第36話 魔物たちの集い②
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『一八九九年十二月某日
僕は自分の頭がどうかしてしまったのではないかと思った。不思議な店に迷い込んだのは、夜の闇が見せた幻ではないだろうか、と。けれども翌朝も店はちゃんとあって、僕は再び招き入れられた。
猫なのに人の言葉を解する不思議な彼と、友達になった。
「この店の主になってくれないか」
彼の言葉にはそりゃあ吃驚はしたけれども、特に断る理由もなかったので承諾した。ただし、他人には秘密である。ここは選ばれた者のみが訪れることができる不思議な店なのだから。』
B6サイズくらいの古い日記帳には、戸惑いとほんの少しの誇らしさ、抑えきれない好奇心などが繊細で丁寧な文字によって綴られている。店主を務めることになって、誰にも言えない話を書き留めるために始めた日記のようだ。
納戸で日記を見つけたあと、わたしは店番をしながら、その古い日記を少しずつ読み込んでいった。
『一九〇〇年二月三日
今日はずいぶんとめずらしいお客様がいらして、つい慌ててしまったのだけれど、彼が僕を助けてくれた。僕は彼のことを「ソラくん」と呼ぶことにした。黒猫の姿のとき一際目を惹く美しい天色の瞳が、人の姿になったときも同じ色だったからだ。』
「……ソラくん。これ、クロのことだよね」
確かに、うちの店にいる不思議な黒猫はとてもきれいな青い目をしている。
「そういえば人の姿になったときも目の色は青かったっけ」
肌や髪の色は日本人として違和感なく変化しているのに、瞳だけは濃い空の色のままなのだ。でも最初目にしたときは人の姿になれることに驚きすぎて、特に気にしていなかった。肌は黒くないのに目は元のままなのか程度のことしか考えていなかったのだ、わたしときたら。
「なるほど……天の色の瞳だからソラくん、か。全然思いつきもしなかったわ。これを書いた人はずいぶんロマンチストだったのね」
「ああ、雪比古は物静かで詩人のような感性の持ち主だったからね」
わたしには無いなぁ、詩人のような繊細な感性とセンス。
「そりゃあ、わたしだってクロは見たまんますぎるかなって、ちょっと思ったけどさ」
猫の名前なんてそんなもんでしょ。むしろイカスミとかにしなくてよかったなって安堵してるところですよ。
「琴音は素直で率直なところがいいんだよ。自分にも他人にも嘘がつけない不器用さも含めて、ね」
「それはどうも。今日もシンプルに生きております」
全然褒められてないけど、素直さが取り柄だと言われたので宥められておくことにした。
クロが言った雪比古――――時枝雪比古は四十年以上にわたってここの店主を務めた人らしい。1900年ということはまだ明治時代だ。日露戦争が始まる前だろうか。
「彼は雪の夜にふらりと店に迷い込んできた客でね。こちらの世界の人にしてはずいぶんと魔力が高かった。でも強い魔道具に惑わされるようすもなかったし、名前の通り、降り積もる雪のように静かな人だったよ。ちょうど店主が不在の時期だったから、これはもう運命だろうと思って声をかけたんだ」
「へぇ……」
やはりわたしとは真逆のタイプだ。
明治十年に旧家の次男坊として生まれた彼は、体が弱かったせいか幼いうちに分家へと養子に出されたらしい。
「養父が彫金の職人だったそうで、彼はこの店でも店主としての仕事をしながら彫金の細工をしていたんだ」
「えっ、ここで!?」
「まぁ大概は暇だからね」
確かに。多少波はあるものの、わりと暇な時間が多い。だから今もこうして故人の日記を読んでおしゃべりできているわけで。
「そういうのも有りなのか……勤務時間中に職場で副業はどうかと思うけど、勤め先公認でダブルワークってなんかイマドキっぽいね」
「何言ってるのさ。逆に朝から晩まで職場で時間に追われて働くスタイルが一般的になるのは昭和に入る少し前からだから、せいぜい百年足らずだよ」
「そうなの!?」
「サラリーマンが増えたのは大正の終わりだからね」
日記を読んでいくと、話の通り雪比古さんはここで店番をしながら彫金で装飾品の金具をコツコツと作っていたようだ。
『一九〇二年四月十日
いつものように店のカウンターで端午の節句の兜飾りに使う金具を作っていたら、客にそれも売ってくれと云われてしまった。けれど、この店で出す品ではないからと断った。僕には魔道具など作れない。もし作れたら面白いだろうなぁと思うけれども、そんな才などあるはずがない。ところがソラくんが「作ってみるかい」などと云いだした。
さて、どうしたものか。少しばかり心が躍ってしまう。』
「魔道具制作までやってたの?」
「最初はちっとも成功しなかったけどね。彼は諦めなかった。作品を商品として店に並べるようになったのは十年以上経ってからだよ」
「あ、ほんとだ。1914年に初めて店頭に自分の作品を出すことができたって書いてある」
パラパラと日記を捲っていた手を、ふと止めた。
「あれ!? 1914年って……」
「第一次世界大戦が始まった年だ。大正三年だよ」
授業で習った記憶がうっすらあるけど、近代史は苦手なのであまりピンとこない。
「そして、その四年後に彼は息子を亡くしている」
「へぇ、息子さんがいたのね」
そりゃ結婚しててもおかしくないか、と思いかけて、ふと疑問が口をついて出た。
「家族みんながここの二階で暮らしてたの?」
わたしは今現在ありがたく店の二階を住居として使わせてもらっている。どうやら前の主もそうしていたようだし、家族三人でも暮らせなくはないけど、とにかくここは普通ではないから子育てには不向きというか、いろいろと不都合があるのではと危ぶんだのだ。すると案の定、クロは首を横に振った。
「いいや、雪比古は結婚していなかったし、ここの二階に住んではいなかったよ。養父が遺した家から通ってきていた」
「あれ、じゃあ息子っていうのは」
「幼馴染みで親友だった男が日露戦争で戦死したんだ。母親も早逝したらしくて、その忘れ形見を彼は自分の子のように育てていたのさ。でも、その子供も急な病で亡くなってしまった」
「まだ若かったんじゃない?」
「うん、雪比古がちょうど四十歳、息子の正人は十八になったばかりだった。その病は高齢者よりも若い人がたくさん亡くなったからね。この国だけで三十九万人が死亡したと言われているんだ」
「パンデミックじゃん! ……ひょっとしてスペイン風邪?」
「正解」
過去の歴史として目にした記事を、まさかこんなに身近に感じる日が来ようとは。
「雪比古はずいぶんと気落ちしていたけれど、それでも魔に取り憑かれたり黒魔術に傾倒するようなことはなかった。代わりに、とてもきれいな魔道具を作ったんだよ。……ほら、そこの棚の三段目に置いてあるだろう?」
クロに促されて探しに行くと、蓋に細やかな金の細工が施された木製の小箱が目に飛び込んできた。
「これって確か……」
「思い浮かべた人の声を聴くことができるオルゴール」
人の姿になったクロがその箱を手にして、横に付いた把手をそっと回す。
クルクル、クルクル。
そうして蓋を開け、やさしい表情で目を閉じる。
(…………ああ、ちょっと妬けちゃうなぁ……)
きっと雪比古さんの声を聴いているのだ。
わたしには聞こえてこないけれど。クロの耳には届いているのだろう。
「素敵な魔道具だね」
「うん」
クロは蓋を閉じると、大事そうにその小箱を棚に戻した。
「雪比古は太平洋戦争が始まった翌年の秋に亡くなったんだ。前から病を患っていたんだけど、集会だけは無理して出てくれてね。でも、そのあと寝付いてしまって、冬を待たずに逝ってしまった」
「そんなに集会って大事なものなの?」
「それもあるけど……雪比古は後継者を探してくれていたんだよ。普通の人にはこの店の主は務まらないからね」
「そっか……」
世界中が戦争で荒んでいた暗い時代。後を継いでくれるはずの人も彼はすでに亡くしていた。だから他の場所では会えない人に会って頼み事をするために、病を押して出かけたのか。
「キミが会った前の主、彼女は本来一ヶ所にそう長く留まるタイプじゃないんだ。ただ、うちの店にはよく来ていたから雪比古とは馴染みでね。買い物するだけじゃなく、たまには一緒にお茶を飲むぐらい仲がよかった。だから彼の頼みを聞いてくれたのさ」
「そうだったんだ……」
『一九四二年十月三十一日
おそらく、これが最後の仕事になる。僕ができることはやらなくてはならない。ツテと言えるほど確固たる自信はないが、彼女ならば引き受けてくれるかもしれない。もし彼女があの場に来ていなかったら、会えなかったらどうなるか分からないが。だとしても諦めるわけにはいかないのだ。
ここはソラくんの大事な居場所なのだから。僕が守らなければ。』
日記の最後のページはインクの文字が少しだけ滲んでいる。
涙の痕かな、と思った。
「ねぇクロ、わたしもソラくんって呼んだ方がいい?」
「どうして?」
「いやぁ、だって……そっちの名前の方が好きかなって」
「ボクは琴音がくれた名前、気に入ってるよ。琴音と一緒にいる間はその名前がいいな」
「……そう」
わたしに不思議な運命をもたらした迷い猫。黒猫のクロ。
そうね、あなたとわたしの物語はこの名前から始まったんだものね。
「じゃあ今後ともよろしく、クロ」
「うん。こちらこそ」
雪比古さん、あなたが遺したもの、どれだけきちんと守れるか分からないけど、わたしはわたしなりに楽しみながらこの店での日々を重ねていきます。
どうか見守っていてね。
心の中でそうつぶやいて、わたしは静かに日記を閉じた。




