01・山浦学園
サクッとした音に手を止める。
「今日はクッキーか」
「修ちゃん」
振り向くと幼馴染みの端正な顔が。彼は、よっと片手を上げて挨拶をすると、甘い香りが充満している室内の空気を入れ換えるように、そのまま近くの窓を開いた。その先の光景は空色と自然の緑しかない。俺は窓から入ってくる微かな風を感じながら軽く唇を尖らせた。
「…ラングドシャ」
「ん?」
「それ、ラングドシャっていうんだよ。何勝手に食べてんの」
ついでにクイッと中指で眼鏡を押し上げながら睨み上げてみせるが、相手は気にした様子なくもう一枚を摘まみ食いする。
「別にいいじゃねぇか。どうせこの後生徒会室行きになるんだろ?」
「うーん…まぁそうなんだけどさぁ」
「な?」
格好良くニッと笑われ、俺はこれ以上文句を言うのを諦める。なんか毎回同じような感じで丸め込まれてるような気もするけど。
「それより、また何か悩んでたのか?」
「え?…ああ、まぁね」
俺がこの姿のままお菓子作りをしていた事で、どうやら心配を掛けてしまったようだ。
「今なら無償で聞くぞ」
「ありがとね。でももう解決したから」
ふふっと笑いながら最後のひとつを皿に盛り付け、その皿をそのまま修ちゃんに手渡す。
「これ、宜しくー」
「はいよ」
俺の作ったお菓子を生徒会室へ運ぶのは会計である修ちゃんの仕事だ。これは俺が作ったという事がバレないようにするためである。俺の趣味がお菓子作りなんて、学園内で俺が演じてるキャラのイメージに合わないからだ。
もしバレたとしたら、大袈裟ではなく学園内が大混乱だと思うし、最悪怖がって今後食べて貰えなくなるかもしれない。俺は作るのも好きだけど、自分の作ったお菓子を嬉しそうに食べて貰うのも大好きなのだ。それに一度イメージが崩れちゃうと、今まで演じてきた努力も全て無駄になっちゃうからね。
「…で?」
「んー?」
「結局今日は何を悩んでたんだ?」
俺が洗い物を始めるのを見て、修ちゃんが一旦皿をテーブルに戻して布巾を手に聞いてきたので、俺は泡を流し終わった器具を手渡しながら笑って答えた。
「うん、えっとね…今日来る転校生の案内に、俺が行くか行かないか、かな?」
「…は?」
「けどなんか面倒臭そうな予感しかしなかったし、行かない事にしたんだー」
へへっと笑顔で振り向くと、何故か俺は布巾でぺしりと頭をはたかれた。
+++
俺の名前は永代春斗。
色々と可笑しな風習のある山浦学園という学舎で高校二年生をやっている、この学園の生徒会副会長だ。
俺がこの学園へやってきたのは中等部三年の頃だ。家庭の事情というか、俺自身にとって転機というものがあり、微妙な年に転入という形でこの学園にやって来た。人生何が起こるか分からないというのは正にこの事だ。こんなお金持ちの子息達が集まる学園に入る事になるなんて数年前の俺は思いもしなかったんだから。
…まぁ、俺の事情なんてどうでもいいか。
それより、ラングドシャって名前は呼びにくいし覚えにくいとは思わないだろうか。俺が初めてその名を見た時なんて、なかなか覚えられなくて「グシャみたいな名前のクッキー」と呼んでたくらいだよ。それに
「おい、ハル。ちゃんと話聞いてたか?なんか今、別の関係ない事考えてたよな?俺には分かるからな。なんなら手刀いるか?ん?」
「ごめんなさい」
修ちゃんが怖いのでラングドシャの話はまた今度だ。それよりも目の前の彼、修ちゃんについてご紹介するとしよう。
修ちゃんは俺の幼馴染みで、同じ生徒会に所属している会計の水上修二という。学園内では微笑みの悪魔って呼ばれている。ちなみに俺も氷の優等生って呼ばれていて、そのちょっと痛くて恥ずかしい二つ名が存在する訳は追々説明するとしよう。
後片付けを終えた俺と修ちゃんは、人目を避けながら生徒会室へと向かっていた。いつもより気持ちゆるやかな歩みなのは、まぁ走っても溢さない自信はあるだろうけど、修ちゃんの手に山盛りのラングドシャがあるからだ。
「ハル、俺が先に入るな」
「うん。俺も暫くしたら入るね」
合図し合って先に修ちゃんが扉を開く。しかしその扉が閉まり切る前に名を呼ばれ、修ちゃんが顔を出してきた。
「誰もいねぇわ」
「ん」
それに頷いて俺も後に続いて部屋へと入った。
「つか転校生の案内ってなんだ?そんな話聞いてねぇんだけど」
「それ俺も今日の朝聞いたんだ。今朝俺だけ理事長室に呼ばれたじゃん?行ったら俺の他に先生たちも数人呼ばれててさ。内容が午後一に転校生が来るから準備しとけって事と、生徒会からは一人案内役出せって話でさ。理事長は俺に行ってほしそうだったんだけど、話を聞いた時点でなんだか行きたくなかったんだよね。だからちょっと悩む…というより迷ってたんだ」
「…理事長は相変わらず下への配慮がねぇな。ハルはハルでマイペースだしよ。それで代わりはちゃんと行かせたのか?」
「もちのろんだよ!焼き時間の間に双子にお願いしといたー」
「おい、よりによってあの二人かよ」
「え、なんでー?基本的に良い子だよあの二人」
「まぁそうなんだけどな。…転校生の案内役に双子を充てがうなんて話あんま見ないぞ。そもそもあの二人、王道自体から少し外れてっしな」
「いや、またそれ?オウドウってヤツ」
「ああ!この学園て感動するくらい王道を地で行ってっから観察してるとすげぇ楽しいんだぞ!」
「へー…」
「でも、確かに王道は良いんだけどな。俺的には今、不良×平凡にハマってっから。その転校生も気になるけど、観察中の二人が進展しそうでしなくてさ、ついそっちばっか構っちまう」
「ふーん。観察って、そんな事が楽しいの?」
「楽しいに決まってんだろ!つか最高に萌えんだよ!俺が初めてBLを読んだ時のあの衝撃と戸惑いと感動!それを今でも忘れられない!それがあったからこそ今の俺がいる。一度ハマったら抜け出す事が出来ないのがBLだ!この世界を知れて良かった!腐男子バンザイ!」
「はいはい、興奮しないで」
「ま〜あ?俺としてお前と会長の仲も気になってるんだけどなー?」
「ぶはっ!?」
修ちゃんの言葉に思わず飲んでいた紅茶を噴き出す。
「な、何を…」
「あれれ〜?気付かれていないとでも思ってたのかい春斗君よ~」
口許を拭きながら真っ赤になっていると、修ちゃんがにやにやした顔をこちらに向けてきた。
「ま。気付いているのなんて、この腐男子的スキルが高くて付き合いの長い俺くらいなもんだろうけどな」
その台詞に少しだけホッとする。いつも氷の、とか冷酷の、とか言われる男の仮面を被っていながら、どこか勘づかれるようなヘマでもしてしまったのかと思った。
「うぅ…流石、幼馴染み」
「餓鬼の頃から一緒にいる俺を舐めるなよ?」
そう得意気に笑う修ちゃんに思わずプイッとそっぽ向く。
「おうおう照れちまって可愛いな~」
「もう、修ちゃん…嫌い」
頬をつんつんと突っつく幼馴染みにいい加減に俺も怒るよ。
「あ」
と、そこで廊下から賑やかな気配。
「ハル」
「うん」
さっと互いに距離を取り、俺は自分の席に座ってパソコンの電源を入れ、修ちゃんは俺と自分のカップを手に持ち給湯室に引っ込んだ。丁度見慣れたデスクトップになったタイミングで、生徒会室の扉が音を立て開いた。