-༠༠༦- 空の青
折角の異国の地で昼まで寝過ごした。
ベットメイクができなくて困ったホテルスタッフが声掛けをしてくれてやっと目が覚めた有様だった。
起き抜けで腹は減っていない。
オンラインの光が消えたのを見たのが最後の記憶で、ベットの上で身を抱えるようにして眠っていた。
少しだけ喉をやられたかもしれない。
熱い紅茶でも流し込んで有耶無耶にしようと、慌てて着た服を直しながら喫茶スペースへと向かう。
ナガの民芸品の販売も行っている喫茶室の窓際の席に座り、英語メニューに目を落とした。
地域的にやはりアッサム茶が強いようで、凌にはわからない等級の違いで値段も様々だが、とりあえずミルク抜きのものを頼む。
昼時だからかなにか食べないのかと問われ、メニューのFOODとある部分の上を適当に指差した。
窓の外を見る。
二階だからか、それとも標高が高いからなのか、空が近くに見える。
凌の知る日本の空よりも青い。
手が届きそう、などとふと詩情をおこした。
そんな自分が可笑しくて、凌は少しだけ笑った。
紅茶が先に運ばれてきたので、熱い大振りのティーポットを持ってカップに注いだ。
濃い色の茶は咽そうに苦かったが、きっと喉の不調を吹き飛ばしてくれるだろう。
そして凌は朝方に消えた光を思い出す。
この空と同じ希望をつなぐ色。
何を思ってダーシャは朝まで過ごしたのだろう。
そこになにか凌にとって都合のいいことを見出してもいいだろうか。
適当に指差したFOODは、よくメニューを見たらナガカレーだったらしい。
運ばれてきた物を見て凌は驚く。
紫に近い赤飯。
それにナガチリ色の赤いスープ。
これじゃ海栗みたいな色なんて言ってもわからないわけだ。
ダーシャの知るカレーはきっとこれで、凌が想うインドカレーとは違うのだ。
3年も言葉を交わしてきて、そんなことも考えたことがなかった。
少しだけ打ちのめされたような気持ちになって、しばらくスープの赤を見ていた。
冷めぬ間に食べよう。
腹は空いてはいなかったが、どことなく禊ぎのような気持ちでスプーンを口に運ぶ。
あまりの辛さに鼻水が出かけた。
急いで紅茶を口にしたが、先ほど飲んだ時よりずっと甘く感じる。
よく見ずにとんでもない料理を頼んでしまって、どうしようかと思いながら凌はまた窓越しに空を見上げた。
凌の知る日本の空よりも青い。
ダーシャはこの青を見て過ごしているのか。
空の青について語るときさえ、きっと凌とダーシャの間では違うものを指すのだ。
凌が今いるのはインド・ナガランド州コヒマ。
どこよりもダーシャに近い街。
それなのになにひとつダーシャには近付けずに、凌はどこにも手を伸ばせない。
何か名案があったわけではなくて、それでも黙って蹲ってはいられずに、こうしてここまでやって来た。
軽率さを一番に笑うのはきっと自分自身で、でもまだ思い出にはしたくなくて、もう一度凌は真っ赤なカレーに向き直る。
せめてこれくらい食べれてからじゃないと、ダーシャに合わせる顔などないと思ったから。
会いたいなんてもう言わない。
でも、会いたいと思うことを否定しない。
ここまで拗れてしまっているのに、まだ伝えていない言葉がある。
ダーシャのことが好きだ。
どうしようもない程に。
それを伝えて去ることにしよう。
コヒマからも。
二人を繋いだあのSNSからも。
会いたいなんてもう言わない。
でも、きっと会えると思っている。
それは多分に希望を乗せた考えだけれど、どこか確信めいたものも凌の中にあった。
どこでかはわからない。
いつなのかも知れない。
ダーシャとの深夜のメッセージを思い出す。
そうだよ、俺は馬鹿だ。
ダーシャが思っているよりずっと。
そして、自分で思っているよりもずっと。
食べ終わる頃には唇が麻痺して、喉の痛みなど消えてしまった。
2019/07/18
3~5話
現在のナガランド州の実情にそぐわない描写があったため変更しました。