障害者のきょうだい
この話はあくまで私の意見です。
全てのきょうだい児がこのように考えているとは限りません。
羨ましい。
よくテレビで言われるような一般家庭が。
私は母、父、兄が2人、そして私の5人家族だ。
ここまでは普通の家族だろう。
普通じゃないのは2人目の兄が障害者であることだ。今回はこの障害者の兄ではなく私や1人目の兄。つまり障害者のきょうだい「きょうだい児」についての話である。
私は不思議だった。
母がよく言う「お兄ちゃんには手帳があるから」
父が言う「あいつは特別だから」
どうして親は真ん中ばかり特別に扱うんだろう
障害者だかららしいけどそんなの私たち兄妹からすれば関係ない。兄は兄だ。
なのに親や周りの大人は言う。
障害者は支援されるべき。そして育てる親にも支援が必要だ。
なんで?なんで障害者と育て親だけが支援を受けられるの?どうして私たちは障害者問題でないものとして扱われるの?
すべが謎だった。
だが日本では平等という名の公平に力を入れてるからだと気づいてからは期待するのをやめた。いや、やめたかった。
なぜ辞められなかったて?それは親の亡き後のことがあるからだ。
親が亡き後その障害者は大抵きょうだいが面倒を見る。上か下かなんて関係ない。きょうだいがみるのだ。普通なら見ないのに。
「嫌だ。なぜ兄に私の時間を費やさなきゃいけない?私の人生なのに」
そうやって何度も心の中で言った。
ある日同じような人についてサイトで調べてみるととあるドキュメンタリーを見つけた。
私はそれを再生した。
するとそこには私と同じ立場。同じ悩みを抱える男性がいた。男性の話に私は共感した。
「ほんとにそのとおりだ」
きっとドキュメンタリーを見ていた司会者らしき人もそういうのだろうと思った。
なのに司会者らしき人が言ったのは酷い言葉だった。
「なぜ障害者がここまで言われなきゃいけない?私にだって障害者の友達や脳症麻痺の師匠がいるがその人は支援活動を頑張っている。障害者だって人間なんだから人権があるでしょう?」
その言葉を聞いた瞬間理解した。
私たちきょうだい児には人権などない。
きょうだいにたいして愚痴をこぼすのすら許されない。しかもたかが周りに障害者いて理解した気になっている人のせいで。
何がわかる?その人と産まれてからずっと過ごしてきたのか?違うだろ?こっちは障害者が産まれてからずっとずっとずっと過ごしてきてる。そんな私が無理だ。嫌だ。と思っているのになぜ否定されなきゃいけない?ただの偽善者に
いつになったら私たちは本当に普通になれる?
きょうだいのことを考えずに将来を選べる?
別にお金が欲しいんじゃない。
ただ親亡き後世話をしてくれる人が施設が欲しいのだ。それがあればもう障害者のことを考えずにいられる。学校で聞く先生の障害者平等の話も講義の話もテレビの話も聞く度にそいつらを呪い殺したくなる衝動なんてなくなるはずなのに。なのに誰も助けてくれない。
相談なんてできるはずない。だって周りにいるのは障害者の道の壁を壊して私の道にその壁の瓦礫を置く人らだ。そんな奴らに相談なんて嫌だ。相談したところできっと言われるんだ。
「お兄さんも辛いのよ」ってまた言われる。
テレビで障害者の家族を殺してしまうのを見ても否定より肯定してしまう。気持ちが痛いほどわかるから。だって耐えられない。
「俺は別に耐えられる」とかいう奴は口だけだ。
耐えてから言えよ。
毎日夜中に騒がれ注意をすると親に障害者なんだから大目に見てと言われ食べ方を注意しても障害者なんだからと言われる。私が同じことをすれば怒鳴るのに。本当にいなくなってしまえばいいのにと何度も思う。殺したい。そう願ってしまう。
でもこれが日本の言う平等。
私には平等という権利は与えられない。
なぜなら人権がないそんな存在だから。
だから平等に扱われない。
いつか私もみんなの言う平等に入れたらいいな
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