拒絶
「少し休んだら? 傷にはならないけど、痛いでしょ」
四人で会議をした後──よりマリオネットに勤しんだ。知ってる場所ばかりであれば良かったが、区域内となると少し遠出することも。
──全ての人形を。
気持ちが急く中で、付き添ってくれているカンナがぽそりと呟いた。
「……そうだね」
操ることに気力も集中力も消費する。確かに最近は攻撃を受けることも以前より増えてきた。多数の人形を破壊している僕の噂が、多くの人形使いの耳に入るようになったせいもあるだろう。明らかに警戒されている。
焦るばかりに成績が悪化している指摘を受けて、少し冷静にならなければと反省した。
深呼吸してから……周りからの視線に気を配る。興味、軽蔑、不審。知った顔はなくても、受ける眼差しは何処に行っても似通ったもの。
それでも──続ける。弔いのためにも、政府に近付くためにもこれが近道と知ったから。
同時に浮き彫りになった課題……あの時、兄さんから言われた台詞を思い出す。
──僕達以外の、他の人の力。
人形使いの僕、人形造りに携わってきたカズエ兄さん、現状人形師のミキ、一般人として客観的に捉えられるカンナ。そこから……政府に対抗するために更に必要な人物像。
──誰だろう。
具体的に思い付く人が浮かばず、自然と溜め息が出た。
「今日は帰ろう」
「うん、そうだね」
暗くなってきた街中をカンナと歩く。マリオネットさえ関わらなければ、日常は比較的静かだった。人形をしまって、一般の人の中を歩いて帰る。横路で小さな子供達が遊んでいる隣を通り過ぎた。
ふと……思い出してしまう。仲良さそうにじゃれつく姿。
「ねぇ、カンナ」
気になって──あの人のことを尋ねてみた。
「どうしてるかな……街でも全然見掛けないよね……」
「アンタ、自分の臓器盗った相手を気にしてる余裕あるの?」
「そうだけどさ……」
思わず口を尖らせる。確かに直前にされたことを思えば、当然の指摘だった。
──ランさん。
それでも人形を持って間もない頃、声を掛けてくれたのは彼等。何も分からない僕を受け入れてくれたのはあの二人だった。
だから──。
「……どうしてるのかな」
狂気じみていたが、それは大切な相方を亡くしたから。彼も僕等同様、現状に耐えられているとは到底思えない。
「……確かに、見ないと思う」
やれやれと言った具合で、口を開くカンナ。街の中心に戻ってきたこともあり、周りの人々は僕達を見ていた。
「何してるのか知ってる?」
「そんなの知る訳ないでしょ」
「そ、そうだよね……」
肩を落とす。彼は親友を失ってまで目的を果たし……その後、どうしているだろうか。大きな目的を失った後、絶望の人はどう生きていくだろう。
──正気ではいられない。
通じるところを感じていた。大切な友人を無くして、代わりに僕は現実を知った。得られたものは大きいが、だからと言って失って妥当とは思わない。それとは違う。
カンナがちらりと一瞥して、あからさまに溜め息をついた。
「……アンタと同じでしょ」
「え?」
心を読んでいるのかと驚いたが、彼女が言わんとすることは別だった。
「街にいないなら、前のアンタと同じ」
「──あ」
僕はすぐに、彼の場所を教えてもらえるよう乞いた。
『一人で行くなんて反対! 何されるか──』
『ええやろ、坊が行きたい言うなら行かせたり。必要のない殺生はせんやろう』
カンナの反対から擁護してくれたのは、意外にもミキだった。物事に対して興味があるのか無いのか一向に分からないが、お陰でカンナは渋々留守番に頷いた。彼女を送り届けると、その足で伝えられた場所へと駆ける。
そうして、一人言われた住所を訪ねる。時刻は夕方になって、人気は少なくなってきていた。人形を携えてさえいなければ建前上はマリオネットに巻き込まれることはないので、置いて出た。
──例外はあったけど。
静かな住宅が集まる端に言われた家はあった。人影はちらほら歩いているが、他人に興味ないのか誰からの視線も感じない。お陰で気にせず進んでいけたので良しとしよう。
見えてきたのは……外で地面に絵を描いて、一人遊んでいる女の子。橙のバンダナで髪をまとめていた。
──もしかして。
玄関先の窓を見ても誰も見当たらず、他の窓に至ってはカーテンで覆われている。声を掛けられずにいると……女の子が気づいた様子で僕を見た。
「だれ?」
「こ……こんにちは」
「キドにいの友達?」
何とも言えず──。
けれど同時に、この子が彼の妹であることを確信した。
──良かった。
元気そうな様子に安堵する……キドが命を懸けて守ろうとした命。せめて健やかに、出来たら幸せな未来を生きて欲しいと切に願った。
腹を決めて、話し掛ける。
「……ランさんを探しているんだ」
「ランお兄ちゃん? 家にいるよ」
もう一度家を見る。薄汚れた壁に窓。誰も手入れをしていないことが伺い知れるこの家は、もう他に主がいないのだろう。
前回の……ランさんの変貌した様を生々しく思い出す。動悸と悪寒。いざとなるとやはり少し怖かった。
「ご飯の時以外、キドにいの部屋から出ないよ」
拳を握り締める。汗をじんわりと感じた。
「……会いたいんだけど、家に入っても大丈夫かな」
「うち? あぽいんとはあるの?」
「あ、あぽ……?」
「しょうがないなぁ、いいよ。案内してあげる」
躊躇するかと思いきや、すんなりと快諾してくれる。幼い割にはしっかりした印象を受ける彼女はすくりと立ち上がり、扉の方へ駆けていく。中に入ると、おいでおいでと手招き……人見知りしないところに懐かしさを覚えた。
着いていくと、奥へ奥へと案内される。途中見えた空間から漂う生活感は薄かった。
扉の数回叩き、彼女は僕をそこへ送る。
「ランお兄ちゃん! 入るよー」
きしむ扉の音に、自身の心拍は高鳴る。通された部屋は、いつかの自分と同じように──全ての明かりを拒絶していた。それから開けた瞬間に微かに残る酸の臭いは、恐らく薬品。こちら側からの明かりが反射して、床では何か細かいものがキラキラと光っていた。
ドキドキと、心臓がうるさい。
「……どうしたの? お腹空いた?」
探していた声が聞こえて、一瞬目眩。どうにかして息を整える。当たり前だが、小さな彼女は平然と続けた。
「ううん、お兄ちゃんにお客さんだよ」
彼女が僕を見るので……恐る恐る扉の前に立つ。すると、あの姿が見えた。
──ランさん……。
記憶の中では、最後の敵意剥き出しで壊れたように笑う姿がこびりついていた。
「あ、あの……」
「あれ……何で君が生きて……」
なのに、この差は何だろう──僕を一瞥するだけで、興味なさそうにすぐに下を向く。前回のような高圧的な様子はなく、むしろ頬は痩せこけ、目の下にはくま。生に対して弱々しい印象を受けた。
「……まぁ、どうでもいいか……」
力なく壁にもたれているだけだった体を起こし、彼の妹に微笑みかける。表面上は優しいけれど、僕にとっては無機質に感じた。
「千歳ちゃんは遊んでおいで。お客さんは僕がお話するから、もういいよ」
「はーい! お庭にいるね」
「暗くなるから、遠くに行っちゃだめだよ」
「分かってるって!」
ごゆっくり、と大人顔負けな態度で女の子は去っていく。そのしっかりした振る舞いは彼女の兄より、目の前のかつての彼を彷彿させた。
玄関の方で扉が閉まり、駆ける音が止むとランさんは表情を崩す。元に戻り、気だるそうに後ろへともたれかかった。
「……扉、さっさと閉めて。あの子に聞かれると色々困るんだ」
返す言葉も見つからず、言われるがまま。ただ明かりをなくす前に、部屋の中を見渡した。キラキラと光っていたものは硝子の破片で……彼の近くには人形と思しき塊が転がっていた。まさに傀儡のように可笑しな格好で、関節があらぬ方を向いている。
──カプセルを、割った?
だとしたらこの臭いの正体も分かる。
閉め切る直前には……彼の左手首に幾重もの傷が見えた。
バタンと静まった空間には、僕とランさん……かつてキドであったろう存在だけになった。何から切り出せば良いのか戸惑うが、先の発言を思い出して続ける。
「さっきのは……キドの妹さん、ですか」
「そうだよ」
「キドのことは……」
「言える訳ないじゃないか」
「でもいつかは──」
僕のように、大切な人がいなくなり、何に使われたかを知る。
「隠し通す。僕がいるうちは」
そんな姿で言われても、説得力の欠片もないことを分かっているのだろうか。
「ランさん……ちゃんと食べてますか」
「配給分貰っている。勝つ必要なんてない、僕の分をあげればあの子が餓えることもない」
「でもそれじゃ」
「うるさいなぁ……君につべこべ言われる筋合いはない。何しに来たの」
やはり言葉に詰まる。明確な目的があって来たのとは違うから、返答に困った。
けれど暗闇の中、徐々に目が慣れてきて……周りに散乱する欠片が人形の入っていた容器だと確信した。
「──割ったんですか」
「こんな姿にさせて……これ以上何をさせろっていうのさ……」
ああ──と、ランさんは鼻で笑ってから呟く。
「最近人形を壊して回ってるのって、もしかして君のこと? なら良かった、また君に僕達の関係を壊されるなんてまっぴらだ」
言葉の端々から感じる嫌悪、敵意……当然だろう。謝っても謝り尽くせない。
「で──今度は何するつもり? また知らなかったで誰かを殺すの?」
半笑いで尋ねてくる様は、否定したいのに釈明を許さない圧力を持っていた。それでも震える手を握り締めて、恐る恐る気持ちを伝える。
「人形を……全て弔おうと思ってます」
「は?」
「人形──人の命は、こんな風にして、ここにあるべきじゃないんです」
はっとして鞄を漁る。念のために持ってきた、カンナから借りている本を取り出す。あのページはすぐに見えるよう印をつけていた。
「僕は」
「また僕達を壊すのか」
「ちがっ──!」
突如部屋に、じゅうと焼ける音。彼の方からだと気付くと、音の元を目で探した。
「もういい加減にしてくれ……どうして放っておいてくれないんだ」
続けてすぐに、タンパク質の焼ける臭いがあがってくる──彼が傍らの人形に触れたからだと分かった。
カプセル内の保存液が有害だと聞いたのを覚えてはいたが、ここまで即効性があるものとは知らなかった。触れている皮膚が焼け焦げているのが嗅覚聴覚から伝わってくる。
「ランさん、手が! 手を離してください!」
「チトセちゃんは救えても、キドは救えない……このクソッタレな世界にまた縛りつけてしまった」
慌てて駆け寄る。じゃりとガラスを踏む音が重なる。
だけど彼の身を案じて伸ばした手は、思い切り跳ね退けられ……抱えていた本も床に落ちた。
「ランさん……」
「帰れ──」
右手で掴んだ人形を腹で抱えて、身を縮こめる。膝で顔を隠した。震える肩に、震える声。
「いいから帰れ!」
──何も言えない。
全ての言葉を飲み込んで、背中を向けた。暗い空間から言われるがまま外へ出て、後ろ手で扉を閉める。自然と下唇を噛み締めていた。
──僕が泣いてどうする。
部屋の内側から微かな嗚咽が漏れてくる……つられたように、目の前が霞む。
僕の涙は拒否されたことに対するものじゃない──そうさせてしまった罪悪感、何も言えない不甲斐なさ、この世界への増悪。あらゆるものが詰まっている気がした。もう泣きたくなかったのに……扉の前で座り込む。
涙腺が落ち着くのを待ってから、静かに立ちあがった。
「もういいの?」
「うん……」
帰る時、玄関先で彼女と再び出くわす。なんとなく目をまともに合わせられなかった。
「ランお兄ちゃんどうだった?」
「え……」
「元気ないのバレバレなのに」
腰に手を当てて頬を膨らます様子は無垢で幼く、微笑ましかった。
「バイバイ」
手を掘り返して……正しいのか分からないが、彼が壊さないように守っているもののために、下手くそな笑顔でもって別れを告げた。
「──アンタまた泣いたの?」
帰るなりカンナから早々に指摘を受けて、目を強く擦った。
「……泣いてない」
「泣いた」
濡れた布をまた顔に投げつけられた。