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ペンギン・ペンタ、空への挑戦

作者: 東郷 ヒロ

アニマルデア魔法学園の校庭には、春の柔らかな陽光が降り注いでいた。色とりどりの花々が咲き乱れ、新学期の活気が満ち溢れている。生徒である動物たちはそれぞれの種族の特性を活かした魔法を学ぶために、大きな期待を胸にこの学園の門をくぐったばかりだ。


そんな賑やかな学園の一角、風の魔法クラスの訓練場は少しばかり緊張した空気に包まれていた。


「――では各自、魔法で体を浮遊させる練習を始めるように。まずは自分の体重を感じ、それを押し上げる風の流れをイメージすることからだ」


落ち着いた声で指示を出したのは、このクラスを担当するフクロウのホー教授だった。大きな丸い瞳は、生徒一人ひとりの動きを静かに見守っている。


生徒たちは一斉に魔法の詠唱を始める。訓練場には、そよ風から小さなつむじ風まで、様々な強さの風が巻き起こった。鳥類の生徒たちはさすがに慣れたものだ。ワシのイーグルは力強い風を瞬時に生み出し、軽々と空中へ舞い上がる。その翼は太陽の光を浴びて誇らしげに輝き、他の生徒たちから羨望の眼差しを集めていた。カモメやツバメの生徒たちも、楽しげに空中を旋回している。


その中で、ひときわ苦労している生徒がいた。ペンギンの男の子、ペンタだ。

ペンタは他のペンギン族の多くが水の魔法や氷の魔法を選択する中、ただ一人、空を飛ぶことへの強い憧れから風の魔法クラスを選んだ。彼の故郷の長老たちからは「ペンギンが空を目指すなど、自然の摂理に反する」と諭され、同族の友人たちからは「どうせ飛べやしないのに」と不思議そうな目で見られた。それでもペンタの空への想いは揺るがなかった。広大な空を自由に飛び回る鳥たちの姿を見るたび、胸が高鳴るのを抑えきれなかったのだ。


「ふむ…っ、風よ、我が身を…持ち上げよ!」


ペンタは短い翼を一生懸命に動かしながら、必死で魔法をコントロールしようとする。足元には確かに風が渦巻いているのだが、彼の丸みを帯びた体は地面にしっかりと根を下ろしたようにびくともしない。額には汗が滲み、息も上がっている。


「おい見ろよ、ペンギンが地面でじたばたしてるぜ!」


クスクスという嘲笑が聞こえてきた。声の主は、やはりイーグルだった。彼は他の鳥の生徒たちと空中からペンタを見下ろし、あからさまに馬鹿にしたような表情を浮かべている。


「あんな体で飛ぼうなんて百年早いんじゃないか? ペンギンは大人しく水の中で泳いでればいいんだよ」

「まったくだ。地面スレスレ専門の風魔法使いなんて、聞いたこともないね!」


取り巻きの生徒たちも同調し、訓練場には不快な笑い声が響いた。


ペンタは顔を赤らめ、ぐっと唇を噛んだ。悔しくてたまらないが言い返す言葉も見つからない。事実、自分はまだ一度もまともに空を飛べたことがないのだから。


「ペンタ」


不意に静かな声がかけられた。ホー教授だった。教授はゆっくりとペンタのそばに降り立ち、その大きな瞳でじっとペンタの足元を見つめた。


「体の軸を意識してごらん。そして、風の流れを君のその丸いお腹で感じるように。力任せに風を起こすのではなく、風と一体になるのだ」


ホー教授の言葉は嘲笑とは無縁の、落ち着いた響きを持っていた。特別に肩入れするわけではないが、見捨てることもしない。その公平な態度がペンタにとっては数少ない心の支えだった。


「は、はい…!」


ペンタは気を取り直し、再び詠唱を始める。ホー教授の言葉を胸に全身の神経を集中させる。風が自分の体と地面の間で渦を巻くのを感じる。それをそっと、押し上げる力に変える。


ぐらり、と体が揺れた。


「お…?」


ほんの数センチ。だが確かに、ペンタの体は地面から浮いた。ほんの一瞬、綿毛のように軽くなったような感覚。しかしそれも束の間、すぐにバランスを崩してぺたんと尻餅をついてしまった。


「ぷっ…あははは! 今の見たか? ペンギンがホバリングしたぞ!」


イーグルの甲高い笑い声が再び響く。

ペンタは俯き、ぎゅっと拳を握りしめた。数センチでも浮けたことは嬉しかったが、それ以上にこの嘲笑が胸に突き刺さる。


授業の終わりを告げる鐘が鳴った。生徒たちはそれぞれ訓練場を後にしていく。ペンタは一人残って自主練習を始めた。何度尻餅をついても、何度イーグルの嘲笑が頭の中で繰り返されても、彼は諦めなかった。


「ペンタ、頑張ってるね」


小さな声がして、スズメのチュンが傍らにやってきた。チュンは体が小さく、強い風を起こすのは苦手だ。しかし風の流れを読むのは得意な、ペンタにとっては数少ない、夢を応援してくれる友人だった。


「ありがとう、チュン。でも全然ダメだよ。やっぱり、僕には無理なのかな…」


弱音を吐くペンタに、チュンは首を横に振った。


「そんなことないよ! ペンタは誰よりも一生懸命だもの。ホー教授もペンタのこと、ちゃんと見てくれてると思うな」

「そうだと…いいんだけど」


ペンタは力なく微笑んだ。チュンの言葉は温かいが、イーグルの冷たい視線が心の奥に重くのしかかっていた。


空を見上げると夕焼けが広がり始めていた。鳥たちが自由に空を舞う姿が、ペンタの目には眩しく映る。


(いつか、僕もあの空を…)


重たい翼を持つペンギンの、ささやかで、しかし途方もなく大きな夢だった。その夢への道のりはまだ始まったばかりだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ほんの数センチでも体を浮かせることができたという小さな事実は、ペンタにとって大きな一歩だった。それ以来、彼は誰よりも早く訓練場に現れて日が暮れるまで自主練習に励む日々を送っていた。


努力の甲斐あってか、ペンタの飛行魔法は―亀の歩みほどではあったが―確実に進歩していた。以前は数センチ浮くのがやっとだったが、今では数十秒間、地面から数十センチの高さを保てるようになっていた。もちろんイーグルのように空高く舞い上がり、自由に旋回するなど夢のまた夢。それでも、ペンタにとっては目覚ましい変化だった。風を捉え、体と一体化させる感覚がほんの少しだけ掴めてきたような気がした。


しかしペンタのささやかな進歩を素直に認めてくれる者は、残念ながら少なかった。


「おい、まだやってるぜ、あのペンギン。懲りないやつだな」


風の魔法クラスの訓練場では、イーグルとその取り巻きたちの嘲笑が止むことはなかった。彼らはペンタが少しでもバランスを崩して尻餅をつこうものなら、待ってましたとばかりに指をさして笑いものにする。ペンタの飛行を「ペンギンの低空散歩」だとか「地面清掃飛行」だとか、聞くに堪えないあだ名で呼ぶこともあった。


ペンタはぐっと唇を噛みしめて聞こえないふりをして練習に集中しようと努めたが、心の奥底では鋭い棘が刺さったようにズキリと痛んだ。


そんなある日の昼休み、事件は起こった。学園の掲示板コーナーに一枚の大きな紙が張り出されていたのだ。そこには太いマジックでこう書かれていた。


『速報! アニマルデア魔法学園名物! ペンギン飛行ショー、近日開催決定?!

~飛べない鳥の涙ぐましい努力、乞うご期待(笑)~』


その下には、ペンタが必死に翼をばたつかせている姿を揶揄したような、稚拙で悪意に満ちた絵まで添えられていた。


掲示板の前には人だかりができており、クスクスという忍び笑いが漏れ聞こえてくる。ペンタはその紙を見た瞬間、全身の血の気が引くのを感じた。顔がカッと熱くなり、同時に背筋が凍るような寒気に襲われる。


「ひどい…誰がこんなことを…」


隣にいたチュンが怒りに声を震わせながら呟いた。ペンタは何も言えず、ただその場に立ち尽くすしかなかった。


その日の午後、ペンタはすっかり元気をなくしてしまった。授業にも身が入らず、大好きだったはずの風の魔法の練習もどこか上の空だった。


追い打ちをかけるように、同じペンギン族の生徒たちからも心配という名の否定的な言葉をかけられた。


「ペンタ、やっぱりお前も水の魔法を選んだ方がいいんじゃないか? ペンギンが空を飛ぶなんて、やっぱり無理があるんだよ。あんな風に馬鹿にされるのを見るのは僕たちだって辛いんだ」


彼らの言葉には悪意がないことくらい、ペンタにもわかっていた。純粋に同族として心配してくれているのだろう。しかしその言葉は、ペンタの心に重くのしかかった。「ペンギンだから飛べない」という、見えない檻に閉じ込められたような気分だった。


一人になった夕暮れの訓練場で、ペンタはぼんやりと空を見上げていた。夕焼け空を鳥たちが気持ちよさそうに飛んでいる。


(本当に、僕が空を飛んで何になるんだろう…?)


イーグルたちの嘲笑、学園中の笑いものになった掲示板、そして同族からの言葉。それらが次々と思い起こされ、ペンタの心は暗雲に覆われていく。


(みんなが言うように、ペンギンはペンギンらしく水の中で生きるべきなのかもしれない。僕がやっていることはただの無駄な努力で、みんなを不快にさせているだけなんじゃないか…?)


そんな考えが頭をよぎると、今まで必死で繋ぎとめてきた「空を飛びたい」という強い気持ちが急速にしぼんでいくのを感じた。練習にも力が入らず、ただ時間だけが虚しく過ぎていく。翼も心も鉛のように重かった。


数日後、ペンタの異変に気づいたホー教授が授業の後に彼を呼び止めた。


「ペンタ、最近少し元気がないようだが、何かあったのかね?」


ホー教授の穏やかな問いかけに、ペンタは堰を切ったように自分の悩みを吐露した。嘲笑されることの辛さ、自分の夢に対する迷い、そしてペンギンとして空を目指すことの意義が見出せない苦しさ。


話し終えると、ペンタの目には涙が滲んでいた。

ホー教授は黙ってペンタの話を聞き終えると、ふむ、と一度頷き、静かに口を開いた。


「…ペンタ、君はなぜ空を飛びたいのだね?」

「それは…かっこいいからです。自由に空を駆け巡る鳥たちのように、僕も…」

「なるほど。だがその『かっこよさ』や『自由』は、他人に認めてもらうために追い求めるものかね?」


ペンタはハッとした。ホー教授は続ける。


「他人の評価や嘲笑は風のようなものだ。時には心地よく背中を押してくれることもあるが、時には冷たく吹き付け、君の進路を惑わそうとすることもある。しかし本当に大切なのは、その風向きに一喜一憂することではなく、君自身がどの星を目指して航海しているのか、その星を見失わないことではないかね?」


ホー教授はペンタの目を見つめた。


「君が空を飛ぶことに意味があるかどうか。それは他人が決めることではない。君自身が見つけ、そして信じるものだ。ペンギンだから飛べない、というのは誰が決めた限界かね? 魔法とは、時にそうした既成概念の壁を打ち破るためにあるのではないかと私は思うのだがね」


ホー教授の言葉はペンタの心に深く染み渡った。すぐに答えが見つかったわけではない。しかし、真っ暗だった心の中に小さな灯火がともったような気がした。


その日の放課後、ペンタはチュンと一緒に学園の大きな池に来ていた。そこでは水の魔法を選択したペンギンの生徒たちが、気持ちよさそうに水中を泳ぎ回っている。


「やっぱり、ペンギンは水の中だと活き活きしてるね…」


ペンタが少し寂しそうに呟くと、チュンは彼の顔を覗き込んだ。


「ペンタも昔は水泳が得意だったんでしょ?」

「うん。今でも水の中は好きだよ。なんだか体が軽くなるみたいで…」


そう言いながら、ペンタは水面を滑るように進むペンギンたちの姿をじっと見つめた。彼らは自由自在に方向転換し、加速し、そして時には水面を蹴って短い飛翔を見せる。

その時、ペンタの頭にホー教授の言葉が蘇った。


(…既成概念の壁を打ち破る…)


そして目の前の光景が、新たな気づきを与えてくれた。


(そうだ…! 水の中での動きだ! あの軽やかさ、あの推進力…あれを風の魔法に応用できないだろうか?)


ペンギンは、水中では驚くほど効率的に体を動かすことができる。その流線型の体、力強いフリッパーの動き。それらを空気という流体の中で再現することはできないだろうか?


今まで、ただ鳥の真似をして翼を羽ばたかせることばかり考えていた。しかしペンギンにはペンギンなりの、空へのアプローチがあるのかもしれない。


「チュン、僕、少し試してみたいことがあるんだ!」


ペンタの目に久しぶりに強い光が宿った。それはまだ、確信と呼ぶにはあまりにもか細い希望だが、彼の重たかった翼をほんの少しだけ軽くしてくれる力を持っていた。


夕暮れの訓練場に向かうペンタの足取りは、数日前とは比べ物にならないほど軽やかに前へと踏み出していた。嘲笑の風はまだ止まないかもしれない。しかし、目指すべき星の瞬きは彼の心の中で再び輝き始めていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ホー教授の言葉と水中を泳ぐ同族の姿から得たヒントは、ペンタの中に新たな探求心と少しの自信を芽生えさせた。彼はただ闇雲に翼を羽ばたかせるのではなく、ペンギンならではの体の使い方――流線型のフォルム、フリッパーの力強い動き、水中での巧みな体重移動――をどうすれば風の魔法に応用できるのか、試行錯誤を繰り返すようになった。その成果はまだ目に見える形では現れていなかったが、ペンタの表情には以前のような暗さはなく、どこか前向きな光が宿り始めていた。


そんな日々が数週間続いたある日、学園の掲示板に新たな告知が張り出された。


『告:全学年対象・魔法実地訓練の実施について』


内容は、学園から数キロ離れた「古代遺跡の森」での合同訓練だった。そこは太古の魔法文明の遺跡が点在し、特殊な魔力場が形成されているため普段の訓練場では経験できないような状況下での魔法行使を学べる場所とされていた。しかし同時に、気候が変わりやすく、複雑な地形と強力な森の精霊たちの影響で危険も伴う場所として知られていた。


「古代遺跡の森か…なんだか、すごい名前だね」


チュンが少し不安そうに呟く。ペンタも、胸の高鳴りと共に一抹の不安を感じていた。


「うん…でも何か新しい発見があるかもしれない」


ペンタは自分に言い聞かせるように言った。あの水中での動きを応用するヒントが実践の中で見つかるかもしれない。そんな淡い期待もあった。


訓練の前日、ホー教授は風の魔法クラスの生徒たちに特に念入りな注意を与えた。


「古代遺跡の森は諸君らの魔法の力を試すには格好の場所だが、決して油断してはならん。特に天候の急変には十分注意するように。最近は春の嵐が頻発しており、森の気流は予測が難しい。常に周囲の状況を把握し、単独行動は絶対に慎むこと。いいかね?」


教授の言葉にはいつになく厳しい響きが込められていた。その時、教室の窓の外では遠くの空が暗く淀み、不気味な風が唸りを上げていた。春の嵐の予兆は確かに感じられた。


訓練当日。生徒たちは数グループに分かれ、それぞれの担当教員の引率のもと古代遺跡の森へと足を踏み入れた。ペンタたちのグループはもちろんホー教授が率いていた。


森の中は昼でも暗く、巨大な樹々が天を覆い隠していた。足元には苔むした石畳が続き、所々に崩れかけた石の建造物が見え隠れしている。空気はひんやりと湿り気を帯び、どこか神秘的な雰囲気が漂っていた。


「よし、まずは各自、この森の気流に慣れるため軽い飛行訓練を行う。無理のない範囲で周囲の地形を確認しながら飛んでみたまえ」


ホー教授の指示を受け、生徒たちは一斉に飛び立った。


ペンタも深呼吸をしてから風の魔法を詠唱する。以前よりはスムーズに体が浮き上がり、不安定ながらもゆっくりと前進できるようになった。水中でのフリッパーの動きをイメージし、翼を単に上下させるのではなく水を掻くように、空気を押し出すように意識してみる。するとほんの少しだが、推進力が増したような気がした。


(…よし、この感じだ!)


ペンタは心の中で小さくガッツポーズをする。しかし喜びも束の間、彼のすぐそばをイーグルが猛スピードでかすめ飛んでいった。


「おっと、邪魔だぜペンギン! そんなノロノロ運転じゃ日が暮れちまうぞ!」


相変わらずの嘲弄にペンタはムッとしたが、今は口答えしている場合ではない。慣れない場所での飛行はただでさえ神経を使うのだ。


訓練が始まって一時間ほど経った頃だろうか。ホー教授が懸念していた通り、森の天候が急変した。


さっきまで差し込んでいた木漏れ日が消え、空はあっという間に分厚い暗雲に覆われた。ゴロゴロという低い地鳴りのような音が遠くから響き始め、風がざわざわと木々を揺らし、不穏な空気が満ちてくる。


「全生徒、注意! 天候が悪化してきた。これより訓練を中断し、速やかに指定された避難場所へ移動するように!」


ホー教授の鋭い声が飛ぶ。

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、バケツをひっくり返したような激しい雨が降り注ぎ始めた。風も急速に強まり、まるで怒り狂った獣のように森の木々を揺さぶる。視界は雨と風で遮られ、数メートル先も見通せないほどになった。


ビシャァァン!

間近で雷鳴が轟き、閃光が走る。生徒たちの間に動揺と恐怖が広がった。


「各々慌てず、私から離れないように! 風に流されるな!」


ホー教授は強力な風の結界を張り、生徒たちを庇いながら避難場所へと誘導しようとする。そんな大混乱の中、イーグルが苛立ったように叫んだ。


「チッ、こんな時に嵐とはついてないぜ! でもこんな風くらい、俺の飛行技術ならどうってことない!」


彼は自らの力を過信していた。そしてこの状況下で手柄を立てて、自分の優秀さを誇示したいという浅はかな功名心も頭をもたげていた。


「ホー教授、俺が先行して崖の上から避難経路の安全を確認してきます!」

「待てイーグル!危険だ! この嵐の中、単独で行動するのは無謀すぎる!」


ホー教授が鋭く制止するが、イーグルはそれを完全に無視した。


「大丈夫ですよ教授! 俺を誰だと思ってるんですか! この程度の嵐、すぐに突破してみせますよ!」


言うが早いか、イーグルはホー教授の結界から飛び出して暴風雨の中へと姿を消した。彼のプライドの高さと無鉄砲さが最悪の形で現れてしまった。


「イーグル!戻れ!」


ホー教授の叫びは、轟く雷鳴と吹き荒れる風の音にかき消された。

数分後…そのイーグルが向かった崖地帯の方角から、鋭い衝撃音と共に、鳥の苦しげな叫び声が微かに聞こえてきた。


ドガァァン! ギャアアァァ…ッ!


それは明らかに何かが激しく岩に叩きつけられた音と、イーグルのものと思われる断末魔のような声だった。


ホー教授の顔色が変わった。

「まさか…!」

嵐はますます猛威を振るい、雨と風が容赦なく生徒たちに襲いかかる。視界はほぼゼロに近い。


やがて風の合間に、崖の方からか細い声が聞こえてきた。

「た…助け…て……誰か……」

それは間違いなくイーグルの声だった。しかしその声は弱々しく、苦痛に満ちている。


ホー教授は他の生徒たちの安全を確保しながら、厳しい表情で崖の方角を見つめる。あの激しい嵐の中、複雑な岩場の多い崖地帯での救助活動は困難を極めるだろう。他の飛行が得意な鳥の生徒たちも、この暴風雨では翼を広げることすらままならず、恐怖に顔をこわばらせていた。


ペンタは激しい雨に打たれながら、その声が聞こえてきた方をじっと見つめていた。

(イーグルが…落ちたのか…?)

あれほど自信に満ち溢れていたイーグルの、あんなにも弱々しい声。


吹き荒れる風の音が、まるで森全体の嗚咽のように聞こえた。絶望的な状況が、そこにいる全ての者を飲み込もうとしていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ホー教授は険しい表情で崖の方角を睨んで救助の算段を巡らせているようだったが、この荒れ狂う天候と、生徒たちの安全を同時に確保しなければならないという重圧から、容易には動けないでいた。誰もがこの絶望的な状況を前に為す術もなかった。


その息苦しいほどの沈黙を破ったのは、意外な人物だった。


「僕が…僕が行きます!」


声の主はペンタだった。彼は一歩前に進み出て、震える声ではあったがはっきりとした口調でそう言った。


一瞬、周囲の時間が止まったかのような静寂が訪れ、次の瞬間、驚きの声が上がった。


「ペンタ!? お、お前、何を言ってるんだ!?」


最初に我に返ったのはチュンだった。他の生徒たちからも「正気か?」「お前なんかが行ってどうする!」「二次災害になるだけだ!」という、非難とも呆れともつかない声が浴びせられた。無理もなかった。普段まともに飛ぶことすらできないペンタが、この嵐の中で何ができるというのか。


しかしペンタの決意は固かった。彼は、自分を嘲笑してきたイーグルを助けたいわけではなかった。ただ目の前で誰かが助けを求めている。そして自分には、もしかしたら他の誰にもできない方法で彼を助けられるかもしれないという、ほんのわずかな、しかし確かな予感があったのだ。


「ペンタ、君の勇気は買う。だがこの状況はあまりにも危険すぎる。君の今の力では…」


ホー教授が苦渋の表情でペンタを制止しようとした。


「教授、僕は行かなければなりません」

ペンタはホー教授の目をまっすぐに見つめ返した。


「僕には僕なりの飛び方があるはずです。試させてください!」


その瞳には、かつてないほどの強い意志の光が宿っていた。ホー教授はしばしペンタの目を見つめた後…深く息を吸い込み、そして静かに頷いた。


「…分かった。だが絶対に無理はするな。少しでも危険を感じたら、すぐに引き返すのだ。いいな?」

「はい!」


ペンタは大きく一度深呼吸をすると、短い翼を広げて嵐の中へと飛び出した。


ゴォォォォォ!


想像を絶する強風が、容赦なく小さなペンギンの体を叩きつける。視界は雨で白く霞み、数メートル先も見通せない。最初はやはり体が思うようにコントロールできず、風に流されそうになった。


(ダメだ…このままじゃ…!)


恐怖と焦りがペンタの心を締め付ける。その時、彼は思い出した。水中での、あの滑らかな動きを。


(そうだ、水の中みたいに…! 風の流れを読むんだ!)


ペンタは必死で翼を羽ばたかせるのをやめ、体の重心を低く保ち、風の力を正面から受け止めるのではなく受け流すように意識した。すると不思議なことに、あれほど抵抗していた風が少しだけ彼を支えてくれるような感覚がした。


彼の丸みを帯びた体は、強風が吹き荒れる地表スレスレを、まるで水中を滑るように進み始めた。他の鳥が高く舞い上がろうとして風に翻弄されるのとは対照的に、ペンタの低い飛行は驚くほど安定していた。


「うおおおぉぉっ!」


ペンタは自分でも驚くほどの集中力で風を読み、空気の流れを掴む。短い翼は推進力を得るためではなく、巧みなバランスを取るための舵のように機能した。狭い岩の間をすり抜ける際には、水中での急旋回を応用し、体をしなやかにくねらせて衝突を回避する。時折、突風でバランスを崩しそうになるが、そのたびに力強いフリッパーのような足で地面を蹴り、体勢を立て直した。それはお世辞にも優雅とは言えない、泥臭く、必死な飛行だった。しかしそこには、ペンギンだからこそ可能な独自の飛行技術の萌芽があった。


ザザァァァ…ッ!


崖の上から雨水と共に小さな石がいくつも滑り落ちてくる。ペンタはそれを巧みにかわし、イーグルの声が聞こえた方角へと必死に進む。


そしてついに、崖の中腹、わずかに突き出た岩棚の上に、ぐったりと翼を垂らしたイーグルの姿を捉えた。彼の片方の翼は不自然な方向に曲がり、顔は苦痛に歪んでいた。


「イーグル!」


ペンタの声に、イーグルは虚ろな目でゆっくりと顔を上げた。ペンタの姿を認めた彼の目には、信じられないものを見るような驚愕の色が浮かんだ。


「ペ…ペンタ…? なぜ…お前が…ここに…?」

「助けに来たよ!しっかりして!」


ペンタは岩棚に着地すると、イーグルのそばに駆け寄った。


「馬鹿な…お前なんかに…何ができる…」


イーグルはまだプライドを捨てきれないのか、弱々しい声でそう呟いた。しかしその声にはいつものような刺々しさはなかった。


「僕が運ぶから!しっかり僕に捕まって!」


ペンタはそう言うとイーグルの前に屈み、自分の背中を向けた。イーグルの体重を背負って飛ぶなど、無謀としか言いようがない。だがペンタに迷いはなかった。


イーグルは一瞬躊躇したが、他に助かる術がないことを悟ったのか、おずおずとペンタの背中に体を預けた。ズシリとした重みがペンタの肩にのしかかる。


「…頼む…」

イーグルの小さな声が、ペンタの耳元で聞こえた。


「行くよ!絶対に離さないで!」


ペンタは全ての力を振り絞って翼と足に力を込める。イーグルを背負った体は想像以上に重い。一度、二度と地面を蹴るが、なかなか浮き上がることができない。


(くっ…ダメか…!)


諦めかけたその時、彼の脳裏にホー教授の言葉、チュンの笑顔、そして空を自由に飛ぶ鳥たちの姿が走馬灯のように駆け巡った。


(飛ぶんだ! 僕だって、飛べるんだ!)


ペンタは心の底から叫んだ。その瞬間、彼の体から今まで感じたことのないような不思議な力が湧き上がってきた。


「うおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーっ!!」


渾身の力を込めて地面を蹴ると、ペンタの体はイーグルを背負ったままゆっくりと、しかし確実に宙へと浮き上がった。


帰路は行きよりもさらに過酷だった。一人分の体重が増えたことで、風の抵抗も格段に大きくなり、少しでもバランスを崩せば二人とも奈落の底へと真っ逆さまだ。ペンタの翼は鉛のように重く、呼吸は荒く、全身の筋肉が悲鳴を上げていた。


しかし彼の心は折れなかった。背中のイーグルの重みが、逆に彼を支えているかのように感じられた。


(絶対に助けるんだ…!)


その一心で、ペンタは風と戦い続けた。雨が顔を打ち、風が体を揺さぶる。それでも彼は一歩も引かなかった。


遠くでホー教授や他の生徒たちが固唾を飲んで見守っているのが見えた。彼らの表情には驚きと、信じられないものを見るような畏敬の念が浮かんでいた。


そしてどれほどの時間が経っただろうか。


ついにペンタは、イーグルを背負ったままホー教授たちのいる安全な場所へとたどり着いたのだ。最後の力を振り絞って着地すると同時、ペンタは糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。


「ペンタ! しっかりしろ!」

「ペンタくん!」


ホー教授とチュンが真っ先に駆け寄り、ぐったりとしたペンタの体を抱き起こす。ペンタは薄目を開け、心配そうに自分を覗き込む二人の顔を見てかすかに微笑んだ。全身の力は抜けきっていたが、不思議な達成感が心を温かく満たしていた。


イーグルは他の生徒に支えられながらも、ふらつく足取りでペンタのそばへ歩み寄った。彼の顔は泥と雨で汚れ、翼は痛々しく垂れ下がっていたが…その瞳には以前のような傲慢な光はなく、複雑な感情が渦巻いていた。


「…ペンタ…」


イーグルはペンタの前に膝をつくと、絞り出すような声で言った。


「…悪かったな…。お前を…ずっと馬鹿にしてた…。なのに…お前は……。…ありがとう…本当に、ありがとう…」


その言葉は嵐の音にかき消されそうなほど小さかったが、ペンタの耳にははっきりと届いた。それは、プライドの高いイーグルが心の底から発した感謝と謝罪だった。


あれほど猛威を振るっていた春の嵐も、まるで役目を終えたかのように次第に勢力を弱めた。厚い雲の切れ間からは弱々しいながらも太陽の光が差し込み始める。ホー教授の指示のもと、生徒たちは負傷したイーグルを慎重に運びながら学園への帰路についた。


ペンタの勇気ある行動は、あっという間に学園中に広まった。最初は誰もが信じられないといった表情を浮かべたが、実際にその場に居合わせた生徒たちの証言やホー教授からの報告により、それが紛れもない事実であることが分かると、驚きは称賛へと変わっていった。


以前ペンタを嘲笑していた生徒たちはバツが悪そうに俯いたり、遠巻きながらも尊敬の眼差しを向けたりするようになった。「飛べないペンギン」と陰口を叩いていた者たちも今では「あのペンギン、すごいじゃないか」と囁き合う。ペンタが訓練場に姿を現すと以前のような嘲笑はなくなり、代わりに激励の声や興味深そうに彼の練習を見守る生徒が増えた。


数日後、翼の治療を終えたイーグルが松葉杖をつきながらペンタの元を訪ねてきた。彼はペンタの前に立つと、深々と頭を下げた。


「ペンタ、この前はちゃんと言えなかったが…本当に、すまなかった。そして、命を救ってくれて、ありがとう。俺は…お前の可能性を見ようともしなかった。完全に間違っていた」


ペンタは少し照れながらも穏やかに微笑んだ。


「ううん。僕もまだちゃんと飛べるわけじゃないから。あの時は、なんだか夢中だったんだ」

「謙遜するな。お前のあの飛行は…すごかった。俺には真似できない、お前だけの飛び方だった」


イーグルは、初めてペンタの目をまっすぐに見つめて言った。

「これからは…その、なんだ…ライバルとして、よろしく頼む」


その言葉は少しぎこちなかったが、ペンタにはイーグルの真摯な気持ちが伝わってきた。二人の間に、新しい関係が芽生えようとしていた。


その日の放課後、ペンタはホー教授に呼び出された。


「ペンタ、今回の君の行動は本当に素晴らしかった」

ホー教授はいつものように落ち着いた口調だったが、その瞳には温かい光が宿っていた。


「君の飛行は決して派手ではないかもしれない。だが、誰よりも勇敢で誰よりも価値あるものだった。君の夢は、決して無意味ではなかったのだよ」

教授はペンタの肩にそっと手を置いた。


「君はペンギンが空を飛ぶことの新たな可能性を示してくれた。そして何より、困難に立ち向かう勇気と諦めない心の大切さを学園の皆に教えてくれた。ありがとう、ペンタ」


その言葉はペンタの胸の奥深くに、温かい自信として染み込んでいった。


ペンタは自分の夢が誰かの役に立てたこと、そして多くの人に認めてもらえたことで自分の進むべき道に対する確信を深めていた。空を飛ぶことは彼にとって単なる憧れではなく、自分自身を表現し、困難を乗り越えるためのかけがえのない翼となっていた。


彼は今もアニマルデア魔法学園の訓練場で、風の魔法の練習を続けている。その飛行はまだ完璧とは言えないかもしれない。しかし、彼の翼には以前にはなかった力強さと自信がみなぎっていた。そして彼の周りには、チュンや、時にはイーグルの姿もあった。


アニマルデア魔法学園ではそれ以来「種族や見た目で他者の可能性を決めつけてはいけない」「大切なのは諦めない心と自分らしい挑戦だ」という教訓が生徒たちの間で語り継がれるようになったという。


夕暮れの空を見上げながら、ペンタは大きく深呼吸をした。

空はどこまでも広く、そして自由だ。

重たい翼を持つペンギンの大きな挑戦はまだ続く。しかし、彼の心はどこまでも高く飛んでいけるような、晴れやかな希望に満ち溢れていた。

春のチャレンジ2025が目に入ったので学園系、

直近で動物園に行ったので動物系、

ファンタジーが好きなので魔法要素も少々加えました。要素モリモリでお腹いっぱいかもしれませんね。


ところでド王道ハッピーエンドは好きですか??

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