は美野 栄子。女子である。
クラス1、学校1のイケメンとある意味時間を共にする僕(女)の女を武器にするチャンスが到来した。僕はか弱いふりをして、楽な仕事をする。「重くて、持てない…。」
と苦しそうに言えば、きっと持ってくれるだろう。と、たかをくくっていた僕はあることを思い出した。我らの担任、仁木はさぼろうする生徒にはこときつくあたる。どこで見ているのか、すぐバレてしまうのだ。「盗聴器を持っているんじゃないか」とか、「天性の勘が優れている人なんじゃないか」とか、果ては「きっと第6感が働いているのでは?」と物理の天才、将来は「京大のアイン・シュタイン」と呼ばれる小清水 ハルト君(日本人)が科学では説明出来ないことを考え出したぐらいすごいことなのだ。しかし、アイン・シュタインがお手上げの勘は、僕には到底かなわないと観念し須賀君の荷物を半分持った。
背後で影が動いた気配がしたが、気にしないことにした。お化けであれ、仁木であれ僕は苦手だからだ。
時間軸:現在
「田中さん、グッバイ」
田中さんが引っ越すらしい。業者のトラックが田中さんの家の前に停まっていたと、母が残念がっていた。毎朝、挨拶してくれる子はあの子ぐらいだと、嬉しそうには話していたのはいつだったか。私も残念だった。毎朝、6:30に家の前を通っていく田中さんを恍惚とした表情で見送るのが私の日課だったのに…。溜息がもれる私に母は、もっと深い溜息をもらしこう言った。
「アンタも、利紗子ちゃん見習っておしゃれしたら。一生彼氏出来なかったらどうするの?
30過ぎて独身とか勘弁してよね、あんたはおしゃれ以前に性格から直していかなきゃダメかもね…。」僕、いや私は、残していた一口を口にほおりこみ、黙々と学校へ行く準備をし、玄関の扉を開き学校を目指した。田中さんになれたら、私もなりたい。しかし、遺伝子があなたが刻んだ遺伝子が私を作ったのだ。私はあなたの娘、あなたとそっくりの30歳となるだろう。と言えなかった私は、1人ジョギングするおばあさんのとなりをゆっくり歩いていく。
「栄子inseven teen」
今日も仁木は快活だ。朝から、大声を張り上げ隣のクラスに迷惑をかけている。しかし、
僕の我慢の日々もこれまでだ。4月1日からは、高校3年生として、ニュースクールデイズが始まるのだ。長い長い冬は終り、春が始まる。僕は勉強に本腰を入れ始めたばかりだが、第1グル―プは本腰をずっと入れている状態なのだ。本腰ではなく、「学業」という職業に勤しんでいる、皆勤賞あたりは楽勝だ。そんな冗談を言っている場合ではなく、まわりの同志も同様らしい。最近めっきり遊ぶ時間が減った。
「私の青春は、あいまいで流れていく川のように過ぎていくのかと思っていた。担任の
仁木先生との出会い、クラスメートとの切磋琢磨の日々はだらけて腑抜けの人生を変えた。
来年、仁木先生と関わる生徒はきっと幸せだろう!ありがとう、仁木先生、クラスメイト達、さよなら青春。 美野 栄子」とクラスの寄せ書きに書いた僕は、次の須賀くんに回す。須賀君は、泣いている。「涙で目の前見えねェ、さよなら仁木先生。」と必死に書いている須賀君を観察していると分かったことがあった。
「こいつと、私が惹かれあうことはない。」イケメンが曇るぐらい涙と鼻水が流れる異性は、僕は受け付けない。さぶいぼが出ている腕を掴んでこようもんなら、きっと投げ飛ばすだろう。一本背負いだっけ?
そんな妄想をしていると、スマホが震えた。メールが来たらしい。
「美野 栄子様、なんて堅苦しいな。栄子ちゃん、バイト入ってくれない?
明日、喜多野女子短大の清掃のバイト代わりに…。」即、マッハの速度で返信する。
「了解、命に代えても遂行します!」田中さん、待ってて下さい。
私、あなたのお傍に推参いたします。変な虫が付かないよう、駆除いたします。
にやけ顔がかわいい彼女は、実は隣の須賀君の想い人であることを知らない…。
END
おまけ…☆
☆田中さんスタイル☆ (栄子、その他調べ)
美人で、黒髪、ロングの校内はもちろん、町内、もしかしたら県内有数の超有名美人
であるということ。
本名 田中 利紗子さん(17歳) 住所○×県檜山町2丁目16番地8
スリーサイズ 秘密❤
得意な科目 現代文、数学、化学、物理、美術、家庭科
苦手な科目 古文
好きなもの かわいいもの、かっこいい物、美味しいもの
嫌いなもの グロイもの、かっこ悪いもの、不味いもの
将来の夢 教師か公務員
好みのタイプ 作った料理を美味しそうに平らげてくれる人。あと、優しい人❤
②「朧神」
「朧の晩、雲が晴れれば会える人がいる。」
子供の頃、聞いた伝説。竹藪にそれはそれは美しい紙を持った人が現れるとも、
紙だけでなく、全て美しい土地の守り神が現れるとも。時代錯誤も甚だしいと
町の半分の人々は信じていないが、老人たちの中には信じている人がいるらしい。
久しぶりに帰った故郷は、相変わらず閑散とした様子だと思っていたが商店街が
活気に満ちていた。「やまがみストリート」と古ぼけた看板のアーチを抜けると
シャッターが降りた店ばかりで、廃れたとばかり思っていたので驚いた。
「変わったな、と思った?」後ろに振り向くと、幼馴染の棟梁が立っていた。
棟梁とはあだ名で、大工の息子の大野 誠が立っていた。
「大野君、久しぶり。」何年かぶりに合ったら、だいぶ厳つくなっていて更に驚いた。
「久しぶり。だいぶ変わっただろ、この商店街。」
「確かに。私がいた頃とは大違いだね。何があったの?」緊張を隠すために話を続けた。
「朧神様って覚えているか?朧月夜に現れるってやつだよ。」思い出すのに、時間がかかってしまった。子供の頃、おばあちゃんがよく話してくれたものだ。母は良く思っていな
かったと後で話してくれた。
「そんなオカルト話しないでよって、内心よく思ってなかったのよ。おばあちゃんは良い人だし、関係壊したくなかったから言わなかったけどね。」と何とも言えない顔でお茶を
飲む母を思い浮かべていたら、母に電話するのを忘れていたことを思い出した。
「あぁ、あれか。朧神がどうしたの?」
「オカルト系のホームページに朧神の情報が乗ったらしくてさ、マニアじゃなくて、観光客が増えたのだよ。俺も一応見たのだけど、あること無いこと書き込んでてさひどいなんてもんじゃないんだよ。これなんだけど…。」
おもむろにスマホを取り出し、そのサイトを開いて見せてくれた。
「○×県山上市には朧神というのがいるらしい。そいつは、朧月の夜、雲が晴れると紙を持って現れる綺麗な神様なんだって。トイレの神かってwwwww 名無しさん」
「綺麗な神?女、男どっち? 最後の道さん」
「女だといいな、可愛い系希望 広島風さん」
「絶対、綺麗系だって。慣れてそう、あっちのほうが。 僕は真珠さん」
「確かに、綺麗系いいかも。でも、藪の中ってどうよ?なんか痛そう。 最後の道さん」
「俺さ、会ったことあるよ。トイレの神って奴 昨日の敵は今日の友さん」
「嘘つくなよ。wwww 名無しさん」
「嘘じゃない。そいつ、人殺してた。手にはなた持っていた 昨日の敵は今日の友さん」
「嘘つきは泥棒の始まり…」
等々、とにかく酷かったが最後の書き込みは違った。
「朧神はそんな神さまじゃない。自分の目で見て、耳で聞いてみることを勧める。
www/yamagamisiyakusho/co.jp
○×県山上市市役所ホームページ むつさん」
白けてしまったのか、飽きてしまったのか。何の反応も無いが、その後この書き込みが
コピぺされ、他のサイトやツイッター、ブログで閲覧され話題になり繁盛に繋がったそうだ。
「へぇ、全然知らなかった。ところで、なんでここに棟梁がいるわけ?実家山奥じゃなかったっけ?」
少しずつであるが、緊張が解けてきたら、饒舌になってきた。
「それがさ、親父が3年前倒れちゃって、俺が継ぐしかない状況になってさ。2代目として頑張っちゃったんだよ。そしたらなんとも会社の調子が良くなって、思い切って山奥の本社を町の中心に移転させたんだよ。越してきて1年経ったぐらいの頃、前の自治会長が老人ホーム入るってなってさ、町内の住人で話し合いしたんだけれど、若いの俺だけで
じいさんばあさんに若いんだからって、自治会長押し付けられたんだよ。」
昔から押しに弱く、世話好きの性格で子供の頃からリーダー役になることが多かった彼らしい理由だ。
「棟梁から社長になるなんてすごいじゃん、出世したね。」肩を叩くと痛っ小声で言い、はにかんだ。
「お前はなんで帰ってきたんだよ?東京でアパレル関係に就職したって聞いたぞ。
まさか、クビになったとか?」
そうではない、と言えないのが悲しい。しかし、コミュニティのおばちゃん噂網を伝って母に届くのはイヤなので、ここでは黙っておくことにした…。
「…いや、なんでもいいじゃんよ。棟梁は結婚してるの?」
「……あぁ、4年前にな。あの渡辺喜美とね、あと子供が1人いる。子供ってホントに
可愛いのな!」満面の笑み、幸せそうでなによりだ。
「渡辺さんか…、なんか意外だな。お子さまはいくつ?」
「2歳だ。男の子なんで、小さな怪獣が一人いるみたいなんだ。けど、喜美が頑張ってくれている、感謝してるよ。お袋とも上手くやってるみたいだし。」父の顔をしている。
私は何の期待をしていたのだろう?どんな顔をしているだろう?
会話の種を探して、地面に視線を這わせていると着信音が鳴った。
自分のかと思い探してみると、棟梁のスマホだった。
「あぁ、空君が喋った!?えっ、パパ?パパだって?すぐ帰るよ。
牛乳、明日じゃだめか?分かったよ、そらくーん、待っててねぇ。」
ごめんと夕日の中、帰ってく背中を見送りながらそっと溜息を洩らした。
母は、なんて言うだろう。上司との不倫がばれてクビになったと知ったら…。
子供のころ、喧嘩して帰った通学路を思い出す。ランドセルが妙に重く感じたものだ。
足先に伸びる影は、子供の頃とは違う大きな影を作っていた。
いろいろなことやものを背負って、生きてきた。ただ、それを共有できる人が欲しかっただけなのだ。酒の勢いもあったが、気持ちは確かにあった。この人なら、この人だけ。
と気持ちが深みに入っていった。奥さんが居ようが構わないとさえ考え始めていた時、
奥さんが乗り込んで来た。
「あなたね、ちょっと話があるの。」と強い口調で言うタイプの奥さんなら、こっちだって
抗戦できたのだが、真逆のタイプだった。
「うちの夫と付き合っているのはあなたなの?」疲れ果てた感じの負のオーラがダダ漏れ
している奥さんだったのだ。
「私、病気であの人が唯一の心の支えなの。私に返して、あの人返して。」
運悪く待ちあわせ場所が会社の近所の喫茶店で、同僚に見られてしまった…。
「相手の奥さんを泣かせた=不倫している」という情報は目撃者もいる、確かな噂として
広がり、上の方にまで聞こえてしまった。私はクビになり、上司は地方の小さな支社へ左遷された。上司のことを恨む筋合いはない、自分が悪いのだ。私と出会わなければ、上司もその奥さんも不幸せにならずに済んだのに…。
悪い想像ばかりが頭を占拠してきた頃、実家の屋根が見えてきた。想い出の中ではもう
ちょっと高かったブロック塀と瓦屋根が、小さく見えたのは気のせいだろうか?
もうすぐ、門の前。というところで、世界が歪んだ。ぱったり記憶が途切れた…。
「ダイジョウブ?」影が左右に動く。思わず手で払うと、相手が息を飲んだ気配がした。
ゆっくり瞼を開くと、ぼんやり人影がこちらを窺っていた。景色がだいぶはっきりしてきたので、起き上がってみると。
「ダイジョウブ、イタクナイカ?」と頭を撫でている男性が一人。この状況からして、
助けてくれた命の恩人なのだろう。笑顔を作り、さっさとこの場を立ち去ることにした。
「ダイジョウブ、頭イタクナイ、ダイジョウブ(笑)」
あまり上手くない日本語で、彫が深い顔、高い鼻、なにより身長180越え90スレスレ?ずばり外国人と見た。
「ありがとう、バイバイ。」なんとか立ち上がると、目の前にあるはずの通りに向かった。
「待って、待ってぇ。雪永さんですか?ですよね??」
かわいい声の方向に振り返ると頼りなさそうな少女が小走りにやって来る。
病弱と言われればうなずけるような白くて細見の美少女がキッと、イケメンを見上げ注意をし始めた。
「ちょっと、お客様しっかり掴まえときなさいよ!ぬぼーと立ってるだけじゃ怖がる
でしょ、笑って。」
ぎこちない笑顔を浮かべるイケメンと見た目とギャップのある美少女が、私の前にいる。
加えて、「お客様」とは??混乱している私を置いていくように、彼女たちの(彼女の)
論争が過熱していく。
「いや、あのね、前から言ってるけど、あんた顔と体格良いんだから、笑ってハグでも
すれば見栄えするのよ。まったく、これだからお坊ちゃんはだめなのよ…。」
なるほど、お坊ちゃんなのか。すると、良くできる世話役がこの子か。
「はぁ、分かった。僕頑張る!」意気ごむイケメンは、音もなく消えた。
少女はイケメンが消えた方向を見やると、溜息を洩らした。
「お客様すみません、悪い奴じゃないんですけどね…。こちらへどうぞ。」
ささ、と背中を押され玉砂利の敷き詰められた道を進むと、神殿が見えてきた。
朱塗りの本殿、白塗りの別の建物が大小2つ広い敷地内に建立されている。
「さっきの奴は、黒衣というもので、私は白衣と言います。別名「白衣の天使」って呼ばれてるみたいです。お客様はこのまま朱塗りの本殿の中にお進み下さい。私は黒衣の様子を見てきます。では…。」
私は言われるがまま、足を本殿の中へと運んで行った。
暗い御堂の中は、お釈迦様が後ろで鎮座していた。
鎮座していたお釈迦様が、もぞっと動きだした気がした。気のせいではないと分かったのは、喋りかけてきたから。
「女人、あなたの悩みをお聞かせ下さい。この山上神社(株)取締役社長 釈迦が相談
受けまつりまする。」
パニック、パニック以外に説明のつかない現象が起きている。仏像が喋っている。
(株)ってことは、株式会社なのここ?今までの常識が全て吹っ飛んだ気がした。
「あぁ、怪しい会社もどきの詐欺ではございません。釈迦、嘘つかない。」と名刺を差し出してきた釈迦。はぁ~、疲れてるんだこれ、きっと疲れてるんだ私。
「あなたは異常ではありませんよ、女人。正常です。さぁ、どうぞお悩みをぶつけて下さい。」
心読まれてるのか?いや、もうどうでもいいね。心が狂ってしまったのかもしれないけれど、受け入れることにした。
「私は罪を犯しました。妻ある男性と恋に落ちてしまい、相手の男性の妻に知られてしまい、別れてと泣かれました。その現場を運悪く、同僚に見られていて、職場にも知られてしまい結果、彼は左遷、私はクビになりました。私はこれからどう償いをすれば良いでしょう?教えて下さい、お釈迦様。」
あぁ、終わった。私の頭とか人生とか終わったよ。さよなら、自分。
「……心にそんな重い悩みをお抱えでしたか。お疲れ様、よく一人で頑張りましたね。
解決法は、そうですね、う~ん、忘れることです。悪い夢とでも御思いになって、前向きに人生をエンジョイすることです。嘘で塗り固められて記憶など忘れて…。」
う~ん、ありきたりだな。さすが私の妄想の世界、平凡で普通だ。でも、最後のなんだ?
気になる…。
「……、あの…、最後の嘘でってなんですか?やっぱりこれは現実じゃないんですか?」
「いや…、その、言いにくいんだが。別れた原因は妻が泣きついてきたからだと言った
な。」
「はい。」
「我々の、主に黒衣が調べた結果、その男、花山には妻はいない。戸籍上はもちろん事実婚状態の恋人はいない。過去に結婚していた形跡もない。つまり、その女人は騙されたのだな。妻と名乗った女は、花山が雇った女だ。舞台女優と書いてある。名前は…。」
「もういい…、もういい。忘れる、忘れるから。」
泣き顔を見られたくなくて、感情を隠す魔法を自分にかけた。
奥歯噛みしめ、膝の上の手を握りしめた。昔、悔しい時悲しい時はこうすれば良いと
母が教えてくれた魔法。
だめだ、母の笑顔が手が、涙を誘う。「お母さん、私、私ね。」言い出せない私を優しく
包み込んでくれた温かい胸。私はいつのまにか眠っていた。
風が吹いている。暖かいとはいえまだまだ冷える春の夜。月を見上げている私は、とても幸せな気持ちで満たされていた。ざわつく竹の葉は、あの人の気配を消していた。後ろに立つあの人の温もりが分からず、私は小刀を喉に突き立てる。
「死ぬな、私はここにいる。私はお前に惚れている。私のために生きてくれ…。」
あの人に似てる匂い、声、私はいつか二人で見上げた春の月を瞼の裏に思い浮かべながら、
「ここにはいないあの人に、この涙が届くといいな。」小声で囁くように呟いた彼女は
愛する人の腕の中、亡くなった。腕の中の温もりが無くなるまで、彼は抱き続けた。
冷たくなった愛する人の墓を作り、供養を山の上の和尚様に頼んであげてもらった。
男は金を持っていないと、美しい紙を差し出した。当時は竹簡や粗悪な紙が中心に出回っており、現在の中国、当時の清で作られる「紙」はとても貴重な存在だった。
いたく感動した和尚は隠者の彼に代わって、彼女の墓を守ると約束した。
また、教養があった和尚はこれを彼の差し出した紙(=巻物状)に書き記し、後世まで
記録に残そうと考えた。
巻物は和尚の狙いどおり後世まで残り、江戸時代は田舎歌舞伎の演目までになった。しかし、女性の自死を誘発しかねない…。と、お上の逆鱗に障り、演じることを禁止されてしまった。
隠者の彼は、歴史上にその名を刻むことはこれ以降なく、闇から闇へ消えていった…。
歴史は掠れ、曲げられ、伝えられてしまった。時が経ち、彼女の墓も、悲恋物語も
忘れられてしばらく過ぎた頃、山の上の荒れた竹林の近くにある寺は、心霊スポットとして有名になってしまった。荒れ寺の女幽霊は、刀を持ち見つかると追いかけられるという、まったくのガセ情報が出回ってしまったのが運のつき。幽霊を一目見ようと夜な夜な若者が竹林に分け入る。逃げ回るうちに、足元の小さな墓を倒していったことを気付かない輩がいた…。彼女はいなかったが、彼が目を覚ました。涼やかな目元をそっと空に向けると、
しばらく泣いていたという…。
自分の記憶ではない記憶が頭に流れてくる不思議な感覚、余韻に浸っているとざわつく気配がした。風が吹き空を見上げると、月が竹林を照らしていた。そして、私の前に黒衣がいた。正しくは、風月がいた。
「昼間は申し訳ない、どうにも頭が冴えないのだ。隠者の風月だ、よろしく頼む。」
笑顔といい、言葉遣いといい、仕草といい別の人間みたいだった。
「私が調べた全てがここに書いてある。読むか消すか、どちらかえらんでくれ。」
巻物が手渡される。私は泣いていなかったと思う。しかし、迷いはあった。
彼を愛した記憶は汚したくない、しかし、彼に裏切られて泣いた私は読みたいと言っている。どちらの声を聴くべきか?私は私を殺すか、活かすか迫られているのだ。
静かに私の様子を見守る風月さんは、気遣わしげに目元を下げた。
「時間は月が隠れるまでの30分。私は近くにいるから、決めたら声を掛けてくれ。」
月が一瞬陰ると、風月さんはいなくなった。想いでの彼は、優しくて甘えてばかりだった。
煙草の香りが染みついたワイシャツや、ふっとした時に出る仕草はいまでも思い出すとときめく。子供が欲しい、いつか結婚しようと言っていた声は甘えが混じったものだった。
あぁ、忘れたくない。けれど、忘れないと前に進めない。彼を忘れて生きていけるだろうか?
「忘れなさい、忘れないと男に負けたことになる。」落ちついた心地良い声が横から聞こえてくる。
「女は自由になった、昔のように籠に縫い付けられた籠の鳥じゃない。しかし、相も変わらず悩んでいる。もっと苦しいのかもしれない、自由は底が知れない。だからこそ、どこに正解があるか分からない。だけど、あなたは自由になりなさい。男という籠から飛び立ち、空に飛びなさい。私のようになってはだめ。」
隣には、少女が立っていた。もしかして、と口を開きかけた時彼女が口に手をあてた。
「黒衣に言ってはいけない。彼は、私が愛する人だとは知らないから…。私も彼も辛い記憶を思い出したくない、彼もそうだ。あなたが巻物に書かれたことを消したいと思えば文字と共に、それに関する記憶も消える。読んだら、まぁ、分かっているだろう?」
少女は悲しい笑みを浮かべ、大きな瞳には月がそっと映っていた。少女千草の美しい黒髪をたなびかせる風は優しく、たまった涙を拭っていった。
決して、勝ったのではない。負けたのでもない。選んだ恋の結末が最悪だっただけ、
「サイテー男の元から飛び立てたのだから、良しとする。」
記録も記憶も消してもらった私の傷の治りは、予想よりも早く復帰に要する時間も少なくて済んだ。現実はなかなか厳しく、ハローワークに通う傍らバイトに勤しむ日々を送っている。
母は予想に反して激昂するでもなく、淡々と仕事の心配をした。本当に怒ってないの?と確認してみるとあっけらかんとこう答えた。
「そんな小っちゃいこと気にしてたらきりないでしょう。勉強になったと思って、日々を生きなさい。次は良い男掴まえなさいよ。」母は話題を変え、私自身も忘れていった。
ある日、メールが届いた。
「差出人 山上神社(株) 雪永 涼子様
桜咲き誇るこの頃、どうお過ごしでしょうか?体調崩しやすいこの季節
十分ご自愛くださいますよう。
さて、涼子様におきましては、ますますのご健勝のことと思います。
先日の面接の結果ですが、ご希望に沿う形となりましたことをここにお知らせします。
入社式
1.日時 4月15日 午前10:00~午後17:00
2.会場 山上神社 本堂
3.その他・持ち物など 服装はリクルートスーツ、靴、鞄
なお、昼食・夜食は各自持参でお願いいたします。
PS.黒衣が白衣と付き合いだしました❤ by 釈迦 」
END
読み終えたあなた、本当に感謝します。それだけです。ではまた。