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30cmの人造人形  作者: アサキ
真実
11/51

過去


 雨。

 昨日からずっと雨が降っている雨。様子がおかしい。もうあがっているはずなのに。いつも決まった時間に終わるはず。定時の雨ってそういうものでしょ? 

 続く雨は……人の姿を押し隠す。

「つまらない」

 雨で視界が悪いせいもあるのか、人の姿は確認出来ない。唯一見える近所の家も……最近はカーテンがずっと閉められたまま。知っている部屋の住人はもう現れない。

 じめじめもして嫌な気分。短い髪は湿気を含んですぐ浮いてしまうし、気分は更に下を向く。

「カズエ……何してるのかなぁ」

 近所の男の子も、近頃全く顔を合わせてくれない。よく互いの妹と弟も交えて遊んでいたのに。雨で一番機嫌が悪くなるのは彼だった……外で体を動かすのが好きだから。

──悪ガキの表現が似合う笑顔と言葉を残して別れたのが最後。

「元気かなぁ」

 家の中は静か。母は出掛けて顔を合わせることがないのは幸いだった。カンナも着いていって、私だけ。音を立てて怒る相手もいないし、気分を紛らわすためにも思い切りピアノを弾こうか。

「こんにちはー!」

 憂鬱な思考を止めるかの如く、玄関先から声が響いた。

「センチくん?」

 急いで向かうと案の定、彼の弟がちょこんと立っていた。

「こんにちは。どうしたの?」

「カンナは?」

「お母さんと出掛けてるよ」

「えー! 遊ぶって約束したのにー!」

 ぶーぶー怒る小さなお客人に困ってしまう。

「えぇ! ご、ごめんね。カンナったら……忘れてたのかな……」

「もうアイツと遊ばない! 嘘つきだ!」

「そんなこと言わないで」

 困り果ててしまう。そんな遠出をする理由も聞いていないので、すぐ帰ってくるに違いない。時間を稼げば約束も守れるはず。

「ん~……じゃあお姉ちゃんと遊ぼうよ!」

 パァっと顔が明るくなるのは私としても嬉しい。笑顔に彼の面影を見た。

「いいよ! 何する?」

「うーん……」

「雨ばっかでおうち飽きちゃった」

 正直私の切り札は少ない。カズエと違って、遊ぶのはもっぱら家の中だった。

 しばらく唸って考える。目をキラキラさせている小さな客人を落胆させる訳にはいかない。

 そうして──思い出す。

『見つけたぞ、オトナシ』

 顔をあげて、彼の弟を見る。

「センチくん……お兄ちゃんが内緒にしている凄いもの、見たくない?」

「兄ちゃん! え、なになに! 見たい!」

「ね! お姉ちゃんも見たいから……見に行っちゃおうか」

 小さな彼は大きく、嬉しそうに何度も頷いた。

──この雨ならきっとバレない。

 私の心も弾む。我ながら良い考えだ。これは行きたい場所へ行ける絶好の機会。

──靴……こんな雨の中じゃ汚れちゃう。

 迷ったが綺麗な青い靴を履く気にはなれず、泥の被ったピンクの長靴に足を入れて家を出た。

 道中で、小さな彼は何度も尋ねてくる。

「ねーねー! どこ行くの?」

 ふふっと笑って答える。

「海がね、見える場所」

「うみって?」

「お外の世界だよ」

「外! 兄ちゃんが言ってる話だ!」

 無垢な笑顔が眩しい。生まれてから家で邪険に扱われてきた私はとてもそんな風には笑えない。分け隔たりなく接してくれる妹と、近所の子達が救いだった。

 せめて──夢を見ることは奪わないで欲しい。

 歩きながら政府からのお触れを思い出す……窮屈だが、何も望まなければ別段生きにくいこともない。衣食住は保証してくれている。

 けれど、幾つかの決まり事が──気に入らなかった。その一つはマリオネット。

──私はあれが大嫌いだった。

 人体から作り出したものを人形だなんて気味が悪い。正気の沙汰じゃない。

 それから……外の世界に関して。

──どうして近付いてはいけないの?

 幾ら戦争の影響で汚染されている、人体の健康のためとは言え、見ることすら叶わないのは悲しい。既に滅んでしまったとしても、外の音楽に触れたい……哀愁を感じたいのに。

 そう思えるのも全て──カズエのお陰。彼の家で沢山の本と知識を分けてもらった。かつての人々がいかに命を尊み、他者を大切にしてきたか。夢抱く子供達は見知らぬ土地をドキドキしながら大冒険する……そういう描写の絵本や小説に溢れていた。とても憧れた。

──自分の感覚が間違っているとは思えない。

 そんな中で……先日、カズエが教えてくれた。

『洞窟の先に、海がある』

 その洞窟の場所が分かったと嬉しそうに話してくれた。一緒に行くと伝えたが、複数だと見つかる可能性があって危険だと許してはくれなかった。

 だけど場所だけはこそっと教えてくれた。絶対に内緒だと、にやっと笑って話してくれた。

 でもそれから……会っていない。

──どうして?

 家に行っても反応はない、あるいは他のお兄さんからいないと言われて追い返されるばかり。カーテンは閉じたまま。センチくんはいるよと無邪気に教えてくれるので、居留守なのは分かり切っていた。

 どうして拒否されたのか分からない。でも嫌われたとしても、せめて。

「カズエと同じものを──」

 目元が少しだけカズエに似ている小さな彼の手を引き、私は雨の中を急いだ。


 今まで遠くへ赴いたことはなかった。街から出ようとすら、考えたこともない。

 だから──教えられた街外れが、こんな風になっているなんて知る余地も無かった。

 草木に覆い隠されていた洞窟の入口。奥には灰色の壁、金属の繋ぎ目──これはあって当然の存在なのだろうか。

「お姉ちゃん……」

 見たことのない景色に怯えるセンチくん。私まで震えては小さな彼が心配になるだけ。

「大丈夫だよ、もうちょっと」

 本能的に尋常でない予感がしたが……不安にさせまいと微笑み、奥へと進む。戻ろうという考えは毛頭無かった。人の気配が無かったから平気だと言い聞かせた。

 進むにつれて緑の影は一切なくなり、視界を占めるのは人工色だけ。

「何……この扉」

 行き着いた先は──金属の大きな扉。触れると芯からヒンヤリと冷たく、重みを感じた。

「どうして、こんな所に……」

 外へ繋がるはずなのに、なぜ間に金属が介在しているのだろう。まるで何かを遮るよう。

 ただならない空気を感じる。やはり来てはいけない場所に踏み込んでしまったのかもしれない……そんな気にさせる空間。背中に悪寒が走った。

──でも、確かにカズエはここに来た。

 行った証拠に印をつけてくると得意気に話していた。壁には一と零の羅列が彫られた痕跡……間違いないだろう。

「この先に……」

──行こう。

 同じ未来を見たいと望むのは、いけないことだろうか。

 重い扉を……押し開いた。

 けれど次の瞬間には──全ての不安が一瞬吹き飛んだ。

「冷たい?」

 隙間から突如流れ込む風に……音。ざざん、ざざんと砂を擦るような不思議な聞き心地。

 ようやく出来た人一人が通れる隙間をぬって、坂道を上っていくと──景色は大きく開けた。

「眩しい……」

 雨ではなく、広がっていたのは青ばかりの世界。

──これが、海?

「うわぁ! なにこれ!」

 先にセンチくんは駆けていく。その声には先程までの恐怖は微塵もない。目の前の風景に全てを持っていかれたようだった。

 それもそのはずだろう……こんな景色、見たことない。

──絵本で見た世界。

 どこまでも続く水。その水は自らの意思を持つようにいつまでも揺らめく。

 これ等はきっと、海と空と、海岸……太陽。綺麗な光景。見たことのないほどきらびやかで、鮮やかな色と光。この上なく素晴らしい。

 けれど……素直に喜べない。

 違和感を──第六感が訴えてくる。


 この世界は、おかしいと。

 

「ねぇお姉ちゃん! これが海? 外の世界はどこにあるの! このもーっと先? 見えないね!」

 はしゃぐ彼が唯一の安らぎだった。この素晴らしい景色を前にしても、素直に喜べない自分の気持ちの。

「うん……きっとそうだよ」

「すごい、すごいね! 本当にあったんだね!」

「あっ、センチくん! あんまり行ったら危な──」

 パンと……私達の世界は終わりを迎える。

「──え」

 一発の破裂音、発砲音……その音の後、小さな彼は砂地に倒れこんでいた。

「センチくん……?」

 真っ赤な血が、足元から溢れ出る。

「……え?」

 音の主が、現れた。

「そこで何をしている!」

 分厚そうな服を頭から靴先まで全身にまとった集団が私達を捕らえた。センチくんの泣き声が響き始める、痛い痛いと私に訴えてくる。

「あの、ごめんなさい……迷い込んじゃって……」

 見つかった時のためにあらかじめ考えておいた言い訳を伝えるが、即座に理解する。

──無駄だと。

「少し前にも同じことがあったばかりだろ。誰だ、情報を漏らしてるのは」

「技術部の方で、面白半分で身内に教えた奴がいるらしい」

「やはり人の口に戸は立てられんな。施錠を強化しよう──あと刑罰も」

 明るい世界から引き戻されて……すぐに暗く湿った日常に戻る。抵抗することも出来ず拘束された私達は、あの扉の境界線で見慣れた軍服姿に引き渡された。

「重罪。処刑よろしく」

 軽々しい口調で……引き継がれた。


 戻った世界はやはり雨で。

──処刑とは?

 センチくんは泣いたままで。

──何かした?

 軍服の男は何も言わずに私達を引きずっていくだけ……徐々に見慣れた景色へ戻ってきたが、こんな気持ち味わったことない。

「あの……処刑って……何ですか」

──恐怖。

 無視。彼等は私達に何も教えてくれない。何も伝えようとはしない。知らせようとはしない、決して。

 知ることを──許さない。

 今、初めて知った……所詮私達は人形。飼われた従順なままでいれば、それなりに着飾って置いておいてくれる。けれど、自ら考えて動こうものなら……乱暴に扱われ、最悪棄てることも厭わない。ただの所有物。

 街の大通りに戻ってきていた──たとえ雨でも、ここまで来ると人の数は多い。むしろ何事かと集まってきていた。

 その中心は、私達。

「私達は……何か、しましたか……誰かを、傷付けましたか……」

 処罰される所以はない。ただ同じ夢を見たかっただけ。

 軍服の一人が私の髪に手を掛けて、荒々しく引き寄せて……耳元で囁いた。

「貴女はこの子を傷付けた──どうせそそのかして連れて行ったのでしょう。貴女がこの子の自由を一生奪うことになるのです。なんと罪深い」

 ニヤリと笑う姿は楽しそう。

 穴が開いた足から血を流し、痛みと恐怖で泣き叫んでいる彼を見やる。

──私が、傷付けた。

 辺りを見渡すが……助けてくれる人は誰もいない。

 一人が声高々に読み上げる。

「これより処刑を行う。罪人の姿を焼き付けよ。そして安息な日々を約束くださる神に感謝を」

 私が知っている神様は……こんなことしない。

「罪状は──神が禁ずるものへ近付き、有害物を持ち込もうとして住民を危険に晒した」

「そんなことしてない!」

 たまらず、叫ぶ。何も触れてないし、何も見えるものを持ち帰っていない。全く覚えのない罪。

 いや、きっと──あそこへ近付いたことこそ、罪だったのだろう。

 周りの群衆は……冷ややかに私を見つめていた。

 軍服の男の一人が書類に目を通しながら呟く。

「オトナシ……そうか、あの人の子供か。優遇され、音楽までたしなんでいるというのに。愚かな。人は恵まれるとやはり貪欲になるのか」

 突然──体を押し倒される。雨の中、地べたにうつ伏せにさせられ、肩を強く抑え込まれる。

 そのまま……左右の腕を前方へと引き伸ばされる。

──なに。

「優れているのは手の動きか」

 恐らくピアノのことを指しているのだろう。だけどそれが何だと言うのだ。早く帰ってピアノを弾きたい。

 けれど次の瞬間には、耳を疑う言葉が飛び込んできた。

「腕を切り落とせ」

──腕? 

 はっ、と言葉の意味を理解する。恐ろしいほど異常な速さで頭が想像する。

「腕はやめて! ピアノが弾けなくなる! せめて足! 足にして!」

 おかしな懇願だ──私はそれほどの罪をおかしていたのか。

「やめてごめんなさいごめんなさい! 手は! 手だけは──!」

 暴れても、複数の男から抑えられた体は動かせない。腕は無防備に伸ばされたまま。

 頭の上には……刃物が光って見えた。

「待って……やめて……」

──なんで。

「面白いですね。直前に処刑した男の子と逆のことをおっしゃる」

 丁寧な口調の笑い声が耳に残る。

 振り落とされる様を──ただ凝視していた。


「こっちは……まだ幼いが仕方ない。いい加減、身内から出ないよう厳罰にせねば」

 私はただ、目の前に落とされた自分の腕を呆然と見ていた。

「四肢を」

 小さな彼の悲鳴と号泣──耳に入っているのに、止められない。

 断面から広がる血が、雨の水溜まりを赤く染めていくのを見ているだけだった。


「無知とは罪深く……とても勇敢なことですね」

 優しい声色で、蔑むようにそう言い残す。大方の軍服が撤退すると、同時に観客も徐々に減っていった。誰も私達に手を貸さない。

 変わらず私は呆然と離れた手を見つめ、彼は泣き喚く。視界の端には小さな手足四本も映っていた。

 すると一人の軍服が……歩み寄り、私の前に屈んだ。

「貴女達をこのまま失うのは、神も……あの人も望まないでしょう」

 迅速に応急処置を始める。その人の顔には見覚えがあった……カズエの家の一人。以前とは違って軍服をまとい、出世したのだなと何となく思った。

 同じように小さな彼にも処置をして、立ち上がる……私の二本の腕と、あの子の四肢をまとめて持ち上げて。傍らに残っていた部下らしき軍服に指示をして、センチくんの更に小さくなった体を抱き抱えた。

「帰ろう──」

 着いてくるように言われるがまま……ふらつく足取りで、歩く。手がないとこんなにもバランスが取りにくいなんて知らなかった。

 知らなかったのだ──何も。

「ただいま」

「あら、どうしたの。お帰りなさ──!」

 母親の悲鳴が木霊した。

「センチ!? オトちゃん!!」

 彼等の家だった──どうしてここへ向かったのか理由は知らない。もういっそ、全部知らないままの方が幸せだったのかもしれない。

 母親はセンチくんを受け取ると抱き締めて、号泣する。少し羨ましく思えた。

「カズエ!」

 そうして母親は……彼を呼ぶ。

 はっとする──会いたかった人。でもこの姿を一番見られたくない人。

 処置を施した軍服は部下に戻るよう伝えると、自らはずいずいと奥へ進んでいく。母親もセンチを抱き締めたまま、地下への扉を強引に開ける。仕方ないから、遠巻きに着いていく……その先にいるだろう呼ばれた主に見つからないように。

「カズエ! センチが!」

「センチ……なに──?」

 懐かしい声に、どきりと胸が跳ねる。聞きたかった声に鼓動が速くなる、苦しくなる。

 こんなにも……会いたかったのに。苦しかったのに。

「どうして!」

「どうして──」

 ふらふらと導かれるように、足は自然と地下の空間へと向かう。

「──オトナシ!?」

「どうして」

 どうして貴方の──足は無いの?

「カズエ……なんで、貴方の足……」

「オトナシ……お前、なんで腕が……」

 互いが互いの欠損した箇所を見やった。

「──まさか行ったのか!」 

 癖で立ち上がろうとしたのか、カズエはよろめいて椅子から転げ落ちる。足がないことにまだ慣れていないのだろう。

 そこで思い出す……処刑人が先程言っていた台詞を。

──カズエのことだったのか。

 走る足を失った彼は……何を今、思っているのだろうか。私と同じだろうか。

 絶望──すら、生温い。

「なんで行った! なんでセンチまで巻き込んだ!!」

 母親がセンチくんを中央の台にゆっくりと置き、泣き止まない小さな体をぎゅっと、強く……抱き締める。

「二人とも……この子達をお願いね。私の可愛い子供達をこれ以上傷付けるなんて許さない──!」

 そう言って、母親は部屋を出ていった。

 空間に残されたのは手足を抱えた軍服と、私とセンチくんと……カズエ。

「なんで、こんな──」

 カズエが頭を抱える。立ったままの私はそれを見下ろす形となっていた。

「──なぜ行った! どうなるか分からないから、勝手に行くなと言ったよな!?」

 やっと会えたのに……震える声で彼の怒声に返す。

「だって……会ってくれないから……教えてくれないから……同じ世界に、立ちたくて……」

「こんな体になって、会える訳ないだろう!」

 もう一度、彼の足元に視線を送る。外を元気よく駆け回っていた彼の足はそこには無い。

 自分のことで精一杯だったのに、突然押し寄せてきた現実を理解する。

 カズエの足。

 センチくんの手足。

 私の、手。

「あ……ああぁぁ──!!」

 泣き叫ぶ顔を覆う手は、もう無かった。

 取り乱す私達とは一線を引き、軍服姿は一人冷静だった。持っていた手足計六本をゆっくりと台の端に並べる。

「カズエ──人形師なら、この子の処置。どうするか方針を早く決めて。まだ幼いから危ない」

──人形師?

「カズエ……人形師、なの?」

 あんなに二人で人形の存在を嫌っていたのに──何が私達をこうまで変えたのか。

 キッと一瞬睨まれたが、カズエはそれ以上何も答えなかった。椅子に戻り、作業台の前に腰掛ける。そうして二人で会話を続けた。

「──センチを、助けたい」

「うん」

 言葉に詰まるカズエ。少しだけ残っている平常心で私も泣きながら叫ぶ。

「助けてあげて! 私のせいで!」

「うるさい分かってる!」

 怒鳴り返しながら、彼の表情は苦しそうだった。苦虫を噛み潰したような。

「だが、このまま助かったって、目を覚ましたら──」

 言わんとすることが察した。

 幼い彼が──四肢をなくしたと理解出来るのだろうか。受け入れて生きていくことが出来るのだろうか。

「せめてコイツは、何も知らない無垢なままでいさせたかったのに……!」

 カズエはのろのろと作業台で動き始めるが、集中し切れてないのか遅い。

 するとまた……あの軍服が前に出た。

「カズエはセンチをどうしたい」

「元に戻してやりたいに決まっている! でも──」

「じゃあ、そうしたらいい」

「マリオネットも関わっていないのに、勝手な補填は許さない……」

「じゃあ関わらせよう」

 謎解きのような二人の会話は続いていく。私には理解し難いものだった。

「センチは将来、マリオネットで私を負かす──その報酬が四肢だ」

「無茶苦茶だ……そんなの認められるのか……?」

「あの人が許すよ。センチはそういう血筋だ。そのためにも、協力しよう」

──この子が将来マリオネット?

 そんなの絶対に、嫌。許さない──口は挟まないが、憎悪に似た感情が私の胸の中で渦巻いた。

「……だとしても、実際どうやって」

「教えた人形の要領と同じ」

「──固定を飛ばして、再生液を使えば」

「正解」

 そこからの二人は専門的な話をしていて、内容があまり把握出来なかった。

 私の知っている人形の知識は少ないが──組織はホルマリンを含む固定液に浸漬することで、半永久的になる。しかし同時に収縮と、不可逆的変化が生じて生体としての機能は停止する。そこで使うのが再生液で、固定後の組織も外部から電気パルスを送り続けることで操作が可能になる──マリオネットの基本的原理。

 さっきから、やはりマリオネット、マリオネットと……嫌になる。

──それが何だと言うのだろう。

 カズエは目を見開いて、軍服をしばらく見つめていたが……突然せわしなく動き出す。

「カズエ……?」

 這いながら向かったのは冷凍庫で、開けると冷気が漂ってきた。

 取り出したのは──四肢、四本。

「ひっ……!」

 黙っていた私の口から小さな悲鳴が漏れる。だって足の一本には、くるぶしに……見覚えのある黒子があったから。

「それ……カズエの……え?」

 上手く言葉にならない。二人は私を蚊帳の外に置いたまま、淡々と用意を進める……あの軍服に手伝われて、台の上には更に追加で四肢が並んだ。

 カズエが震える声で呟く。

「左右上腕、左右下腿……四肢を、移植、する」

「うん、分かった。手伝おう」

──移植?

 魔法の言葉に聞こえた。

「戻せるの……?」

「やってみるしか……」

「大丈夫、成功するよ」

「……ああ」

 戻せる──その響きは、まるで天から吊るされた蜘蛛の糸。上半身で思い切りぶつかる。腕が無い今、そうするしか思い浮かばなかった。

 感情の爆発するまま……叫ぶ。

「だったら……だったら私の腕もくっつけて! 元に戻してよ!」

 カズエは無反応。軍服は冷ややかに私を見つめていた。

「もうピアノが弾けないなんて、絶対に嫌! カズエだって私の弾くピアノ、好きって言ってくれたよね?

誉めてくれたよね? ねえ!」

 哀訴嘆願は聞き入れられず……カズエは片手で私を払いのけた。

「邪魔をするな……」

「なんで! 戻せるんでしょ! 勿論センチくんの後でいいから、ねぇお願い私の手──」

「どうして俺が脚を諦めたと思う!」

ばんと机を強く叩く。音に驚いてびくりとし、一歩下がった。

 確かに──どうして。

 彼も私と同じ……走る脚を何より重んじていたはず。私と同じ。

「ダメなんだ──政府は誰のどの臓器、器官、四肢がどうして奪われて、どこに保管されて、どう使われているかをこと細かく記録している」

 処刑で切り離されたものは、再接合を許されない──彼は力なく付け足した。

「幼くて無垢なコイツには余りにも重い罪過だ──だからこれは、センチを助けるためだけの、俺達の協定だ。お前にも俺にも、適応はない」

 きっと睨んでくる彼の瞳は力強くあるが、以前のようなきらめきは灯っていなかった。

「もう一度切断されてもいいなら……喜んでつけてやるよ!」

 最後にカズエの大きな声が部屋に響き渡った。

──私の腕は、許されない。

 カズエが許されなかったように。事実を反芻する。呆然と彼を見つめるのみ。足の力が抜けて、一人では立てなくなっていた。

「……さぁ、貴女も処置が必要だからこっちにおいで」

 見かねたのか、軍服に脇の下に手を入れられ、優しく立たされる。誘導されるが……やはり視界に入るのは、切り離された自分の手、指。

 諦め切れない──もう動かないなんて、嫌。

 立ち上がっておもむろに、ふらふらと……また彼に近付く。

「センチくん……どうするの」

「……足は俺のもので代用する。腕……前腕は、体格が極力近い兄貴でやってみるしか」

「私の腕、くっつけて」

「だから!」

「私のその腕──その子につけて」

 カズエの目が大きく見開かれた、私を映す。体を支えてくれた軍服も静かに見つめてきた。二人の視線なんてもはや関係ない……私は気にせず、離れてしまった白い二本の腕を見つめていた。

 あの先につく右五本と左五本の細い指は、このままでは鍵盤を撫でるどころか、もう一生動く事も無い。

「オトナシ……」

「一番新鮮よ? きっと──いいでしょう。しかも、私とセンチくんだもの」

 ふふっと……何故か笑えてきた。つい笑みが込み上げてきてしまった。

「私の手、あげる。だから──」

──きっと、また、動いてみせて。

 希望が見えた今、怖いものはなくなった。またあの頃のきらめきを彼に見えるならば。

  どうしたのか……カズエはとても酷い顔をしていた。


『私が、いけなかった。

 こんな事になるなんて、思いもしなかった。まだ幼い彼を巻き込んでしまった。

 でも……私も天罰を受けた。もう許して欲しい。


 あの日の雨が憎い──。

 こんな世界、滅べばいいのに。他の世界と一緒に滅亡すれば良かったのに。どうして生きているのだろう。

 全てなくなればいい──。

 

 あの子はまだ目覚めない。

 けれど、もし……目が覚めて、動いてくれるなら。

 あの手が動いてくれるなら。

 私は──。』




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