あの日
深夜──明かりの消えた広い家に独り。
正確には上の階へあがれば数人が寝ているのだが……生きている上ではいつも独り。居間の机でただ一人、頭を抱えていた。
それまでは何も変わらない日常──弟は引きこもり、幼馴染の女は通いつめ、あそこは日々共に過ごしている。同じ屋根の下でも、自分と関わることは一切ない……すれ違った生活を互いに送ってきた。
そんな流れの中での変化──新しい死体が運ばれてきたのは、つい数時間前。体裁上、家庭を支えてきた兄の消失だった。
自分は別に構わない。特に困ることもない。けれど他の家族はどうだろう……成長期に食糧の不足は好ましくないし、結局のところ、アレをやるとメリットも多いのだ。物資の限られた生活の中、必要な物を得られる機会があるだけでもやる価値は大きい。加減を間違えなければ、ただの競技として終わっていく。
──加減を間違えれば、ああなるのだが。
彼等は歴代兄達の働きを知っている。死んだ事実を言わなかったところで、いずれ知るところとなるだろう。そして次の稼ぎ頭がいないと知れば、恐らく黙ってはいない。
──どうするべきか。
どうするべきか、どうするべきか……同じ問答を頭の中で繰り返す。答えのでない問題。
いや──とうに明らかな解が目の前にぶらさがっている、強制的な愚問。
頭の毛を掻きむしる。もっと冷酷になっているつもりでいた。なのに面食らう。自分の甘さに腹が立った。全て割り切って、今までしてきたように淡々と行えばいいのに。先に死んだ二人の兄や、友人の恋人を掻っ捌いたのはこの手だ。
知り合いだろうが身内だろうが関係ない──自分はただの人形師。人の体から、人の命令に従順かつ有能な傀儡を作るのが仕事。この役職を引き継いだ時から肝に命じて、守ってきたこと。
なのに……もう何年も前なのに、記憶のはるか彼方、とても遠くなのに。
──懐かしい思い出が邪魔をする。
「くそっ……!」
こんな姿はとても他人に見せられない。机に拳をぶつけて八つ当たり。手の甲を痛めても一向に気分は晴れない。
そこへトントントンと階段を降りる音──軽い響きに誰か察しがついた。
開かれた扉からは案の定……彼女が顔を出した。
「カズエ……こんな時間にどうしたの」
実際のところ、この家に住んでいるようなもの。衣食住を共にしていても、顔を合わせるのは本当に久しぶりだった。
「……オトナシ」
暗がりの中、彼女の長い髪が外の光を吸収して煌めいた。
反射的に口をつむる。
「……何でもない」
扉に軽く持たれて、こちらを見つめてくる。瞳は何も光が入らず、暗いまま。
「──嘘」
首を軽く傾げ、もたれ掛かったまま。視線を全く逸らさず、真っ直ぐにこちらを見つめたまま彼女は続けた。
「嘘でしょ。分かるよ。どうしたの。今度はちゃんと教えて」
静かな口調なのに……言葉の端々が突き刺さる。言われるのが辛かった。事実を伝える以外の選択肢は許さないと、暗に責め立てられている気持ちになった。
「兄貴が……殺された」
「──え?」
静寂な空間、声が聞こえなかった訳ではない。そう、と……やがて呟きが返ってきた。
「じゃあお兄さん達の人形、センチが引き継ぐのね」
彼女はうちの事情をよく把握していた──歴代、兄の中枢神経系を使ってきた人形使いの家系だと。
「……いや」
手を握り締める。
「頭をやられた……兄貴は中枢に使えない。人形も木っ端微塵。歴代の流れは汲めない」
直接関係ない話だから割愛したが──返ってきた遺体は、他人であれば必要のない顎顔面部までぐちゃぐちゃだった。顔では判別が出来ず、図体のよさと服装で兄だと識別した。
元より人に好まれるタイプではない……荒々しい性格ではあった。自分も理不尽に殴られたことがあったし、特に最近は悪行が目立った。噂は耳に入る。性行為の強制、意味のない四肢の略奪。最終的に怨恨でこのような結末になったのだろう。あの兄は確実に加減を過った。過剰にはまりこみ過ぎた。力をひけちらかすことで起こり得る反感を軽んじた。ある種の自業自得だろう。
ただ──中枢神経系の破壊だけは、うちの家柄として止めて欲しかった。あれさえ無事だったら、まだこんなにも悩まずに済んだのに。
目前の課題は……次の人形使いをどうするのか。やるにしても、適した人形の中枢は手元にない。
──いっそ、放棄してしまってもいい。
あんなものやらなくたって細々となら生きていける。圧力を受けても相性の良い中枢が無いと言い逃れ続ければいい。持つところまで持たせればいい。
この辺りがかつてマリオネットへの貢献集落だったなんて、もはや関係無い。過去の産物だ。そのお陰で今の比較的恵まれた生活を送られているとしても、望んだことではない。積み重なって、歯車が回りに回って生まれた今の状態──全て捨ててしまえばいい。自分はもう逃げられない。けれど、幼い運命はもう、せめて。
沈黙を破って声をあげたのは……彼女だった。
「──私達の番なのね」
バンと机を強く叩く。
「いや、いい。もう止めよう。こんなこと続ける必要はない」
「そんなこと言ったら、カズエが怒られちゃうよ」
「あの頃とは違う。技術を身につけた以上、そう簡単には殺されない」
言いつつも……少し声が震えた。身をもって政府の恐ろしさは知っている。従順であれば手厚いが、意に反すれば危うい。だけどそれは正面から向かった場合。受け流せば今なら誤魔化せる自信もあった。それだけ忠誠を尽くしてきた。
「でも、私達はそのために──」
「関係無い。お前はお前だし、センチはセンチだ。生まれを選べる奴なんていない、理由にならない」
「……昔もそんなこと、言ってくれたね」
「……そうだったか」
「うん」
会話はそこで途切れるが……気持ちを言葉にして多少すっきりした。これで気持ちも落ち着くかもしれない。
「寝ろ。俺も寝る」
明日は朝から解体作業をしなければならない。体力勝負の面もあるから、休めるものなら早く休むのが得策。
会話を切り上げるために、そう言い捨てた。
椅子から降りて、横を通り抜ける。地下へ戻ろうとしたが──
「……私だよね」
彼女の言葉に動きを止めた。止めざるを得なかった。
「──センチの人形」
形にしたくなかったものを……すんなりと音にしてしまう。
「……うるさい、やめろ」
「でも」
「黙れ……言うな」
「……それでも」
横目で彼女の顔を見る。光の灯らない瞳が自分を捕らえたままだった。
「私が──最適でしょ」
マリオネットは操り手と人形の相性が要となってくる──どんなに性能が良いものを使ったところで発揮出来なければ意味はない。いかに動作、俊敏性を再現出来る相性の相手を選ぶかで結果は大きく異なってくる。
すなわち遺伝子型が近い血縁者か、親密な間柄……ホルモンを効率良く放出してくれる相手を選ぶか。それが要で、大体の成績は予見された。
歴代の兄が、死んだ兄の遺体を用いた人形を使ってきた由縁もそれだった。個体により相性はあるが、血の繋がりがあれば動かないことはまず無かった。
──沈黙が続く。
堪らず目を反らした。
何がいいのか、誰が適切なのかなんて……本当は自明の理。分かっていた、考えるには簡単過ぎる。
この家にいるのは四人。幼い子では神経系の発達が不充分。自分がなっては優遇的に物事を運べず長期的に見て不利。役者の引き継ぎ……考えたくもなかった。
残された二人は──近しい者として明らか。どちらが操り手となるかだって明確。彼女は決して望まない。
解を知った上でのずるい問い掛け。だけど認めたくないから駄々をこねてきただけ。
先程咄嗟に出た短絡的な台詞は飲み込んで、ぐっと堪えて……再び繋ぐ。
「……俺は、あくまで施術側だ。選ぶのはお前達だとしても……アイツはちゃんと知っているのか」
「なんのこと」
「誤魔化すな。いい加減、世間のことをもっと──」
「いいよ、私を使って」
こちらの話など聞かず、さも関係ないとばかり。繰り返される台詞。自然と奥歯を噛み締めていた。
たまにあった──こうやって自ら名乗り出て、命を差し出そうとする者が。死に直面すると逃げたくなる本能も知らずに。自らで出来ないなら血抜き兼ねて失血の運命も知らずに。何より……遺った者の嘆きなど知らずに。
ただ悲しいことに──この役職に拒否権はない。
口がからからに乾く。かすれた声しか出なくなっていた。
「……それは……アイツに、聞け。俺の判断では」
「自己申告の受諾は可能でしょう。人形師は言われた仕事をするだけ」
──もっともな指摘。
何も間違ってはいない。返す言葉を探すが見つからなかった。
「でも……センチはいいの、この世界のことを知らなくて。私が黙って人形になれば、これからも一緒にいられる」
たまらず……振り返った。目は死んでいるのに、彼女はどこか恍惚とした様子だった。
「あの子は嫌な世界を知らない、今のまま生活を続けられる」
「マリオネットをやれば外との交流が生まれる……お前が築いてきたアイツの世界は、いずれ必ず崩れる」
「それでも他にいないでしょ」
氷のような冷たく鋭く視線が突き刺さる。彼女に迷いは見当たらない。
どう返すべきか……分からない。違う言葉を繋ぎたいのに、もう一切音に出てこなかった。
「──私なら、センチの最高の人形になれる」
ゆっくりと口角をあげる。目は笑っていないのに、口元だけ穏やかに笑う。
「最高の人形になってあげる。そしてあの子は最高の人形使いになって──全部壊しちゃえばいい」
ぽつりと呟いた一言に、やっと本心が垣間見える。 無機的な表情と排他的な発言は恐ろしく感じるはずなのに、むしろ……物悲しい。
「こんな世界、大嫌い。絶望しかない。私を引き留めてるのはあの子達だけ。望みを託せるのなら、何も怖くない」
絶望の中の僅かな光にすがって生きてきただけ。それは己も似たようなものだから否定は出来ない。
だけど──。
「だったら、オトナシ……お前は──」
「カズエ」
呼ばれた名前に顔をあげる。リズムを踏むようにくるんと背を向けた。
「約束ね──センチには内緒よ」
にっこりとした満面の笑みを見たのを最後に──冷凍庫の中で眠るように凍っている彼女を見つけた。
体に張っていた霜の感覚をよく覚えている。夜中に地下の作業所へ忍び込んだらしい……本来他者の遺体を保管する空間に横たわるとは、どんな気持ちだっただろう。あえて服を濡らしたのか衣服は妙な形で固まっていた。
──モノが出来てしまった。
悲しめばいいのか、怒ればいいのか。どうしたら良かったのだろう。分からない。
「……解凍……しないと」
だというのに血抜きがしにくいとか、そんなことをすぐに考えた。職業病なのか。感覚が麻痺しているのか。幼馴染の冷たくなった体を見ても、もはや涙の一つも出なかった。
とにかく急がないと。この死がバレる前に。他の誰かに使われる前に。政府に回収される前に。
せめて願いの通り──最高のものに仕上げるために。
──託すために。




