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30cmの人造人形  作者: アサキ
真実
13/51

なせること

 夜になると、家の中は静寂を取り戻す──二人は帰ったし、ノゾミが寝た後なんて、特に静かだ。

 色々なことに驚かされ、正直頭は容量限度を超えていた。何から悩んで、解決していけばいいのかも分からない。

 ひとまず……余りにも体力が落ちていることに気付かされた今日。一番身近な問題で、かつ解決しやすい事案だろう。せめて家の中をうろうろして、体力回復を試みようと思った。

 そこで、気付く。

「……何これ」

 あちこち、家の造りが変わっている。それこそ階段なんて段差が部分的に消されていて、意図が全く読み取れない。

 ひとまず一階へ降りると──人の気配を感じた。

「カズエ兄さん?」

「ん?」

 部屋には……何だかいい匂いが充満していた。

「なんだ、こんな時間に」

「ちょっと……筋力落ちてるから、うろうろしてた」

「ああ。階段昇降とかで少しずつ戻せばいい」

 声は元より冷たい音質だが、気を遣ってくれる優しさ。昔の印象と変わらないなと、また温かい気持ちになった。

「そういえば、あの階段なに? なんだか家の中あちこち変わってない?」

「ああ、あれか。ミキがバリアフリーだと言って勝手に改装してる」

「ばりあ……?」

「俺が車椅子でも移動出来るようにだと」

 車椅子──あの車輪がついた椅子の名前だろう。ということは、これもアイツの改造だろう。

「……そんな顔するな。ミキはお前が思っているほど悪い奴じゃない」

 顔に出ていたようで、先を読んだ兄さんから軽い叱責を受けた。

 兄さんへの配慮なら許せるが……やはり前の一件は許せない。あの時の冷たい目付きは忘れられない。

──あれは、僕の無知への蔑み。

 今となれば思い当たる節も推測出来た。端から見たら、温室育ちで何も知らない僕は滑稽で愚か……それでいて綺麗事を並べる様は苛つかせただろう。

 そう思えば奴の態度もある程度は当然なのだろう。変わらず口は気に入らないが、最近の害は特にない。けれど……やはり打ち解ける気にはなれなかった。

 兄さんの向かいの席に腰掛ける。少しドキドキしたが、特に拒否もされないのでそのまま居座ることにした。

「それ、何? いい匂い」

 香ばしい匂いが兄の手元からだと分かり、のぞきこむと黒い液体が見えた。

「珈琲だ」

「こーひー……」

「政府からの特別配給品だ。貴重だから、たまにしか飲めない」

 物欲しそうな顔をしていたのか、兄さんは笑いながら差し出してくれた。

 嬉しくてすぐに受け取り、口をつけるが……。

「──にっが!」

 想定外の味に思わず大きな声を出してしまう。兄さんは気分を害した様子もなく笑ったままだったので、代わりに訝しげな視線を返す。

「これ、美味しいの……?」

「俺は好きだな。お前も、ミキと同じで飲めない(たち)らしいな」

 まさしく苦い顔のまま、恨めしそうに黒い液体を見る。アイツと一緒にされるのは腹立たしいが、これに関しては兄さんの好みが理解出来なかった。

 不貞腐れていると……車椅子を一人でゆっくり動かして、何やら違う容器を運んでくる。

「お前はやっぱりこっちだな」

「……牛乳! よくあったね、懐かしい!」

「カンナちゃんの差し入れだ。明日礼を言っておけ」

 飲める白い液体に年甲斐もなくはしゃいでしまう。自分の分に口をつけた。

 何よりも──こうして時間を共有出来ることが嬉しかった。

「……これ入れると甘くなるぞ」

 そう言って、白い砂をさらさらっと僕のカップに入れる。

「甘い! なにこれ美味しい!」

「お前、絶対ミキと同じ舌だな。これはアイツのだ」

 名前を聞いた瞬間、反射的にまた顔をしかめてしまう。

 面白そうに、でも少し苦笑いも浮かべながら兄さんは僕を見た。僕は……カップの中を見る。

「なんで兄さんは、あんな奴と仲が良いのさ……理解出来ないよ」

 甘くなった牛乳を一口飲んでから呟く。食べ物に罪はないので、これはこのまま頂くことにした。

 ふっと笑うカズエ兄さん。

「そうだな……付き合いも長くなってきたし、価値観も近いしな」

「価値観? 絶対そんなことないでしょ。兄さんとアイツが同じ思想なんて考えられない、有り得ない」

「お前……そんなに頑固だったか?」

 そう指摘を受けるのは何だか恥ずかしくて、少しうつ向いた。

「そうだな。あとは……肩の力を抜けるってところかもな」

「肩? それ、どんな関係なの?」

「気の置けない仲ってやつだな──お前とカンナちゃんはどうだ。そういうのとは違うのか」

 突発的な質問に首を捻る。

「僕とカンナ……?」

 確かに、慣れてきた最近は緊張することもなくなった。けれどやはり所々は素っ気なく、冷たく感じる。たとえ同じ近所の幼馴染だとしても、オトナシといるのとは訳が違う。

「うーん、違うと思うけど」

「……そうか」

 兄さんは静かに珈琲をすすった。

 まるで昔に戻ったようで──。

 足をぷらぷらさせながら飲む。

──あ、足……。

「あのさ……僕の足……」

「ん? ああ、大事に使ってやってくれ」

 さらりと平然のように言う様は、兄さんの気持ちを代弁しているように感じられた。

「うん……ありがとう」 

 それ以上、兄にとやかく言うのは止めようと思った。

「色はともかく、傷は全然分からないや……凄いね」

「お前に関しては俺だけじゃなくて、前の人形師も一緒にオペ入ったからな」

「へぇ。兄さんも器用だと思うけど、その人も凄いんだね。どんな人?」

「腕はいいが……凄まじいマザコンだな」

「え」

「……あ」

 自分で言った癖にあからさまに、しまったという顔をする兄さん。僕も聞くんじゃなかったと後悔して、目線を反らした。

──お母さん、か。

「ねぇ、兄さん」

「なんだ」

「他にも……聞いていい?」

「俺が答えられる範囲ならな」

 聞きたいことは沢山あったが、ひとまず思い浮かんだ姿を声に出す。

「母さんは──」

 懐かしい面影……だけど輪郭はもう思い出せない。その存在が温かいものだったという覚えだけが残っていた。 

 カズエ兄さんは目を伏せる。一口飲んでから話し始めた。

「処刑のあと……お前を俺達に預けてから帰ってこなかった。凄い剣幕で飛び出していったから、恐らく政府へ抗議に行ったんだと思う」

「抗議?」

「あの人ならやりかねない。肝っ玉母さんって感じだったからな──でも、それっきりだ」

 兄さんは悲しそうに、それでいて懐かしんだのか……珍しく少し嬉しそうにも笑った。

「……兄さんは」

「ん?」

「この世界……悲しくない?」

 静寂の中、静かな口調のまま、僕等は気持ちを汲み交わす。

「──笑うことは確かに減ったな」

「そんなの……」

「だけど、嫌なことばかりじゃない。楽しいことも沢山あったさ」

 あったと──全てが過去形になっているのを兄は自覚しているのだろうか。

 カップを握る手を強くする。

──僕には、何が出来る。

 知識を得た今になっても、気持ちは変わらない。

──大切な人達が悲しむところを見たくない。

 カップの中の白い水面を見つめながら、想いを巡らせた。黙ったままの僕に気を遣ったのか、兄さんもその後は沈黙を守り……二人で静かな時間を過ごした。


「あ、僕洗うよ!」

 使った食器を片付ける。兄さんは習慣で未だに地下の部屋を使っているそうなので、一人で上に戻ろうとすると──。

「センチ。俺からも……一ついいか」

 背中から呼び止められて振り返る。何かと思うも、カズエ兄さんは僕ではなく……天井を見つめていた。

「アイツが──オトナシが、お前の手に執着していたのは本当だ」

 兄さんから彼女の名前を切り出されるとは思いもしなく、内心はドキリと驚く。極力顔に出ないように意識して、耳を傾けた。

「……うん」

 ようやく分かった、彼女から僕への過保護と執着と、世間からの隔離の正体──どんな気持ちで僕の傍に居続けてくれたのか……推し測れない。

「けれどそれだけじゃない──お前自身と恋仲になったのも事実だ。アイツはお前達と一緒にいる時は……心底穏やかな顔をしていた」

 重く重く、言葉が心にのし掛かる──慰めかもしれないが、彼女と僕を想う気持ちは充分に伝わってきていた。

「──ありがとう」

「早く寝ろよ」

「うん……お休み」

 扉を後ろ手に閉めて、部屋への階段を昇る。兄と二人きりで穏やかに話すなんて本当に何年振りだっただろう。

 ただ、一番聞きたかった──オトナシの最期のことはとても聞けなかった。


 マリオネットや当時の状況に関わった全ての人が、いかに傷付ついてきたのかを知った……味わった。

 部屋に戻り、一度はベッドに腰掛けるが、そのまま上半身を後ろへ倒す。

 手を空に伸ばせば──細く白く、長い指。

「この世界は、なんなの」

 幼い頃は全てがキラキラして見えていたはず。誰かと遊ぶのが楽しくて、兄の真似をして走りたくて……あまり覚えてはいないけど、ただ毎日が楽しかったはず。明日はどんな一日だろうと、これから何が起こるだろうと。

「これが……その答え?」

 掲げた手を握り締める。

 「情けない……」

 愚か。まさしく愚者だと思った。何も知らずに狭い世界で生きてきた──そうしてとうとう、こうなった。

 起き上がって、覚悟を決めて……ずっと近付けなかったそれへ歩み寄る。

──カプセル。

 あの日から、机の上に鞄ごと放置したままだった……蓋を開けて、震える手で、恐る恐る中のものを取り出す。

「オトナシ」

 面影など微塵もない。言われなければこの中に彼女がいるなんて分からなかった。言われたところで、正直納得も出来ていない。

 だけど……繋がった時に聞こえる歌声は、紛れもない彼女の証。


『レクイエム……って?』

 小さなピアノの鍵盤を叩く僕に彼女が話す。最初こそは器用に足の指で弾いて教えてくれたが、最近はもっぱら伴奏に合わせて歌うばかりだった。

 その日も彼女が持ってきた楽譜を奏でるが、流れる音は物悲しい。

『鎮魂歌……死んだ人を弔うための音楽だよ』

『とむらう?』

 慣れない言葉に、聞き返した。

『死んでしまった人がね……次は幸せになれますようにって、送ってあげるの。魂が迷わないように』

『魂? ここにいちゃいけないの?』

『魂は、人の心。いつかは空に帰って、次の命へ繋がるの』

『オトナシもいなくなってしまう?』

『皆いつかはね──悲しみが終わることを祈って、弔うんだよ』

 彼女は儚げに微笑んだ。


──悲しみが連鎖する世界。

 ガラスに触れて、触れられるはずのない肌を想う。

「オトナシ……ごめんね、時間が掛かって」

 人形の存在を理解し、自身のことも知れた今……やっと彼女を受け止める心積もりが出来た。ここへ至るまで時間が掛かってしまった。その間、暗い鞄の底で待たせたことを申し訳なく思う。

──誰が、犠牲になったのだろう。

 中枢神経系は彼女。他の臓器や、この個体に関しては四肢の筋までつけられているそう。

 彼女を始めとするこの人形を前にして、今更何が出来る訳でもない。全ては保存液と金属に遮られ、触れることすら叶わない。

「人形を嫌っていた本当の理由がやっと分かったよ……君は知っていたのに、ごめんね。腕をくれた君をそんな姿にさせてしまった」 

 固定された組織の中でも、悲しい思考は続くのだろうか──?

「……僕は、何がしたいだろう」

 彼女は辛い想いをして、僕の傍にいてくれた。外の常識から隔離してくれたのは──諸刃の剣だ。

 けれど……だからこそ、分かる。

「おかしい」

 彼女が守った世界で生きてきたからこそ、これがおかしいと思える。

 オトナシ達がくれた動ける体で、僕は何をなしたいのかを考えながら眠りについた──。


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