-༠༠༨- のぐのお墓
連日観光に連れ出されて思ったことがある。
もしかしたら『ダーシャ』は存在しないのではないかということだ。
薄々感じていたことでもあった。
ブラウザを通して出会うダーシャはとても瑞々しく、血肉を伴って存在しているように思え、ダーシャが住んでいるというこのコヒマという街も、彼女の息遣いを感じ取れるほどにその陰を見る。
けれど、遠い。
色々な場所に赴いた。
毎日を笑って過ごして、思いがけずに良い休暇を過ごせている。
一生懸命なナガの青年たちには感謝しかなく、けれど凌の心は満たされない。
何故ならダーシャにたどり着けなかったから。
一週間近くを過ごしたホテルの部屋を見渡す。
もうここに来ることはきっとない。
自分の一部をここに置いて行ければいい。
一番思い出が募ったのは、ダーシャからの連絡を待ったこの部屋だったから。
感傷を抱くのも仕方がないと凌は笑った。
最初にこの部屋に踏み入れたその時の情熱はもはやない。
けれどコヒマに滞在する最後の日を最後の観光に充てるため、ただ持ち歩いているだけのリュックを背負って部屋を出た。
形だけのスーツケースは昨日の内にディマプール空港近くのホテルに預けている。
今日は観光の後、そちらで一泊の上、明日の午前中の便で帰国する予定だ。
迎えに来たナガ青年はどこか怒ったような表情で凌を見た。
理由がわからないが問うこともできなくて、促されるまま凌は助手席に座った。
「ごめん、憶えていないんだ。
あなたの名前は何というの」
走り出してから訊ねたが、青年はそれに答えず別のことを口にした。
「昨日、ダーシャに何を言ったの」
彼が言う「ダーシャ」は、はじめに凌に会いに来てくれたナガ女性のことだ。
昨日は、彼女が凌の世話をしてくれた。
「訊かれたことに答えただけだよ」
空々しい声が出た。
「ダーシャは泣いていた」
吐き捨てるように青年は言った。
きっとこの青年はあのダーシャが好きなんだろう。
凌が『ダーシャ』を想うように。
「申し訳ないとは思っているよ」
本心から言ったが、 青年がそれに納得するかはわからない。
車は丘陵地であるコヒマの坂を上って行く。
どこへ向かっているのかは訊いていないが、凌が調べた範囲の観光スポットではないだろう。
「どうして?あなたはダーシャが嫌いなの?」
ハンドルを切りながら青年は訊ねる。
どう答えたらいいのだろう。
「俺が好きなのはあなたの言うダーシャじゃないんだ。
代わりになんて誰にもなれない」
交差点で停まって、青年は信号を睨みつけながら言葉を探しているようだった。
「のぐが探しているダーシャはいないかもしれない」
「それもわかっているよ」
「それでも」信号の色が変わるのを眺めながら答える。
「俺のダーシャは、彼女じゃない」
毎日来ていたメッセージアプリの通知は、昨日で途切れた。
住宅が途切れる山際の突き当りの路地に停車した。
なぜここなのかわからず凌は青年の横顔を見る。
青年はハンドルに手を置いたまま、苦い表情で真っ直ぐを見つめていた。
「ここで降りるの?」
青年は頷いてシートベルトを外した。
今週の内にとても見慣れたコヒマの一般的な白塗りの民家だ。
その裏側、山の斜面へと歩いて行く青年の背中に、凌は疑問を口にしないまま着いて行く。
少しだけ背の高い雑草を分け入った所で青年が立ち止まり、凌もそれに倣った。
「ここは、なんなの」
「のぐのお墓だよ」
問い掛けに、青年は足元に目を落として答えた。
凌はその視線の先を見る。
言われないとわからないくらい、埋もれてしまった盛り土の姿を。




