第五十三弾 黄泉の国から2025 秋 秋の始まり
第1話 見習い小説家エリックの文章修行
雪のような灰が、ゆっくりと降っていた。
ここは黄泉の国。
鬼と死者と妖怪が暮らす、日本風のどこか懐かしい世界。
その片隅で、ひとりの青年が机に向かっていた。
名は――エリック。
父・オーガ五郎と、妹の泣き鬼ホタルと共に、慎ましく暮らしている。
エリックは今、文明開化の波に揺れていた。
原稿用紙はいらない。
ペンも、墨も、もういらない。
スマホひとつで、小説が書ける時代が来たのだ。
見よう見まねで書きはじめ、気づけば百一話。
それは彼にとって、ひとつの節目だった。
――嬉しかったのだろう。
エリックは、床にスライムのようにとろけた。
(静かな間)
そのとき、声がした。
「エリックよ、よく頑張りました」
「はひー……(とけかけ)」
「褒美を与えたいところですが……」
促されて原稿を見直すと、文頭は空かず、数字は入り乱れ、句点は迷子になっていた。
「ぎゃー!? 助けて助けて閻魔様ぁぁぁ!!」
「エリックよ、閻魔様に頼る前に、自らの文を正しなさい。
創作者とは、自らの手で未来を紡ぐ者なのです」
――修正地獄。
エリックの文法修行は、自身の書いた小説の文頭一文字空ける作業から始まった。
来る日も来る日も文頭を一文字空ける作業に勤しむ毎日。
そんな彼を、そっと支える存在があった。
お気に入りのキーボードアプリ。
黒と金の配色に、猫のテーマ。
小さな画面に映る猫の顔が、彼の疲れを癒してくれた。
だが、悲劇は静かに訪れる。
「文頭を全角で一文字空ける」――その単純な作業が、このアプリには致命的だったのだ。
ポチッと入れたはずの全角スペース。
だが標準設定は半角。
画面の行は、わずかに斜めに歪んでいた。
「なんか……行、曲がってない?」
彼はスマホに物差しを当てて確認する。
もう、戻れなかった。
――そのとき、現れた。
「全角以外は認めぬ! 貴様が何気に使用しているのは半角だぞ?」
文頭守護魔人。
「おかしいと思いながらも、半角三連打で全角のフリをしたこと……我は知っておるぞ!」
「ぐぬぬぬぬ!」
「文頭だけではない! タイトルにも半角が混じり、くねくねとミミズが這っておるわ!」
「言うなぁぁぁ!」
「そのアプリとやらを使っていると、いつまでも終わらぬぞ? さぁ選べ! 猫テーマを捨てるか、文章を諦めるか!」
エリックは、震える手でスマホを見つめた。
――アプリを、アンインストールするしかなかった。
「サーティーンと打てばサーティワン……ティオーネはてィオーネ……ルシフィスはルシファー……と変換してくれた、君との戦い、忘れない……」
ありがとう、お気に入りのキーボードアプリ。
そして、さようなら。
(静寂)
暗い部屋に、ひとつの声が響いた。
――「僕はいつだって、ここにいるよ」
デフォルトキーボード。
「さぁ、エリック。修正を……全部やり直しだね」
エリックは無言のまま、一太郎Padを閉じ、YouTubeを開いた。
現実から少しだけ目をそらすように。
黄泉の国の夜は、雪のような灰を降らせながら、静かに更けていった。
登場人物たち
オーガ五郎(父)
「書いたら直す。それが作家の業ってやつだ」
――豪快で厳しいが、どこか温かい父。
泣き鬼ホタル(妹)
「にぃ、泣かないで……。わたしも一緒に数えてあげる」
――泣き虫だけど、兄想いの妹。
ぽん吉(友人)
「ほらエリック! 百七十センチか170cmか、統一せぇ!」
――口うるさいが、頼れる相棒。
デュラハン先生(文法鬼)
「慣習を乱す者は、許さぬ!」
文頭守護魔人
「文頭一文字空けは、全角以外、認めぬ!」
半角魔人
「私は悪くない。悪いのは……全角文化だよ」
ナレーション
「この物語は――見習い小説家・エリックが、
『文頭の一文字空け』
『半角と全角』
『句読点』
『改行』
『鉤括弧』
『三点リーダー』
『感嘆符と疑問符』を学び、
少しずつ読むに堪える文を書こうとする、成長の記録である」
【提供】
黄泉の国文法講座
黄泉の国書店
猫テーマ復旧支援組合「にゃんだふる再生プロジェクト」
(協賛:黄泉通信株式会社)




