ドラゴンと男
寒くなったことに気がついて目を開けると、掛け布団が捲れていた。まだ夢現だったので、布団をもぞもぞ手繰り寄せて寝ようとする。
「おい、寝るな」
低い声が聞こえて、被ろうとしていた布団を引っ張られる。お腹の所で何かが呻き声をあげ、自分の眠りを妨げようとする者に苛立ちを覚えた。
「お前も、コイツにくっつくな」
パッとお腹の重みが消えた。
「だってェ〜。私は自分で体温調節の出来ない動物なんですヨ! ここは寒くて……」
「チッ……下等生物めが」
「だっ……旦那、酷イですよ〜」
うるさくて寝返りを打つと、声の方を向いた。男と目が合う。
「お前もなぁ、コイツといると生気を吸われるからくっつかない方がいい」
ドラゴンは男に首を捕まれ、羽をバタつかせていた。短い手足を動かしてそれはもう、全力で逃げようとしている。
「旦那の近くにいると、もっと寒いキがします!」
――あぁ、悪夢が蘇ってしまった……。
中村は起き上がり、目を擦る。
「不法侵入だ」
それだけ言うと、男をじっと見る。
昨日は突然のことで気にならなかったが、男は古着屋に放おってあるようなジーパンと黒い長袖のニットを着ていた。茶色がかった髪もボサボサで目は淀んでいる。まるでホームレスだ。汚れや匂いはないにも関わらず、男は嫌な感じを漂わせていた。
「俺にかかればこの世界の鍵なんて無いも同然! こんなとこにいねぇで彼処に戻ってお前と遊びたいよ」
「うん、うん。そうですね、ちょっとご飯食べたいからお話は後でお願いします〜」
彼女は相手が、あの世界を語ることに慣れてきていた。病人を扱うような目で、男をあしらう。
「ハァッ! ご飯! 噂には聞いていましたが、ご飯! 今から食べるのですかァ〜」
ドラゴンは何やらテンションが上がっていた。
「ドラゴン君も朝ごはん食べたいの?」
「私のことはグレィとお呼び下さい、お嬢さん」
グレィは爬虫類のその目を細め笑う。
「グレィ、一緒にご飯食べよう」
グレィは目を輝かせ、頷いた。中村が立ち上がると、男はパッと身体を避ける。同時にグレィは男の手を逃れた。
彼女は冷凍庫を開け、食パンを取り出した。次に冷蔵庫から、卵と牛乳。
「とびっきり美味いフレンチトーストを作ってあげるね!」
「ふれんちとーすと?」
彼女は笑顔になった。
食パンを切り、卵をとき、牛乳に砂糖を溶かした。手際よく焼いていく。
隣のコンロではお湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
あっという間に、二皿のフレンチトーストが出来上がった。
食パンは熱々とろとろで、部屋には香ばしいバターの香りが漂う。そこに琥珀色の蜂蜜をたっぷりかけた。ふわっと甘い香りが充満する。
「いただきまーす」
彼女に続き、グレィも声を上げる。
「イタダキマース?」
「グレィ、具合悪くなっても知らねぇぞ」
二人は座っているというのに、男は座りもせず腕を組んで遠目に見ている。
「ダイジョブですよ〜これくらい。うまっ!」
グレィは彼女がフォークを渡したのにも関わらず、素手になってガツガツ食べている。蜂蜜がかかっていたので、手はベタベタで食パンのくずが大量に付いている。
「グレィかわいいなぁ〜爬虫類フェチになりそう」
男は呆れてそれを見ている。
「あ、ねぇ、えーっと、座りなよ」
彼女は男の名前を呼ぼうとして、名前を聞いていないことに気がついた。
「名前聞いてなかったですね……えと、私は中村知幸です。あなたは?」
男は素直に座って、「小林……」とだけ呟いた。
「小林、さん。何か飲みますか?」
「いや、いい」
沈黙。
中村は一瞬固まって、テレビのリモコンに手を伸ばした。沈黙に耐えられなかったのだ。
「グレィ、この男なんなの?」
「すみません、旦那は愛想というものを持ち合わせてイナイもので」
「じゃなくて、グレィの飼い主なの?」
「あぁ、友達デスヨ!」
友達……。彼女はそう小さく繰り返した。
『……自動車が次々と燃え、大きな爆発を……』
彼女はテレビの方を振り向くと、釘付けになった。昨日の出来事がニュースになっていたのだ。
『……軽症者六名、重症者一名。警察は暴力団やテロとの関連性を調べています。目撃者は「突然火の玉が現れて自動車にぶつかってきた、怪しい人影を見た」等と混乱している様子です』
「夢じゃなかったんだ」
「夢だと思ってたのか? 俺が助けてやったろ」
自慢げに、小林が言う。彼女はそれを一睨みすると、窓に目をやる。そこには、昨日の黒い人影が窓に大量に張り付いていた。ほとんど窓は埋め尽くされ、気がつくと部屋は暗くなっている。
ひっと小さく悲鳴を上げ、助けを求めるように小林を見る。
「結界を張ってあるから大丈夫だよ。普通の人間以外入ってこれない」
「本当に?」
「シンパイないです! だー、だぁーって、旦那は強いですから!」
小林はグレィを見て、ため息をつく。
「でも、引きこもってもらう訳にもいかねぇんだよなぁ。お前は力を取り戻さなくちゃ」
「な、何で、私……。やっぱり世界を救うとか言い出すの?」
ユリの言葉を思い出す。しかし、小林の反応は違った。口を開きかけて、そのまま止まる。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと思い出してた……」
言葉を濁すように言って、目を逸らす。中村はあの世界での話を、今まで「関係ないしどうでもいい」と考えていたのだが、小林の様子が引っかかった。どうしても気になる。
「何を?」
「……お前の母親。あいつも、世界を救うとか言ってたなぁって」
しみじみと言って、まぁお前と違って優しくて美人だったけどな、と笑い飛ばした。
彼女はあぁ、あの世界での母親の話かと理解する。後の余計な一言は聞き流した。
「まぁ、救うとか考えねぇでいいよ。どうせあのクソ女から言われたんだろうけど」
「旦那ァ、クソ女って言っちゃ駄目ですよ〜」
「知るか。アイツうろうろしててうざいんだよ」
グレィが焦っておろおろしだす。
「ユリと知り合いなんですか?」
小林とグレィが顔を見合わせる。二人の顔には、はてなが浮かんでいる。
「アイツと知り合いだなんて思われたくもないが。それにアイツは有名人だぞ」
「有名人? なんで?」
「あの世界で、アイツとお前はそっくりでさぁ。よく間違えられてたから。あぁ今は背丈違うし、髪も違うから間違えないけど……。あ、顔はちょっと面影あるんだな。いや、無いか。雰囲気か」
小林は、まじまじと彼女の顔を見つめてそう言った。
――なんか馬鹿にされている気がする。ブスならブスとはっきり言ってくれたほうが、まだマシだな。
彼女はブスではないのだが、自分の無表情さと曲がった性格によって、印象が良くないのだということを知らなかった。
「とにかく、お前はもう逃げられない。お前が強くならないと、昨日みたいに犠牲者が出るぞ」
「そんなこと言われても。私のせいなの? ユリと会ってから酷い目に合うし、あなた達のせいじゃないの? 私は、そんな追われたりする覚えはないよ。何も出来ないし、ねぇ……」
必死に訴えるが、小林は彼女を真っ直ぐに見据えて、
「お前のせいだし、お前が力を取り戻さない限り事態は悪化する」
と、きっぱり言い放った。
中村はそう言われるとしゅんとして、冷たくなったフレンチトーストをまずそうに口に押し込み始めた。