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戦国鷲君伝  作者: ゆきまる
第一章 継承
6/30

決着

 明朝、まだ日もあがらぬ薄暗い中、馬の蹄の音がヒタヒタと聞こえる。正面街道を篠田信十郎率いる五百が進み、その後ろを直政ら金子軍旗本に加え岡部元信率いる二千が加わった。また、間道から金子城に続く路には朱鷺田勢千が進み、矢野城へは松平・村上両軍が援軍として二千の軍勢を率いて出陣した。すでに義康に組している島田興房に呼応させる手はずも整えていたのだ。

 一方で義姫についていた上野伊賀は片腕を失いながらも義康や奥山父子の離反の事実を知るや、未明のうちに金子城から離れた。もう義姫についているのは鶴丸を除いて矢野義兼ただ一人である。義兼は義理高い人物で裏切りは考えにくいと義康は判断したのだろう。義康離反の報せを聞いても義姫から離れることはなかった。

 日が明ける頃には今川・金子連合軍は金子城の包囲を完了した。敵は手負いが多いと申しても城自体は堅城で知られている。父照政が築城したのだから当然と言えば当然なのだが…。高台に陣を張った本陣を中心にして各軍配置についた。後は直政の合図を待つばかりである。

「いよいよ、始まるか」

直政の左右には具足に身を固めた家継と景成がいた。さらに貴房や弘政、元信らも揃っていた。

「皆、よくぞここまで私を助けてくれた。父上の願いを果たすためにも決して負けは許されぬ。皆の命、私に預けてくれ!」

全面に広がる味方に対して叫んだ。同時に気合いの入った声が響き渡った。味方の向こうには金子城が見える。

「攻撃の合図を」

直政が言うと本陣に設けられた太鼓の音が鳴り響く。それと同時に先鋒で攻撃準備を整えていた篠田信十郎が馬上にて槍を構えている。

「かかれえええぇぇぇぇぇ――――――!!!!!」

「おおおおおぉぉぉぉぉ――――――!!!!!」

蜂矢の陣の篠田勢が突撃する。兵たちは一斉に城に向かって飛び出し、本陣からは伝令を伝える騎馬武者が行き来する。本陣からは味方の動きが手に取るようにわかった。

「こうやって攻めるのは始めてだな。守るなら何度もあるが…」

「攻めるのも守るのも兵法の一つです。まだまだ難しい戦い方はいくらでもあります」

家継が言うと景成も頷いた。

「申し上げます。矢野城からの報せが入りました。島田興房様率いる軍勢が松平勢と合流、共に矢野城に入ったとの事」

「相解った」

直政が伝令の言葉に応じる。

「これで義康の一角を崩すことができたか。勝負に光が見えてきましたな」

家継が言うとまた伝令が入ってくる。この伝令は血まみれであった。

「も、申し上げます!、北より攻めていた朱鷺田勢が突如現れた敵軍の奇襲に遭い、後退致しました。尚、朱鷺田忠勝が深手を負われました!」

「我らも動かねばなりますまい」

貴房が言う。直政が元信に聞く。

「どこの軍勢と思われまするか?」

「おそらく宮琵か、北に勢力を張る森長春の可能性が高い」

「十左はおるか!?」

直政が叫ぶと本陣のすぐ前を守る十左衛門が駆けつけてきた。

「お呼びですか?」

「お前はすぐに手勢を率いて忠政殿の援軍に回れ」

「はっ」

十左衛門はすぐに本陣より出る。そして、貴房にも声をかける。

「お前も行け」

「心得ました」

貴房もまた十左衛門の後に続く。二人は三百の兵と共に直ちに朱鷺田勢の元へ駆けつける。そして、また伝令が飛び込んできた。

「申し上げます!。南口丸みなくちまるに次いで二の丸を落としました。尚、葛良忠平様が矢にて負傷された由」

「御苦労」

「では、御免」

伝令が走り去る。

「そろそろ我らも動きましょう」

家継の言葉に直政は頷き、馬に跨って本陣を出ようとしたとき本陣後方より攻撃を受けた。敵兵は異様に強く、なかなか倒れない。勇猛で誇る岡部勢がわずかに押され始めたが左馬介・利十ら忍者集団が加勢して後退する岡部勢を助ける。さらに、達房・倉田元盛らが率いる足軽が敵の進む道を塞いで攻撃力を削ぐとこれを撃退することに成功した。生き残った一人が直政の面前に連れて来られた。

「なかなかやりおるな。宮琵の兵よ」

この言葉に一同は驚いた。宮琵勢は大方の予想なら朱鷺田勢と戦っているはずだから。しかし、直政の考えは違った。裏の裏をかく、謀略で名を馳せている疼斎のことだから朱鷺田を破っただけでは収まらないと踏んでいたのだ。

「疼斎に伝えるが良い。我を甘く見るな、とな」

と言い追い帰した。本陣の動きが少し混乱したが難なく金子城の南側に到着した。元信は馬上で直政に言う。

「先程の兵、返さないほうがよろしかったのでは?」

「いや、疼斎に我らの強さを示しておく必要があります。いずれは戦わねばならぬ相手、ですが今は同じ主君に仕える者だということを認めさせておかねばなりませぬ」

笑顔で答える直政に元信は何のことかさっぱりわからなかった。強さと言われても実際、目の前にいる直政にはわずかな家臣と千に満たない兵だけしかいない。


 一方、二の丸を落とされ、本丸のみとなった義姫に義兼が言う。義兼もまた血まみれになっていたがこれは返り血を浴びただけで手傷は負っていない。

「もはや覚悟を決めて頂きたい」

「自害して果てろと申すのか?、われらはまだ死にとうない」

義姫は平然と言い放つと義兼は怒りを覚えた。

(何を今更そのようなことを言うのか?。私はこのような女に仕えた覚えはない)

自らの姉であっても許しがたい思いだった。

「ならば、命乞いでも致しまするか?。今ならまだ間に合うかもしれませぬ」

「そう致せ、助かるならそれでも良い」

手招きの仕草でそう答えた。

(今まで命を賭けて戦ってきた者たちには何と詫びればいいのか…。せめて私だけでも…)

義兼は身代わりになる覚悟を決めた。

 直政が二の丸に入ると包囲した兵たちの士気がさらに高まった。その直後、本丸に続く照光門が開かれる。左馬介らの奇襲で吹き飛んだ門だったがどうやら修復していたようだが義姫の降伏により、再び、壊される悲劇は免れた。直政は諸将らと共に本丸に入る。父が死して以来の入城でもあった。

 また、かなりの打撃を受けた朱鷺田勢だったが十左衛門・貴房率いる援軍によって勢いを盛り返し、宮琵勢を敗走させた。忠政たちも北の乾龍けんりゅう門から城に入る。元信は直ちに駿府への書状を家臣である久木正右衛門に託して走らせる。直政は馬から下りて、焼け残った天守に入る。天守には継母と異母弟がいるはずなのだが彼らには会わずに義兼に会う。義兼はすでに具足を解いて待っていた。覚悟を決めているようである。

「久しいですね、義兼殿。御身だけここに残られたのか?」

直政が言うと義兼が頷いた。そして、言う。

「此度の戦は鶴丸君に責はありませぬ。また、義姫様も宮琵疼斎に促されるがまま動いてしまったため、このような行為に及んだのでございます。罪を受けるのは我ら兄弟で十分でござりまする。どうか二人の命だけはお救いくださいませ」

義兼の言葉は直政よりも先に家継、忠政ら古参の武将たちの表情が変わる。

「義兼よ、そのような戯言が通じるとでも思うてか?。お前たちのために死した者に何と言うつもりか!?」

家継が最初に怒鳴ると興房が続く。

「確かに鶴丸には罪はないと見えるが、わしはこの目で何度も義姫の暴挙を目にしておる。これを許す訳にはいかぬ」

さらに忠政が言う。

「義兼よ、そんなにあの女が救いたいのか?」

と質すと義兼は首を横に振る。

「いや、私が救いたいのは鶴丸君のみ。しかし、姉上が死ねば鶴丸君はどんなに悲しまれるか…」

最後に直政が言う。

「ならば、自分の道具として使ってきた兵たちに対しては悲しくならないのか?」

この言葉に義兼は無言だった。忠政が言う。

「ここは全員の首を討って義康の戦意を削ぐのが理想かと思われますが…」

「いや、そこまでする必要はない。ここと向こうの戦意の違いはあまりにも大きすぎる。例え、鶴丸が死んだとしても何の効果もあるまい。そのようなことをするなら、むしろ義兼には生きていてもらったほうが良い」

直政の言葉に一同が驚きを隠せなかった。

「私とて弟は殺したくない。殺せば死した父も悲しまれるだろう。そればかりか、九郎丸も鶴丸と同じ父母を持つ者。無闇に処遇を決めては何の光も見えてこない。なれど、義姫の罪は大きく許しがたい。また、義兼一人が死んだところで何の変わりもない。義康も生きていれば奥山父子もいる。彼らを討たない限り、我らに安堵はない。義兼殿、今一度聞くが心から救いたいのは鶴丸だけだな?」

「はっ、仰せのままに」

義兼は深々と頭を下げた。一同は黙っていた。

「おって沙汰を下す故、それまで家継預かりを致す」

最後の直政が言って決した。そして、元信に言う。

「この沙汰に不服とあらば駿府公に伝えて下さっても結構ですが、身内の問題だけならば我らで致すところだが宮琵疼斎はどうなります?。彼奴こそ真の黒幕ではありませんか?」

こう言われると元信も困惑気味のようである。

「しかし、宮琵は殿の側近にござる。討つにはもっと証拠がなければ…」

「でしょうな。では、駿府に戻ったおり、これを疼斎に渡して下され。さすれば彼奴の動きが自然とこちらに向くでしょう」

直政は一通の手紙を元信に渡した。受け取った元信は直政の真意を窺うことができなかったが手紙を受け取ると信十郎と共に陣に引き揚げた。武将たちもこれに続き、天守に残ったのは景成と貴房、そして、十左衛門だけである。この三人は直政と無知の親友であり、人のいないところでは普通に会話もできた。十左衛門が言う。

「玄十郎、本当にいいのか?」

「ああ、構わない。もう決めたことだ」

直政の決意は大きい。

「まったく…、若は後のことを考えないのだから。まあ、そのほうが若らしいと言えば若らしいのだが…。もしかすると今川を敵に回すかもしれぬな」

と景成が溜め息まじりに言った。

「しかし、我らの目的はたった一つだろう?」

貴房が二人を見る。

「そうだな、上洛こそが我が悲願」

直政が応じた。

「そのためには今川も敵に回すときがあるだろうな」

十左衛門も頷いた。

「やれやれ、お前たちを見ていると子供みたいに見えてくる」

景成は苦笑しながら言った。

「いいじゃないか、子供のときからの夢だ」

貴房の言葉に堰を切ったかのように皆が笑った。笑ったら止まることを知らない。天守から見える城を見つめながら四人はのんびりと酒を交わした。

「しばらくは城の改築と内政に務めないとな」

景成の言葉に直政が頷く。

「それと義康だな」

「まだあるぞ、遠州を統一することだ」

十左衛門が言う。遠州を治めることは今川からの離脱と天下への第一歩となる。

「ああ、そうだったな。夢はこれからだ」

直政の双眼が真剣になるがまたすぐに笑う。無邪気に笑った。しかし、これからの話しになるとまた真剣な表情に戻る。

「義姫と鶴丸はどうする?」

景成が言う。直政はすでに決めていたかのように三人に言った。

「義姫は駿府公の沙汰とし、鶴丸は義兼付きで流罪だな。しかし、義康が奪還する恐れもあるから、しばらくは誰かに預けるか…」

「そうだな、それが懸命だろうな」

貴房も頷いた。

 翌朝、矢野城から早馬が来た。再び、膠着状態に陥ったとのことで松平勢を抑えとして、村上勢が金子城に引き揚げて来るという。少々、動くのが早いと見たが金子の家臣でない以上、文句も言えぬ故、了承する旨を使いの者に伝えた。また、義姫と鶴丸の件については軍議を開いて皆が納得することで落ちつき、その日のうちに元信は信十郎のみを残して村上勢と共に義姫を護送しながら駿府に引き揚げた。義姫は直政の姿を見ることなく、無言のまま送られて行った。矢野に展開していた松平清忠は矢野義綱を伴って直政に会った。

「御爺上、よくぞ城を守り通してくれた」

「いやいや、まだまだ義康如きには負けはせぬ」

義綱の勢いは留まることを知らないように見えた。

「父君には会えたか?」

「それが…、まだなのです」

父照政の遺体を埋めた墓が城のどこかにあると思って探させているのだが一向にわからなかった。

「それならば義康の城にあろう。埋葬の指揮をしたのは義康なのだから」

これを聞いて直政は左馬介を呼ぶ。

「お呼びにござりまするか?」

「義康の状況はどうだ?」

「はっ、砦に天守を設け、完全に城にするようです。さらに野に下っていた浪人を加えて数は二千あたりかと」

「そうか、そのまま見張りを頼む」

「御意」

左馬介が退がると信十郎は口を開いた。

「天守を築き始めたか…。こちらの兵とほぼ互角、良き戦いができそうです」

「あとは将たちの働き次第ということか…」

「左様ですな」

清忠が頷くと義綱に声をかける。

「あの城の後ろはどうなっております?」

「崖になっておる。すぐ下には川が流れておる故、侵入は難しいが敵も逃げ道が少ないだろう」

義綱の言葉を受けて直政が策を述べる。

「わかりました。では、御爺上は引き続き松平勢と共に矢野の城へ。さらに、信十郎殿も抑えとして矢野へ向かって頂きたい」

「承知致した。城の規模は小さいなれど城下もいれればかなりの兵を守らせることができる」

義綱、清忠、信十郎はそれぞれ立ち上がるとすぐに矢野城へ向かった。

 直政はやるべきことをやろうと家臣を総動員して城の立て直しを始め、景成は人夫を集めて城の普請に務め、興房は領内の村落を見まわり、弘政は五百に満たない兵たちの訓練を行い、貴房は倉田元盛と共に城下の治安に当たった。直政は天守を離れて九郎丸、景成の父元景らと二の丸屋敷に入った。この屋敷の座敷牢には鶴丸がいた。直政としては鶴丸に会いたい気分だったが戸惑いもあった。すぐに足を向けずに元景と会っていた。

「若は凄い。わずかな刻で城を奪還するとは…。流石は照政殿の御子よ」

「いやいや、まだ戦いは終わっておりませぬ。義康もいれば奥山父子もいます」

「たしかに、まだ安心はできぬな。義康は頭が切れる。だから水を断ったのですから」

「水を断ったとな?、兵糧攻めにする気か?」

「そうです。あそこの城の後ろは崖で地盤は固いと聞いています。井戸を掘っても水は出ないと見ていいでしょう。それならば崖の下の川を封じるのが一番良い方法ではないでしょうか」

「うむ、思いきったことだとも思うが敵の士気を下げるには一番良い方法だろう。あとは死兵になるか、降伏するかの2つだな」

「一番、恐ろしいのは死兵になったときです。こちらの被害が大きければかなり危うくなります」

「だが、ここまでしたのだからやるだけの事はやってみようじゃないか。清忠と義綱殿が義康の動きを見張っているからこちらは守りを堅くせねばなりませぬな。かなり、戦いで手薄になっておる」

「万が一に備えて弘政に命じて兵の強化に当たっています。後は景成の普請にかかっていますが…」

「急がねばならぬことが多いな」

元景と直政は苦笑することが多かった。

「ところで鶴丸には会ったのか?」

「いいえ」

「なぜ?」

「不安なのです。救ってみたものの、どう接してよいものか…」

「父は同じだが母が違う……か………。そこが難点だな」

「ええ…」

「義姫に嫌われて育ったお主と溺愛されて育った鶴丸との差があまりにも大きい」

「………」

「しかし、何れは会わなければならぬだろうな」

「ええ…」

二人の会話は昼時まで延々と続いた。最後に、

「人の入れ替えはするのか?」

「若返りをしたいが経験が無い者が多い。しばらくはこのままでやるしかないようです」

「しかし、今はそれでもいいでしょうが後々のことを考えると自分自身の体制を築いておかないといけませんな」

「わかっている」

直政の構想はすでに頭の中にあった。

「何か考えでもあるのか?」

「ええ」

直政はその構想を元景に話した。まず、鶴丸派を一掃して現家老たちは年寄衆として政治顧問に置き、新たな家老に清忠を筆頭に景成・弘政・貴房を添える。また、目付衆を支配させるために家継を目付支配とし、城下の治安維持のために興房を城下町奉行とする。そして、家継の下に十左衛門や真概利康などの猛者を置くと同時に民に近い者を起用することによって民の忠誠心を高まらせることができると考えていた。

「なるほど、その考えはいいと思う。しかし…」

「何か不満でも?」

「経験がほとんどないというのはたしかだな。まだ、家継や興房たちなら何とかなるかもしれぬが……おっ!、そうだ」

元景は何か閃いたかのように手をポンッと叩く。

「如何なされました?」

「お主は長老に会ったことがあるか?、すでに隠居したと聞いているがあの御方の奥方は先代照政殿の姉上であり、清忠の父上に当たる」

「…ということは…」

「松平清政様だ。三河の松平清康公の縁戚にあたるが今川家との戦いの際に不和になったらしくてな。少し前まで諏訪原を守っておられた御方だ。齢七十を過ぎているがまだまだ地力を持っておられる。会われるか?」

元景の勧めに直政は頷いた。決めたら行動は早い。直政は九郎丸と家義に留守を託して密かに城を抜け出た。供は元景と左馬介のみであったが清政の隠居所がどこかわからなかったのでとりあえず諏訪原に向かった。直政と元景にはわからなかったが旅人に扮した忍び二十人程が周りを囲み、さらに乞食に化けた十左衛門の姿もあった。十左衛門は直政が出かけると聞き、元景を通じて許しを乞うたのである。なぜ、乞食の姿をしているかは直政の密命であった…。


 しばらく行くと朱鷺田城が見えてきた。ここには関所がある。忠政の父忠綱が築いたものだ。兵たちは直政の顔を見て頭を下げる。直政は兵に耳打ちする。

「あの乞食も仲間だ。通してやってくれ」

この助言で十左衛門も関所を通り、忍びたちも続いた。直政の言動に不審を抱いた元景が乞食をしばらく眺めるとはっと気づいて苦笑する。

「お主も人が悪い。十左がよく承知したな」

直政は小さく笑った。左馬介もまた笑っていた。街道の周りは延々と田んぼが続いている。道の横には小川が流れて農民の姿が見えた。

「望かですなぁ」

元景が言うが直政は農民を見ておかしいと思った。農民たちに子供がいないことに気づいたのだ。本来なら一人か二人ぐらい子供の姿があっても良いはずなのにこの村にはいない。直政の予感は的中することになる。農民たちは笑顔を絶やさずに徐々に直政たちとの距離を縮めていく。突然、直政は懐から匕首ひしゅを取り出して農民の一人に投げつけた。すると、これを見事に弾き返したのだ。これで農民たちの化けの皮が剥がれた。農民に扮していたのは宮琵疼斎の配下の者たちだった。長い藁に包んだ中のものが太陽の光で鈍く輝くと疑いは確信にかわる。

「ちぃ!、敵か!」

元景が舌打ちしながら叫ぶ。旅人が三人を囲むようにして集まり、黒装束に一瞬にして変わった。

「おお…」

元景はこの時ばかり左馬介の存在が大きく見えたことはなかったという。左馬介が忍びたちを指揮して戦いを始める。また、乞食に扮した十左衛門も大刀を振り回して槍を持った敵兵を次々に倒していく。

「十左を殺すな。敵を倒せ!」

直政の激が飛ぶ。直政と元景は左馬介に守られる形で馬から下りる。矢や手裏剣などの飛び道具を警戒してのことだった。十左衛門や忍びたちの活躍で徐々に敵は数を減らしていく。しかし、この戦いを見守る者の気配までは気づくことはなかった。広い田んぼを挟んだ家に数人が集まっている。気配は見事に消している。そして、宮琵の配下が全滅した頃には一人を残して全て消えていた。最後に残った男は口を歪めていた。

「ふっ…、あれが金子の童子か。左馬介が後ろにいたとは思わなかったがこれでおもしろくなってきたわ。ククク…」

と、言い残して家から消えるように去った。男が去った家には農民の死体だけが取り残されていたのである…。


 直政が諏訪原に向かった頃、矢野の戦況が変わっていた。義綱が経験の豊富さを武器に奥山父子の離反に成功したのである。邦継は父と共に城の兵糧庫に火を放って一部の家臣と共に矢野城に入った。この直後、全軍をもって義康の城を攻めたがあまりの堅固さに為す術なく伏兵に晒され、打撃を受けていた。この報せは諏訪原にいた直政に届いた。諏訪原城を治めているのは松平清忠だが今は矢野城に出陣していて留守を守っているは嫡男清之だった。そして、この城には真概父子もいた。金子の騒乱のときに避難してきていたという。

「勢いだけではあの城は落ちぬ。時をかけよと伝えよ」

「はっ」

使者はすぐに引き返した。直政が清政に会いに来たのもここに来た理由だったがもう一つの理由があった。それは宮琵疼斎との決着を着けるためでもある。直政に会った清之が口を開く。清之もまだ十代後半といったところだ。

「若殿、御爺上にお会いしたいのであれば北の山を3つほど越えなければなりませぬ」

「何と!?、三つも越えなければならないのか?」

元景が驚きの言葉をあげた。

「はい、何分物好きな御人ですから」

「これでは馬は無理ですな」

「いや、馬がだめなら歩けば良い。このまま、城に戻れば何のためにここに来たのかわからぬ」

この言葉に元景は困惑を隠せない。

「馬鹿を申すでない!、照政公がいるのではあればまだしも殿は金子の当主なのですぞ」

続いて清之も言う。

「急ぎの用ならば某が行きまする」

二人の説得にようやく思いとどまった直政は左馬介に言う。

「左馬介、お前に任せる。これを持っていけ」

手渡したのは金子家当主の証である金印を入れた箱だった。これの存在を知っているのは景成と左馬介だけなのだが…。左馬介はそれを受け取るとすぐに清政の隠居所へ向かった。

「あれは一体…」

元景が聞くが、

「あれは父から預かったものだ。あまり高貴なものではない」

と、さらっと流した…。


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