-༠༠༢-『のぐ』
ダーシャはとても雄弁で、かつ勤勉だった。
飲み込みが早くてすぐに難しい日本語の慣用句を覚えては使う。
彼女が好んで多用していた日本語は「木漏れ日」という単語で、とても美しい言葉だと何度も言っていた。
その言葉を使いたいが為だけに撮られた風景写真は、コミュニティの中でとても好評だった。
凌はダーシャ関連のデータを入れているフォルダを開き、その中のひとつをクリックした。
夕日と木と、眼下に広がる街並みが綺麗だ。
家の近くで撮ったのだと言っていた。
「『のぐ』は、わたしの部族の言葉で戦士という意味」
相談のメッセージを最初に貰ったとき、彼女は凌のハンドルネームについてそう教えてくれた。
自分の部族の言葉が使われていることが嬉しかったのだという。
その時に共に彼女自身のことをいくらか教えてくれた。
自分がナガ族であり、インドのナガランドに住んでいると。
折に触れて語られる異国の彼女についての話は、ダイレクトメッセージという密室で、凌をいくらか揚々とした気分にさせてしまった。
きっと彼女にそんな気持ちはなかったのだろう。
ただ、『のぐ』だったから気安く話してくれただけに過ぎない。
けれど、凌にとって、いつからか彼女は特別な存在だった。
交わした全てのテキストが、凌の宝物になった。
『ナガランドはインドの他の場所とどう違うの』
『うーん、ずっと政治の?話をしている所。
文化が違うし、近くに中国がある。
でも観光が得意で、綺麗です。
アッサム紅茶を作ってる所が隣にある。
時々けんかするけど。
ご飯とかは、ナガ族のご飯、辛いよ。
それに肉も食べるます。』
『>それに肉も食べるます。
○ それに肉も食べます。
そうなんだね。
じゃあ日本でやってるインドカレーみたいのは食べない?あれも辛いけど。』
『どんなの?』
『ナンとかと一緒に食べるやつ。
スープの色が黄色っぽい、海栗みたいな色の』
『海栗ってなに?』
『ウニだよ。
海に住んでる、棘がいっぱい生えた生き物』
『魚?棘が生えてるの?見たい!食べれる?』
『魚ではないけど…食べたことないの?』
『ない!見たい!食べたい!』
『じゃあダーシャが日本に来た時に、奢ってあげよう。』
『わかった!いつか行くからね(*≧∀≦*)』
初めて親しく交わしたそのメッセージと、その後に丁寧に重ねられたSNS上での交友と。
3年は短くはなかったのだ。
凌にとっては、心の拠り所になってしまう程に。
会いたいと願ってしまう程に。
「日本にはいつ頃来るの?」
そんな件名でメッセージを送った。
「re:日本にはいつ頃来るの?」
『わからないよ。
どうして?』
「re:re:日本にはいつ頃来るの?」
『早くダーシャに会いたい』
「re:re:re:日本にはいつ頃来るの?」
『!!』
「re:re:re:re:日本にはいつ頃来るの?」
『待ってるって言ったら迷惑?』
返信はなかった。
その後未練がましく何度かメッセージを送った。
しばらく後に来たメッセージは「ごめんなさい」だった。
『私はのぐに言っていないことが沢山ある。
のぐに会えない。
今までありがとう。
ごめんなさい。』
「re:ごめんなさい」
『俺だって沢山ダーシャに言っていないことがあるよ。
きっと会ったらダーシャががっかりする位に。
でもそれでも会いたいって思ったんだよ。
日本観光だって気心知れたガイドが居た方がいいだろ?俺そういうの得意だし、色んな店も知ってる。
来るときは連絡して欲しいし、助けになれると思う。
それにこっちで働きたいって言ってただろ?ビザとかの申請にも現地人の知り合いが居たら便利だよ。
俺に言ってないことなんてどうでもいいよ。
ダーシャはダーシャだし、人間隠し事の一つや二つ皆持ってるものだって。
それで会えないとか思わなくていいよ。
まるでお別れみたいな事言わないでくれよ。
俺はずっとこうして一緒に話してたダーシャが好きで、もし日本に来るなら手助けしたいって思っただけなんだ。
だからなにも俺に謝る必要もないし、会えないとか考えなくていいから。』
返信はなかった。